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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 四 (内田旭)

内田旭 【『郷友』】  遠州地方において、銀行家・教育家としての業績のほかに、郷土史家としても多くの,業績を残した内田旭の主宰する郷友社の機関誌『郷友』が創刊されたのは、『土のいろ』の復刊と同じ昭和三十年,編集人は渥美静一、発行所は「浜松市野口町二一八 内田旭方 郷友社」。,創刊号の論文のうち主なものは、内田旭の「浜松の藩学」と和達清夫(内田の甥、初代気象庁長官、日本学士院院長,内田旭大人の御霊前に捧ぐ 昭和三十九年三月二十三日(三年祭)郷友社同人」とある。 / 内田旭
浜松市史 三 (内田旭)

内田旭 内田旭(明治十年一月生、内田正の長男、東大卒、当市野口町居住、昭和三十七年三月二十三日没、八十六歳 / 内田旭
浜松市史 三 (内田旭)

内田旭 正に旭・明の二男、女に謹(きん)がある。 / 内田旭
浜松市史 四 (『郷土遠江の調査研究』)

『郷土遠江の調査研究』 【塚本五郎 遠江郷土研究会 渥美静一 内田旭】  塚本五郎による郷土研究の,内田旭が序を寄せていて、この研究の価値を認めた上で「この資料を集めるに、悉く実物につき、その家につき、,また、この記事には、戦前の昭和五年、山崎常磐を会長に内田旭を副会長として同会が発足して戦時中に自然解消,会の世話人は、原田和(磐田郡東浅羽村)、西郷藤八(小笠郡平田村)、渥美静一(浜松市栄町)、内田旭(浜松市野口町,会誌の発行所は遠江郷土研究会で、これは内田旭方であった。
浜松市史 四 (『遠州郷土読本』)

内田旭と渥美静一が記した「編集後記」を見ると「竹山亥三美氏が文化書房を経営されてより、郷土史料の缺乏を,本の目次を開くと、(内田旭)「郷土研究の手引」以下十四のタイトルが並ぶ。,執筆者は、内田旭・西郷藤八・中道朔爾・平松實・塚本五郎・飯尾哲爾・渥美實・渥美静一の八人と浜松子供協会
浜松市史 一 (浜津と浜松)

浜津と浜松 ここに一説として、内田旭氏の考に、「浜松」は元来「浜津」であったのを、「ハマツ」とは言わず,「ハ」を延ばして「ハーマツ」と唱え、それが浜松に転じたのではないかという(内田旭「浜名湖周辺の上代住民
浜松市史 ニ (新羅明神)

当市江之島町)の新羅大明神についてはすでに述べた(『新羅大明神祠記』福島町『山田家文書』『五島村史』内田旭
浜松市史 三 (郷土研究家)

郷土研究家 これを遠州地方にみると、浜松には岡部譲・鈴木覚馬(かくま)・大賀辰太郎・内田旭・神村直三郎
浜松市史 ニ (杉浦浜純)

遺著に『神代聞書』『神代巻劄記(さっき)』『日本紀歌劄記』などがある(内田旭『杉浦国頭の生涯』)。
浜松市史 四 ([浜松短期大学の開学])

[浜松短期大学の開学] 【浜松短期大学 内田旭 坂田啓造 岡野徳右ヱ門】  昭和二十五年九月に興誠,学長は郷土史家の内田旭、教授にはベテランを起用、講師には浜松出身の金原賢之助や浜松在住の谷口健康、水野欣三郎
浜松市史 ニ (禅統)

明治九年十一月十六日五十七歳で示寂した(内田旭『浜松の大雄庵』)。  
浜松市史 三 (足立双松 賀古鶴所)

少年時代浜松にあって良斎の指導を受けたものに法学博士岡村輝彦・医学博士賀古鶴所・医学博士飯島魁などがある(内田旭
浜松市史 一 (蒲冠者範頼)

のち清倫は吉祥子に家をつがせ、範頼の子藤姫に婿を取らせ、生まれた男子が清常だという(『磐田市誌』、内田旭
浜松市史 ニ (有玉伝説)

天竜川の砂洲にまつった神社で、その由来をたずねるといずれも天竜川の流路に縁のある神社であったという(内田旭
浜松市史 ニ (賀古公斎)

【克明館】公斎は浜松藩内の学者文人と交わり、藩校克明館の蔵書購入と学制の編成にあずかった(内田旭「浜松
浜松市史 三 (県居翁研究会)

内田旭を会長とし田林義信(浜松師範学校教諭)・袴田彦一(浜名郡長上村市野、県居小学校長)・野島角男(浜名郡伊佐見村伊左地
浜松市史 ニ (蒙庵門人)

蒙庵の著述】本称寺の住職釈躰空の『懐旧録』によると「当時学に従事する者、其門に出ざるはなし」とあり、(内田旭
浜松市史 ニ (村尾元融)

(内田旭『遠州の先賢浜松村尾元融』。 村尾元融著続日本紀考証(浜松市立図書館蔵)
浜松市史 ニ (諏訪明神社)

内田旭「浜松諏訪神社と大祝杉浦家」『静岡県郷土研究』第十三輯)。  
浜松市史 ニ (永井篤士祐)

(内田旭「久保寿軒のこと」『地方文化』一ノニ)。
浜松市史 ニ (水野藩の経誼館)

つぎにその一部を掲げてみよう(内田旭「浜松の藩学」『郷友』第一号)。
浜松市史 ニ (森暉昌)

舎人親王千年祭(とねりしんのうせんねんさい)には祝詞を撰し、この地方における神職としてつねに指導的位置にいた(内田旭
浜松市史 ニ (藤原姓を称す)

割合に新しく「藤原」の二字を削った痕跡が認められる(内田旭「新発見の古文書藤原家康判物」『遠江郷土研究会誌
浜松市史 ニ (森繁子)

墓の右側面につぎの和歌二首が万葉仮名で刻まれている(内田旭「遠江女流歌人小伝」『遠江郷土研究会誌』第二号
浜松市史 ニ ([医学])

成秀の弟子に金原吉右衛門、玄之の弟子に勝田了玄・高坂了庵・富田玄卜(のちに玄仙という)があった(内田旭
浜松市史 ニ (藩の武芸者)

上遠野杢右衛門、豊田流に細田与右衛門があり、新しく飯島新三郎がオランダ砲術を教えるようになって更に充実された(内田旭
浜松市史 四 ([『浜松市史』の発刊])

内田旭・小山正・内田六郎・山根七郎治・飯尾哲爾・会田忠・中道朔爾ほかの郷土史家や文化人、また史料提供者
浜松市史 五 ([賀茂真淵の顕彰と寺田泰政])

【寺田泰政】  他方、遠州地方には、長い国学研究の伝統があり、小山正、内田旭の両碩学(せきがく)を中心
浜松市史 三 (目次)

郷土研究                 六〇二        鈴木覚馬の嶽南史           内田旭
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

57 【中村みつ 浜松裁縫女学校 浜松学芸高等学校 中村万吉 不如学舎 平野又十郎】 57 【内田旭
解説「国絵図」 (解説「国絵図」)

折りたたんだ表紙には「遠江小圖 完」との題字があり、「濵松小書巣 内田旭圖書」との蔵書印が認められる。
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