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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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検索結果 : 541件
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浜松市史 一 (津毛利神社)

津毛利神社 2 津毛利神社   同じく敷智郡六座の一。参野町にある。,津毛利神社(浜松市参野町) / 津毛利神社
浜松市史 三 (水利組合)

水利組合 水利組合も農会とほぼ前後して発達し、下飯田用水に関係のある飯田・芳川(ほうがわ)・河輪・五島,の四か村組合(三十二年)、天神町・白脇の両村の茄子川堰用水の組合(三十三年)、飯田・芳川の両村に接続する / 水利組合
浜松市史 一 (安国寺と利生塔)

安国寺と利生塔 足利尊氏・直義兄弟、とくに直義は夢窓疎石のすすめにより、元弘以来の敵味方一切の戦没者,安国寺内に利生塔の設定された場合もある。利生塔は五重塔らしく、仏舎利二粒が納められてある。,初期室町政権は、民心宣撫と武力の守護と寺塔の宗教性を加味した政策をうちだしたと、評価されよう。  ,利生塔は衰えてきた。遠江国の安国(貞永)寺は、小笠郡大浜町大坂に所在した(『貞永安国寺文書』)。,利生塔については不明である(今枝愛真「安国利生塔について」『史学雑誌』第七十一編六号)。 / 安国寺と利生塔
浜松市史 四 (土地利用計画)

土地利用計画 1 土地利用計画  土地利用計画ではこの区域を市街地区域、緑地区域とその両方に決定することを,Ⅰ 1 6 龍禅寺中ノ町線 龍禅寺町 中野町大字中野町 向宿町小安町 宮竹町和田村 36 〃 但しⅠ.1.5,公園緑地計画】 3 公園緑地計画  これまで浜松市には本格的な公園はなく、わずかに市内の社寺の境内地を利用,和地山町、追分町 10.16 8.50 普通公園 地区内 5 四ツ池公園 幸町、上島町 26.80,13 五社公園 利町 2.90 0.63 児童公園 地区内 14 出の丸公園 松城町 0.76 廃止 / 土地利用計画
佐久間町史 上巻 (佐久間町史 上巻 目次)

佐久間町史 上巻 /  北井三子夫 佐久間町史の発刊を祝う 佐久間町議会議長 北村久太郎 佐久間町史の完成を喜ぶ 元佐久間町長,に分布する第三系 四一 第九節 気候と土地利用 四六 (1)気候 四六 (イ)気候の概観 四六,第十節 土地利用 六九 (1)土地利用の概観 六九 (2)平地・緩傾斜地 七〇 (イ)谷底平地,七〇 (ロ)河岸段丘 七三 (ハ)山腹緩斜面 七五 (ニ)山頂緩斜面 八二 (3)日射と土地利用,八二 (4)土地利用の現況 八五 (イ)集落 八五 (ロ)耕地 九二 (ハ)森林 九六 第十一節 / 佐久間町史 上巻 目次
春野町史 通史編 上巻 (春野町史 通史編 上巻 目次)

春野町史 通史編 上巻 / 目次 『春野町史 通史編 上巻』  春野町 平成九年     【第一編】   ,後醍醐天皇の親政 265 二 当知行の安堵 268 第二節 新政の崩壊と南北朝の内乱 271 一 足利尊氏, 凶作・飢饉の発生と対応 558 第四節 徴租法の変化と年貢の変遷 563    第四章 山地の利用,と林業・椎茸・茶 573 第一節 山地利用と山論 573 一 山地利用と焼畑 573 二 山地売買,588 一 江戸幕府の林野管理と山地 588 二 高外地支配政策と小物成徴収 592 第三節 山地利用 / 春野町史 通史編 上巻 目次
浜松市史 三 (横町通)

横町通 以上は東海道往還筋の町々であるが、これをはずれると横町があった。,【肴町】たとえば肴町がある。,【池町 利町】しかし同じ横町でも池町や下垂町は職人町で、傘屋(二〇戸)左官(九戸)桶屋(八戸)や古着屋,が多く、元魚町・利町は大工・左官職の多い町であった。,また利町には劇場があった。 / 横町通
浜松市史 一 (足利高氏京都へ向かう)

足利高氏京都へ向かう 幕府は足利高氏らを大将に大軍をさしむけた。,高氏は三河八橋(やつはし)(愛知県碧海郡知立町)から内通する旨の書状を伯耆船上山の天皇に送った。,そして近江鏡宿(かがみのしゅく)(滋賀県蒲生郡竜王町)で天皇の命令書を受け取っている(『梅松論』)。 / 足利高氏京都へ向かう
舞阪町史 下巻 (舞阪町史 下巻 目次)

舞阪町史 下巻 / 目次 『舞阪町史 下巻』  舞阪町 平成十一年     【第五編】  第一章  ,第十一章 第十二章  終章   目次  ページ   画像  第五編 近現代Ⅱ 第一章 戦後舞阪町,第一節 概説 1 戦後改革と日本社会の転換 地方自治の展開 戦後(昭和期)の舞阪町 第二節 町勢概要,25 人口 面積 職業構成 舞阪町行政機構の変遷 町村合併問題 浜名湖競艇場の設立と新居町への移転,地下水塩水化の問題 浜松市上水道への統合の催促 西遠工業用水道からの暫定受水 水道事業の広域統合と水利権 / 舞阪町史 下巻 目次
浜松市史 四 ([利用客の動向と能力の限界])

の通り昭和二十七年に四つの停留場を新設、二十九年には一停留場の営業を再開して利用者の便に応えた。,こうして、奥山線の利用者数は、二十六年度に二百六十万人を突破した。,既述のように、同年に奥山線の起点である東田町駅と二俣電車線の遠州浜松駅とが遠鉄浜松駅に統合され、バスの,と改称     11月 1日 島之郷停留場を遠州曳馬停留場と改称   27年 7月 5日 北田町、,幸町、追分の三停留場新設     10月 1日 豊岡停留場を新設   28年 8月 1日 旭町駅を新浜松駅 / [利用客の動向と能力の限界]
浜松市史 ニ (町幅)

町幅 また四間以上の町幅の町は連尺町・伝馬町・塩町・神明町・板屋町・新町・池町の七か町で、池町以外は,東海道往還筋の町である。,中でも塩市が立つ塩町は五間余でもっとも広かった。,三間は旅籠町・田町・七軒町・上新町・下垂町、三間未満は肴町・成子坂町・早馬町・鍛冶町・平田町・本魚町・,大工町・利町・紺屋町・名残町・清水町・猿屋町の十二町で、清水町・猿屋町は二間に満たない。 / 町幅
浜松市史 ニ (横町)

横町 【袋町】また多数の横町も発達し肴町に江馬殿小路(別称を沼殿小路という。,江馬氏の住居跡という)、本魚町に松尾小路(松尾神社がある)、大工町に南小路(若宮八幡宮があるので若宮小路,ともいう)・北小路、利町に五社大門通・諏訪大門通、紺屋町に袋(ふくろ)小路(袋町ともいう)、その他早馬町,・下垂町・鍛冶町などにもあった。 / 横町
浜松市史 ニ (町屋)

塩町(しおまち)・肴町(さかなまち) 町名の商人が居住し、本魚町はもと肴町があった町である。  ,大工町(だいくまち)・紺屋町(こうやまち)・鍛冶町(かじまち)・利町(とぎまち) 町名の職人が多く住み,、利町は研師の町であったという。  ,下垂町(しもだれちょう)・平田町(なめだちょう)・清水町(しみずまち) 下垂町は水のしたたれであろうし,新町(しんまち)・板屋町(いたやまち) 東海道往還の東端にできたのが新町と板屋町で、新町はもと、かや屋町 / 町屋
浜松市史 ニ (平町人)

平町人 つぎに平町人は借家人・借地人・店借人などで、本町人が屋敷の間口の間数に応じた地子(じし)・夫役,(ぶやく)を分担していたのに、その義務もなければ町政にあずかる権利もなかった。,各町に課せられていた夫役にはつぎのようなものがあった。 / 平町人
浜松市史 ニ (町役人)

町役人 【庄屋】町奉行の支配下に、各町の町役人(庄屋と年寄)があって町政を担当していた。,『遠州浜松各町書上』によって宝暦九年(一七五九)の浜松二十四か町の庄屋と年寄の人数をつぎに示そう。,(表)宝暦9年浜松の町役人 町名 庄屋数 年寄数 連尺 2 3 伝馬 2 6 旅籠 2 1 塩 2,2 早馬 1 1 下垂 2 1 池 1 2 鍛冶 1 1 平田 1 2 本魚 1 2 大工 1 2 利,1 2 紺屋 2 2 名残 1 2 清水 1 1 猿屋 1 1 計町数 36 49 24 / 町役人
佐久間町史 下巻 (佐久間町史 下巻 目次)

佐久間町史 下巻 / 目次 『佐久間町史 下巻』  佐久間町役場 昭和57年     序章   第一章,解決 1146 (1)水没補償 1146 (2)営業補償と感謝料 1161 (3)公共補償と水利権問題,)「町村合併促進法」の制定 1244 第二節 佐久間町誕生への歩み 1250 (1)合併序曲 水窪町,1320 (3)解村(町)式そして新しい町へ 1349 第四節 佐久間町の歩み 成立とその発展,)山や川の幸 1425 (ニ)調味料 1428 (2)服装からみたくらし 1429 (3)山を利用 / 佐久間町史 下巻 目次
引佐町史 下巻 (引佐町史 下巻 目次)

引佐町史 下巻 / (一)町村制の施行 305 1 金指町・井伊谷村・奥山村・伊平村・鎮玉村の成立 305 2 区・連合町村会,797 1 新制引佐町の課題と新野町政 797 2 「引佐町新町建設計画」の策定 802 3 高井町長,1 まちづくり懸賞論文とまちづくり 933 2 シェヘリス市との姉妹都市提携 934 (三)国土利用計画,1113 第十節 狩猟 1117 1 禁忌 1117 2 狩猟組織と捕獲儀礼 1118 3 猪の利用,と奥山半僧坊の門前町 1302 (一)宿場と門前町 1302 1 金指の町 1302 町並み 市神 / 引佐町史 下巻 目次
浜松市史 三 (中山町)

中山町 【分離問題】つぎに中山町の分離問題であるが、中山町は地籍整理によって東鴨江・三組(みくみ)・,利(とぎ)の各町の一部が合併して大正十四年五月新しく誕生した町であった。,そのため町名とか氏神の決定についても町内に意見の相違があり、昭和四年四月の役員改選にはこうしたことが表面化 / 中山町
浜松市史 三 (町民大会)

町民大会 わが国の勝利ということで日露戦争がすみポーツマス講和条約の内容が発表されると、各地に反対運動,として井上剛一が出席したが、地元でも沢田寧・高柳覚太郎・鈴木貫之・中村忠七らが中心となって九月六日に利町,の音羽座で講和反対の「浜松町民大会」を開き気勢をあげた。 / 町民大会
細江町史 通史編下 (細江町史 通史編 下 目次)

細江町史 通史編下 / 目次 『細江町史 通史編下』  細江町 平成4年     第1章  第2章  ,1節 細江町の沿革 3 1 明治のあけぼの 3 2 大正時代 13 3 昭和時代Ⅰ(町村合併前),19 4 昭和時代Ⅱ(町制施行以後) 28 5 戸籍の変遷 34 第2節 細江町の行政機構 38,339 13 細江町史料調査会 340 14 細江町姫街道歴史民俗資料館 340    第5章,11 白井 雄太郎 590 12 内山 梅代 591 13 名倉 祐太郎 591 14 樽井 利雄 / 細江町史 通史編 下 目次
引佐町史 上巻 (引佐町史 上巻 目次)

引佐町史 上巻 / 目次 『引佐町史 上巻』  引佐町 平成三年     総説   第一章  第二章,第九章  第十章   目次  ページ   画像  序 発刊によせて 凡例    総説 引佐町の,人口分布の特色 23 2 人口動態の地域的特色 26 (五)めぐまれた自然と産業 35 1 土地利用,発見された植物 120 2 珍しい植物 124 (四)町の花・町の木 135 (五)植物方言 137,兵藤市右衛門の賄役就任 1071 第三節 金指・井伊谷両近藤の米切手 1075 (一)金指近藤氏の利安 / 引佐町史 上巻 目次
浜松市史 ニ (町民の階層)

町民の階層 【本町人 平町人】町民は本町人と平町人の二階層にわかれていた。,本町人は本役と称し直接町政に参与する義務と権利とを持っていた。家をさして本役家ともいった。 / 町民の階層
浜松市史 五 ([勤労青少年のための福利厚生施設])

[勤労青少年のための福利厚生施設] 【福利厚生施設 浜松南部織物会館】  毎年、市外や県外からやってくる,浜松市域の中小企業で働く青少年の健全な育成と福祉の増進を目的に、市は産業界の協力を得て、昭和三十九年、亀山町の,には必要と考えられ、県は昭和四十三年六月上島町に浜松勤労青少年寮を完成させた。,昭和三十年代後半には国鉄浜松工場や遠州鉄道、浜松市営バスのような比較的大きな事業所はもちろん、海老塚町の,で働く女子従業員が働きながら高卒の資格を取ることが出来る昼間定時制の高校が浜松市と磐田市、浜名郡新居町に / [勤労青少年のための福利厚生施設]
浜松市史 ニ (職人町と屋敷)

このうち神明町には職人頭の家が三軒、紺屋町と大工町には二軒あり、家数からいうと大工町・紺屋町・鍛冶町・,平田町 2   高林村 1   利町 1   神明町 1   神明町 1   鍛冶町 10   天神町村,1   有下村 3  水役 5  本役素人 8  本役 4   利町 1 水役 19   北島村 2,連尺町 1   神明町 6   早馬町 1   板屋町 12  平田町 3   将監名村 1   紺屋町,  紺屋町 4   紺屋町 3  池町 1   伝馬町 1  瓦師頭 1   紺屋町 1   利町 / 職人町と屋敷
浜松市史 ニ (各町の長短)

各町の長短 町の長さが二百間以上あるのは伝馬町・田町・板屋町・新町の東海道通町道の四町で、板屋町の二百十四間,が最長、百間未満は旅籠町・塩町・成子坂町・上新町・神明町・早馬町・平田町・本魚町・大工町・利町・清水町,・猿屋町の十二か町で最短は猿屋町の四十三間である。 / 各町の長短
浜松市史 三 (中ノ町線)

中ノ町線 ②中ノ町線 浜名郡天神町村馬込と同郡中ノ町村萱場間を結ぶ五・二キロメートルで軌幅二フィート,東海道の路面の一部を利用して敷設された。,と中ノ町線は完全開通となった。  ,起点となった板屋町駅付近は田圃であったが、北田町新道もできて駅前通りに商店がならぶようになり、貨物営業,中ノ町線試乗の案内状 中ノ町線馬込川鉄橋 / 中ノ町線
浜松市史 ニ (町検地と町絵図)

町検地と町絵図 その後、天和二年(一六八二)に、時の城主青山和泉守忠雄は浜松の町検地を実施し、惣町屋敷,(表)浜松町数家数間尺表   町名 家数 通道の長(町間) 通筋(新町から七間町まで),545 20町 42間   裏町通 池 22 2 10   下垂 40 1 49,猿屋 3 1 5   榎 13 3 2   紺屋 64 2 53   利,24か町 1111軒 町地高587石7斗2升2合(「浜松町数村数家数田地高間尺之帳」『浜松市史史料編三 / 町検地と町絵図
浜松市史 ニ (各町の夫役)

【馬込橋役】馬込橋役 御役六町と成子坂・神明・板屋・新・早馬・下垂・池・鍛冶・本魚・利(とぎ)・紺屋・,【普請役】新道土橋並道普請役 伝馬・肴・神明・連尺・鍛冶・利・紺屋の七町。,【茶壺助役】茶壺通行助人足役 成子坂・神明・板屋・新・早馬・下垂・池・鍛冶・本魚・利・紺屋・名残の十二町,享保 5.3.28 (1720) 火元利町平六 〃 5.4.18   法林寺火事 〃 5.11.16,) 紺屋町より出火榎町・神明・田町・連尺・肴町・伝馬町後道におよぶ火元清水屋大安寺焼失(『旅籠町平右衛門記録 / 各町の夫役
浜松市史 五 ([公民館の設置と利用者の急増])

[公民館の設置と利用者の急増] 戦後の公民館については『浜松市史』四で触れたように、主として郊外の豊,浜名郡村櫛村には昭和二十七年、中ノ町村には同二十八年、引佐郡都田村には同二十九年に全国に誇り得る素晴らしい / [公民館の設置と利用者の急増]
浜松市史 一 (町人の意味)

町人の意味 この政策で自由都市ができたようだが、織豊政権になると、その権利はとりあげられる。,家康は浜松に入り、時をみて町奉行をおいたろう。  ,町人というのは、武士・僧侶よりほかの都市の住民のことである。,近世では農民は都市に住めないので、町人とは商工民のことである。   / 町人の意味
浜松市史 ニ (町道の変化)

町道の変化 つぎに町の長さを比較しよう。,寛文期において東海道通町道子二百四十二間、裏(脇)町通道千八百六十三間で合計三千百五間であったのに宝暦九年,には東海道通町道子四百二十一間、脇町通道子二百三十一間で合計二千六百五十二間となっている。,これを町別でみると減少のいちじるしいのは早馬町・池町・平田町・本魚町・大工町・利町・紺屋町・猿屋町などのおもに,これは寛文期において御役六町をはじめ東海道通町道がすでに固定化していたのに対し、脇町通道は町域に明確さを / 町道の変化
浜松市史 三 (政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝利)

政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝利 これに対し中村忠七一派は深く含むところがあり、三十七年町会議員半数改選,そのため町政研究会に属する議員候補者より落選者が続出し、政友会中村派の全盛時代を迎えたのであった。,【高柳覚太郎 井上剛一】なかでも同派の田中五郎七(浜松田町、嘉永五年十一月生、町会議員、昭和三年七月没,を開催し、その決議にもとづいて町当局との交渉開始となった。,の第六回半数改選は、いずれも政友会の圧倒的な勝利であった。 / 政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝利
浜松市史 一 (町の自治権)

町の自治権 【見付町のばあい】中世の町では、市民(町衆)の経済上の実力におされて、大名などは自治権を,見付では江戸時代でも自治の権利が認められていた。    ,、町名主を留任させた。,【連帯責任】町の警衛など警察権の一部は町民に与えられた。,そのかわり、町民は町内のことについて領主に責任をおう。 / 町の自治権
細江町史 通史編中 (細江町史 通史編 中 目次)

細江町史 通史編中 / 目次 『細江町史 通史編中』  細江町 平成12年     【第1編】  第1,菅沼家譜』の記述 111 11 白須賀城落城 113 12 三河の奥貴山冨賀寺 113 13 宇利の,11 将軍秀忠浜松で出生 261 12 西郷局と心造寺の鉄灯籠 263    第7章 吉川本町(,369 気賀町取捌定書 369 碇役之定 370 気賀町方覚書 373 油田への覚書 380,伝馬役 382 町役 382 働き人足 383 防災 385 年中行事 386 科人 390 / 細江町史 通史編 中 目次
浜松市史 三 (大字制度 新町名)

の各一部 新町 しんまち 町をつける 新 本馬込・田の一部 一部を松江・板屋・北寺島の各町へ編入 板屋町,尾張町 おわりちょう 改称 下垂 田・元城の各一部 一部を北田町へ編入 早馬町 はやうまちょう 町をつける,を元城・元目・山下・亀山の各町へ編入 紺屋町 こんやまち 〃 紺屋 高・利の各一部 一部を松江・北寺島,・松城の各町へ編入 利町 とぎまち 〃 利 栄の一部 一部を紺屋・中山の各町へ編入 大工町 だいくまち,利・元魚の各町へ編入 中山町 なかやまちょう 新設 利・東鴨江・三組の各一部 三組町 みくみちょう / 大字制度 新町名
浜松市史 ニ (肴町と歩役)

)町に移り、さらに慶長五年(一六〇〇)のころに「肴町」に引越した。,田町・旅籠町は往還筋にあり。旅宿が多く、肴町とならんで歩役百二十八人をつとめるようになった。,ところが、伝馬役町の利得に比較して歩役町の所得が少ないという不満が起こり、慶長七年には三町の者が駿府へ,【五町同役 御役町の確立】これが五町同役といわれるもので、御役町の確立である。,【伝馬町 塩町 肴町 田町 旅籠町】この裁断にしたがって五か町の庄屋たちは、つぎのような申し合わせを行 / 肴町と歩役
浜松市史 三 (伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂)

伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂 続いてメソジスト派の布教がはじまった。,大川は最初連尺町宿屋松浦屋に仮講義所を設けたが、伝馬町(宿屋大米屋の隣という)に移り、翌十七年六月伝導師結城無二三,【二十二年】こうして、カスキデーの尽力によって浜松伝馬町に教会堂の設立をみたのは明治二十二年であった。,繁華街にあったこの教会堂は各種の講演会場にしばしば利用された。 教会堂 / 伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂
浜松市史 三 (大きな町)

大きな町 百戸以上の町人町には伝馬町・田町・肴町・板屋町・新町・紺屋町があったが、この時代になると下垂町,(しもだれちょう)・元魚(もとうお)町の二町と三方原方面の発展につながる名残町が新しく加わっている(『,また侍屋敷町では高町・早馬・御組(おくみ)町(名残)が百戸以上となっている。  ,農 不詳 計 職 渡世 稼 農 その他 不詳 計 旧町人町 1 連尺町 2 67 69 2 2,6 6 48 22 14 5 3 92 21 利町 7 48 55 1 6 7 20 8 / 大きな町
浜松市史 ニ (無役町の人足割)

無役町の人足割 浜松宿では急な通行で助郷村へ触れ出す余裕のない場合には、宿の脇町などの無役町から助人足,この表をみると御役六町を除いた十八か町の無役町のうち十二か町となっている。  ,その後、文政九年(一八二六)に、無役町のうち下新町・成子坂町・神明町・板屋町にさらに七軒町・新町を加えて,(表)無役町の人足割 無役町 人足 早馬町 2 人 板屋町 16 本魚町 6 紺屋町 12 下新町,20 成子坂町 4 利町 6 名残町 8 鍛冶町 9 池町 4 神明町 6 下垂町 14 計12か町 / 無役町の人足割
浜松市史 一 (室町時代の徳政令)

室町時代の徳政令 鎌倉時代の永仁五年(一二九七)の徳政令は、御家人(ごけにん)の保護を目的として、幕府,室町時代の徳政令は民衆の要求におされて、しかたなく発令されたものである。,しかも質物をほとんど無償でとられた高利貸業者にとっては大きな損害である。 / 室町時代の徳政令
浜松市史 三 (各町消防組 連合消防組)

各町消防組 連合消防組 【七年十月】しかるに明治七年の小野組大火によって、各町は消防組設置の必要を感,じ、同年十月に新町・田町・肴町・連尺町・伝馬町・塩町・成子町・七軒町上新町・紺屋町・利町・大工町・元魚町,・下垂町・旅籠町の十四か町に消防組の結成をみた。,【出初式】明治十五年には天神町・神明町・池町・平田町・板屋町・早馬町・鍛冶町の七組を加え二十一組となって / 各町消防組 連合消防組
浜松市史 ニ (町民の生活)

町民の生活 このように町々はいずれも諸役を分担し、町奉行の支配のもとに統制のある生活をしていたのであるが,、つぎに当時の町民生活の一端を示す一、二を記す。  ,、本魚町一、旅籠町一、伝馬町一、連尺町一、上新町一、利町一、田町七、板屋町二、紺屋町三)の質屋があり、,、秋葉祭(当市三組町秋葉神社)は貞享二年(一六八五)の記録があり「此まつりは浜松町在々共ニおびたゞしく,御座候、浜松町立始り而之まつりニ御座候」(「旅籠町平右衛門記録」『浜松市史史料編一』)とある。 / 町民の生活
浜松市史 三 (浜松宿 三十二か町村独立)

の上に「浜松」の二字を冠し浜松何町または浜松何村と称することになり、元城町・常盤町・元名残町の連合と、,高町・三組町の連合とを除き他町村は各々独立戸長を置いて結局浜松宿は三十二か町村、二十九名の戸長及び役場,浜松32か町村時代戸長 (その他は不明) 浜松紺屋町 内田政治 浜松田町 小野江善八 〃利町 杉浦為次郎,〃高町 林勝昌 〃伝馬町 林弥十郎 〃鍛冶町 乗松甚十郎 〃平田町 松下茂平 〃松城町 山崎金重 〃,後道町 岡田安貞 〃元魚町 木村安次郎 / 浜松宿 三十二か町村独立
浜松市史 三 (町制施行 敷知郡浜松町 大字制度)

町制施行 敷知郡浜松町 大字制度 【二十二年】明治二十二年二月県令第十九号を以って、浜松町の区域・名称,なお、このとき敷知郡は浜松町をふくめ二十六か町村、長上(ながかみ)郡十五か村、引佐(いなさ)郡八か町村,(表)町村制施行当時の町村名(明治22年4月1日) 町村名 大字名 役場位置 敷知郡(26か町村),天神町 上中島 向宿 福地 馬込 佐藤一色 馬領家 塚越 名切(塚越・名切は長上郡より編入) 天神町,164 池 (いけ) 65 下垂 (しもだれ) 80 早馬 (はやうま) 38 常盤 (ときわ) 57 利 / 町制施行 敷知郡浜松町 大字制度
浜松市史 三 (浜松町農会 浜名郡農会)

浜松町農会 浜名郡農会 つぎに農会について述べよう。,浜松付近では、すでに町村単位の農会の前身ともみなすべき例えば神久呂の共救社、赤佐(明治十五年)・芳川(,ともいうべき西遠勧業会があったが、明治二十八年八月県会による農会規則が発布されると、翌二十九年七月浜松では浜松町農会,の発足となり、織田利三郎(安政四年生、南庄内村織田家に養子し、浜松田町で雑貨商を営む、華道の師匠、前田正名,そして三十三年政府による農会令施行によって、各町村のほとんどに農会の創立をみるにいたった(『浜名郡誌』 / 浜松町農会 浜名郡農会
潮かおる浜の里:わが町文化誌 (浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 目次)

潮かおる浜の里:わが町文化誌 / 『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 浜松市立新津公民館活動推進委員会 平成7年(1995,(一)海の底から陸上へ 6 (二)新津の里に人が住みついたころ 8 二 鎌倉・室町のころ,22 (二)堀江の大沢氏と倉松 24 (三)農村の苦しみ 26 (四)田尻湊の権利復活運動,)戦後の改革 55 (二)農地改革 56 (三)浜松市との合併 58 (四)新しい町(,(四)年中行事 109 (五)講 115 二 改善されたくらし 120 (一)便利なくらし / 浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 目次
台地と水と輝き:わが町文化誌 (浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)

台地と水と輝き:わが町文化誌 / (四)JAとぴあ浜松住吉支店(旧高台農協) 50 二 工業の移り変わり  52 (一)水車の利用,と普及  52 【水の落差を利用して 段子川 権現谷川 新川 四ツ池】 52 【水車の分布図 富塚村馬生区有文書, 職業取調書】 53 【水車の職業別利用 佐鳴湖 先駆者の苦労と活躍】 54 【取水水路図 安立製油所,浪曲大会  125 (三)その他の娯楽  126 【映画館高台銀座 板屋町 銀映座 住吉町】 126, 三方ケ原合戦】 168 【大山祇神社 和合町馬生】 169 【権現谷山神神社 和合町権現谷 片身 / 浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次
浜松市史 三 (中ノ町線笠井線の廃止)

中ノ町線笠井線の廃止 しかし自動車の発達により中ノ町線・宮口線・笠井線は廃止となった。  ,なかでも東海道の路面を利用して敷設された中ノ町線は沿線の住民より危険視されたばかりでなく、煤煙は非衛生視,されて、しばしば廃止運動が起きたので、大正十四年に中ノ町線とかねてから経営不振の笠井線とを鹿島線より分離,し、浜松軌道株式会社(社長金原明徳、昭和二年一月浜松・中ノ町間の電化を目的とし浜松電気鉄道株式会社と改称,そして昭和二年末から休業していた中ノ町線も四年六月には軌道自動車による再運転を開始した。 / 中ノ町線笠井線の廃止
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

学びの里祈りの丘:わが町文化誌 / 宿場町としての浜松 7 (一)にぎわう東海道 【宿場 表筋町 裏町通筋 横町】 7 【浜松名産,【町割 御役町 無役町 職人町】 12 (三)七地域に配備された武家屋敷 14 【秋葉町の奥平信昌, 秋葉神社 三組町】 17 (四)地の利を得た寺社の配備 18 四 新しい浜松の始まり 21 (,森下平太郎】 118 第四章 共に生きる喜び 121 一 人々の暮らし  122 (一)湧き水の利用,三 開運とご利益のお地蔵さま 241 (一)子育て地蔵 【菅原町】 241 (二)夢見地蔵 / 浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次
輝くいなほはたの音:わが町文化誌 (浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)

輝くいなほはたの音:わが町文化誌 / 15 【栄秀寺の大イチョウ 領家町】 16 【稲荷山の大松 飯田町】 17 二 あばれ天竜 18,中島町 北寺島町】 33 【五神渕と奥宮の大蛇 佐藤町 中島町】 34 四 川とともに生きる,と逆水門】 38 【渡船 金折町 老間町】 39 【鶴見橋と新貝橋】 40 【芳川に架かる橋 別久橋, 天神町村 飯田村】 73 【便利になった交通 乗合馬車 軽便中ノ町線 市営バス】 74 【運動場, 天神町】 132 【秋葉燈ろうの御利益】 134 【領家町の青年団】 135 【青年団の活躍  / 浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次
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