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浜松市史 ニ
(助郷村の負担)
【
伊場村
】一つのケースとして
伊場村
の場合を挙げてみよう。,宝暦十年の『
伊場村
御用書留帳』(『浜松市史史料編四』)をしらべると、助郷勤は毎月二、三回で、とくに陽気,(表)宝暦10年
伊場村
の人馬出動数 月日 人足数 馬数 1.17 36 人 18 30 19
浜松市史 ニ
(寺院の形式化)
笠井村の旧家山下佐二兵衛家は法永寺と定明寺の両寺に墓地をもち、
伊場村
岡部家は同村の見海院が檀那寺であるがその,また墓地が
伊場村
岡部与三郎家のように邸内の裏山にある場合もあったし、利町諏訪明神のように神官だけの墓地
浜松市史 ニ
(文政倹約令)
この趣旨により、
伊場村
ではこの月村役人が協議して村の実情に即し「村方倹約并取締箇条」を申しあわせている,ぎや町方へ出て日雇儲けを抑制し農事に専念することなどの細則を定め、住民全部が請印をしている(『文政二年
伊場村
倹約取締
浜松市史 ニ
(巡礼)
また、遠く西国巡礼などに出かける例もあった(「
伊場村
御用書留帳」『浜松市史史料編四』)。,#160; 22 鍛冶町 浄鏡院 66 四本松 永正寺 23 高林村 松林寺 67 江川村 法泉寺 24
伊場村
,観正寺 40 西之郷村 慶福寺 84 西若林 光林寺 41 堤村 増見寺 85 嶋之郷村 松寿院 42
伊場村
浜松市史 ニ
(助郷制の公布と助郷村の指定)
助郷制の公布と助郷村の指定 寛永十四年(一六三七)三月助郷制が定まり、浜松宿では
伊場村
・東鴨江村・西若林村,元禄七年浜松・舞坂両宿助郷村図 (表)浜松宿定助郷(寛永14年) 定助郷村 助郷高 役馬数
伊場村
浜松市史 ニ
(忠邦染筆)
こうして
伊場村
加茂社の境内に県居霊社は建立されそののちこの霊社は、遠江一国の国学のよりどころとなったのである
浜松市史 ニ
(神主隊編成)
弓術師範として天王村竹山陽左衛門を招き同村八幡宮で毎月六の日を稽古日と決めて、世話役に万斛村鈴木主水・
伊場村
岡部次郎左衛門
浜松市史 ニ
(独札庄屋)
【古独札】『高林家文書』によると、正保・承応のころに有玉村高林家・万斛村鈴木家・
伊場村
岡部家・笠井村山下家,万斛組七十一人・町組五十六人・浜辺組六十六人・国領組八十五人)を引見した際、宇布見(うぶみ)村の源左衛門・
伊場村
,宝永五年(一七〇八)
伊場村
差出帳から、同村の石高・貢租・戸口階層・用水・稼方などがわかる(『岡部家文書
浜松市史 ニ
(神官)
これはなんらかの理由によって神社と旧家とのつながりがあったためで、蒲神明宮と蒲家、
伊場村
加茂明神社と岡部家
浜松市史 ニ
(組の機能)
『
伊場村
御用書留帳』(『浜松市史史料編四』)によると、宝暦十年藩側は城中への年貢納入の日割を組別に指示
浜松市史 三
(岡部政美)
岡部政美 岡部政美(次郎左衛門、明治三十四年三月没、七十九歳)は賀茂真淵の流れを吸む
伊場村
岡部四家のうちの
浜松市史 ニ
(犀ケ崖の夜戦)
なお
伊場村
(当市東伊場)次郎左衛門(岡部政定)は夜襲に加わり武功をたてたという(「浜松御在城記」『浜松市史史料編一
浜松市史 ニ
(井上氏所替)
井上氏所替
伊場村
庄屋岡部次郎左衛門の手記によると、城主井上河内守正甫(まさもと)が棚倉へ移封し水野左近将監忠邦
浜松市史 ニ
(克明館校則)
克明館も同様で、新町の内田正太郎(のち正)・
伊場村
(当市東伊場)の岡部譲・本魚(もとうお)町の醸造家に
浜松市史 一
([ウンカの害])
一七四一)近村共大分之雲霞に付、悪年に候て、定免之内、米上下へ百俵被下、五十俵づつわけ申候、
伊場村
御用書留帳
浜松市史 ニ
(海岸地帯)
【浅田村】『旅籠町平右衛門記録』(『浜松市史史料編一』)によると、享保十一年(一七二六)に浅田村・
伊場村
浜松市史 三
(五社と諏訪 井伊谷宮)
【森家 杉浦家】五杜神社は県社に列せられ岡部政美(
伊場村
)が祠官(五年)となったが、江戸以来の神官森家
浜松市史 ニ
(綿布の商品化)
)にも「御領分村々ニ而織り出候もの、自今幅尺御定之通ニ御改売買いたし候様」と再度の規正をしている(「
伊場村
御用書留帳
浜松市史 三
(伝染病)
コレラは明治十年の西南戦争出征軍人により全国的に広がり、浜松地方にも発生(浜松宿女一名、早出村男一名、
伊場村
男一名
浜松市史 ニ
(停止令)
なお『
伊場村
御配符留書』にも、宝暦二・八・九・十年と続いて禁令が出ている。
浜松市史 三
(立憲帝政党 自由党 改進党 浜松政界の基盤)
鍛冶町)・田中五郎七(田町)・市川庄次郎(板屋町)・山田和三郎(下垂町)・小池文雄(浅田村)・岡部譲(
伊場村
浜松市史 三
(郷社 村社 浜松郷社)
四十六所神社 1~5 都盛村 春日神社 1~6 白羽村 大宮浅間神社 1~7 浅田村 賀茂神社 1~8
伊場村
浜松市史 一
(嘉永の被害)
れるものがあり、村民は仮小屋を造って二週間も寝泊りしたというほどはげしい被害をこうむったのに、その隣村の
伊場村
浜松市史 ニ
(真渕の父母)
【実子真滋】このことは『旅籠町平右衛門記録』(『浜松市史史料編一』)に「
伊場村
与三郎(岡部氏)殿子庄助
浜松市史 ニ
(定助役)
たとえば、宝暦十年の
伊場村
では「米二斗八升五合 船越村船賃米 銭九六四文 池田村船賃銭」とある(『岡部家文書
浜松市史 ニ
(真渕の家系)
近世の国学史上重要な地位を占める賀茂真渕は、元禄十年(一六九七)三月四日、遠江国敷智郡浜松庄岡部郷
伊場村
浜松市史 ニ
(山本大隅の記録)
たるゝ節ノ大丈夫ナル 目を驚カセリ別紙ニ記ス」 山本大隅は慶応元年(一八六五)四月十七日に
伊場村
浜松市史 ニ
(助郷の一本化)
(表)元禄15年定助郷村名表 定助郷村 助郷高 役馬 町組 石 疋
伊場村
浜松市史 ニ
(寺島八幡地の年貢)
池町 28 1斗9升余 早馬町 37 3 名残町 3 0 寺嶋村 166 160 八幡村 29 0
伊場村
浜松市史 ニ
(町の意義)
『遠州浜松各町書上』に、「往還通り西端の七軒町・上新町は古来近村の
伊場村
・東鴨江村・浅田村の百姓の「名敷地
浜松市史 三
(敷知長上浜名郡役所 郡域変更)
7小区(敷知郡) 東若林村 高塚村 東鴨江村 倉松村 若林村 入野村 堤村 小沢渡村 増楽村
伊場村
浜松市史 ニ
(天保十年知行地)
明神野村 田尻村 法枝村 堤村 新橋村 小沢渡村 増楽村 若林村 東若林村
伊場村
浜松市史 三
(学区制)
7小区 小野田松一郎 61番 595 東鴨江村 蜆塚村 権田和七郎 62番 557
伊場村
浜松市史 ニ
(元禄の野論)
#160; 青山下野守領 宇布見村 西鴨江村 片草村 入野村
伊場村
解説『遠江国風土記伝』と内山真龍
(解説『遠江国風土記伝』と内山真龍)
そして天保10年(1839)
伊場村
に県居翁霊社(現 県居神社)が建立され、その後この霊社は遠江の国学のよりどころとなった
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌
(浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)
神田町 【天竜川 自然堤防 眼蔵寺 新橋町 光勝院 岡田勘右衛門】 195 ○森田町 【
伊場村
浜松市史 ニ
([水野氏の家臣団])
御家中御名前并御高御扶持記録」は水野氏が浜松へ所替になったとき、唐津から送ってきた家臣名簿で、文化十四年(一八一七)十月
伊場村
岡部次郎左衛門
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
図中に「定助」と注記された村が、ⓐでは東鴨江村、
伊場村
、東若林村、佐藤一色村の4村であるが、ⓑでは西若林村,東鴨江村、
伊場村
、東若林村、西若林村、佐藤一色村の4村(ⓑ図では西若林村を加えた5村)には、「定助」と
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