機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
参照データ一覧
浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 55件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
浜松市史 ニ
(式内社)
まず式内社であるがこの時代になると、確実なものは現浜松市域内では賀久留(かくる)神社(賀久留
八幡宮
・神,ヶ谷
八幡宮
)・津毛利(つもり)神社(四十六所大明神)・曽許乃御立神社(そこのみたて)(鹿島大明神・貴船大明神,当市大島町)・服織(はとり)神社(当市豊町)の六社になってしまい(『浜松市史一』第六章)、許部(こべ)神社は
八幡宮
浜松市史 ニ
(十月)
流鏑馬(やぶさめ)祭り 十日 有玉
八幡宮
(当市有玉南町有玉神社)。,手草(たぐさ)の舞 十六日 神ケ谷
八幡宮
(当市神ケ谷町賀久留神社)。
浜松市史 三
(浜松の名所)
八幡公園の梅・若林の桃・田町の夜見世(よみせ)(大正九年版『浜名之栞』)をはじめ鎧掛(よろいか)けの松・
八幡宮
,浜松名勝古蹟 浜松古城趾 (元城町) 三方原古戦場 犀ケ崖 (名残町) 鎧懸松 (松城町) 雲立の楠 (
八幡宮
,) 颯々の松 (
八幡宮
東) 鳥居坂 (東伊場町) 龍山公残亭 (龍禅寺境内) 火灯山 (中沢町) 六本松
浜松市史 一
(今川氏の氏神 松平氏の氏神)
松平氏が氏神とはいわないけれども、氏神として信仰していたのは、三河の伊賀
八幡宮
(岡崎市)である。,伊賀
八幡宮
は江戸時代になっても将軍家の氏神としてたっとばれた。
浜松市史 ニ
(八月)
八月 八月 放生会(ほうじょうえ) 十四日
八幡宮
(当市八幡町)。
浜松市史 一
(賀久留神社)
神ヶ谷町にあり、神ヶ谷
八幡宮
ともいう。 賀久留神社(浜松市神ヶ谷町)
浜松市史 ニ
(神主出動令)
ことに緊急を要したから、嘉永七年(安政元年、一八五四)二月二日から五日間、神主たちは
八幡宮
(当市八幡町,四月十日には予定どおり
八幡宮
の矢場において、二十名ほどの神主が陽左衛門の息子から稽古をうけている(『高林家日記
浜松市史 ニ
(手草の舞)
手草の舞 神ヶ谷
八幡宮
(当市神ヶ谷町賀久留神社) 十月十六日。
浜松市史 三
(神社仏閣)
【
八幡宮
】八幡村の
八幡宮
は例祭八月十五日で雲立の楠がある。
浜松市史 ニ
(若宮八幡社)
八幡宮
(八幡町)の神輿(みこし)の御旅所となったのは、正徳四年(一七一四)の八月十五日からであるという
浜松市史 ニ
(放生会)
放生会
八幡宮
(当市八幡町) 八月十四、十五日。
浜松市史 ニ
(流鏑馬祭)
流鏑馬祭 有玉
八幡宮
(当市有玉南町有玉神社) 十月十日。流鏑馬(やぶさめ)祭。
浜松市史 ニ
(横町)
江馬氏の住居跡という)、本魚町に松尾小路(松尾神社がある)、大工町に南小路(若宮
八幡宮
があるので若宮小路
浜松市史 ニ
(神主隊編成)
一般神職も有事のさいは農兵隊に加えられることになり、神官たちは弓術師範として天王村竹山陽左衛門を招き同村
八幡宮
浜松市史 三
(松島十湖)
【句碑】十湖の句碑は多いが「はま松は出世城なり初松魚」(大正十三年建立、野口
八幡宮
)「咲きながらのびすゝむなり,十湖句碑(
八幡宮
境内)
浜松市史 三
(千代田会)
法人浜松奨学資金庫を設け、士族の子弟に奨学費を与えたり、浜松元城へ東照宮造営(明治十九年)の折や、野口
八幡宮
浜松市史 三
(史蹟指定)
おくれて十四年十二月野口
八幡宮
境内の「雲立楠」が天然記念物として県より指定されている。
浜松市史 三
(浜松の祭)
】お祭も六月の松尾神社(浜松元魚)の茅(ち)の輪(わ)くぐり、七月の玄忠寺(浜松田)の地蔵会、八月の
八幡宮
浜松市史 ニ
(有玉伝説)
なもので、玉を投じたために天竜川が干上り陸地が出現したことを説いているのであるが、有玉(ありたま)村の
八幡宮
浜松市史 五
([教化活動の現れ])
【浜松
八幡宮
】 昭和六十二年八月十四日、八幡町の浜松
八幡宮
では例大祭恒例の奉納相撲大会が開催された,浜松
八幡宮
では例大祭で剣道・弓道が奉納されてきたが、高齢化や参加者減少のために、昭和五十三年から相撲奉納
浜松市史 一
(実朝の死)
実朝は承久(じょうきゅう)元年(一二一九)正月、鶴岡(つるがおか)
八幡宮
で右大臣になった式をおえて、社前
浜松市史 三
(浜松八景)
野口
八幡宮
の桜・天林寺の牡丹(ぼたん)・西来院の藤・高町半僧坊の秋月・鴨江寺の池・平田(なめだ)の蓮・
浜松市史 ニ
(万人講)
【定宿】これは伊勢大神宮・南都春日大明神・石清水
八幡宮
の三社に、灯籠を建立・太々神楽を奉納・代参を派遣
浜松市史 ニ
(秋鹿氏)
代官秋鹿氏も元禄十年以後は無役となり、本来の遠江国府
八幡宮
神主に専念している(『秋鹿家文書』)。
浜松市史 五
([習俗を生きる])
【追儺式】 平成五年二月九日付記事では、二月二日に八幡町の浜松
八幡宮
で、節分前夜の厄払い行事である,平成九年二月三日付の記事では、浜松
八幡宮
の追儺式(第五回)のにぎわいを報じている。
浜松市史 一
(遠江の南朝方)
建武四年十二月、足利尊氏は、服織(はとり)荘の貴平郷(当市貴平町)を国府
八幡宮
に寄進し「天下太平」を祈
浜松市史 ニ
(弓術訓練)
その後の弓の稽古は
八幡宮
において四月二十九日・五月十五日・六月十六日・七月二十二日・閏七月十三日等、月
浜松市史 ニ
(神主隊指示事項)
世話役たちは直ちに右の藩からの指示と、四月十六日には晴雨にかかわらず、
八幡宮
金原上総宅まで自身にて必ず
浜松市史 一
(義定の重任)
義定の重任 文治三年(一一八七)八月十五日、鶴岡
八幡宮
で放生会(ほうじょうえ)があった。
浜松市史 五
([結婚式の簡素化と豪華化のせめぎあい])
結婚式場大手の高町の出雲殿、利町の五宝閣、八幡町の浜松
八幡宮
などは年間六百組から八百組の挙式数であり、
浜松市史 三
(堀川鼠来)
村祭などの献納句会にも応募するものが多く、和歌などに比し普及がいちじるしかった(明治二十四年八月有玉
八幡宮
流鏑馬奉灯
浜松市史 一
([集落跡])
豊町八幡南方遺跡 土師器と須恵器(七世紀前半) ③豊町隔離舎跡遺跡 土師器と須恵器(七世紀中葉) ④恒武町若宮
八幡宮
跡遺跡
浜松市史 三
(神社の統合)
なお
八幡宮
(中沢町字勝坂下)は常楽寺の、六社神社(入野町本所)は龍雲寺の、日枝神社(元広沢町字古新)は
浜松市史 ニ
(浜松滞在)
文政十年正月二十五日浜松ヘ一泊、同年四月に領民は五社・諏訪・
八幡宮
(当市八幡町)・秋葉社などに領主忠邦
浜松市史 ニ
(杉浦菅満)
豊田郡掛塚貴布袮神主 関大和 〃 4 佐野郡垂木村雨桜天王祠官 山崎文吾弓削久麿 〃 7 長上郡有玉村
八幡宮
神主
浜松市史 一
(足利高氏京都へ向かう)
高氏らは四月京都につき、船上山にむかうが、丹波(たんば)の篠村(しぬむら)
八幡宮
(京都府亀岡市)の社前
浜松市史 三
(年中行事)
【龍禅寺花火】八月 九、十日(龍禅寺観音大祭、四万八千日) 十四、十五日(稲荷神社、分器・
八幡宮
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
遠江分器稲荷神社 田町】 206 【黒田稲荷 鍛冶町 浄鏡院】 207 【若宮神社 大工町 若宮
八幡宮
, 若宮小路 若宮稲荷
八幡宮
中沢町 常楽寺】 208 【浜松
八幡宮
八幡町 小沢渡許部神社 颯々の,227 【鎧掛の松 元城町 徳川家康 三方ケ原合戦 包丁堀】 228 【颯々の松 野口町 浜松
八幡宮
,十 尾張町 【戦前 下垂 紐垂 地籍整理 字名】 360 【庚申堂 三猿 日限地蔵尊 東照宮
八幡宮
,【田町飛び地 戦前の北田町 尾張町交番火の見櫓 戦後の北田町】 364 十三 旭町 【八幡地
八幡宮
浜松市史 ニ
(祭礼)
#160; 松尾神社(元魚町) 6. 15 大歳神社(天王) 8. 12
八幡宮
浜松市史 ニ
(金原清興)
金原清興 (8)金原清興 清興は
八幡宮
(当市八幡町)の神官で、国頭家和歌会における主要な一人であった
浜松市史 ニ
(杉浦国満)
元 長上郡参野 桑原内記盛敏 〃 4 長上郡竜光村神明社祠官 伊藤外記藤原光伴 〃 4 敷知郡宇志村
八幡宮
神主
浜松市史 ニ
(編成と配置)
編成と配置 神主の弓の訓練はなおつづき、八月十五日
八幡宮
において、奉納弓射会を興行したりして組織を保
浜松市史 一
(雑役の種類)
費用) 6 公卿(くぎょう)勅使(皇大神宮への特別の勅使の費用) 7 宇佐使(うさづかい)(宇佐
八幡宮
浜松市史 一
(橋本宿)
「振裾考記」『新居町史』史料編二所収) また雅有は、建治元年(一二七五)三月鶴岡
八幡宮
の放生会
浜松市史 一
(荘園の祭神)
岐佐神社 (キサ) 浜名郡舞阪町砂町 同所岐佐神社 許部神社 (コベ) 浜松市小沢渡町か 浜松市八幡町
八幡宮
浜松市史 ニ
(植物仕法)
有玉
八幡宮
・神明宮の神主たちが植場として、「和地山御林之内欠下村地付ニ而弐町歩程拝借仕度」いと寺社役所
浜松市史 ニ
(寺社領の村)
【八幡村】八幡村は旧浜松のあたりで
八幡宮
があり社号を村名とした。
馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌
(浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)
【馬込川 水車 船越町 茄子橋】 149 拠りどころ″ひくま″ 【浜松市歌行進曲 森鴎外
八幡宮
浜松市史 ニ
([弓術])
【流鏑馬と競射会】西遠地方では有玉神社(当市有玉南町)、女河
八幡宮
(浜名郡湖西町新所)の祭典行事として
浜松市史 三
(罹災学校)
した 浅間校 5.19被弾したが,光福寺・浅間神社・校庭で授業した ● 八幡校 8.1全焼,野口
八幡宮
/ 2ページ