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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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検索結果 : 286件
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浜松市史 四 (公園)

公園 戦前の浜松で極端に不足していたのが公園であった。,昭和二十三年度から建設が始まったのは野口公園(今の静岡文化芸術大学一帯)、和地山公園、浜松城公園で、様々,このため、浜松城公園建設に当たっては多くの民家の移転が必要であった。,野口公園は名古屋地方専売局浜松支局の工場であったが、戦災で焼失して移転したため、公園とし児童遊具やテニスコート,にようやく浜名湖県立公園が誕生した。 / 公園
浜松市史 五 (浜松城公園)

浜松城公園 【日本庭園】  浜松市の中心部にある浜松城公園内に、日本庭園が完成しオープンしたのは昭和六十年四月一日,同公園は、もともと市制施行四十周年記念事業として昭和二十五年に開催された浜松こども博覧会を契機に開設されたもので,同公園は昭和五十二年四月、天皇陛下御在位五十年記念事業の公園(全国十一カ所)に指定され、同年から再整備,【作左の森 石舞台】  日本庭園に続いて、公園内に展望広場、芝生の小広場、作左(さくざ)の森の三つの,また、同年七月には浜松城公園石舞台(三月に完成)で武智鉄二演出の現代薪能が行われた。 / 浜松城公園
浜松市史 四 ([公立私立の保育園の増設])

[公立私立の保育園の増設] 【保育園 ベビーブーム】  昭和二十年代後半は、浜松市域で保育園が増加,表3-37 保育園(所)設置年度一覧 年度 公立保育園 民間保育園 都市部 農村部 都市部,農村部  24 海老塚保育園(海老塚町) 25 26 馬込保育園(馬込町) 27,浜松児童福祉園(和地山町) 和光保育園(和地村) 瑞雲保育所(佐藤町) 28 鴨江保育園(鴨江町,) 中ノ町保育園(中ノ町村) 新津保育所(新橋町) 神田原保育園(神久呂村) 29 吉野保育園(吉野村 / [公立私立の保育園の増設]
浜松市史 四 ([村立幼稚園の開園])

[村立幼稚園の開園] 【幼稚園】  市内外に幼稚園の設置が進み、特に周辺部の町村で公立幼稚園が誕生,に笠井東幼稚園が開園した。,同年五月には吉野村に吉野幼稚園、二十九年五月に三方原村に三方原幼稚園、積志村に積志東と積志西の二幼稚園,伊佐見村の場合は昭和二十七年四月に伊左地の清水貫一が個人経営でいさみ幼稚園を開設、その後村当局から公立,図3-18 三方原幼稚園初生分園 / [村立幼稚園の開園]
浜松市史 四 (百合山羽公)

百合山羽公 【『春園』】  百合山羽公の俳人としての地位は、すでに戦前において確立されていた。,  【『故園句抄』 『秋扇帖』】  今回出会った資料で、特に驚いたのは、百合山羽公、相生垣瓜人,羽公のは『故園句抄』、瓜人のは『句集秋扇帖』、同じ装丁の姉妹句集である。,は、羽公自選だろう。  ,『故園』の背景については後記に詳しい。羽公は、疎開生活を次のように記している。 / 百合山羽公
浜松市史 四 ([幼稚園])

[幼稚園] 【幼稚園】  浜松の幼稚園の歴史は古く、明治二十年(一八八七)四月に浜松尋常小学校付属幼稚園,が開園している。,太平洋戦争中の昭和十八年四月、市内にあった幼稚園は十二園、市立は元城と県居の二園、私立は常盤(元城町),これらの幼稚園は空襲の激化によって休園に追い込まれたり、戦災で焼失したりした。,戦後になると、市は小中学校の復興を優先したため、公立幼稚園の復興は出来ず、市内では主に私立幼稚園の開園 / [幼稚園]
浜松市史 一 ([荘園の発生])

[荘園の発生] 律令体制は公地公民主義に基づいて土地人民を把握し、これに対する賦課によって、国家活動,しかし、すでに奈良時代の初めから、公民の動揺がみられ、土地についても、人口の増加や田の荒廃などの理由から,、土地の開墾を奨励するほかはなく、勢いのおもむくところ、ついに墾田の永代私有を認めるにいたり、令の公地主義,荘園・御厨および社寺地図  こうして起こったのが荘園である。  ,これらの荘園の形とか性質は、時間の経過にしたがって複雑な変遷があり、いちがいにはいえないけれども、年とともに / [荘園の発生]
浜松市史 三 (百里園経営困難)

百里園経営困難 こうして百里園の経営は、ほとんど園長の気賀林の手に移っていった反面、その支出も甚しく,、県は茶園維持費として八千円を十四年より十八年まで五か年間無利息据置き、十九年より四分利付を以て同二十三年迄五,か年賦返納の約をもって貸与し、その抵当として公債証書七朱一万一千二百円貸与の金額はことごとく右の公債証書,を購求し爾来その利息をもって茶園の培養に充て(『関口元老院議官地方巡察復命書』)たりしたのであったが、 / 百里園経営困難
浜松市史 五 ([幼稚園])

[幼稚園] 【市立幼稚園】  市立の幼稚園は戦後浜松市に合併した地域に出来た。,三幼稚園が統合されて北庄内幼稚園となった。  ,この時期、私立幼稚園ではこのような都市化の進んだ地区へ進出する園もあり、昭和五十二年に天王幼稚園(天王町,)、篠ケ瀬幼稚園(篠ケ瀬町)、追分幼稚園(葵町)、同五十三年に旭ヶ丘幼稚園(初生町)、同五十五年に佐鳴台幼稚園,この頃浜松の幼稚園で大きな問題となっていたのは公立と私立の父母負担の格差があまりにも大きなことであった / [幼稚園]
浜松市史 一 (散村型荘園)

散村型荘園 【蒲御厨 池田荘】十二世紀ころの畿内(きない)(大和・山城・摂津・河内・和泉の五か国)やその,周辺の条里制(じょうりせい)が行なわれた地域では、散村(さんそん)型の荘園村落が多い。,この田地は、荘園領主(荘園の領有者)の直属地であった。,【名田 名主 百姓名】このばあい土地を土台にして、御恩(ごおん)・奉公(ほうこう)の関係が成立している,荘園だけでなく、国司の支配する国衙領(こくがりょう)でも名主がふえてきた。 / 散村型荘園
浜松市史 五 ([少子化と幼稚園])

[少子化と幼稚園] 【少子化 私立幼稚園 市立幼稚園 三年保育 保育園】  少子化の言葉が出始めたのは,浜松市の私立幼稚園のほとんどが入っている浜松市私立幼稚園協会加盟の幼稚園の数は昭和五十七年度は四十六園,、平成十五年度には四十八園と二園増えているものの、園児数は一万四千七百五十二人から一万千四百三十人となり,昭和五十六年には市内に公私立合わせて五十三の保育園があり、定員は四千八百六十人、それに対して在籍の園児,平成十五年になると公私立の保育園は五十七園に増え、定員も五千三百三十五人に増えたが、なんと在籍園児は五千六百三十三人 / [少子化と幼稚園]
浜松市史 四 ([周辺町村の幼稚園])

[周辺町村の幼稚園] 【町村の幼稚園】  戦後、昭和二十二年三月に公布された学校教育法により四月から,幼稚園が新しい学制に位置付けられたことが各地の幼稚園の設立につながった。,浜松市内には先述のように私立幼稚園が開園したが、市外でも赤門・入野・しのはら・河輪幼稚園など寺院を母体,公立の幼稚園として最も早い時期に開園したのは町立笠井幼稚園であろう。,この幼稚園は、大正十四年に私立幼稚園として発足、昭和二十二年十月に笠井町立笠井幼稚園となった。 / [周辺町村の幼稚園]
浜松市史 五 ([保育園の増設])

【待機児童 保育士不足】  神ケ谷町の生命の樹保育園の園長の鈴木康隆は「浜松で待機児童という言葉が取,保育園に入りたくても定員を超しているので入園できないといった問題が出始め、市でも定員増や保育園を増やすことになった,に舘山寺保育園と葵ケ丘保育園が設置されて以降、平成七年度のちゅうりっぷ保育園が設置されるまで十三年間、,収容定員  (人)  公立   私立  昭和57年度 18 35 51,360,41 74,915 5,515 出典:『浜松市統計書』各年版より作成 注:平成4年度の公立保育園数 / [保育園の増設]
浜松市史 四 ([公明選挙])

  【公明選挙 林ひで】  戦前の衆議院議員選挙法や昭和二十二年二月に公布された参議院議員選挙法,を引き継いで、同二十五年に成立した公職選挙法の趣旨を体して、選挙違反のない公明正大な選挙を推進しようと,、昭和二十七年に公明選挙連盟が結成され、公明選挙を推進する運動が全国的に広がった。,県の西遠地方事務所と西遠教育事務所は九月に信愛学園高校と気賀高校で公明選挙研究会を開催し、選挙法の説明,図3-3 公明選挙の呼び掛け / [公明選挙]
浜松市史 四 ([浜松こども博覧会と浜松市動物園])

ラジオ館 テレビの公開実験 浜子 浜松市動物園 空中ケーブル】  昭和二十五年になると、浜松市の戦後復興,静岡県や静岡県教育委員会、国鉄の後援の下、五千万円の経費を投じ、広さ三万五千坪の浜松城公園と隣接地を会場,この博覧会の計画は昭和二十五年四月、白井助役ほか数名が名古屋の東山公園で開催中の子どもの天国名古屋博覧会,テレビ、ラジオ館ではまだ日本では放送されていなかったテレビの公開実験が行われた。,この初代浜子は六年後に東山動物園を経て、大阪府のみさき公園自然動物園にもらわれていった。 / [浜松こども博覧会と浜松市動物園]
浜松市史 三 (日赤浜松病院 遠州病院 聖隷保養農園)

日赤浜松病院 遠州病院 聖隷保養農園 以上の他に市民の要望と市長の要請を受けて昭和十三年三月高林町に,日本赤十字社静岡支部浜松診療所(昭和十四年浜松療院、二十年四月から浜松赤十字病院となり、戦災にあわなかった唯一の公的病院,〇名、病床一一三床)、昭和五年に結核青年救済のため数名のキリスト教徒の青年たちによって始められた愛耕園住宅,の病棟化が出発点となり、十二年三方原に建設された聖隷保養農園などがあった。   / 日赤浜松病院 遠州病院 聖隷保養農園
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

・集会所 三組町公民館】 94 【鴨江町西公民館】 96 【鴨江南町公民館 鴨江北町公民館】 97,【菅原町東公民館】 98 【西菅原町公民館】 100 【中山町公会堂 西伊場町集会所】 101,山々 月見山 坊主山 鉄道院浜松工場 国鉄官舎 西高校 鐘ヶ淵紡績 東洋紡績】 184 (二)都市公園,186 【歴史公園 伊場遺跡公園 街区公園】 187 【緑道 堀留ポッポ道 堀留緑道】 188,(二)歌碑 【鴨江寺】 251 【法林寺 縣居神社 賀茂神社 平手神社 賀茂真淵翁誕生の地公園 / 浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次
佐鳴の風:わが町文化誌 (浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次)

目次 『佐鳴の風:わが町文化誌』  浜松市立佐鳴台公民館 2002年 ⇒ 小見出しを,佐鳴湖の自然と変化  125 (一)佐鳴湖の植物 135 1 湖周辺の植物 136 2 湖岸、道、公園付近,159 一 幼児保育・教育 160 (一)浜松市立佐鳴台保育園 160 (二)佐鳴台幼稚園 162,195 (四)佐鳴台会館 199 (五)佐鳴台の三つの公園 200 【佐鳴台第一公園 佐鳴台第,ニ公園 県営佐鳴台第三公園(タコ公園)】 200 第六章 佐鳴台および近隣の医療機関 205 / 浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次
袖紫ケ森:わがまち文化誌 (浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次)

目次 『袖紫ケ森:わがまち文化誌』  浜松市立蒲公民館 平成7年(1995年) 目,円満地蔵 99 植松町の八柱神社 100 石窓和尚 102 光禅寺の大日如来 103 衹園祭,り変わり 199 校名の移り変わり 203 旧東部中学校と丸塚中学校の開設 206 西遠女子学園,210 蒲幼稚園 213 蒲保育園 215 二葉会の思いで 216 学びの寺 円通寺と山門 219,蒲公民館、東図書館の開設と公民館活動 221 劇団「たんぽぽ」 223 「多田足穀碑」と本田平八 / 浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次
天竜川と東海道:わがまち文化誌 (浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次)

第4章 なりわい 151 1 農業の昔と今 153 戦前の農業 戦後の農業 農業協同組合 温室園芸,までの学校と子供たち 第二次世界大戦後の学校と子供たち 天竜中学校の設立 和田東小学校の新設 和田幼稚園・,中ノ町幼稚園と中ノ町保育園 2 郷土の歴史に残る人々 271 安間了願 小枝粂次郎 金原明善 大,𣘺島太郎 石山脩平 高栁健次郎 杉浦睦夫 3 公民館とさまざまな公共施設 286,中ノ町公民館・和田公民館を吸収した天竜公民館 さまざまな公共施設 4 和田・中ノ町地区の神社・仏閣 / 浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

繕い物 洗濯 電話 火鉢 衣服】 128 2、子供たちの遊びとくらし 138 【オテンシ 浜松城公園,226 (三)名所旧跡 227 【浜松城 元城町 徳川家康 引間城 鷹野つぎ 四季と子供 浜松城公園,園 308 ①浜松城公園 308 【浜松こども博覧会 天皇在位五十年記念公園 市民プール 石舞台 ,松韻亭 花見】 308 ②牛山公園 309 【牛の像 松浦勝蔵】 309 ③五社公園 310,浜松市役所跡 浜松市歌 万葉集遠江歌考 賀茂真淵 戊辰戦争報国隊紀念碑 天皇行幸】 310 ④船越公園 / 浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌 (浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)

浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次 『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌,』  西部公民館活動推進委員会 1987年 ⇒ 小見出しを表示しない 目   次,伊東弥恵治は名残で生まれました 【名残町 生涯 風景画 眼科 医学博士】 36 十、午谷こども見学農園,マムシとり 【宗源院】 64 五、三遠牧場 【広沢町 伊与田周次 乳牛】 65 六、松田農園,【広沢町】 67 七、三謡公園のあたり(岸たちさんの話) 【不動滝 弁財天 大鱸 お祭り】 68 / 浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次
美しかる可き里:わが町文化誌 (浜松市立可美公民館『美しかる可き里:わが町文化誌』 目次)

『美しかる可き里:わが町文化誌』 浜松市立可美公民館 平成17年(2005年),(四)戦後 311 二 今日の幼児教育と学校教育 323 (一)浜松市立可美保育園,323 (二)浜松市立可美幼稚園 325 (三)浜松市立可美小学校 327 (四)浜松市立可美中学校,三 主な社会教育機関 334 (一)社会教育のあゆみ 334 (二)浜松市立可美公民館,336 (三)可美公園 340 (四)可美地区体育振興会 342 (五)可美校区子 / 浜松市立可美公民館『美しかる可き里:わが町文化誌』 目次
太陽と潮風五島遠州浜:わが町文化誌 (浜松市立五島公民館『太陽と潮風 五島遠州浜:わが町文化誌』 目次)

『太陽と潮風 五島遠州浜:わが町文化誌』 浜松市立五島公民館活動推進委員会 平成,72 (三)養蚕 73 (四)畜産 74 (五)太藺栽培 75 (六)温室園芸,242 (八)学校法人あすなろ幼稚園 243 (九)学校法人あそか学園遠州浜幼稚園 243,(二)老人福祉センター江之島荘 261 (三)サンビーチ浜松 262 (四)遠州灘海浜公園,263 (五)江之島水泳場 264 (六)五島公民館 266 (七)浜松市天文台 / 浜松市立五島公民館『太陽と潮風 五島遠州浜:わが町文化誌』 目次
台地と水と輝き:わが町文化誌 (浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)

目次 『台地と水と輝き:わが町文化誌』  浜松市立高台公民館 1999年 ⇒ 小見出,)樹木  28 【椎の木 住吉一丁目 加藤家 保存樹】 28 【赤松 榛の木 三方原台地 四ツ池公園,の石碑】 177 【浜松藩馬場跡 住吉一丁目 青山御領分絵図 しし土居 土塁】 178 【四ツ池公園,179 【奥山線銭取停留場跡 幸一丁目 住吉三丁目 農蚕学校 城北工業高校】 180 【和地山公園,207 【萩丘幼稚園 泉二丁目】 208 【浜松葵幼稚園 幸四丁目】 209 【浜松短期大学附属幼稚園 / 浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次
水と光と緑のデルタ:わが町文化誌 (浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次)

『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 浜松市立南陽公民館 平成3年(1991年),110 天領の農民との争い 112 第二節 農業 116 棉と養蚕 116 野菜園芸,118 温室園芸 123 花卉園芸 129 第三節 工業 130 安藤製糸,257 故大平慎一先生頌徳碑 261 中学校 262 実業学校 270 南陽公民館区内,青年団 279 こども会 282 公民館 283 地域の歴史年表 284 / 浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次
とみつか:わが町文化誌 (浜松市立冨塚公民館『とみつか:わが町文化誌』 目次)

目次 『とみつか:わが町文化誌』 浜松市立富塚公民館 2002年 ⇒ 小見出しを表示,食糧 111 【新田開発 新畑開発 不毛の谷 不毛川 製油産業】 111 【肥料 下肥 肥え街道 公共施設,昭和四十八年(一九七三)創立 249 六 浜松市立権現谷保育園  昭和五十三年(一九七八)創立 250,七 私立富塚幼稚園     昭和二十五年(一九五〇)創立 251 八 ピタゴラス学校(日系ブラジル,)子育て地蔵 327 【和合町寸田ヶ谷 札木 寸田ヶ谷三社神社 浜松街道】 327 (十)佐鳴湖公園 / 浜松市立冨塚公民館『とみつか:わが町文化誌』 目次
ふる里ながかみ:わが町文化誌 (浜松市立長上公民館『ふる里ながかみ:わが町文化誌』 目次)

目次 『ふる里ながかみ』  長上公民館 平成2年(1990年) 目   次 ページ,安養寺遺跡 16 天竜の残した自然堤防 17 長上の弥生遺跡 18 遠江国と壱志郷 21 荘園と,212 稲作 213 棉作り 216 茶作りのはじまり(小池村の間渕古玄翁) 217 温室園芸,218 観葉植物(鉢物)園芸 220 養蚕は農家の現金収入源 222 有畜農業プロジェクトの展開,名建築家 中村与資平 255 天王の弓道 257 中央で活躍した長上出身の文化人 258 長上公民館 / 浜松市立長上公民館『ふる里ながかみ:わが町文化誌』 目次
都田風土記:わが町文化誌 (浜松市立都田公民館『都田風土記:わが町文化誌』 目次)

目次 『都田風土記:わが町文化誌』  浜松市立都田公民館 平成6年(1994年),新しい農業 97 (1)みかん栽培今昔 97 (2)有畜農業のうつりかわり 100 (3)施設園芸,195 (1)都田保育園 195 (2)滝沢保育園 196 (3)桜ヶ丘保育園 197 四 地域,の高等学校と大学 198 (1)県立農業経営高等学校 198 (2)常葉学園浜松大学 199 五,203 (3)姑会(睦和会) 205 (4)都田地区老人クラブ 206 (5)生涯学習の拠点-都田公民館 / 浜松市立都田公民館『都田風土記:わが町文化誌』 目次
浜松市史 四 (土地利用計画)

比較的広いものとしては今もある浜松城公園、和地山公園、四ツ池公園(区域外)などがあった(表2-2 公園緑地計画,和地山公園 和地山町、追分町 10.16 8.50 普通公園 地区内 5 四ツ池公園 幸町、上島町 26.80,29.09 自然公園 地区外 6 茄子公園 船越町 3.56 5.00 普通公園 7 野口公園 野口町, 地区外 10 白羽浜公園 中田島町 22.09 31.50 自然公園   〃 11 高砂公園 浅田町,13 五社公園 利町 2.90 0.63 児童公園 地区内 14 出の丸公園 松城町 0.76 廃止
浜松市史 三 (行楽地)

春 桃花(若林・銭取) 桜花(五社公園・天守閣・八幡公園・岩水寺) 牡丹(ぼたん)(天林寺公園) 躑躅,(つつじ)(鹿谷園・和地山・三方原) 藤花(西来院) 潮干狩り(弁天島) 凧揚(たこあげ)(和地山練兵場,観月(天守閣・高町半僧坊) 鴨狩(浜名湖) 茸狩(三方原・舘山寺・都田山)    冬 雪見(五社公園,・八幡公園・天守閣) 避寒(弁天島) 梅花(八幡公園)    このほか鴨江十九番根上り松や沢の金魚池
しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌 (浜松市立白脇公民館『しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌』 目次)

『しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌』 浜松市立白脇公民館活動推進委員会 ,(一)砂丘 58 (二)砂防林 61 (三)アカウミガメ 64 (四)野鳥の楽園,187 (二)浜松市立江南中学校 189 三 幼児教育 191 (一)浜松市立白脇幼稚園,191 (二)中田島幼稚園 192 (三)なかよし保育園 192 四 青年教育 193,五 教育後援団・教育後援会 195 六 浜松市立白脇公民館 200 七 地域の文化 / 浜松市立白脇公民館『しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌』 目次
潮かおる浜の里:わが町文化誌 (浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 目次)

『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 浜松市立新津公民館活動推進委員会 平成7年(1995,214 (四)浜松職業能力開発短期大学校 215 二 幼児教育 216 (一)赤門幼稚園,216 (二)小沢渡保育園 217 三 社会教育 218 (一)公民館 218 / 浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 目次
浜風と街道:わがまち文化誌 (浜松市立篠原公民館『浜風と街道:わがまち文化誌』 目次)

目次 『浜風と街道:わがまち文化誌』  浜松市立篠原公民館 平成元年(1989年),あゆみ ―成り立ちから現在― 7 1、篠原地区の現在 9 位置 交通 自然環境 人口 9 産業 公共的施設,篠原町、坪井町、馬郡町、小字の由来 181 鈴木姓の由来 保泉寺の火渡り お天王さま 188 衹園さん / 浜松市立篠原公民館『浜風と街道:わがまち文化誌』 目次
浜松市史 五 ([県立音楽堂の挫折])

[県立音楽堂の挫折] 【県立音楽堂】  浜松市に県立音楽堂を、という静岡県の構想が公にされたのは昭和六十一年,平成二年三月になって、県ではそれまでの音楽堂建設計画を音楽公園計画として基本構想をまとめた。,建設地は村櫛町の庄内半島南端と浜名郡舞阪町の渚園とし、周辺の湖面と複合施設を整備するというものであった,平成四年十月、県音楽公園基本計画がまとめられた。,音楽公園構想は、ガーデンパーク計画へと大きく変更されて結着を見たわけである。
浜松市史 四 ([生活保護施設と質屋])

[生活保護施設と質屋] 【浜松仏教養護院 慈照園 聖隷保養園 慈悲庵 鴨江救護所】  市内の社会福祉施設,慈照園と聖隷保養園は更生施設、このうち慈照園は昭和二十七年に新しい収容施設と作業所を建設した。,  【公益質屋】  昭和二十九年二月、戦災で焼けた寺島町の公益質屋跡に新しく造った浜松市,の公益質屋が営業を再開した。,公益質屋の目的は、低利での生活・生業資金を貸し付け、市民生活の安定を図ることであり、戦前には馬込町と寺島町
浜松市史 五 ([東地区土地区画整理事業])

この地区の区画整理は西側を東第一土地区画整理事業とし、昭和六十二年度から事業を始め、道路や公園、駐車場,ヘクタールに及ぶ区域はシビックコア(魅力と賑わいのある都市の拠点にするため、都市整備事業に合わせて官公庁施設,ここも道路や公園を計画的に配置し、北側を東小学校と野口公園に予定していたが、静岡文化芸術大学を東小学校,と野口公園の位置に建設することとなり、学校と公園は大学の南に移ることになった。,広大な野口公園のほか、馬込川公園は四季の花が楽しめるところとなった。
浜松市史 五 ([緑の基本構想、緑化推進センターの開設と緑化事業])

この基本構想によると、昭和六十五年までに都市計画公園の面積を千二百五十一ヘクタール、人口一人当たり二十六平方,この見直しでは、地震等の大きな災害が発生した場合の避難地の役割を果たす公園緑地を中心に、市街化区域内での,・観賞用の教材用樹木やモデル庭園も展示された。,【浜松城公園】  浜松城公園は昭和五十二年に天皇在位五十年記念公園に指定され、市はここを緑のまちづくりの,森、子どもの広場などが造られ、昭和六十二年三月にせせらぎの池が完成し、浜松城公園の整備が完了した。
馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌 (浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)

目次 『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』  浜松市曳馬公民館 1989年,【十軒町】 21  ハウスでのセルリーづくり 【高林四丁目】 23 ・都市化と市民健康農園,【早出健康農園】 24 二 工 業 ・エ業のはじまりと立地条件 【日本形染 遠州鉄道 貨物輸送,工具製作所 超硬刃物 助信町 アツミ電気 防犯・防災機器】 46 ・曳馬地区の工業の問題点 【公害,【三方ケ原合戦 犀ケ崖 虫送り 雨乞い 新仏供養】 153 大念仏(トッタカ踊り) 154 曳馬公民館 / 浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次
浜松市史 五 ([農業バイオセンターとフルーツパークの開所])

フルーツパークは市とフラワー・フルーツパーク公社が十年の歳月をかけて計画から建設までを進めてきた果樹公園,同公園はテクノポリス都田開発区北方のミカン畑四十三万平方メートルを切り開いたもので、東京ディズニーランド,園内は農業振興ゾーンと市民サービスゾーンに分けられ、農業振興ゾーンには研究施設、果樹園、展示温室(栽培温室,熱帯果樹温室にはバナナ、パパイアなどの熱帯果物が、農業振興ゾーンの果樹園にはカキ、モモ、ブドウなど二百十品種,同公園は果樹農業の振興という目的とともに、市民が自然の中で憩い、さらに農業体験も出来る観光施設としての
浜松市史 五 ([新しいスポーツ施設])

[新しいスポーツ施設] 【浜松アリーナ 花川運動公園テニスコート 浜松市弓道場 浜松市北部水泳場】,同じく浜松城公園のテニスコートも八面しかなく、全国規模の大会開催は不可能であった。,全国高校総体や国体に向けて建設されたのが花川運動公園テニスコートである。,弓道場は浜松城公園と可美公園に小規模な施設があったが、平成八年四月六日に可美公園に落成した浜松市弓道場,市民に最も身近な公民館付設の体育館は二十八公民館中二十四の公民館につくられ、多くの住民に利用されている
輝くいなほはたの音:わが町文化誌 (浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)

目次 『輝くいなほ はたの音:わが町文化誌』  浜松市立東部公民館 1988年 ⇒,139 【下町地図 相生町】 140 三 ふるさとの祭り 【すっぱい甘酒 飯田新田 八幡宮 祇園祭,り】 141 【津島神社の杉の葉みこし 祇園祭り 下飯田町】 142 【初午 竜泉寺 飯田町】 143,のあゆみ 225 【県下で始めての公民館まつり】 226 【公民館の増改築】 227 【文部大臣表彰,】 228 【婦人学級の思い出】 229 【私と東部公民館 五月会】 230 【ガールスカウト】 / 浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌 (浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)

【観音菩薩 龍禅寺】 16 二 くらしのひろがり〈中世〉 17 (一)土地のひろまり 【荘園 , 遠州四品 零細農家】 52 (二)駅南江西地区の農業 【曽布登呂 そぶとろ 八幡地 稲作 桑園 ,蓮根】 53 (三)農業の衰退 【商工業の発展 兼業農家 施設園芸】 54 (四)田植え,と託児所 【砂山町 保育園 海老塚町】 126 (三)清川商店 【砂山町 清川福次郎 肥料 ,【旧南部公民館 西浅田 新南部公民館 海老塚】 169 第四章 暮らしのうつりかわり 173 / 浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次
浜松市史 五 ([浜名湖国際頭脳センターの設立])

浜松地域集積促進計画の推進母体となる浜名湖国際頭脳センターは静岡県、浜松市、地域振興整備公団と民間企業二十社,同センターは、平成元年四月に創立総会を開催し、浜名湖頭脳公園と公園内の頭脳センタービルの建設計画を承認,浜名湖頭脳公園構想は調査研究機能と頭脳をリフレッシュするリゾート機能を併せ持つ環境を整備しようとするもので,、公園は広さ約百ヘクタールで、敷地内には研究・研修施設の並ぶ研究所ガーデン、滞在型研修宿泊施設、無農薬
浜松市史 五 (墓地)

墓地 【住吉墓園 中沢墓園 三方原墓園】  市内の墓地には宗教法人の所有する墓地、公有・共同墓地、,浜松市の墓地は中沢墓園、住吉墓園、三方原墓園であるが、このうち、住吉墓園は旧陸軍墓地を修景地として保存,中沢墓園は大正十三年に火葬場の開設とともに開園したもので、戦後に戦災復興事業で寺院や墓地の移転が行われた,人たちが憩い集える公園(日本庭園、噴水、多目的広場、モニュメント広場、駐車場などを設置)としての性格を,この火葬場は炉がこれまでの二倍を超える十五基、臭気などの公害が発生しない施設となった。
浜松市史 五 ([歴史の散歩道の整備])

設定された散歩道のコースは、浜松城公園から佐鳴湖まで約四・二キロメートル。,途中にある史跡・施設等として、浜松城公園・普済寺・西来院・宗源院・三謡公園・蜆塚公園・博物館・太刀洗いの,これは浜松城に十七年間を過ごした徳川家康を前面に出した事業であるが、ルートはスタートを浜松城公園から誕生井戸
浜松市史 五 ([齢松寺の移転])

[齢松寺の移転] 【齢松寺の移転】  右の「公園緑地計画」「墓園計画」を遂行するに際して、行政が直面,戦後の昭和二十四年、浜松市の都市計画で浜松城一帯が都市計画公園に指定されたのを機に、寺院とその附属幼稚園,その後昭和三十八年に至って、まず齢松寺墓地を先記の「墓園計画」で造成された中沢町の市営墓園に移し、次いでその,二年後、換地や移転補償費をめぐる折衝を経て、市内中沢町の市営墓園に隣接する市営火葬場の東側の市有地に移転,昭和四十年六月二十五日付の『静岡新聞』の記事では、移転費八百九十万円、墓園内の約六百坪を寺院敷地として
浜松市史 五 ([全国最長のコミュニティ道路])

のコミュニティ道路] 【コミュニティ道路】  佐鳴湖西岸には入野町と富塚町を結ぶ道路があり、また公園,市はこの市道を佐鳴湖西岸園路として整備することにしたが、生活道路の機能も合わせ持つため、幅三メートルと,佐鳴湖を一周できる歩道の整備は市民の要望が強く、五・八キロメートルの周遊路計画のうち西岸と東岸の公園や,南岸の園路など四・三キロメートルは平成十五年までに完成していたが、残る一・五キロメートルの北岸の園路工事
浜松市史 四 ([国体秋季大会の開催])

鹿谷公園の庭球場入口までは、姫街道と六間道路から新しく道路(国体道路)をつくり、六面のコートが整備されていた,バレー競技は野口公園につくられた六面のコートで行われたが、隣接の東小学校に四面の練習用のコートを準備した,この日の午後には地元の西遠女子学園高校が出場し、この時間に天皇、皇后両陛下が競技をご覧になられるとあって,、野口公園一帯には大勢の観客が詰め掛けた。,この天覧試合では西遠女子学園高校が勝利を収めたが、翌日の試合では東京の名門・中村高校に敗れた。
浜松市史 一 (枡)

同じ荘園でも場所によってちがうばあいもある。,【市場の枡 商業枡 公定枡】しかし余剰生産物(米穀)が商品として売りだされるようになると、荘園ごととか,農村の枡は、荘園市場の枡に統一され、それは地方の商業都市の商業枡に統合されてきた。,これらの商業枡は、戦国大名により公定枡として採用される。    ,、ついに公定枡になった)。    
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