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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 ニ (氏政信玄と結ぶ)

信玄は氏政に対し、小田原にいる今川氏真を殺すことをもとめる。,今川氏真は、武蔵品川で家屋敷を与えられ高家として幕府に仕えていたが、慶長十九年(一六一四)十二月二十八日死亡
浜松市史 ニ (湖西の守備)

【境目城】しかし東部国境から武田信玄、西部国境から徳川家康の脅威が急速にたかまってきた永禄十年、今川氏真,飯尾連竜判物(浜松市向宿町 寿量院蔵) 今川氏真判物(浜松市頭陀寺町 頭陀寺旧蔵)
浜松市史 一 (繁田氏)

(浜名郡雄踏町) 高橋右近 永禄 7. 3.朔 蒲神明宮文書 今川氏真判物。右近は斯波義達の旧臣。,(市内蒲神明宮) 袴田対馬入道 永禄10.10.13 瀬戸文書 今川氏真判物。,(引佐郡引佐町) 赤佐次郎左衛門 永禄11. 9.14 瀬戸文書 今川氏真判物。,(なお『蠢簡集残篇』三に収めた永禄3年12月9日「松井宗信宛今川氏真判物案」によると,宗信の部下には蒲
浜松市史 一 (浜松荘 入野木寺宮領)

しかし永禄六年(一五六三)五月、今川氏真は、松下筑後入道に、浜松荘因幡郷などを給与している(『古証文』,【今川氏領 引馬】永禄九年(一五六六)四月今川氏真は、前年引馬城の飯尾連竜を処断した時に身命を捨てて協力
浜松市史 一 (門奈氏)

門奈氏 門奈直友 永禄元年(一五五八)閏六月廿四日付今川氏真の判物によると(「祥光寺文書」『浜松市史史料編三
井伊家伝記 上 (小野但馬守の讒言と井伊直親の死 翻刻)

御人数被遣候直親領分之中山中村々共鹿狩之案 内被成候故永緑五年壬戌之極月小野但馬急ニ駿府江 罷下今川氏真江讒言申候,両人江内通一味同心仕候近日遠州発向之為に先勢 之人数被遣候追々大勢参候風説夥敷候遠州ハ信長 家康公両人之手に入り可申と委細ニ訴申候故今川氏真大
浜松市史 一 (農業政策)

また今川氏真は富士田上原を開くという町田左衛門三郎に、棟別などの諸役を永禄(えいろく)四年(一五六一),【天竜川の堤防林】今川氏真は、遠江浜名郡万石(万斛、いま当市中郡町)の名主沢木六郎左衛門に対し、「所有地
浜松市史 ニ (二俣城攻略)

天正四年(一五七六)三月、家康は今川氏真を遠江牧野城におき、松平家忠らに護衛させた。
浜松市史 一 (国役)

【紺搔役】永禄三年(一五六〇)八月、今川氏真が遠江の本間五郎兵衛尉に安堵させた紺搔(こんがき)役(『本間文書
浜松市史 一 (今川氏の全盛時代)

今川氏の全盛時代 【今川氏輝 今川義元 今川氏真】大永(たいえい)六年(一五二六)六月氏親は死亡。
浜松市史 一 (河勾荘)

【老間村】永禄元年(一五五八)閏六月、今川氏真の祥光寺にあてた寺領安堵状(「祥光寺文書」『浜松市史史料編三,【平間 河袋 高木】永禄参年十月五日今川氏真の判物写(「松林寺文書」『県史料』五所収)に「遠州河勾庄平間,【大柳村】永禄四年十二月十一日付今川氏真の朱印状写(「恩地村太田彦太夫方記録之写」『随庵見聞録』所収)
浜松市史 一 (浜名氏)

永禄七年(一五六四)十月、今川氏真は尾奈郷を浜名三郎政明に扶助した(『大沢文書』)。
浜松市史 一 (松下氏)

子加兵衛之綱は三河国に生まれ、今川氏真に仕官する(『寛政重修諸家譜』四百十二)。
浜松市史 ニ (信長と同盟を結ぶ)

信長と同盟を結ぶ 元康は岡崎に帰ってからも、周辺の織田方と戦いながら、一方では今川氏真(うじざね)に
浜松市史 一 (今川氏の徳政)

今川氏の徳政 【井伊氏の抵抗】永禄十年(一五六七)八月、今川氏真は井伊谷にも徳政を令した。
浜松市史 一 (神社の統制)

【入野郷】永正十四年(一五一七)に井伊千代寿が、峯田郷一町六段の年貢三貫文を、永禄十年(一五六七)今川氏真
浜松市史 一 (銅銭の流通)

今川氏真は永禄六年(一五六三)に制札できめたようにし、みだりにえらんではならないと定めた(『今川判物証文写
浜松市史 ニ (勢力の均衡破れる)

【今川氏真 上杉輝虎】家康は、信長と和して氏真と争い、はるかに輝虎とむすぶ。
浜松市史 ニ (犬居城攻略)

家康は、すでに出家して宗誾(そうぎん)という今川氏真を牧野城から浜松城に移していたが、三月に宗誾は、海老江弥三郎
浜松市史 ニ (大沢氏降伏)

大沢氏降伏 堀江城(当市舘山寺町)の大沢基胤(もとたね)は、今川氏真に従い家康の遠江進入に抵抗した。
井伊家伝記 上 (小野但馬守が家康に処刑される 翻刻)

      此所二字下ヶ可有也 権現様より井伊保三人衆を被遣候事 一小野但馬井伊谷押領仕候訳者永禄十一年今川氏真
浜松市史 一 (戦国大名の人物 家臣の統制)

今川氏真などその代表人物の一人である。封建制の主君、ことに戦国大名は、独裁君主だからである。
浜松市史 一 (今川氏の遠江侵入)

―天文5 (1536) + 今川義元 治部大輔 天文5 (1536) ―永禄3 (1560) + 今川氏真
浜松市史 一 (枡)

さらに今川氏真は永禄六年(一五六三)ころ、遠江堀江(当市内)で「下方枡」を採用している(『中村文書』)
浜松市史 一 (農民政策)

今川氏真は永禄四年(一五六一)に未進分を弁済すると申しでた大田彦十郎に対し、与三郎の知行した土地を知行
浜松市史 一 (木寺宮領)

【浜松荘の構成地区】浜松荘は、もとの浜松郷を中心とした荘園で、二十四郷とある(永禄十年九月十二日今川氏真判物写
浜松市史 一 (百姓前)

九月三日付小笠原氏興が駿河府中の商人頭松木与三左衛門にあてた田地売渡状(「矢入文書」『静岡県史料』三所収)は、今川氏真
解説「井伊直虎とその時代」 (解説「井伊直虎とその時代」)

なお、戦国期の井伊家や龍潭寺と深く関わった豪商・瀬戸方久にまつわる同時代の「今川氏真判物」(個人蔵)も
解説「徳川家康と三方原の合戦」 (解説「徳川家康と三方原の合戦」)

今川氏真の降伏をもって、永禄12年5月17日、戦国大名今川氏は滅亡した。  
とみつか:わが町文化誌 (浜松市立冨塚公民館『とみつか:わが町文化誌』 目次)

・富塚郷   74 【江戸初期の富塚郷】 75 【浜松市富塚地区略図 各自治会区域】 76 【今川氏真
浜松市史 ニ (写真・図版目次)

 久能山東照宮蔵)   四 飯尾連竜判物          (浜松市向宿町 寿量院蔵)   八 今川氏真判物
浜北市史 通史 上巻 (浜北市史 通史 上巻 目次)

今川氏の遠江進出 674 2 今川氏親と学園寺 680 3 宮口を領有した井伊朝光 690 4 今川氏真
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