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浜松市史 三
(始審裁判所)
十七年五月庁舎を浜松
利町
(とぎまち)へ新築移転した。,また、このとき浜松治安裁判所も
利町
の新庁舎へ移った。,浜松の人々は、この二つをあわせて「
利町
の裁判所」と呼んだ。
浜松市史 ニ
(五社明神社)
五社明神社(当市
利町
、五社神社諏訪神社)創立年代不詳。,)秀忠が浜松に生まれると「台徳院殿依為御降誕所之神」(延宝三年棟札)として、天正八年七月常寒山(当市
利町
,杉山(当市
利町
、現在の市民会館の前)では延宝四年九月まで三年に一回ずつ能楽が行なわれ(『旅籠町平右衛門記録
浜松市史 三
(横町通)
【池町
利町
】しかし同じ横町でも池町や下垂町は職人町で、傘屋(二〇戸)左官(九戸)桶屋(八戸)や古着屋,が多く、元魚町・
利町
は大工・左官職の多い町であった。,また
利町
には劇場があった。
浜松市史 一
(当市内の徳川氏の氏神)
当市内
利町
(とぎまち)の五社神社がこれで、相殿(あいどの)には応神天皇と家康とをまつる。 ,市内
利町
に鎮座。
浜松市史 三
(県立浜松病院)
県立浜松病院 【
利町
】明治七年一月に県立浜松病院と改称し、四月には
利町
(二二番屋敷、現在の浜松市民会館
浜松市史 三
(五社と諏訪 井伊谷宮)
上知令とは神社の経済的基礎を失うことであり、ことに徳川家の庇護の厚かった五社神社と諏訪神社(いずれも浜松
利町
,諏訪神社(浜松市
利町
,現在市民会館敷地)
浜松市史 ニ
(職人町と屋敷)
鍛冶町 3 仕立屋頭 1 桶屋頭 1 素人役 29 平田町 2 高林村 1
利町
,1 鍛冶町 10 天神町村 1 有下村 3 水役 5 本役素人 8 本役 4
利町
,2 紺屋町 4 紺屋町 3 池町 1 伝馬町 1 瓦師頭 1 紺屋町 1
利町
浜松市史 ニ
(戸口の増減)
また五十軒未満が旅籠町・塩町・成子坂町・七軒町・神明町・早馬町・下垂町・池町・鍛冶町・平田町・本魚町・
利町
,・清水谷・猿屋町と十四か町だったのに旅籠町・成子坂町・上新町・神明町・池町・平田町・
利町
・清水町・猿屋町
浜松市史 ニ
(寺嶋八幡地の要求)
土地所有関係が複雑で寺社領があり、また浜松市中の旅籠町・新町・鍛冶町などの飛地もあるというわけで、当時庄屋は
利町
平六,農民は、
利町
平六らは水野家役人と同腹なりとして、満足な回答を得るまでは水野家の退去は許さぬと気勢をあげ
浜松市史 ニ
(各町の長短)
二百十四間が最長、百間未満は旅籠町・塩町・成子坂町・上新町・神明町・早馬町・平田町・本魚町・大工町・
利町
浜松市史 三
(救世軍)
三十三年松城に浜松美普(みふ)教会(メゾシスト・プロテスタント)、三十九年元魚に日本聖公会浜松講義所、四十二年
利町
浜松市史 三
(神社参拝)
【総社参列】浜松では大正十一年に
利町
の五社神社が市の総社と定まると、祭日の五月四日には全市小学校児童代表
浜松市史 ニ
(祭礼)
(田打) 賀久留神社 2. 14 (田遊) 子安神社(富田) 4. 16 五社神社(
利町
,) 5. 4 諏訪神社(
利町
) 5. 4 松尾神社(元魚町) 6. 15
浜松市史 ニ
(横町)
本魚町に松尾小路(松尾神社がある)、大工町に南小路(若宮八幡宮があるので若宮小路ともいう)・北小路、
利町
浜松市史 ニ
(町幅)
旅籠町・田町・七軒町・上新町・下垂町、三間未満は肴町・成子坂町・早馬町・鍛冶町・平田町・本魚町・大工町・
利町
浜松市史 三
(公衆便所)
名残町宗円堂地域内西北端、下池川町市役所水道課敷地東南端、元城校前、海老塚町南校の敷地外北角、鴨江町鴨江観音境内東側、
利町
市役所
浜松市史 三
(市民の集会場)
市民の集会場 これまで市民の集会場には、
利町
五社神社境内の演武館とか元城町の浜松報徳館などの建物を借用,するばかりで独立した会場がなかったが、市民の要望により昭和二年二月に始めて市立の公会堂が浜松
利町
の諏訪神社
浜松市史 三
(人力車)
大正四年には駅から市役所(
利町
)へ十銭内外、浜松中学校へ十六銭以内であった。
浜松市史 ニ
(城下の寺社地)
その外、寺社の配置については格別の特色をみとめがたいが、浜松城主に関係の深かった
利町
の五社と諏訪社について
浜松市史 ニ
(察元の来遊)
一七七一)正月、囲碁の家元本因坊九世察元(一七三三-一七八八)名人は、上洛の途中、浜松五社明神社(当市
利町
浜松市史 三
(神社の復活)
分器稲荷 金山神社】秋葉神社(三組町)に合祀された三社神社(鹿谷町)や分器稲荷(田町)、また五社神社(
利町
浜松市史 三
(史蹟指定)
また大正三年特別保護建造物として指定をうけた浜松
利町
の五社神社の修理が竣工したのは昭和十三年十二月であった
浜松市史 ニ
(町屋)
大工町(だいくまち)・紺屋町(こうやまち)・鍛冶町(かじまち)・
利町
(とぎまち) 町名の職人が多く住み,、
利町
は研師の町であったという。
浜松市史 三
(弔祭)
しては市長が葬儀委員長となり市主催の合同葬を浜松仏教会の奉仕により仏式で執行し、また年一回神式により市内
利町
五社神社
浜松市史 四
(柔道)
戦前に養神館という柔道場を持ち、柔道の普及に努めていた佐藤五八郎は、昭和二十九年三月十四日に
利町
の浜松市議事堂跡
浜松市史 ニ
(社領)
石高も徳川家から格別の優遇をうけた浜松
利町
(とぎまち)の五社明神・諏訪明神両社が各々三百石で計六百石、
浜松市史 四
([敗戦と神社])
五社神社(
利町
)・諏訪神社(
利町
)・県居神社(東伊場町)・松尾神社(元魚町)・秋葉神社(三組町)・東照宮
浜松市史 ニ
([神社の建築物と庭園])
[神社の建築物と庭園] 【五社 諏訪社】浜松地方の代表的な建造物に五社・諏訪社(当市
利町
)があげられる
浜松市史 三
(町民大会)
として井上剛一が出席したが、地元でも沢田寧・高柳覚太郎・鈴木貫之・中村忠七らが中心となって九月六日に
利町
浜松市史 四
([行政機関の復興])
仮庁舎は
利町
の諏訪神社東側の元の庁舎があった場所で、約二カ月の突貫工事で同年十一月上旬に完成、物資課と,をみたので鴨江町の中部配電から援護課、厚生課衛生係、社会係が、また、栄町の浜松銀行集会所から教育課が、
利町
浜松市史 三
(石川雅長 林鋼三郎)
弘化二年に江戸に生まれ三方原へ移住し浜松で琴の師匠をした朝岡福重(ひさ子、鴨江寺に碑)、明治十年に生まれ
利町
浜松市史 ニ
(町道の変化)
これを町別でみると減少のいちじるしいのは早馬町・池町・平田町・本魚町・大工町・
利町
・紺屋町・猿屋町などのおもに
浜松市史 四
([公営住宅])
(4) 126 0 130 23 名残町(110),和地山町(90) 寺脇町[転用住宅](4),
利町
,15),助信町(10), 上池川町(8),下池川町(10), 寺脇町(4),龍禅寺町(8),
利町
浜松市史 ニ
(諏訪明神社)
諏訪明神社 諏訪明神社(当市
利町
、五社神社諏訪神社)五社明神社の南隣にある。
浜松市史 三
(衛生組合)
衛生思想の普及向上もはかられ『衛生雑誌』(明治二十年一月第十四号現存)が岡部譲会長の遠江私立衛生会(浜松
利町
浜松市史 ニ
(無役町の人足割)
無役町 人足 早馬町 2 人 板屋町 16 本魚町 6 紺屋町 12 下新町 20 成子坂町 4
利町
浜松市史 三
(士族の配置)
明治三年六月に内野へ移住のため浜松入をした八王子千人同心衆の場合をみると、後道(うしろみち)(一軒)
利町
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
すると、いきなり市の南西方面(鴨江町いなんば山方面より栄町・
利町
)に火の手があがった。,浜松専売局支局 浜松憲兵分隊 松菱百貨店 浜松工業試験所 中部瓦斯株式会社 浜松図書館 社寺 学校
利町
五社神社,(国宝) 浜松工業専門学校
利町
諏訪神社(国宝) 県立浜松工業学校 県居神社 県立第二工業学校
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
(表)市役所 位置 市役所 位置 静岡県浜松市
利町
58番地 (表)制度 課名 係名,263 中島町 685 領家町 47 向宿町 227 名塚町 38 福地町 174 紺屋町 175
利町
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
声楽家 付属小学校】 53 【豊田耕児 ヴァイオリン奏者 元浜町】 54 【杵屋勝四久 邦楽家
利町
,楠田芳子 伝馬町 浜松工業学校】 70 【五十嵐狂虎 吉田天洋 弁士 伝馬町 吾妻座 太田畔三郎
利町
,地蔵】 201 二 神社仏閣・名所旧跡 203 (一)神 社 204 【五社神社 諏訪神社
利町
,野口町 浜松八幡宮 颯々松図証書 徳川秀忠公誕生の井戸 常盤町 西郷局】 229 【森暉昌屋敷跡
利町
,松山鐵男】 300 四 人々の楽しみ 301 (一)芝 居 301 【紺屋座 紺屋町 常盤座
利町
浜松市史 ニ
(紛争)
「乍恐以書附御嘆願奉申上候去ル五日凧揚之節、諏訪小路二而、伝馬町者ト町内之者共口論仕居候場所へ
利町
者立入
浜松市史 ニ
(天正の修築)
天正八年七月、五社大明神(当市
利町
)が「御城内ヨリ今ノ社地へ鎮座」(『浜松御在城記』)を命ぜられ、鍛冶職
浜松市史 三
(団体運動)
さらに十一年十一月二十三日には、西南戦争以来現在までの千四百余柱の静岡県西部共祭招魂祭が浜松
利町
五社神社境内
浜松市史 三
(各町消防組 連合消防組)
消防組設置の必要を感じ、同年十月に新町・田町・肴町・連尺町・伝馬町・塩町・成子町・七軒町上新町・紺屋町・
利町
浜松市史 三
(浜松宿 三十二か町村独立)
浜松32か町村時代戸長 (その他は不明) 浜松紺屋町 内田政治 浜松田町 小野江善八 〃
利町
杉浦為次郎
浜松市史 五
([結婚式の簡素化と豪華化のせめぎあい])
結婚式場大手の高町の出雲殿、
利町
の五宝閣、八幡町の浜松八幡宮などは年間六百組から八百組の挙式数であり、
浜松市史 ニ
(招魂社と上京隊員)
遠州報国隊記念碑(浜松市
利町
五社公園)
浜松市史 五
([戦後復興土地区画整理事業の完工])
完工を記念し、戦争の悲劇を後世に伝えようと、多くの資料を集めた浜松復興記念館が昭和六十三年八月十五日に
利町
浜松市史 三
(市立浜松図書館 夜間開館 展覧会)
浜松市立図書館(紺屋町所在当時) 浜松市公会堂(
利町
)
浜松市史 三
(神社仏閣)
五社神社(浜松市
利町
) 鴨江観音(浜松市鴨江4丁目)
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