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浜松市史 三
(松島十湖)
松島
十湖
幕末から明治へかけての俳人については『浜松市史二』に詳しいが、そのほかに沙羅庵如鐫(本名矢部清之,しかし、この時代に代表的俳人として浜松地方の俳壇に君臨したのは松島
十湖
であった。,【
十湖
発句集】句集に『
十湖
発句集』(明治十八年十一月静山堂、浜松山下仁平発兌)『
十湖
三百歌仙』『山月集,藤の花」(大正十三年建立、西来院)が有名である(牧田守弘『
十湖
翁句碑めぐり』)。,
十湖
句碑(八幡宮境内) / 松島
十湖
浜松市史 三
(松島十湖)
松島
十湖
松島
十湖
(大正十五年七月十日没、七十八歳、墓源長院)も天竜川の氾濫が生んだ報徳家であった。,はじめ吉平、のちに
十湖
と改名した。,後日になるが大正三年三月に
十湖
(六十五歳)・明善(八十三歳)は羽鳥の源長院で会談し和解している(源長院,【俳人
十湖
】
十湖
は俳人としても知られているが、俳諧の道にいそしむのは政治運動を離れてからである。,松島
十湖
/ 松島
十湖
浜松市史 三
(金原疏水財団 十湖の評)
金原疏水財団
十湖
の評 明治五年十月に明善が天竜川を西鹿島で締切りその水を分ち三方原より浜名湖へ落とす,しかし
十湖
などは、明善はその子明徳が後をつぐにたらないので養孫巳三郎に事業方面をゆだね、財団の設立は私産 / 金原疏水財団
十湖
の評
浜松市史 五
([法永寺の百句塚を守る])
この句碑群は日露戦争が終わった明治三十九年の六月、大木随處(ずいしょ)の発起、松島
十湖
の後援によって建立,昭和二十八年四月、松島
十湖
門人の高井春雄の尽力によって法永寺に移設されたものである。 ,【松島
十湖
】 なお、この笠井地区や長上地区の周辺には近世に建立された句碑や、松島
十湖
自身、あるいはその,【『
十湖
発句集』】 松島
十湖
とその門流が句碑を郷土の寺院等に建立した熱意は何か。,松島
十湖
関係の句碑については、松島勇平編集『
十湖
発句集』(平成三年十月刊)を参看されたい。
浜松市史 三
(つぎの結婚 地方廻り)
【松島
十湖
】この年の一月四日につぎが松島
十湖
(前述、浜名郡豊西村)の養女になっているところをみると、浜松町会議員,を勤めたことのあるつぎの父弥助がその先輩の政友松島
十湖
に事情を話し、
十湖
の養女とすることによって弥三郎
浜松市史 ニ
(天保年間の雪の県連)
【中善地
十湖
】とくに中善地(当市豊西町)松島
十湖
は晩年の門人であるが、明治・大正期にもっとも活躍している
浜松市史 ニ
(柳塚連)
【鼠来発句集】明治十九年俳友松島
十湖
はその句百余句を選んで『鼠来発句集』を出版した。,鹿年(村松半三郎、明治末年九十余歳で没)は都田第一の宗匠で和歌も嗜み、松島
十湖
と交友が深い。
浜松市史 三
(献納運動の強化)
十七年九月に、これと前後して高山仰止元城小学校校長・大賀辰太郎西小学校校長・宮本甚七(天林寺境内)・松島
十湖
浜松市史 五
([浜松文芸館の開館])
現浜松市立高等学校)の卒業証書、小説の原稿、作品の初版本、文学上の師であった島崎藤村や親交のあった川端康成、松島
十湖
,同館では、松島
十湖
、加藤雪膓、柳本城西、原田濱人、鷹野つぎ、相生垣瓜人、清水みのる、百合山羽公、藤枝静男
浜松市史 三
(治河協力社の経営困難 家財の献納)
【
十湖
の評】しかし、このような家財献納の方法などについても、売名的山師的なりとして松島
十湖
のようにこれを
浜松市史 三
(気賀林全盛時代 百里園風光)
稿を寄せるもの静岡県令大迫貞清、元浜松県令林厚徳、遠州中川村医員荻原定通、遠州医員高部春庵、松島
十湖
、
浜松市史 三
(大念仏復興 遠州大念仏団)
松島吉平(
十湖
)は引佐麁玉(いなさあらたま)郡長の当時、これを奨励し自らその歌詞を作ったと伝えられる。
浜松市史 三
(己卯社)
、近藤準平(天保十二年長上郡有玉村生、明治三十三年没、六十歳)・竹村太郎(敷知郡入野村)・松島吉平(
十湖
浜松市史 三
(渡船 船越一色村 天竜川船橋 天竜橋 船越一色村の困窮 池田橋 豊田橋 渡船場 掛塚橋)
また同年東岸の匂坂(さぎさか)中之郷村と西岸中善地村との間に松島吉平(
十湖
)らによって豊田橋(延長四三五間,、幅一〇尺)が完成している(『奇人俳人松島
十湖
』)。
浜松市史 三
(堀川鼠来)
【鼠来発句集 句碑】
十湖
が刊行した『鼠来発句集』(明治二十一年刊)があり、句碑「まとうつや秋をさたむる
東方見聞録:東区の文化誌
(東区役所まちづくり推進課東方見聞録編集委員会『東方見聞録:東区の文化誌』 目次)
天竜川の渡しと三つの橋 41 第9話 筏と帆掛け舟、プロペラ船 44 第10話 豊田川と水車、
十湖
池,の偉人編 119 第35話 暴れ天竜を治めた 金原明善 121 第36話 今芭蕉といわれた 松島
十湖
浜松市史 三
(近代俳句の芽生 渥味溪月)
【稲妻会】万斛の稲妻会は、大龍寺に下宿していた渥味渓月らの主唱によって三十二年九月「当地方は
十湖
宗匠初
浜松市史 四
(『浜松句碑めぐり』)
芭蕉・堀川鼠来・松島
十湖
・正岡子規・高浜虚子・河東碧梧桐・内藤鳴雪・中塚一碧楼・加藤雪膓・久野仙雨・雪中庵蓼太
浜松市史 三
([書籍の発刊と書籍店])
引佐麁玉有功者列伝 18.12 豊田郡中善地松島吉平著 静山堂 浜松地図 鼠来発句集 21.5 松島
十湖
選
浜松市史 三
(写真・図版目次)
城北三丁目) 一九七 浜松の商店(笠井屋 浜松町田) 二〇二 松島
十湖
, 三〇九 犬蓼 三一一
十湖
句碑
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
常楽寺】 208 【浜松八幡宮 八幡町 小沢渡許部神社 颯々の松 雲立の楠 源義家 徳川家康 松島
十湖
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