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浜松市史 一
(津毛利神社)
津毛
利
神社 2 津毛
利
神社 同じく敷智郡六座の一。参野
町
にある。,津毛
利
神社(浜松市参野
町
) / 津毛
利
神社
浜松市史 三
(水利組合)
水
利
組合 水
利
組合も農会とほぼ前後して発達し、下飯田用水に関係のある飯田・芳川(ほうがわ)・河輪・五島,の四か村組合(三十二年)、天神
町
・白脇の両村の茄子川堰用水の組合(三十三年)、飯田・芳川の両村に接続する / 水
利
組合
浜松市史 一
(安国寺と利生塔)
安国寺と
利
生塔 足
利
尊氏・直義兄弟、とくに直義は夢窓疎石のすすめにより、元弘以来の敵味方一切の戦没者,安国寺内に
利
生塔の設定された場合もある。
利
生塔は五重塔らしく、仏舎
利
二粒が納められてある。,初期室
町
政権は、民心宣撫と武力の守護と寺塔の宗教性を加味した政策をうちだしたと、評価されよう。 ,
利
生塔は衰えてきた。遠江国の安国(貞永)寺は、小笠郡大浜
町
大坂に所在した(『貞永安国寺文書』)。,
利
生塔については不明である(今枝愛真「安国
利
生塔について」『史学雑誌』第七十一編六号)。 / 安国寺と
利
生塔
佐久間町史 上巻
(佐久間町史 上巻 目次)
佐久間
町
史 上巻 / 北井三子夫 佐久間
町
史の発刊を祝う 佐久間
町
議会議長 北村久太郎 佐久間
町
史の完成を喜ぶ 元佐久間
町
長,に分布する第三系 四一 第九節 気候と土地
利
用 四六 (1)気候 四六 (イ)気候の概観 四六,第十節 土地
利
用 六九 (1)土地
利
用の概観 六九 (2)平地・緩傾斜地 七〇 (イ)谷底平地,七〇 (ロ)河岸段丘 七三 (ハ)山腹緩斜面 七五 (ニ)山頂緩斜面 八二 (3)日射と土地
利
用,八二 (4)土地
利
用の現況 八五 (イ)集落 八五 (ロ)耕地 九二 (ハ)森林 九六 第十一節 / 佐久間
町
史 上巻 目次
浜松市史 四
(土地利用計画)
土地
利
用計画 1 土地
利
用計画 土地
利
用計画ではこの区域を市街地区域、緑地区域とその両方に決定することを,Ⅰ 1 6 龍禅寺中ノ
町
線 龍禅寺
町
中野
町
大字中野
町
向宿
町
小安
町
宮竹
町
和田村 36 〃 但しⅠ.1.5,公園緑地計画】 3 公園緑地計画 これまで浜松市には本格的な公園はなく、わずかに市内の社寺の境内地を
利
用,和地山
町
、追分
町
10.16 8.50 普通公園 地区内 5 四ツ池公園 幸
町
、上島
町
26.80,13 五社公園
利
町
2.90 0.63 児童公園 地区内 14 出の丸公園 松城
町
0.76 廃止 / 土地
利
用計画
春野町史 通史編 上巻
(春野町史 通史編 上巻 目次)
春野
町
史 通史編 上巻 / 目次 『春野
町
史 通史編 上巻』 春野
町
平成九年 【第一編】 ,後醍醐天皇の親政 265 二 当知行の安堵 268 第二節 新政の崩壊と南北朝の内乱 271 一 足
利
尊氏, 凶作・飢饉の発生と対応 558 第四節 徴租法の変化と年貢の変遷 563 第四章 山地の
利
用,と林業・椎茸・茶 573 第一節 山地
利
用と山論 573 一 山地
利
用と焼畑 573 二 山地売買,588 一 江戸幕府の林野管理と山地 588 二 高外地支配政策と小物成徴収 592 第三節 山地
利
用 / 春野
町
史 通史編 上巻 目次
浜松市史 三
(横町通)
横
町
通 以上は東海道往還筋の
町
々であるが、これをはずれると横
町
があった。,【肴
町
】たとえば肴
町
がある。,【池
町
利
町
】しかし同じ横
町
でも池
町
や下垂
町
は職人
町
で、傘屋(二〇戸)左官(九戸)桶屋(八戸)や古着屋,が多く、元魚
町
・
利
町
は大工・左官職の多い
町
であった。,また
利
町
には劇場があった。 / 横
町
通
浜松市史 ニ
(町幅)
町
幅 また四間以上の
町
幅の
町
は連尺
町
・伝馬
町
・塩
町
・神明
町
・板屋
町
・新
町
・池
町
の七か
町
で、池
町
以外は,東海道往還筋の
町
である。,中でも塩市が立つ塩
町
は五間余でもっとも広かった。,三間は旅籠
町
・田
町
・七軒
町
・上新
町
・下垂
町
、三間未満は肴
町
・成子坂
町
・早馬
町
・鍛冶
町
・平田
町
・本魚
町
・,大工
町
・
利
町
・紺屋
町
・名残
町
・清水
町
・猿屋
町
の十二
町
で、清水
町
・猿屋
町
は二間に満たない。 /
町
幅
浜松市史 ニ
(横町)
横
町
【袋
町
】また多数の横
町
も発達し肴
町
に江馬殿小路(別称を沼殿小路という。,江馬氏の住居跡という)、本魚
町
に松尾小路(松尾神社がある)、大工
町
に南小路(若宮八幡宮があるので若宮小路,ともいう)・北小路、
利
町
に五社大門通・諏訪大門通、紺屋
町
に袋(ふくろ)小路(袋
町
ともいう)、その他早馬
町
,・下垂
町
・鍛冶
町
などにもあった。 / 横
町
浜松市史 ニ
(町屋)
塩
町
(しおまち)・肴
町
(さかなまち)
町
名の商人が居住し、本魚
町
はもと肴
町
があった
町
である。 ,大工
町
(だいくまち)・紺屋
町
(こうやまち)・鍛冶
町
(かじまち)・
利
町
(とぎまち)
町
名の職人が多く住み,、
利
町
は研師の
町
であったという。 ,下垂
町
(しもだれちょう)・平田
町
(なめだちょう)・清水
町
(しみずまち) 下垂
町
は水のしたたれであろうし,新
町
(しんまち)・板屋
町
(いたやまち) 東海道往還の東端にできたのが新
町
と板屋
町
で、新
町
はもと、かや屋
町
/
町
屋
舞阪町史 下巻
(舞阪町史 下巻 目次)
舞阪
町
史 下巻 / 目次 『舞阪
町
史 下巻』 舞阪
町
平成十一年 【第五編】 第一章 ,第十一章 第十二章 終章 目次 ページ 画像 第五編 近現代Ⅱ 第一章 戦後舞阪
町
,第一節 概説 1 戦後改革と日本社会の転換 地方自治の展開 戦後(昭和期)の舞阪
町
第二節
町
勢概要,25 人口 面積 職業構成 舞阪
町
行政機構の変遷
町
村合併問題 浜名湖競艇場の設立と新居
町
への移転,地下水塩水化の問題 浜松市上水道への統合の催促 西遠工業用水道からの暫定受水 水道事業の広域統合と水
利
権 / 舞阪
町
史 下巻 目次
浜松市史 ニ
(町役人)
町
役人 【庄屋】
町
奉行の支配下に、各
町
の
町
役人(庄屋と年寄)があって
町
政を担当していた。,『遠州浜松各
町
書上』によって宝暦九年(一七五九)の浜松二十四か
町
の庄屋と年寄の人数をつぎに示そう。,(表)宝暦9年浜松の
町
役人
町
名 庄屋数 年寄数 連尺 2 3 伝馬 2 6 旅籠 2 1 塩 2,2 早馬 1 1 下垂 2 1 池 1 2 鍛冶 1 1 平田 1 2 本魚 1 2 大工 1 2
利
,1 2 紺屋 2 2 名残 1 2 清水 1 1 猿屋 1 1 計
町
数 36 49 24 /
町
役人
浜松市史 ニ
(平町人)
平
町
人 つぎに平
町
人は借家人・借地人・店借人などで、本
町
人が屋敷の間口の間数に応じた地子(じし)・夫役,(ぶやく)を分担していたのに、その義務もなければ
町
政にあずかる権
利
もなかった。,各
町
に課せられていた夫役にはつぎのようなものがあった。 / 平
町
人
浜松市史 三
(中山町)
中山
町
【分離問題】つぎに中山
町
の分離問題であるが、中山
町
は地籍整理によって東鴨江・三組(みくみ)・,
利
(とぎ)の各
町
の一部が合併して大正十四年五月新しく誕生した
町
であった。,そのため
町
名とか氏神の決定についても
町
内に意見の相違があり、昭和四年四月の役員改選にはこうしたことが表面化 / 中山
町
浜松市史 三
(町民大会)
町
民大会 わが国の勝
利
ということで日露戦争がすみポーツマス講和条約の内容が発表されると、各地に反対運動,として井上剛一が出席したが、地元でも沢田寧・高柳覚太郎・鈴木貫之・中村忠七らが中心となって九月六日に
利
町
,の音羽座で講和反対の「浜松
町
民大会」を開き気勢をあげた。 /
町
民大会
浜松市史 一
(足利高氏京都へ向かう)
足
利
高氏京都へ向かう 幕府は足
利
高氏らを大将に大軍をさしむけた。,高氏は三河八橋(やつはし)(愛知県碧海郡知立
町
)から内通する旨の書状を伯耆船上山の天皇に送った。,そして近江鏡宿(かがみのしゅく)(滋賀県蒲生郡竜王
町
)で天皇の命令書を受け取っている(『梅松論』)。 / 足
利
高氏京都へ向かう
浜松市史 四
([利用客の動向と能力の限界])
の通り昭和二十七年に四つの停留場を新設、二十九年には一停留場の営業を再開して
利
用者の便に応えた。,こうして、奥山線の
利
用者数は、二十六年度に二百六十万人を突破した。,既述のように、同年に奥山線の起点である東田
町
駅と二俣電車線の遠州浜松駅とが遠鉄浜松駅に統合され、バスの,と改称 11月 1日 島之郷停留場を遠州曳馬停留場と改称 27年 7月 5日 北田
町
、,幸
町
、追分の三停留場新設 10月 1日 豊岡停留場を新設 28年 8月 1日 旭
町
駅を新浜松駅 / [
利
用客の動向と能力の限界]
佐久間町史 下巻
(佐久間町史 下巻 目次)
佐久間
町
史 下巻 / 目次 『佐久間
町
史 下巻』 佐久間
町
役場 昭和57年 序章 第一章,解決 1146 (1)水没補償 1146 (2)営業補償と感謝料 1161 (3)公共補償と水
利
権問題,)「
町
村合併促進法」の制定 1244 第二節 佐久間
町
誕生への歩み 1250 (1)合併序曲 水窪
町
,1320 (3)解村(
町
)式そして新しい
町
へ 1349 第四節 佐久間
町
の歩み 成立とその発展,)山や川の幸 1425 (ニ)調味料 1428 (2)服装からみたくらし 1429 (3)山を
利
用 / 佐久間
町
史 下巻 目次
浜松市史 ニ
(町民の階層)
町
民の階層 【本
町
人 平
町
人】
町
民は本
町
人と平
町
人の二階層にわかれていた。,本
町
人は本役と称し直接
町
政に参与する義務と権
利
とを持っていた。家をさして本役家ともいった。 /
町
民の階層
引佐町史 下巻
(引佐町史 下巻 目次)
引佐
町
史 下巻 / (一)
町
村制の施行 305 1 金指
町
・井伊谷村・奥山村・伊平村・鎮玉村の成立 305 2 区・連合
町
村会,797 1 新制引佐
町
の課題と新野
町
政 797 2 「引佐
町
新
町
建設計画」の策定 802 3 高井
町
長,1 まちづくり懸賞論文とまちづくり 933 2 シェヘリス市との姉妹都市提携 934 (三)国土
利
用計画,1113 第十節 狩猟 1117 1 禁忌 1117 2 狩猟組織と捕獲儀礼 1118 3 猪の
利
用,と奥山半僧坊の門前
町
1302 (一)宿場と門前
町
1302 1 金指の
町
1302
町
並み 市神 / 引佐
町
史 下巻 目次
浜松市史 ニ
(各町の長短)
各
町
の長短
町
の長さが二百間以上あるのは伝馬
町
・田
町
・板屋
町
・新
町
の東海道通
町
道の四
町
で、板屋
町
の二百十四間,が最長、百間未満は旅籠
町
・塩
町
・成子坂
町
・上新
町
・神明
町
・早馬
町
・平田
町
・本魚
町
・大工
町
・
利
町
・清水
町
,・猿屋
町
の十二か
町
で最短は猿屋
町
の四十三間である。 / 各
町
の長短
浜松市史 ニ
(職人町と屋敷)
このうち神明
町
には職人頭の家が三軒、紺屋
町
と大工
町
には二軒あり、家数からいうと大工
町
・紺屋
町
・鍛冶
町
・,平田
町
2 高林村 1
利
町
1 神明
町
1 神明
町
1 鍛冶
町
10 天神
町
村,1 有下村 3 水役 5 本役素人 8 本役 4
利
町
1 水役 19 北島村 2,連尺
町
1 神明
町
6 早馬
町
1 板屋
町
12 平田
町
3 将監名村 1 紺屋
町
, 紺屋
町
4 紺屋
町
3 池
町
1 伝馬
町
1 瓦師頭 1 紺屋
町
1
利
町
/ 職人
町
と屋敷
細江町史 通史編下
(細江町史 通史編 下 目次)
細江
町
史 通史編下 / 目次 『細江
町
史 通史編下』 細江
町
平成4年 第1章 第2章 ,1節 細江
町
の沿革 3 1 明治のあけぼの 3 2 大正時代 13 3 昭和時代Ⅰ(
町
村合併前),19 4 昭和時代Ⅱ(
町
制施行以後) 28 5 戸籍の変遷 34 第2節 細江
町
の行政機構 38,339 13 細江
町
史料調査会 340 14 細江
町
姫街道歴史民俗資料館 340 第5章,11 白井 雄太郎 590 12 内山 梅代 591 13 名倉 祐太郎 591 14 樽井
利
雄 / 細江
町
史 通史編 下 目次
引佐町史 上巻
(引佐町史 上巻 目次)
引佐
町
史 上巻 / 目次 『引佐
町
史 上巻』 引佐
町
平成三年 総説 第一章 第二章,第九章 第十章 目次 ページ 画像 序 発刊によせて 凡例 総説 引佐
町
の,人口分布の特色 23 2 人口動態の地域的特色 26 (五)めぐまれた自然と産業 35 1 土地
利
用,発見された植物 120 2 珍しい植物 124 (四)
町
の花・
町
の木 135 (五)植物方言 137,兵藤市右衛門の賄役就任 1071 第三節 金指・井伊谷両近藤の米切手 1075 (一)金指近藤氏の
利
安 / 引佐
町
史 上巻 目次
浜松市史 三
(中ノ町線)
中ノ
町
線 ②中ノ
町
線 浜名郡天神
町
村馬込と同郡中ノ
町
村萱場間を結ぶ五・二キロメートルで軌幅二フィート,東海道の路面の一部を
利
用して敷設された。,と中ノ
町
線は完全開通となった。 ,起点となった板屋
町
駅付近は田圃であったが、北田
町
新道もできて駅前通りに商店がならぶようになり、貨物営業,中ノ
町
線試乗の案内状 中ノ
町
線馬込川鉄橋 / 中ノ
町
線
浜松市史 ニ
(町検地と町絵図)
町
検地と
町
絵図 その後、天和二年(一六八二)に、時の城主青山和泉守忠雄は浜松の
町
検地を実施し、惣
町
屋敷,(表)浜松
町
数家数間尺表
町
名 家数 通道の長(
町
間) 通筋(新
町
から七間
町
まで),545 20
町
42間 裏
町
通 池 22 2 10 下垂 40 1 49,猿屋 3 1 5 榎 13 3 2 紺屋 64 2 53
利
,24か
町
1111軒
町
地高587石7斗2升2合(「浜松
町
数村数家数田地高間尺之帳」『浜松市史史料編三 /
町
検地と
町
絵図
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
【馬込橋役】馬込橋役 御役六
町
と成子坂・神明・板屋・新・早馬・下垂・池・鍛冶・本魚・
利
(とぎ)・紺屋・,【普請役】新道土橋並道普請役 伝馬・肴・神明・連尺・鍛冶・
利
・紺屋の七
町
。,【茶壺助役】茶壺通行助人足役 成子坂・神明・板屋・新・早馬・下垂・池・鍛冶・本魚・
利
・紺屋・名残の十二
町
,享保 5.3.28 (1720) 火元
利
町
平六 〃 5.4.18 法林寺火事 〃 5.11.16,) 紺屋
町
より出火榎
町
・神明・田
町
・連尺・肴
町
・伝馬
町
後道におよぶ火元清水屋大安寺焼失(『旅籠
町
平右衛門記録 / 各
町
の夫役
浜松市史 一
(町人の意味)
町
人の意味 この政策で自由都市ができたようだが、織豊政権になると、その権
利
はとりあげられる。,家康は浜松に入り、時をみて
町
奉行をおいたろう。 ,
町
人というのは、武士・僧侶よりほかの都市の住民のことである。,近世では農民は都市に住めないので、
町
人とは商工民のことである。 /
町
人の意味
浜松市史 ニ
(町道の変化)
町
道の変化 つぎに
町
の長さを比較しよう。,寛文期において東海道通
町
道子二百四十二間、裏(脇)
町
通道千八百六十三間で合計三千百五間であったのに宝暦九年,には東海道通
町
道子四百二十一間、脇
町
通道子二百三十一間で合計二千六百五十二間となっている。,これを
町
別でみると減少のいちじるしいのは早馬
町
・池
町
・平田
町
・本魚
町
・大工
町
・
利
町
・紺屋
町
・猿屋
町
などのおもに,これは寛文期において御役六
町
をはじめ東海道通
町
道がすでに固定化していたのに対し、脇
町
通道は
町
域に明確さを /
町
道の変化
浜松市史 五
([勤労青少年のための福利厚生施設])
[勤労青少年のための福
利
厚生施設] 【福
利
厚生施設 浜松南部織物会館】 毎年、市外や県外からやってくる,浜松市域の中小企業で働く青少年の健全な育成と福祉の増進を目的に、市は産業界の協力を得て、昭和三十九年、亀山
町
の,には必要と考えられ、県は昭和四十三年六月上島
町
に浜松勤労青少年寮を完成させた。,昭和三十年代後半には国鉄浜松工場や遠州鉄道、浜松市営バスのような比較的大きな事業所はもちろん、海老塚
町
の,で働く女子従業員が働きながら高卒の資格を取ることが出来る昼間定時制の高校が浜松市と磐田市、浜名郡新居
町
に / [勤労青少年のための福
利
厚生施設]
浜松市史 一
(町の自治権)
町
の自治権 【見付
町
のばあい】中世の
町
では、市民(
町
衆)の経済上の実力におされて、大名などは自治権を,見付では江戸時代でも自治の権
利
が認められていた。 ,、
町
名主を留任させた。,【連帯責任】
町
の警衛など警察権の一部は
町
民に与えられた。,そのかわり、
町
民は
町
内のことについて領主に責任をおう。 /
町
の自治権
浜松市史 ニ
(肴町と歩役)
)
町
に移り、さらに慶長五年(一六〇〇)のころに「肴
町
」に引越した。,田
町
・旅籠
町
は往還筋にあり。旅宿が多く、肴
町
とならんで歩役百二十八人をつとめるようになった。,ところが、伝馬役
町
の
利
得に比較して歩役
町
の所得が少ないという不満が起こり、慶長七年には三
町
の者が駿府へ,【五
町
同役 御役
町
の確立】これが五
町
同役といわれるもので、御役
町
の確立である。,【伝馬
町
塩
町
肴
町
田
町
旅籠
町
】この裁断にしたがって五か
町
の庄屋たちは、つぎのような申し合わせを行 / 肴
町
と歩役
浜松市史 三
(大きな町)
大きな
町
百戸以上の
町
人
町
には伝馬
町
・田
町
・肴
町
・板屋
町
・新
町
・紺屋
町
があったが、この時代になると下垂
町
,(しもだれちょう)・元魚(もとうお)
町
の二
町
と三方原方面の発展につながる名残
町
が新しく加わっている(『,また侍屋敷
町
では高
町
・早馬・御組(おくみ)
町
(名残)が百戸以上となっている。 ,農 不詳 計 職 渡世 稼 農 その他 不詳 計 旧
町
人
町
1 連尺
町
2 67 69 2 2,6 6 48 22 14 5 3 92 21
利
町
7 48 55 1 6 7 20 8 / 大きな
町
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
の各一部 新
町
しんまち
町
をつける 新 本馬込・田の一部 一部を松江・板屋・北寺島の各
町
へ編入 板屋
町
,尾張
町
おわりちょう 改称 下垂 田・元城の各一部 一部を北田
町
へ編入 早馬
町
はやうまちょう
町
をつける,を元城・元目・山下・亀山の各
町
へ編入 紺屋
町
こんやまち 〃 紺屋 高・
利
の各一部 一部を松江・北寺島,・松城の各
町
へ編入
利
町
とぎまち 〃
利
栄の一部 一部を紺屋・中山の各
町
へ編入 大工
町
だいくまち,
利
・元魚の各
町
へ編入 中山
町
なかやまちょう 新設
利
・東鴨江・三組の各一部 三組
町
みくみちょう / 大字制度 新
町
名
浜松市史 三
(伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂)
伝馬
町
の講義所 伝馬
町
の教会堂 続いてメソジスト派の布教がはじまった。,大川は最初連尺
町
宿屋松浦屋に仮講義所を設けたが、伝馬
町
(宿屋大米屋の隣という)に移り、翌十七年六月伝導師結城無二三,【二十二年】こうして、カスキデーの尽力によって浜松伝馬
町
に教会堂の設立をみたのは明治二十二年であった。,繁華街にあったこの教会堂は各種の講演会場にしばしば
利
用された。 教会堂 / 伝馬
町
の講義所 伝馬
町
の教会堂
浜松市史 ニ
(無役町の人足割)
無役
町
の人足割 浜松宿では急な通行で助郷村へ触れ出す余裕のない場合には、宿の脇
町
などの無役
町
から助人足,この表をみると御役六
町
を除いた十八か
町
の無役
町
のうち十二か
町
となっている。 ,その後、文政九年(一八二六)に、無役
町
のうち下新
町
・成子坂
町
・神明
町
・板屋
町
にさらに七軒
町
・新
町
を加えて,(表)無役
町
の人足割 無役
町
人足 早馬
町
2 人 板屋
町
16 本魚
町
6 紺屋
町
12 下新
町
,20 成子坂
町
4
利
町
6 名残
町
8 鍛冶
町
9 池
町
4 神明
町
6 下垂
町
14 計12か
町
/ 無役
町
の人足割
浜松市史 五
([公民館の設置と利用者の急増])
[公民館の設置と
利
用者の急増] 戦後の公民館については『浜松市史』四で触れたように、主として郊外の豊,浜名郡村櫛村には昭和二十七年、中ノ
町
村には同二十八年、引佐郡都田村には同二十九年に全国に誇り得る素晴らしい / [公民館の設置と
利
用者の急増]
細江町史 通史編中
(細江町史 通史編 中 目次)
細江
町
史 通史編中 / 目次 『細江
町
史 通史編中』 細江
町
平成12年 【第1編】 第1,菅沼家譜』の記述 111 11 白須賀城落城 113 12 三河の奥貴山冨賀寺 113 13 宇
利
の,11 将軍秀忠浜松で出生 261 12 西郷局と心造寺の鉄灯籠 263 第7章 吉川本
町
(,369 気賀
町
取捌定書 369 碇役之定 370 気賀
町
方覚書 373 油田への覚書 380,伝馬役 382
町
役 382 働き人足 383 防災 385 年中行事 386 科人 390 / 細江
町
史 通史編 中 目次
浜松市史 一
(室町時代の徳政令)
室
町
時代の徳政令 鎌倉時代の永仁五年(一二九七)の徳政令は、御家人(ごけにん)の保護を目的として、幕府,室
町
時代の徳政令は民衆の要求におされて、しかたなく発令されたものである。,しかも質物をほとんど無償でとられた高
利
貸業者にとっては大きな損害である。 / 室
町
時代の徳政令
浜松市史 三
(政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝利)
政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝
利
これに対し中村忠七一派は深く含むところがあり、三十七年
町
会議員半数改選,そのため
町
政研究会に属する議員候補者より落選者が続出し、政友会中村派の全盛時代を迎えたのであった。,【高柳覚太郎 井上剛一】なかでも同派の田中五郎七(浜松田
町
、嘉永五年十一月生、
町
会議員、昭和三年七月没,を開催し、その決議にもとづいて
町
当局との交渉開始となった。,の第六回半数改選は、いずれも政友会の圧倒的な勝
利
であった。 / 政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝
利
浜松市史 ニ
(町民の生活)
町
民の生活 このように
町
々はいずれも諸役を分担し、
町
奉行の支配のもとに統制のある生活をしていたのであるが,、つぎに当時の
町
民生活の一端を示す一、二を記す。 ,、本魚
町
一、旅籠
町
一、伝馬
町
一、連尺
町
一、上新
町
一、
利
町
一、田
町
七、板屋
町
二、紺屋
町
三)の質屋があり、,、秋葉祭(当市三組
町
秋葉神社)は貞享二年(一六八五)の記録があり「此まつりは浜松
町
在々共ニおびたゞしく,御座候、浜松
町
立始り而之まつりニ御座候」(「旅籠
町
平右衛門記録」『浜松市史史料編一』)とある。 /
町
民の生活
浜松市史 三
(各町消防組 連合消防組)
各
町
消防組 連合消防組 【七年十月】しかるに明治七年の小野組大火によって、各
町
は消防組設置の必要を感,じ、同年十月に新
町
・田
町
・肴
町
・連尺
町
・伝馬
町
・塩
町
・成子
町
・七軒
町
上新
町
・紺屋
町
・
利
町
・大工
町
・元魚
町
,・下垂
町
・旅籠
町
の十四か
町
に消防組の結成をみた。,【出初式】明治十五年には天神
町
・神明
町
・池
町
・平田
町
・板屋
町
・早馬
町
・鍛冶
町
の七組を加え二十一組となって / 各
町
消防組 連合消防組
浜松市史 三
(浜松宿 三十二か町村独立)
の上に「浜松」の二字を冠し浜松何
町
または浜松何村と称することになり、元城
町
・常盤
町
・元名残
町
の連合と、,高
町
・三組
町
の連合とを除き他
町
村は各々独立戸長を置いて結局浜松宿は三十二か
町
村、二十九名の戸長及び役場,浜松32か
町
村時代戸長 (その他は不明) 浜松紺屋
町
内田政治 浜松田
町
小野江善八 〃
利
町
杉浦為次郎,〃高
町
林勝昌 〃伝馬
町
林弥十郎 〃鍛冶
町
乗松甚十郎 〃平田
町
松下茂平 〃松城
町
山崎金重 〃,後道
町
岡田安貞 〃元魚
町
木村安次郎 / 浜松宿 三十二か
町
村独立
浜松市史 三
(町制施行 敷知郡浜松町 大字制度)
町
制施行 敷知郡浜松
町
大字制度 【二十二年】明治二十二年二月県令第十九号を以って、浜松
町
の区域・名称,なお、このとき敷知郡は浜松
町
をふくめ二十六か
町
村、長上(ながかみ)郡十五か村、引佐(いなさ)郡八か
町
村,(表)
町
村制施行当時の
町
村名(明治22年4月1日)
町
村名 大字名 役場位置 敷知郡(26か
町
村),天神
町
上中島 向宿 福地 馬込 佐藤一色 馬領家 塚越 名切(塚越・名切は長上郡より編入) 天神
町
,164 池 (いけ) 65 下垂 (しもだれ) 80 早馬 (はやうま) 38 常盤 (ときわ) 57
利
/
町
制施行 敷知郡浜松
町
大字制度
浜松市史 三
(浜松町農会 浜名郡農会)
浜松
町
農会 浜名郡農会 つぎに農会について述べよう。,浜松付近では、すでに
町
村単位の農会の前身ともみなすべき例えば神久呂の共救社、赤佐(明治十五年)・芳川(,ともいうべき西遠勧業会があったが、明治二十八年八月県会による農会規則が発布されると、翌二十九年七月浜松では浜松
町
農会,の発足となり、織田
利
三郎(安政四年生、南庄内村織田家に養子し、浜松田
町
で雑貨商を営む、華道の師匠、前田正名,そして三十三年政府による農会令施行によって、各
町
村のほとんどに農会の創立をみるにいたった(『浜名郡誌』 / 浜松
町
農会 浜名郡農会
浜松市史 三
(中ノ町線笠井線の廃止)
中ノ
町
線笠井線の廃止 しかし自動車の発達により中ノ
町
線・宮口線・笠井線は廃止となった。 ,なかでも東海道の路面を
利
用して敷設された中ノ
町
線は沿線の住民より危険視されたばかりでなく、煤煙は非衛生視,されて、しばしば廃止運動が起きたので、大正十四年に中ノ
町
線とかねてから経営不振の笠井線とを鹿島線より分離,し、浜松軌道株式会社(社長金原明徳、昭和二年一月浜松・中ノ
町
間の電化を目的とし浜松電気鉄道株式会社と改称,そして昭和二年末から休業していた中ノ
町
線も四年六月には軌道自動車による再運転を開始した。 / 中ノ
町
線笠井線の廃止
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
台地と水と輝き:わが
町
文化誌 / (四)JAとぴあ浜松住吉支店(旧高台農協) 50 二 工業の移り変わり 52 (一)水車の
利
用,と普及 52 【水の落差を
利
用して 段子川 権現谷川 新川 四ツ池】 52 【水車の分布図 富塚村馬生区有文書, 職業取調書】 53 【水車の職業別
利
用 佐鳴湖 先駆者の苦労と活躍】 54 【取水水路図 安立製油所,浪曲大会 125 (三)その他の娯楽 126 【映画館高台銀座 板屋
町
銀映座 住吉
町
】 126, 三方ケ原合戦】 168 【大山祇神社 和合
町
馬生】 169 【権現谷山神神社 和合
町
権現谷 片身 / 浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが
町
文化誌』 目次
潮かおる浜の里:わが町文化誌
(浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 目次)
潮かおる浜の里:わが
町
文化誌 / 『潮かおる浜の里:わが
町
文化誌』 浜松市立新津公民館活動推進委員会 平成7年(1995,(一)海の底から陸上へ 6 (二)新津の里に人が住みついたころ 8 二 鎌倉・室
町
のころ,22 (二)堀江の大沢氏と倉松 24 (三)農村の苦しみ 26 (四)田尻湊の権
利
復活運動,)戦後の改革 55 (二)農地改革 56 (三)浜松市との合併 58 (四)新しい
町
(,(四)年中行事 109 (五)講 115 二 改善されたくらし 120 (一)便
利
なくらし / 浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが
町
文化誌』 目次
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
学びの里祈りの丘:わが
町
文化誌 / 宿場
町
としての浜松 7 (一)にぎわう東海道 【宿場 表筋
町
裏
町
通筋 横
町
】 7 【浜松名産,【
町
割 御役
町
無役
町
職人
町
】 12 (三)七地域に配備された武家屋敷 14 【秋葉
町
の奥平信昌, 秋葉神社 三組
町
】 17 (四)地の
利
を得た寺社の配備 18 四 新しい浜松の始まり 21 (,森下平太郎】 118 第四章 共に生きる喜び 121 一 人々の暮らし 122 (一)湧き水の
利
用,三 開運とご
利
益のお地蔵さま 241 (一)子育て地蔵 【菅原
町
】 241 (二)夢見地蔵 / 浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが
町
文化誌』 目次
輝くいなほはたの音:わが町文化誌
(浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)
輝くいなほはたの音:わが
町
文化誌 / 15 【栄秀寺の大イチョウ 領家
町
】 16 【稲荷山の大松 飯田
町
】 17 二 あばれ天竜 18,中島
町
北寺島
町
】 33 【五神渕と奥宮の大蛇 佐藤
町
中島
町
】 34 四 川とともに生きる,と逆水門】 38 【渡船 金折
町
老間
町
】 39 【鶴見橋と新貝橋】 40 【芳川に架かる橋 別久橋, 天神
町
村 飯田村】 73 【便
利
になった交通 乗合馬車 軽便中ノ
町
線 市営バス】 74 【運動場, 天神
町
】 132 【秋葉燈ろうの御
利
益】 134 【領家
町
の青年団】 135 【青年団の活躍 / 浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが
町
文化誌』 目次
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