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浜松市史 四
([住宅建設])
昭和23年度 第1種 木造平家建瓦葺2戸建 200戸 10坪 2間 105,648円 和地山町90戸
名残町
,110戸 昭和24年度 第1種 木造平家建瓦葺1戸建 75戸 10坪 2間 165,492円
名残町
45,寺脇町4戸 昭和25年度 第1種 木造平家建瓦葺1戸建 70戸 10.5坪 3間 204,471円
名残町
,10戸 〃 第1種 鉄筋コンクリート造24戸建 48戸 12坪 3間 444,920円 松城町24戸
名残町
,24戸 〃 第1種 鉄筋コンクリート造4戸建 16戸 12坪 3間 424,071円
名残町
16戸 昭和
浜松市史 四
([公営住宅])
和地山町(108),助信町(10), 鴨江町(8)、龍禅寺町(4) 126 0 130 23
名残町
,和地山町(90) 寺脇町[転用住宅](4),利町 [付属住宅](1) 205 0 205 24
名残町
,45),東伊場町(15), 浅田町(15) 75 松城町(24) 24 99 25 上池川町(8),
名残町
,(60), 下池川町(10) 78
名残町
(32),松城町(24) 56 134 26 0 亀山町,(48) 48 48 計 和地山町(272),
名残町
(215), 鴨江町(62),東伊場町(15),
浜松市史 ニ
(町名の変化)
尾張町 榎町】町数は全部で二十四か町であることは変わりはないが、尾張町・榎町が姿を消し新しく上新町・
名残町
,上新町は宿の西はずれの東海道に、
名残町
は浜松より気賀に通ずる街道筋に添って発達した町である。
浜松市史 三
(木綿商人密集地域)
【
名残町
七軒町 板屋町 新町】そのうち①宿の北部の
名残町
に多いのは庄内地方の綿作地帯に、②七軒町・成子坂町方面
浜松市史 ニ
(名残口)
組屋敷から成る名残から
名残町
(現在鹿谷町)を経て三方原(みかたがはら)方面への通路で、二重の木戸があり
浜松市史 三
(横町通)
【
名残町
】
名残町
には傘・鍛冶・鋳物・水嚢(四戸)竹籠職などが住んでいた。
浜松市史 三
(竹下塾)
最初松城町(半僧坊裏)に、のちに
名残町
に移った。
浜松市史 四
(引揚者)
26年度引揚者住宅 小沢渡町 24 118 昭和27/3/31 『市勢要覧』昭和27年版 引揚者住宅
名残町
,16世帯57人)、 26年度住宅小沢渡町(24世帯118人) 28 5世帯 12人 27年度住宅
名残町
,(5世帯12人) *この人数は27年度開設の
名残町
住宅分のみか。,29 57世帯233人 鴨江町(26世帯112人)、小沢渡町(24世帯98人)、
名残町
(6世帯22人),中善地(1世帯2人) 30 59世帯242人 鴨江町(25世帯107人)、小沢渡町(25世帯105人)、
名残町
浜松市史 三
(浜松三戸長役場)
紺屋町外十一ケ町村戸長役場 浜松紺屋町 浜松連尺町 浜松利町 浜松肴町 浜松神明町 浜松元城町 浜松
名残町
, 浜松元
名残町
浜松高町 浜松三組町 浜松松城町 浜松沢村 以上十二ケ町村 戸長久保田轍
浜松市史 三
(寺島村 和地山)
464 4 8 5 浜松利町 61 206 2 8 4 浜松紺屋町 145 519 5 2 1 浜松
名残町
,135 565 6 7 9 浜松常盤町 早馬 121 470 10 3 3 分器 舟蔵 百軒 浜松元
名残町
浜松市史 三
(公衆便所)
名残町
宗円堂地域内西北端、下池川町市役所水道課敷地東南端、元城校前、海老塚町南校の敷地外北角、鴨江町鴨江観音境内東側
浜松市史 ニ
(町幅)
七軒町・上新町・下垂町、三間未満は肴町・成子坂町・早馬町・鍛冶町・平田町・本魚町・大工町・利町・紺屋町・
名残町
浜松市史 ニ
(真宗)
善正寺(紺屋町)
名残町
から移って善正寺と称したのは元亀二年という。
浜松市史 一
(原野と谷)
犀ヶ崖(浜松市布橋・
名残町
)
浜松市史 三
(大きな町)
があったが、この時代になると下垂町(しもだれちょう)・元魚(もとうお)町の二町と三方原方面の発展につながる
名残町
,48 22 紺屋町 21 121 142 21 21 50 47 11 9 4 121 23
名残町
浜松市史 三
(染織講習所 浜松工業学校)
人 人 人 人 総数 9 ― 200 84 4,386 2,984 1,402 県立浜松商業学校
名残町
,5 25 15 820 820 ― 県立浜松第二商業学校
名残町
4 21 4 183 183 ―
浜松市史 三
(金城学校)
15 ― 15 私立浜松栩木産婆学校 元城町 1 2 2 14 ― 14 私立浜松博愛看護婦学校
名残町
浜松市史 三
([洋画])
伊東弥恵治(当市
名残町
、千葉大学教授、昭和三十三年没、六十六歳)は浜松中学在学当時に浜松付近の風景を鉛筆
浜松市史 三
(新川橋)
四十四年十二月の架替落成式には
名残町
の田中新平家の三夫婦が渡り初めをしている。
浜松市史 一
(自然環境編)
一六 三方原東縁にみられる池(浜松市幸町四ツ池) 一九 犀ケ崖(浜松市布橋・
名残町
浜松市史 ニ
(無役町の人足割)
人足 早馬町 2 人 板屋町 16 本魚町 6 紺屋町 12 下新町 20 成子坂町 4 利町 6
名残町
浜松市史 三
(大念仏復興 遠州大念仏団)
その後大念仏は、各村が思い思いに行なっているにすぎなかったが、渡瀬茂三郎(
名残町
、現在鹿谷町)などの尽力
浜松市史 三
(浜松宿 三十二か町村独立)
をなして、その町村名の上に「浜松」の二字を冠し浜松何町または浜松何村と称することになり、元城町・常盤町・元
名残町
浜松市史 三
(浜松農蚕学校 遠江商業学校 興誠商業学校 第二商業学校)
)、市立浜松商業学校は十一年四月県移管となって静岡県立浜松商業学校と改称になった(昭和十一年十月には
名残町
浜松市史 三
(郷土研究出版物)
【川上秀治】また川上秀治(敷知郡天神町村上中島、現当市中島町生、当市
名残町
住)は『県居翁百五十年祭記録
浜松市史 三
(学校増加と教員不足)
浜松市内の師範学枚 校名 所在地 卒業年限 職員数 学級数 生徒数 総数 男 女 県立浜松師範学校
名残町
浜松市史 四
(浜松商店界連盟)
鍛冶町・板屋町・鴨江町・砂山町・常盤町・
名残町
・追分町・旅籠町・田町・肴町・千歳町 ・連尺町・高町・伝馬町
浜松市史 四
([罹災した寺院])
瑞生寺(東伊場町)、光雲寺(東伊場町)、円通寺(植松町)、本誠寺(富吉町)、教興寺(伝馬町)、松林寺(
名残町
浜松市史 ニ
(二筋の姫街道)
いずれにせよ、時代がくだるにつれ、見付宿から東海道を西進し、浜松宿大手門前で東海道と岐れ、さらに高町・
名残町
浜松市史 三
(浜松の名所)
浜松名勝古蹟 浜松古城趾 (元城町) 三方原古戦場 犀ケ崖 (
名残町
) 鎧懸松 (松城町) 雲立の楠
浜松市史 四
([商店街の誕生])
鍛冶町商店界 6 板屋町商店界 2 鴨江町商店界 1 砂山町商店界 3 常盤町商店界 2 東部商店界 3
名残町
商店界
浜松市史 四
([看護婦養成所の発足])
聖隷准看護婦養成所】 第一次世界大戦を契機に女子の職業的自覚と経済的独立を目指す職業教育の施設として、
名残町
,の開業医馬淵一貫、貞司父子によって
名残町
に浜松博愛看護婦学校が設立された。
浜松市史 五
([住居表示の実施])
上池川町は城北一・二丁目、布橋一丁目、和地山一丁目に、追分町は布橋一・二丁目、城北二・三丁目に、
名残町
,同四十三年に誕生した鹿谷町はこれまでの亀山町と
名残町
などを合わせてつくったため、これまた亀山・名残という
浜松市史 三
(連合制の発達 浜松宿二十六か町村連合会 地方自治制の出発 浜松宿議会)
選挙区 議員名 若森又次郎 (元魚町) 清水寅太郎 小西四郎 (神明町) 武田勘平 本田五十司 (
名残町
浜松市史 三
(被爆地域)
中島町浅野重工業会社工場より相生町鈴木織機工場方面③東伊場町浜松鉄道工場方面④上池川町・下池川町天林寺方面⑤
名残町
師範学校方面
浜松市史 三
(会社)
元城町 2(0) 池町 2(1) 尾張町 2(0) 元浜町 2(1) 紺屋町 2(1) 利町 2(0)
名残町
浜松市史 ニ
(町屋)
名残町
(なぐりまち)(名栗町とも書く) 姫街道のはずれに発達した町である。
浜松市史 五
(下水道)
この事業は昭和三十四年度から十カ年計画で始まり、区域は東は馬込川、西は
名残町
を起点に姫街道沿いの亀山町
浜松市史 ニ
(東海道往還通)
21 紺屋町 114 47 35 2 北113 2.5 袋町 馬 火 茶 南111 22
名残町
浜松市史 四
([子ども会])
昭和二十七年十一月に発足した
名残町
第二部会少年自治会の最大の特徴は「町内自治会、青年会と対等で町内のことを
浜松市史 三
(中心街板屋町 問屋街の形成)
紺屋町 142 1 1 1 3 1 5 6 4.2
名残町
浜松市史 四
([トラホームと市立診療所])
臨時市議会において昭和二十九年六月、市内東部・西部・北部の利便を図り、トラホーム専門の市立診療所を福地町・
名残町
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌
(浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)
鈴木一郎さんの話) 【年中行事と子供のあそび】 28 九、伊東弥恵治は名残で生まれました 【
名残町
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
155 栄町 224 中山町 291 三組町 402 高町 325 松城町 321 亀山町 281
名残町
浜松市史 四
([泉松山法林寺の復興])
同二十九年に大聖寺(板屋町)、同三十年に万福寺(野口町)、同三十一年に善正寺(紺屋町)、同三十二年に常住院(
名残町
浜松市史 ニ
(寺島八幡地の年貢)
田町 203 160 板屋町 63 56 新町 16 14 池町 28 1斗9升余 早馬町 37 3
名残町
浜松市史 四
([環境・食品衛生の徹底])
昭和三十二年には米津町中舟地区、同三十五年には
名残町
北・市野町東・吉野町・大久保町・小沢渡町・豊町上・
浜松市史 四
([浜松市母子の会による授産事業と市の授産所])
二十四年、働く未亡人にとって小さな子どもが足手まといになることから、子どもたちを預かる事業を
名残町
の宗円堂
浜松市史 四
(『浜松市戦災史資料』)
一貫堂病院(
名残町
)、堀野病院(元城町)、富田病院(千歳町)、谷口病院(板屋町)、園田病院(元目町)、
浜松市史 三
(時局教育 浜師時習寮 大久保教育)
16 浜松市鴨江国民学校 鴨江町 9 8 483 245 238 昭16 浜松市師範学校附属国民学校
名残町
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