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浜松市史 一
(家康の木寺宮領の保証)
家康の木寺宮領の保証 【入野】天正八年(一五八〇)五月、徳川家康は市内
入野町
の竜雲寺に住む「大宮」に,対し、入野(当市内
入野町
)の本所領と竜雲寺領は、住持瑞椿に譲るのならこれを保証し、大宮の存生中はお考えのとおりにすると,徳川家康判物(浜松市
入野町
竜雲寺蔵) 伝木寺宮康仁親王墓(浜松市
入野町
竜雲寺)
浜松市史 一
(海蝕崖)
海蝕崖 【東伊場町
入野町
】三方原台地は、天竜川右岸において北東から南西にかけて、きわめてゆるやかに,傾斜する約二〇キロの扇形をなし、その南縁は浜松市東伊場町・
入野町
・浜名郡雄踏町にわたって東西に走る海蝕崖
浜松市史 ニ
(社宮司社)
入野村赤宮神(しゃぐじん)の赤宮神は、現在
入野町
西彦尾に移したが、いまも毎年九月十七日を例祭日と定めているし
浜松市史 ニ
(道祖神)
道祖神 入野村道陸地(どうろくじ)(当市
入野町
)には道祖神が祀られている。
浜松市史 ニ
(仏教界の沈滞)
入野村(当市
入野町
)の竹村広蔭はこれを歎いて、文化年間には寺へ女性が入りこんだだけで村民が寺をとりかこむというさわぎがおきたが
浜松市史 ニ
(念仏)
入野村(当市
入野町
)北脇・田畑では、江戸中期ごろからはじめた百万遍を月一回ずつ家々を順廻りに今もつづけているという
浜松市史 五
(郊外型大型店)
昭和五十二年、大手スーパージャスコ(本社・大阪)が
入野町
へ、さらに、ニチイ(本社・大阪)が上西町の紡績工場,ジャスコは「浜松ジャスコ・シティ」の名称で
入野町
の農地など三万千六百三十三平方メートルの敷地を確保し、
浜松市史 五
([郊外での保育園の急増])
住吉第二保育園 たんぽぽ保育園 なかよし第2保育園 初生保育園 わかくさ保育園 富塚町
入野町
,住吉一丁目 上島町 領家町 初生町
入野町
120 30 90 120 120
浜松市史 ニ
(竹村方壺)
富士を見るため天明六年(一七八六)春の末に、遠州白須賀(しらすか)の虚白を訪れ、その案内で入野(当市
入野町
浜松市史 ニ
(烏明の来遊)
天明五年九月、永田白輅・吉田玄彦(徐生、浜松藩士)・蓮華寺(当市紺屋町)住職鳥居柳也・入野(当市
入野町
,を順に廻り、去草・是々堂知白(当市神明町、沢井佐助)・柴田虚白(浜名郡湖西町白須賀)・袴田斗六(当市
入野町
浜松市史 一
(神社の統制)
一五一七)に井伊千代寿が、峯田郷一町六段の年貢三貫文を、永禄十年(一五六七)今川氏真は入野郷(浜松市
入野町
浜松市史 ニ
(蝶夢不二の山の句碑)
蝶夢不二の山の句碑(浜松市
入野町
臨江寺) とほつあふみの記 このやまやさくらはちれと香はのこり
浜松市史 四
([国体夏季大会の開催])
漕艇競技は九月二十三日に
入野町
の佐鳴湖で開会式が行われ、地元の佐鳴会の男子が一般ナックルフォアに、女子
浜松市史 ニ
(竹村尚規)
竹村尚規 竹村尚規は敷智郡入野村(当市
入野町
)佐鳴湖畔の竹村又右衛門家に生まれた。
浜松市史 五
([全国最長のコミュニティ道路])
[全国最長のコミュニティ道路] 【コミュニティ道路】 佐鳴湖西岸には
入野町
と富塚町を結ぶ道路があり
浜松市史 ニ
(名残追分新田)
変化抄(浜松市
入野町
竹村梶代氏蔵)
浜松市史 ニ
(引馬城の築城)
引馬城は永禄十一年(一五六八)四月十五日に「引間領之内入野郷(当市
入野町
)」の住民が「引間城内之塀弐拾五間
浜松市史 三
(神社の統合)
なお八幡宮(中沢町字勝坂下)は常楽寺の、六社神社(
入野町
本所)は龍雲寺の、日枝神社(元広沢町字古新)は
浜松市史 一
(木寺宮領)
木寺宮領 【入野】浜松荘の入野(当市
入野町
)に木寺宮(きでらのみや)の御領があった。,六所神社所蔵棟札 (瓜内町) (1575) (浜松市史史料編二) 入野 天正8.5.28 竜雲寺文書 (
入野町
浜松市史 一
(中世編)
六四四 妙恩寺(浜松市天竜川町) 六四八 徳川家康判物(浜松市
入野町
, 竜雲寺蔵) 六五一 伝木寺宮康仁親王墓(浜松市
入野町
竜雲寺) 六五一
浜松市史 五
([高齢者への施設ケアの充実])
昭和48年 浜松市根洗町 三幸の園 (福)三幸会 110 昭和49年 浜松市
入野町
,○軽費老人ホーム 佐鳴荘 浜松市・(福)三幸会 50 昭和39年 浜松市
入野町
浜松市史 五
([浜松市指定文化財])
鴨江町) ・太子淵の松(天然記念物、浅田町) ・米津台場跡(史跡、米津町) ・入野古墳(史跡、
入野町
浜松市史 四
([諸寺の復興])
早出町)、同二十五年には鴨江寺(鴨江町)・法林寺(成子町)・光雲寺(東伊場町)、同二十六年には陽報寺(
入野町
浜松市史 五
([常葉学園浜松大学の開学])
なお、常葉学園の創立者は今の西区
入野町
にある龍雲寺に生を受けた木宮泰彦、昭和二十一年静岡市に静岡女子高等学院
浜松市史 五
(浜松商業活動調整協議会)
ジャスコが
入野町
への出店計画を打ち出してから三条申請の受理まで二年余りかかったのは、西武、松菱の売場面積
浜松市史 ニ
(水野氏浜松入)
か町に分宿し、荷物も三月ごろから弥助(やすけ)新田(天竜川西岸、松島町)・舞坂湊・入野村(佐鳴湖岸、
入野町
佐鳴の風:わが町文化誌
(浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次)
赤宮神 34 【浜松まつり 三社山神社 徳川家康 築山御前】 34 【佐鳴台六丁目 赤宮神の祠
入野町
西彦尾,御前谷哀歌 作久左曲輪 浜松城 作久左山 本多作左衛門重次】 72 九 知足山不動院 74 【
入野町
彦尾
浜松市史 五
(佐鳴湖東岸土地区画整理事業)
そして同四十八年にはスーパーマーケットが開店、五十一年一月には
入野町
と分かれて佐鳴台が独立、これまで遠
浜松市史 五
([駅前再開発と地価の高騰])
そのほか、
入野町
や鹿谷町も五~六%の上昇を示し、舞阪町の住宅地は県下トップの上昇率を示した。
浜松市史 五
([放課後児童会(学童保育)の急増])
このような市の放課後児童健全育成事業ではなく、民間の学童保育所も昭和五十四年には
入野町
の若草児童会など
浜松市史 五
([勤労青少年のための福利厚生施設])
また、
入野町
のような中小の織物業者がひしめく機業地であってもそれぞれの事業所ごとの木造の寮は鉄筋コンクリート
浜松市史 五
([佐鳴湖西岸土地区画整理事業])
佐鳴湖西岸の
入野町
を中心に、神ケ谷町、西鴨江町に広がる約百五十六ヘクタールが区画整理の対象となり、緑豊
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
新源太夫堀と新羅神社遠望(浜松市江之島町) 二五三 変 化 抄 (浜松市
入野町
,芭蕉柳の句碑(浜松市紺屋町 蓮華寺) 五五一 蝶夢不二の山の句碑(浜松市
入野町
浜松市史 五
([学童保育をめぐる市民の運動])
入野町
の若草児童会、曳馬町のしまうまクラブ、飯田町の青空クラブであった。
浜松市史 五
([老人福祉施設の開設])
西部地区では佐鳴湖畔の景勝地に西遠老人保養所西遠荘(
入野町
)を昭和四十年に開設した。
浜松市史 三
(写真・図版目次)
中村陸平 三五八 聴音機 (浜松市
入野町
浜松市史 四
(土地利用計画)
0.76 廃止 15 鴨江山公園 鴨江町 13.85 6.30 現在地区外 16 根川山公園
入野町
浜松市史 五
([施設の刷新])
昭和五十四年七月十六日付記事では、八柱神社(
入野町
)再建のための取り壊し、同五十五年七月十五日付記事では
浜松市史 五
(写経)
として、海外における一定期間の宣教活動をしているが、米国人青年八人が親善を目的とした無料英会話教室(
入野町
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