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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 三 (伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂)

伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂 続いてメソジスト派の布教がはじまった。,大川は最初連尺町宿屋松浦屋に仮講義所を設けたが、伝馬町(宿屋大米屋の隣という)に移り、翌十七年六月伝導師結城無二三,【二十二年】こうして、カスキデーの尽力によって浜松伝馬町に教会堂の設立をみたのは明治二十二年であった。 / 伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂
浜松市史 ニ (伝馬町の成立)

伝馬町の成立 浜松宿御役町の成立は、慶長六年(一六〇一)の伝馬町成立を直接の起点とし、幕藩権力の助成,御役町の始まりは伝馬町であった。,」時代の実績(『浜松市史一』および本巻前章)により、慶長六年に東海道の伝馬制が定められた時、十王町を伝馬町,と改称して伝馬役町となり、伝馬三十六疋を備え、問屋役を助右衛門が勤め、伝馬役を伝馬町の三十二軒で勤めることになった / 伝馬町の成立
浜松市史 三 (商肆)

【飲食店】江戸鮨は伝馬町に、蒲焼は魚町(肴町)に数軒あり風味がよい。,呉服では伝馬町信濃屋があって、紙荒物も商ふ。,【料理屋】料理屋では伝馬町に島屋があって、三階の楼上からは富嶽の遠望ができる。,芸妓は揚屋が伝馬町にある。,線香壱本の揚代は銀五匁で、妓では伝馬町の飯盛が甲とし揚代銀拾匁、旅籠町は乙で金弐朱である。
浜松市史 三 (東海道通)

東海道通 【田町 伝馬町】明治維新を迎えたとはいえ、中心街を成しているのは江戸時代以来の田町・神明町,・連尺町・伝馬町とつづく東海道往還筋の町々であった。,【旅籠町】さらに伝馬町から旅籠町へかけては旧宿場町の名残を残し、宿屋(旅籠屋二七戸、郷宿三戸)が多く、,なかには貸座敷(伝馬町一九戸、旅籠町七戸)に転業した店もあった。
浜松市史 三 (金融機関)

  (表)浜松の銀行表(大正13年) 別 行名 町名 創立年代 資本金 払込金 本店 遠州銀行 伝馬町,大正10 50 12.5 龍禅寺銀行 龍禅寺町 明治27 10 10 支店 三十五銀行浜松支店 伝馬町,5 安田銀行浜松支店 〃 〃13 名古屋銀行浜松支店 〃 〃7 近江銀行浜松支店 伝馬町,創立年代 本店 遠州銀行 田町 大正9 浜松銀行 〃 明治28 西遠銀行 〃 昭和3 浜松貯蓄銀行 伝馬町,10 安田銀行浜松支店 鍛冶町 〃13 日本勧業銀行浜松支店 板屋町 昭和2 愛知銀行浜松支店 伝馬町
浜松市史 ニ (御役六町)

(表)浜松宿御役町成立過程表 取立町名 伝馬町 伝馬数 歩役町 町の取立者 備考 人足数 駄賃伝馬数,慶長6 伝馬町 36疋     杉浦助右衛門 東海辺宿駅伝馬制創始,旧称十王町,55疋 小島三郎右衛門外 歩役三町方と称す 田町 杉本彦九郎外 旅籠町 杉浦八郎左衛門外 元和2 伝馬町,#160;     浜松宿の助郷制始まる 〃15 塩町 25疋 小山市郎兵衛外 伝馬町
浜松市史 三 (浜松伝馬所)

浜松伝馬所 【本陣家】伝馬町の伝馬所は廃され、浜松最古の本陣杉浦助右衛門家も、梅谷本陣家も明治七年の,火災で焼失すると、長く住んだ伝馬町をやがて去っていく。
浜松市史 ニ (問屋場と問屋役人)

【問屋会所】慶長六年(一六〇一)伝馬町にできた問屋会所は間口二間、奥行四間の小さい建物であった。,助右衛門家は伝馬町の名主の家柄で、本陣を営んでいた浜松宿の名家であった。,頻繁になると一人では勤めがたくなったので、寛永八年(一六三一)から二人で上下月番で当番制となし、おもに伝馬町,ところが天明末年からは会所が伝馬町一か所となった(後述)。  ,【町飛脚】また浜松には幕末にいたって町飛脚業者として伝馬町の林家があった。
浜松市史 ニ (御本陣日記)

これによると、正保四年(一六四七)旅籠町伊藤平左衛門・旅籠町杉浦惣兵衛・伝馬町梅屋(うめや)市左衛門、,伝馬町稲津甚太夫家から養子市左衛門をもらい、家を建て本陣宿になったのだという(『旅籠町平右衛門記録』),【六軒】伝馬町川口次郎兵衛家があらわれて、本陣が六軒になるのは後代である(二一九ページ参照)。
浜松市史 一 (引馬宿は浜松市の原型)

引馬宿は浜松市の原型 【伝馬町 連尺町】宿駅関係の都市は、街路にそい、長方形に展開する。,当市の発展の原型は引馬宿であり、宿内の伝馬町には、伝馬問屋もおかれた交通の要地だった。
浜松市史 ニ (職人町と屋敷)

  木挽頭 1  畳屋役 8  本役 2    四本松村 10   板屋町 1   大工町 1    伝馬町,  鍛冶町 1   白鳥村 1   檜物師頭 1   鍛冶町 3  役染 10   紺屋町 7   伝馬町,紺屋町 7 素人役 11 瓦師役 2   連尺町 2   紺屋町 4   紺屋町 3  池町 1   伝馬町,1  連尺町 1   橋爪村 1   平田町 1  屋根屋頭 1   肴町 1   下垂町 2  伝馬町
浜松市史 一 (河岸段丘)

【連尺町 伝馬町 欠下】浜松市役所付近の平坦面や連尺町・伝馬町の旧東海道筋はこうした段丘面にあたっている
浜松市史 三 (小野組大火)

「昨廿七日午前第七時三十分、管下浜松駅伝馬町ヨリ失火、折節西風烈敷、駅中并近傍不残類焼、午前十一時ヨリ,取調書(『浜松市史史料編六』)によると、火元は浜松宿伝馬町小野組支店で、浜松宿家数三千二百二軒の内、焼失家数千三百十八軒,(蔵一〇八、寺五、狂言小屋一)で、被災町は伝馬町・旅籠町・鍛冶町・後道・平田町・平田村・塩町・大工町・
浜松市史 三 (物品販売業)

〃 丸多 〃 飲料水 広田辰次郎 連尺 茶 ●山田屋茶舗 連尺町 菓子 山口屋 連尺 〃 ○巌邑堂 伝馬町,木戸町 〃 ●〃 鍛冶町 〃 ●上星製菓店 元目町 〃 ●若松園菓子舗 肴町 漬物罐詰 ●尾張屋本店 伝馬町,戸沢清 大工 紙 植村屋 肴 〃 棒幸 田 〃 渥美屋 板屋 〃 平野 常盤 畳及畳表類 ○白羽屋 伝馬町,〃 妙法商会 海老塚新田 小間物類 ○ぬい屋 田町 〃 ○殿岡商店 伝馬町 〃 ○棒屋 田町 〃 鳥居屋,菅原 〃 塩崎 板屋 〃 山田 紺屋 フィルム印画紙 ●旭日写真工業 浅田町 ラヂオ ●斎藤ラヂオ店 伝馬町
浜松市史 ニ (本陣)

【杉浦家】この本陣のなかでもっとも古いのは伝馬町の杉浦助右衛門家である。,その先祖助右衛門が十王町(のちの伝馬町)の名主で、天文二十二年(一五五三)引馬城主飯尾豊前守の命をうけて
浜松市史 ニ (問屋場)

問屋場 問屋場は伝馬町中番所のかたわらにあった。  ,伝馬町を中心として表筋町十一か町は交通業者が多く「旅籠屋は旅人の休泊を請、又は食物を商ふ茶店有之、其外諸商人多
浜松市史 三 (浜松三戸長役場)

何町村組戸長役場と称えたが、明治十八年一月戸長役場の位置が改正されて(甲第三号)、浜松宿では浜松旅籠町を浜松伝馬町,【浜松中央部】伝馬町外十二ケ町村戸長役場 浜松旅籠町 浜松伝馬町 浜松塩町 浜松元魚町 浜松成子町
浜松市史 ニ (本陣の規模)

本陣 凡建坪272坪 伝馬町(杉浦助右衛門) 壱軒 門構玄関付 本陣 凡建坪180坪 伝馬町(梅屋市左衛門,) 壱軒 門構玄関付 本陣 凡建坪163坪 伝馬町(川口次郎兵衛) 壱軒 門構玄関付 本陣 凡建坪225
浜松市史 三 (堀留運河)

堀留運河 【上新町 船溜】さて、浜松では伝馬所の廃止によって伝馬町は交通の中心地としての地位を失ったが,浜松の伝馬町の宿屋あたりから宿引が出て送迎の提灯の灯が美しく、その景は「曲折欄干俯緑漪 美人臨暁費紅思
浜松市史 一 (徳川家康の伝馬手形)

【伝馬町】本市伝馬町は、その任務をした名残りである。 徳川氏伝馬手形 皆川文書
浜松市史 ニ (浜松宿の困窮)

浜松宿の困窮 【火災】ひるがえって浜松宿をみると、文政十二年二月二十七日伝馬町熊野屋から出火し、後道,延焼して杉浦・梅谷本陣をはじめ百五、六十軒焼失し、さらに天保六年十一月十二日夜には、鍛冶町より出火、伝馬町
浜松市史 三 (浜松の芝居小屋)

【教興寺】これはしばらくで廃止されたが、このほか三年四月には伝馬町教興寺境内に、方十間の「永代芝居小屋,【曳馬座】ついで十八年当時には伝馬町に曳馬座があり、十一月坂東太郎一座が「菅原伝授手習鑑」などを興行している,松栄座・曳馬座・入枡座・子の日座は明治前期の浜松の代表的な劇場で、江戸時代の名残をとどめていた連尺町・伝馬町,勝閧亭 宝来亭】これと前後して、三十六年には利町五社小路に音羽座が(四八坪、四八五人)、四十一年には伝馬町,また寄席(よせ)には、肴町に勝閧(かちどき)亭(明治二十七年設立、三六坪、三六二人)、明治四十一年には伝馬町
浜松市史 ニ (紛争)

「乍恐以書附御嘆願奉申上候去ル五日凧揚之節、諏訪小路二而、伝馬町者ト町内之者共口論仕居候場所へ利町者立入,、伝馬町之者ト取合ニ相成混雑仕候処、御廻り先預り御取調ニ、猶又此上厳重之御沙汰ニ相成候而者奉恐入候ニ付
浜松市史 ニ (其阿上人)

其阿上人 (3)其阿上人 其阿上人は伝馬町の時宗教興寺住職で、宝暦三年(一七五三)示寂、八十三歳。
浜松市史 ニ (番所)

番所 通行人を看視する番所は三か所で、東番所は馬込橋際に西番所は成子坂に中番所は伝馬町にあった。
浜松市史 三 (浜松測候所)

浜松測候所 【十五年】明治十五年浜松宿伝馬町電信局内に器械を備えつけ、事務所を伝馬町の浜松警察署内に
浜松市史 三 (目につく職業)

)刀剣(三)人力車(三)唐物(二)計量売捌尺度製造(二)牛肉(一)石炭(一)糸車(一)郵便取扱(一、伝馬町,(一四)僧(八)神官(二)俳優(二)歌三味線指南(二)瞽女(二)遊芸指南(一)時計師(一)会社(一、伝馬町
浜松市史 三 (立憲帝政党 自由党 改進党 浜松政界の基盤)

【平民 小西四郎】浜松でも士族を中心に竹田右文・小野江善八(田町)・林弥十郎(伝馬町)・杉浦彦惣(鴨江小路,)・中島登(紺屋町)・小西四郎(神明町)・殿岡善太郎(伝馬町)・宮坂米吉(神明町)・木村安次郎(元魚町
浜松市史 一 (浜松のばあい)

【伝馬町】家康は、浜松十王町の有力者助右衛門に人足・馬をもって兵糧をはこばせた。,これが十王町の伝馬町となるはじめである。    
浜松市史 ニ (各町の長短)

各町の長短 町の長さが二百間以上あるのは伝馬町・田町・板屋町・新町の東海道通町道の四町で、板屋町の二百十四間
浜松市史 ニ (時宗)

時宗 時宗 教興寺(伝馬町、現在中沢町)開創は遊行僧教興。勘間道場と称した。
浜松市史 ニ (肴町と歩役)

【伝馬町 塩町 肴町 田町 旅籠町】この裁断にしたがって五か町の庄屋たちは、つぎのような申し合わせを行,御役割の覚          二町方五分 三分七厘五毛 伝馬町御役門七五軒  御伝馬一五五疋       
浜松市史 三 ([浜松警察署])

浜松警察署(伝馬町所在当時)
浜松市史 ニ (伝馬役二町方)

に伝馬数が百疋と定められたが、この時の増加分二十五疋は塩町が負担したので、塩町も伝馬役町になり、以後伝馬町
浜松市史 三 (タクシー会社合併)

個人経営であったが、昭和十一年十一月には一部の業者の合併による法人としての浜松タクシー株式会社(本社伝馬町
浜松市史 四 ([都市計画事業])

該当する町は伝馬町、旭町、田町、板屋町など市中心の繁華街の商店がほとんどである。,同二十五年になると伝馬町から下池川町に通じる伝馬池川線で百八十戸の移転交渉が成立したが、元城町では依然,同年八月になると伝馬町などの商店主が弁護士を伴って県庁に出頭、県知事に換地指定は不当であるから都市計画
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

本目快次郎 連尺町 浜松市歯科医師会】 70 六 芸  能 70 【木下恵介・木下忠司・楠田芳子 伝馬町, 浜松工業学校】 70 【五十嵐狂虎 吉田天洋 弁士 伝馬町 吾妻座 太田畔三郎 利町 松竹館 楽士,192 ○ 底無牢(千歳町) 193 【水野越前守忠邦 後道】 193 ○ 教興寺の覚阿さま(伝馬町,十三)浜松市教育文化会館(はまホール)〈旧浜松市民会館〉(利町) 290 (十四)ザザシティ浜松(伝馬町, 連尺町 消防組】 428 12 浜松電灯会社から日英水電へ 【伝馬町 砂山町 火力発電所 野口町
浜松市史 ニ (町幅)

町幅 また四間以上の町幅の町は連尺町・伝馬町・塩町・神明町・板屋町・新町・池町の七か町で、池町以外は
浜松市史 ニ ([俳諧の庶民化])

普大寺は明治初年廃寺となり、句碑は伝馬町に移された(大正年間にふたたび鴨江の遊郭に移されたが、昭和二十年
浜松市史 三 (浜松陸運会社)

浜松陸運会社 【林弥十郎】このような動きのうちに、浜松では明治五年五月郵便国営によって職を失った旧飛脚業者の伝馬町林弥十郎
浜松市史 三 ([町制の施行])

三村を分離し、さらに馬込・八幡地・寺島・浅田・海老塚の各字の一部分を編入し、同時に三戸長役場(紺屋町・伝馬町
浜松市史 三 (火災)

火災 つぎに火災をあげると、   【宝来亭】大正十二年三月十五日 伝馬町寄席宝来亭より出火し、平田町
浜松市史 ニ (一大宿場町を形成)

浜松通筋町数拾壱丁、家数六百四拾六軒、人数四千三百三十六人、右拾壱丁分也、右之内、五軒本陣、七拾三軒伝馬町
浜松市史 ニ (町屋)

伝馬町(てんまちょう)・旅籠町(はたごまち) その名の示すように交通業者が多かったためである。,伝馬町には上(かみ)伝馬・下(しも)伝馬の別があった。  
浜松市史 ニ (各町の夫役)

夜は暗かったので、町通りの枢要な個所、たとえば、連尺町の高札場とか伝馬町の問屋場付近、神明坂下・紺屋坂下,1720) 火元利町平六 〃 5.4.18   法林寺火事 〃 5.11.16   伝馬町火事火元杉浦彦右衛門宅,笠井市中組下組火事 文政 2 (1819) 笠井市下組火事 天保 6.11.12 (1835) 鍛冶町より出火伝馬町,笠井市下組火事,西来院火事 弘化 4.12.12 (1847) 紺屋町より出火榎町・神明・田町・連尺・肴町・伝馬町後道
浜松市史 三 (堅実な歩み)

西遠銀行 1000千円 伝馬町 資産銀行 1000   鍛冶町 浜松銀行 500   肴町 浜松貯蓄銀行
浜松市史 ニ (徐生)

(のちに伝馬町教興寺に移されたが、いまは残っていない)徐生は文政五年に棚倉で没したものと推察される。
浜松市史 三 (トーキー化と時局映画)

となったのは昭和六年ごろで、戦争がはじまると映画も戦時体制化され、ニュース映画が歓迎され、その専門館(伝馬町角
浜松市史 三 (浜松県時代)

【浜松屯所】このとき第一大区の浜松宿には浜松屯所(伝馬町)がおかれた。
浜松市史 三 (浜松商工会議所)

後第二次世界大戦にあたって一県一単位の趣旨に沿って昭和十八年に静岡県商工経済会が組織されると、その浜松支部(浜松市伝馬町
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