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浜松市史 三
(三方原入会地)
三方原
入会
地 つぎに三方原
入会
地はどうなっていったか。,さきに記したように明治八年地租改正のさいに
入会
地は民有の証が明らかでないということで、官有地第三種に編入,されたのであるが、その後に一部は旧例によって
入会
村(『浜松市史二』参照)に拝借を許可され、一部は官林に,しかし二十二年九月には何れも御料地に編入されて帝室財産となり、ついで拝借も停められたので、
入会
村は刈草 / 三方原
入会
地
浜松市史 ニ
(三方原の名称)
さとの草かり場となれり、又三村の原なるをもて此名ありともいへり」とあって、三方原という地名の由来、三村の
入会
,(いりあい)地からのちには百八か村の
入会
地になったことを簡明に記している。,【三方原
入会
起原】しかしこの原が
入会
地となった起原は元和年間に溯るのであって、元和年間に中泉代官が野米,を地元三か村に課したので、地元村が他の
入会
村に山札を出して札米を徴収しようとしたことに対し、
入会
村々が,異論を唱え幕府に訴えたのに端を発し、山札を廃し
入会
地と定められたのであった。
浜松市史 ニ
(元和の野論)
そこで地元村では、従前からの
入会
村百三十余か村に対し山札を発行し札米を徴収しようとした。,これに対し
入会
村は、この地元村の行為は
入会
権を冒すものとして幕府に訴え出た。,こみ可為停止事 付 原新田仕立候におひては其きわまて入込たるへき事」 この裁許により、
入会
村,このようにして原野はのちに境界が定められて
入会
地となるのであるが、林地は和地山・祝田山・都田山等となるので,、三方原
入会
地はこの時から地元村と
入会
村の共有地とみなしてよかろう。
浜松市史 ニ
(慶安の野論)
慶安の野論 【寛文の野論】ついで慶安四年(一六五一)には地元の都田村と
入会
村の宮口村とのあいだに山境,について論争(野論)があったが、都田村に有利に解決し、そののち寛文五年(一六六五)に地元の祝田村と
入会
村,べたように三方原を高受地としたために領主と和地村民とのあいだにおいては民有地と認められ、その上に地元村と
入会
村,とのあいだにおいては原野および林の下草の採取は
入会
村の自由であるが、林の枝をおろし木葉を掻く場合は札銭,さればならないし、また新田を開き新林をつくることは地元村の権利に属するという複雑な二重関係にあったために、地元村と
入会
村
浜松市史 一
(林業)
林業 【
入会
地】山林は農民の共有にまかされ、その地が荘園化しても、そのほかの空閑地(くうかんち)とともに,
入会
地(いりあいち)になっていた。,、山林を囲(かこ)いこみ、利用者から山手(やまて)・山手前(やまてまえ)・立野銭(たつのせん)などの
入会
浜松市史 三
(山林原野等)
三方原開墾地には沽券(こけん)(地券)が交付されたが(後述)、三方原
入会
地(いりあいち)は明治八年改租,の際に民有の証拠不明との理由で官有地第三種に繰り入れられたが、その後一部は旧によって
入会
村(『浜松市史二,【御料地】ところが二十二年九月、何れも御料地に編入され帝室財産となり、ついで拝借も停められたので、
入会
村
浜松市史 ニ
(高塚川の川論)
【藻草
入会
】そのような理由から、今後は高塚村の一村が漁猟をすることになり、小沢渡・新橋の両村はこの川の,またこの川が小沢渡など四か村の田地に入り込んでいるので、その肥料にするための藻草の採取は五か村共同の
入会
浜松市史 ニ
(往還掃除役)
、往還筋の清掃は、往還役と称しその通りに面する村々が責任で分担をする習いであるが、長距離の場合は他村
入会
浜松市史 ニ
(元禄の野論)
【元禄の裁許】しかし、これはひいて全
入会
村の論争と発展し、ついに幕府の裁定となった。,この結果三方原
入会
地の境界は「東は有玉東之崖留り限り、西南は本坂道、北は金指道より二俣道を限り」とし、,その立木は伐採ができるようになり
入会
村に付与した高に応じて配分することとなった。,敷智郡四十五か村、長上郡七十二か村、豊田郡十四か村、引佐郡五加村、麁玉郡二か村都合五郡百三十八か村の
入会
地,そしてこれ以後紛争も生じないようになったのである(『三方原
入会
地の沿革』『浜名郡史』)。
浜松市史 三
(村櫛村勝訴 採藻場境界の確立 和解内容)
起点として、新居町新居洲崎庄境石を見通して一直線を引き、それより以東を佐浜・伊左地と大人見・古人見の
入会
採藻場,および雄踏村・舞阪町・篠原村の
入会
採藻場とし、それ以西をもって村櫛村の採藻場とする。
浜松市史 ニ
(都田川の鮎漁)
都田川の鮎漁 都田川では鮎(あゆ)が採れ、その上流の久留米木川は滝沢(当市滝沢町)・川名村等の
入会
で
浜松市史 四
([回虫に悩まされて])
近世の
入会
地、戦時中の射爆場、戦後の開拓地である三方原の痩せた土地に新たに集落を構えた人々の体調こそこの
浜松市史 三
(三方原開拓と時代区分)
三方原開拓と時代区分 江戸時代には
入会
地にすぎなかった不毛の三方原(『浜松市史二』参照)も明治を迎えるとようやく
天竜市史 上巻
(天竜市史 上巻 目次)
廃止 第二節 天竜川の舟運 四六六 角倉船の出現 天竜川の通船 物資の輸送 鹿島十分一番所 塩見渡
入会
渡場,流通 柿板と青山善右衛門 商業融資の活発化 材木取引資金 江戸城御用材 天竜林業の特色 第五節
入会
山,と山論 五三八 光明山山論 大谷山・大沢山
入会
山争論 阿蔵山
入会
山論 第四章 幕政改革と村々の
浜松市史 四
(商工会議所)
準備会には浜松を中心とする遠州地方及び大井川以西の商工業者と各地域の商工会の代表が集まり、設立趣旨と
入会
浜松市史 四
(舞阪地方連絡事務所)
は昭和二十一年十月一日付でモラロジーの本部維持会員となっており、同二十二年度には舞阪駅前地区で十名が
入会
,の開設直後、昭和二十三年から数年間の活動について、山田藤一の後継者の一人であり、同二十二年四月一日に
入会
浜松市史 一
(百姓請 郷村制)
寄合(よりあい)で祭礼・
入会
地(いりあいち)・用水の管理・村の秩序の維持などが決定された。
浜松市史 ニ
(働く女性)
家畜の飼料用の草を刈り、三方原の
入会
秣場で原草を刈るのも女、綿も女の手で摘み、秋になると田は黄金の波。
浜松市史 一
(農業)
茜草 【肥料と
入会
】肥料は植物からとるのがふつうである。,山野の境界や
入会
(いりあい)という共同利用の権利についても争われた。
浜松市史 四
([新制高校のPTA])
連合軍の指令とはいへ強制的ではない本人の意志により
入会
するものである。」
浜松市史 四
([新宗教への反応一斑])
信徒の苦悩の解消は
入会
者を紹介すること、経典やお守りや式服を買うことであると、教団の布教方法を述べている
浜松市史 ニ
(百姓の階層)
つぎに、本百姓は村落内で「一人前」「一軒前」の百姓として何らかの権利(用水権・山野
入会
権・村政への参加権
浜松市史 三
(浜松病院医会)
セシムルヲ要ス」(医会規則)として目的を規定し、さらに医会を大・小区会に分け、管内の医師全員を区医として
入会
浜松市史 三
(三方原沽券地改正絵図 三方原の村名)
明治八年地租改正のさい、三方原
入会
地(『浜松市史二』参照)は民有の証が明らかでないとして官有地第三種に
浜松市史 五
([浜松JCの文化活動])
3月26日には日本JCより正式に
入会
通知を受領し、日本で10番目、静岡県下最初のLOMとして浜松青年会議所
浜松市史 四
(社団法人浜松商工会議所設立趣意書 浜松商工会議所)
また、『百年史』では、「新商工会議所への
入会
勧誘は、『商工業者の利益、保護増進』を掲げたものであったが
浜松市史 ニ
(寛文の裁許)
当時、舞坂を除く他の四か村は採藻に関し、地先の海を「
入会
取揚」としていたのであった。
浜松市史 ニ
(寺島八幡地の年貢)
この土地は、いまの浜松市砂山町から寺島町にかけての一帯にあたり、江戸時代には浜松宿の町々や近村の者が
入会
的
浜松市史 四
([仏教婦人会の設立と活動])
他方、吉沢純道は浜松信行社だけが僧侶の
入会
を認めた時の四人の内の一人(理事)であり、二葉会の推進者でもあった
浜松市史 四
([浜松ユネスコ学校])
費用は「
入会
金五〇円、会費月五〇円、但し父兄は浜松ユネスコ協会会費月二〇円を納めること」とある。
浜松市史 三
([近代総説])
江戸時代には主として周辺農村の
入会
地であった三方原台地は農業・工業・軍事などさまざまの方面で浜松の近代化
浜松市史 ニ
(目次)
二五一 新田開発 農民と水 天変地異
入会
地三方原
浜松市史 五
([浜松婦人のつどいと婦人会、婦人の意識の変化])
そこで、婦人会が一般婦人を対象にアンケートを取ったところ、婦人会に「
入会
したくない」「どちらでもよい」
浜松市史 四
([浜松信行社の人々])
注目すべきは守本恵観以来、信行社では社員からの
入会
金・会費徴収は一切ない。
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
銭取】 22 【和合町 富塚村 和合村 神谷家所蔵文書 内山家所蔵文書】 24 【和地山 和地村
入会
山, 高台地区の産業 37 一 農業の移り変わり 38 (一)開拓の苦労 38 【台地の開拓 茶
入会
地
浜松市史 五
([医師同乗のヘリ搬送])
会員に加入し年五回、静岡市の病院に患者を搬送する契約を結ぶと、一年目が八十七万五千円(ほかに一年目だけ
入会
金十万円
浜松市史 五
([詩歌界の動き])
『みづうみ』に属しつつ楸邨に学んでいた喬(昭和三十二年寒雷
入会
、三十九年同人)の句風は、父濱人の「物心一如
浜松市史 五
([医師の増加])
に帰還し、東京大学医学部助教授を務め、後に兼四郎の後継者として浜松に戻り、同二十八年に浜松市医師会に
入会
浜松市史 四
(川上嘉市)
この後、彼は佐佐木信綱の『心の花』に加わり、斎藤瀏の『短歌人』にも
入会
する。
水窪町史 下
(水窪町史 下 目次)
山住神社の御修復料に 五一 5 御林を民間人にも活用 五二 (二)山住神社の造林 五五 (三)
入会
浜松市史 五
([献血・預血の血液センター設立])
「加
入会
員と家族を自分たちの愛の血で守ろう」というのが合い言葉である。
浜北市史 通史 上巻
(浜北市史 通史 上巻 目次)
3 年貢の村請と慶安御触書 826 4 木船村五助の年貢拒否 829 第四節 三方原・観音山の
入会
地
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