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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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検索結果 : 145件
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浜松市史 三 (和地山)

和地山 【和地村共有地】浜名郡和地村外四か村地付字和地山(一、反別一二二一町二反七畝二六歩、内畑反別一,一、現今御料地に編入されている和地の御料林は往古から和地村共有の山林であったことは元文(一七三六‐一七四,山林は和地山として明治初年まで全く和地村の所有に帰した。,】ところが、明治五年、浜松県庁から「誰持」の名称のない土地はすべて官地にする旨の布達があり、役場で「和地村共有和地山,一、和地山が御料地に編入になったことは「全村ノ名誉ニシテ私共一同満足」すべきことであるとは思うが、当村 / 和地山
浜松市史 三 (寺島村 和地山)

寺島村 和地山 寺島村(全戸四五戸のうち三五戸が農)と寺島村八幡地(全戸二一戸のうち農一五戸、ここはのちに,砂山町の主体となったところである)はほとんどが農で、寺島村には水鉄砲職(一戸)があった。,また和地山(五六戸のうち士族四九戸)には江戸から移住の士族が住んでいた。  ,1 3 浜松鍛冶町 75 291 5 3 0 浜松平田町 平田町 93 338 4 0 1 平田村,27 115 47 9 5 浜松寺島村 46 230 24 2 9 浜松八幡地村 29 126 20 / 寺島村 和地山
浜松市史 三 (浜松和地山戸長役場)

浜松和地山戸長役場 このとき浜松宿は和地山村と連合し、浜松宿和地山村戸長役場を置き、堀口勘蔵が選ばれてその,和地山は和地村が管理していたためにその名があったが、明治初期士族の移住によって発達した新開地で、村名を / 浜松和地山戸長役場
浜松市史 ニ (和地村牧田家)

和地村牧田家 牧田家に遣る文書によると、同家は当時多くの水車を経営して粉ひきのほかに各地から菜種・綿実,【笠井地方】第二に三方原の林野を越えて笠井市とその周辺の村々との交流も密接であった。,の砂洲地帯(舞坂・宇布見・若林村方面)の綿実・菜種(2)庄内の台地(大山・堀江・村櫛村方面)の綿実・大豆,これらの村々はそのかわりに牧田家から油を購入している。,農村における金肥の普及を思わせる。   / 和地村牧田家
和の里今むかし:わが町文化誌 (浜松市立和地公民館『和の里今むかし:わが町文化誌』 目次)

目次 『和の里今むかし:わが町文化誌』  浜松市立和地公民館 平成12年(2000年),目   次 ページ 画像 目次 まえがき 1 和地地区のこのごろ 1 和地地区のあらまし,2 2 てくてく和地町 3 3 てくてく大山町 31 4 てくてく和光町 57 5 てくてく,湖東町 81 6 花川をさかのぼる 109 2 大昔から今まで 1 和地と周辺の大昔のようす,120 2 奈良・平安時代の和治(和地) 127 3 中世の和地―村櫛荘と大山寺  129 4  / 浜松市立和地公民館『和の里今むかし:わが町文化誌』 目次
浜松市史 三 (富塚村)

富塚村 富塚村は明治二十二年四月一日町村制施行によって富塚(富塚村・小薮村の二か村が合併して成立)・,和合(馬生村・馬船村・寸田ヶ谷村・富新屋村・不遣村の五か村が合併して成立)・和地山(村名を公称としたのは,明治以後)・両追分(西追分村・東追分村の二か村が合併して成立)・浜松沢(沢村と称した)の五か村を大字として,自治村となった。,戸数一二二、人口六一〇)・浜松沢(地積五五町歩、戸数七五、人口三七五)・和地山及び和合の一部分(地積一八四町歩 / 富塚村
浜松市史 三 (蒲村)

蒲村 蒲村は町村制施行により神立・将監・西塚・丸塚・上新屋・上西(明治二十年七月上之郷村・西在所村が,昭和十四年七月一日全村が浜松市へ編入されて蒲村の名称はなくなった。  ,(表)町村合併表 順位 合併年月日 町村名 大字名 1 大正元.10.1 富塚村のうち 両追分 和地山,上池川 3 〃10.4.1 天神町村のうち 馬込(北馬込) 天神町村 天神町 上中島 向宿 馬込(木戸,富塚 和合 段子川 白脇村 寺脇 福塚 中田島 白羽 瓜内 三島 楊子 蒲村 神立 将監名 西塚 上西 / 蒲村
浜松市史 三 (浜名湖高潮)

浜名湖高潮 大正元年九月二十二日 浜名湖高潮・浸潮区域、和地・佐浜・伊左地・大人見・古人見・白洲・平松,大正七年九月二十四日 和地村では浸潮区域二十三町歩、浜名湖の高潮(海嘯)は老人さえも五十年来という七尺,に達した(『和地村沿革誌』)。
浜松市史 四 ([町村合併の推進])

十五カ町村とは芳川・飯田・和田・長上・三方原・可美・入野・吉野・和地・神久呂・中ノ町・伊佐見・篠原・舞阪,の三村に加え、和地村と伊佐見村も加わった合併促進研究会が南庄内公民館で開かれた。, *以上の十カ村は浜松市へ編入 △南庄内村 北庄内村 村櫛村 和地村 伊佐見村  *五カ村合併,  【和地村 伊佐見村】  当初は庄内三村と伊佐見村との五カ村合併を考えていた和地村では,の時点では和地村との合併は困難とした。 / [町村合併の推進]
浜松市史 一 (大山寺)

大山寺 【村櫛庄 和地村 永憲】旧和地村(当市大山町)の大山寺は、真言宗の名刹として、信仰と研学の一中心,                   金剛仏子玄覚 三七歳云々、    交合畢、   于時元弘二年壬申正月十日、於遠州村櫛庄和地村御坊,元弘二年(一三三二)正月十日に、永憲が遠州村櫛荘和地村御坊すなわち大山寺で「権大僧都の本」を受けて〓法密記,大山寺旧跡(浜松市大山町) 〓法密記奥書部分 村櫛庄和地村御坊永憲書写(横浜市 金沢文庫蔵)
浜松市史 五 ([湖東村の合併])

[湖東村の合併] 【湖東村】  『浜松市史』四 第三章で述べたように、浜名郡和地村と伊佐見村は浜松市,新村名は公募し、その中より合併促進協議会で湖東・東庄内・浜西の三村名を選び、知事に一任したところ、湖東村,新村建設に向けて各種事業が進展する中、昭和三十五年三月になって湖東村の村長と議長が浜松市役所を訪れ、浜松市,しかし、庄内村は合併に向けた村内の世論調整に手間取るとの観測から五月に至って湖東一村に絞り、合併に向けた,こうして、昭和三十一年(一九五六)九月三十日に旧和地・伊佐見の両村の合併で発足した湖東村は丸四年の村政 / [湖東村の合併]
浜松市史 三 (伊左地川)

伊左地川 【紡績】伊左地川・花川流域 伊佐見村谷上では山下金三郎が水車を動力にして紡績をはじめ、生産額一日,に約五貫だったという(『伊佐見村誌』)。,また和地村では花川の水車で米をついたという(『和地村誌』)。
浜松市史 ニ (元和の野論)

〇)中泉代官所(天領)の奉行中野七蔵が遠江の知行割をしたとき、三方原に野米二十七石を課しこれを地元の和地,和地村は浜松領、祝田・都田両村は井伊谷近藤領であったからである。,そこで地元村では、従前からの入会村百三十余か村に対し山札を発行し札米を徴収しようとした。,そこで浜松領主高力摂津守は一旦課した野米を消滅してはならないとして幕府に乞うてこれを高に結び、和地村の,このようにして原野はのちに境界が定められて入会地となるのであるが、林地は和地山・祝田山・都田山等となるので
浜松市史 三 (庄内街道)

庄内街道 ⑤庄内街道 村櫛街道ともいった。,いわゆる浜松都筑線といい富塚・伊左地・和地・北庄内村へ至る道路で、道幅がせまいばかりか三方原丘陵の周辺,【三十六年】明治三十三年浜松町ほか五か村が組合会を組織し改修工事を行ない三十六年竣工した(『和地村誌』,富塚村に朝日橋・弥生橋ができたのもこのときであった(『富塚村沿革誌』)。
浜松市史 三 (真宗謝恩会)

真宗謝恩会 布教活動では明治の末に、和地村を中心とした真言宗信仰者によって組織された真宗謝徳会は庄内地方,『東西本願寺御歴代記全』(編集和地 中村作太郎・堀江 高柳和三郎)は明治四十三年七月同会によって発刊され
浜松市史 一 (村櫛荘)

村櫛荘 【領家氏 村櫛氏 今川領 大沢氏】村櫛荘 玉子郷と領家方がある。領家という豪族もいた。,室町時代のはじめに村櫛荘本家年貢を押領したのは、和地・伊左地を吉良氏の代官、西郷分を肥田兵庫允、領家方半済分,を代官の安西中務丞・高橋太郎左衛門尉・後藤次郎左衛門尉・深谷某であり、さらに村櫛九郎があり、なお惣代官,すでに村櫛荘は解体し、その土地は今川氏の領土になっている。,天文四年五月、氏輝は村櫛荘領家方と尾奈郷の棟別銭を免除し、警戒をきびしくさせる。 / 村櫛荘
浜松市史 四 ([村立幼稚園の開園])

[村立幼稚園の開園] 【幼稚園】  市内外に幼稚園の設置が進み、特に周辺部の町村で公立幼稚園が誕生,同年五月には吉野村に吉野幼稚園、二十九年五月に三方原村に三方原幼稚園、積志村に積志東と積志西の二幼稚園,伊佐見村の場合は昭和二十七年四月に伊左地の清水貫一が個人経営でいさみ幼稚園を開設、その後村当局から公立,に移管したいとの要請を受け、二十九年に村立の伊左地隣保保育園となり、翌三十年四月に伊佐見村立伊左地幼稚園,和地村では昭和三十年四月に明徳寺に私立の和地幼稚園が設立されたが、これは後に湖東村に移管される。 / [村立幼稚園の開園]
台地と水と輝き:わが町文化誌 (浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)

大柴原 和地山本区 中村慶重】 18 【幸 曳馬村 高林 島之郷 上島 一本杉 大芝原 曳馬町 和地山区,内山家所蔵文書】 24 【和地山 和地村 入会山 徳川家康 御馬場 歩兵第六十七連隊 練兵場 市営住宅, 和地山神社 身代わりの松】 164 【幸神明神社 幸三丁目 和泉神社 泉二丁目 白山神社 乃木神社, 和地山三丁目】 171 (二)寺院  172 【真道山大聖寺 幸四丁目 天林寺 板屋町 林泉寺 , 和地山三丁目 歩兵第六十七連隊 高射砲第一連隊 行幸 親閲の記念碑 凧揚げ】 181 【高台の坂道
浜松市史 三 (郷学校)

【内野】内野郷学校は明治三年内野村に同村外十一か村を範囲として創立、旧幕臣岩月鑑吉が教えた(『浜北のあゆみ,●渡辺宗蔵 〃 浜松名残 ●石川黙翁 〃 浜松文喜 ●田中久太郎 〃 浜松文喜 ●鈴木半蔵 〃 浜松和地山,●佐野直吉 〃 浜松和地山 ●滝本直次郎 浜松和地山 ●滝本たけ 龍禅寺村 ●大石福太郎 浅田村,,花 下堀村 片岡伊六郎 漢学 神ヶ谷村 宮下竜軒 大久保村 馬渕綾左衛門 算筆,花,弓 大久保村,次代馬儀作 〃 志都呂村 高部千別 〃 和地村 牧田伊兵衛 漢学,剣術 呉松村 宮本岩根 村櫛村 袴田巽
浜松市史 三 (浜松宿 三十二か町村独立)

浜松宿 三十二か町村独立 【十五年九月】右の願いに対し、明治十五年(一八八二)九月十三日許可の指令があり,、各町村分立して大区小区以前の行政に復した。,【二十九戸長役場】ここに於て和地山村との連合は解かれ、浜松宿三十二か町村各独立の姿をなして、その町村名,の上に「浜松」の二字を冠し浜松何町または浜松何村と称することになり、元城町・常盤町・元名残町の連合と、,高町・三組町の連合とを除き他町村は各々独立戸長を置いて結局浜松宿は三十二か町村、二十九名の戸長及び役場 / 浜松宿 三十二か町村独立
浜松市史 一 (村櫛荘)

村櫛荘 【伊佐知郷】村櫛荘 市内、旧庄内村を中心とし旧湖東村伊左地・和地(永正十六年正月十一日今川氏親判物,【村櫛荘の開発】村櫛荘も開発した豪族が寄付して最勝光院領になったと思われる。,村櫛荘の年貢は米百石と綾被物一重(あやのかずけものひとかさね)であるが、正中元年ころには、六十石となっている,村櫛荘が、東寺に寄進されるまでは、後宇多上皇などの本家と陸奥守重時などの領家があった(『東寺百合文書』 / 村櫛荘
浜松市史 ニ (白輅)

天明六年六月田中約我に、寛政十年正月和地村(当市和地町)の自笑庵橋夢(牧田伊兵衛)に連歌の秘伝を記した,【白烏】明和・安永年間(一七六四-一七八〇)には遠江各地に佐久間柳居系の同好者があり、金谷の西村白烏(,浜松薬師の一和、松嶋の白兎も柳居の高弟古川太蕪の門人であろう(村田長兵衛「煙霞綺談の著者西村白烏」『静岡県郷土研究
浜松市史 三 (茶業組合 共同組合)

功労者に気賀林・横田保をはじめ前記樋口林治郎・織田利三郎(浜松田町)・中村吉太郎(和地村和地)などがあった,0.5 市野村 4.0 積志村 7.0 笠井町 1.0 北浜村 7.0 小野口村 10.0 赤佐村,23.0 中瀬村 0.5 豊西村 0.2 中ノ町村 0.3 曳馬村 28.0 三方原村 90.0 白脇村,1.1 可美村 0.5 新津村 0.1 篠原村 0.2 吉津村 0.1 新所村 0.7 知波田村 1.0,入出村 0.3 和地村 13.0 吉野村 14.5 雄踏村 0.9 神久呂村 34.5 伊佐見村 15.5
浜松市史 ニ (助郷村の困窮)

・渋河村・別所村・田沢村・伊平村・川名村・滝沢村・鷲沢村・三嶽村・黒渕村・白岩村・栃窪村・田畑村・狩宿村,・谷沢村・黒田村・的場村・金指村・瀬戸村・石岡村・井伊谷村・神宮寺村・横尾村・奥山村・小野村・広岡村・,大谷村 敷智 都筑村・佐浜村・和地村・西大山村・東大山村・佐久米村・大崎村・津々崎村・野地村・只木村・,摩訶耶村・伊佐地村・大人見村 長上 松嶋村・下前嶋村・富屋舗村・西村・油一色村・北嶋村・打上村 三州八名,吉川村ほか15か村 三州宝飯 江村ほか1か村 三州設楽 石田村ほか9か村 計 104か村 / 助郷村の困窮
浜松市史 三 (町制施行 敷知郡浜松町 大字制度)

(表)町村制施行当時の町村名(明治22年4月1日) 町村名 大字名 役場位置 敷知郡(26か町村), 篠原村 馬郡 坪井 篠原 篠原  舞坂町 舞坂 長十受新田 舞坂  和地村 和地 東大山 西大山,和地  須ノ木沢村 須ノ木沢 段子川 (明24.7.16吉野村と改称) 和地  北庄内村 堀江 深萩 ,白洲 呉松 平松 白洲  南庄内村 和田 庄内内山 協和 庄内内山  村櫛村 村櫛 村櫛  雄踏村 宇布見,伊左地  入野村 入野 西鴨江 高塚 入野  富塚村 富塚 和合 西追分 和地山 浜松沢 (浜松沢は浜松宿
浜松市史 ニ (検地の実施)

和地・宇布見 遠州総検地 11 安間新田   16 北嶋・安間新田・大窪(大久保)・貴平 &,  検地条例(幕府) 5 安間新田 新田検地 承応2 馬込・早出・恒武・笠井・新津・有玉・和地,7 福嶋・中田・松小池・松嶋   8 西在所・上ノ郷・西塚・佐藤 新田のみ(前半) 9 和地,・中野嶋・蝋燭・上嶋・上小嶋・新 (中瀬以下)   野・三家・上神増   12 和地,新田のみ 延宝元 永嶋・三家 〃〃 2 恒武 〃〃 3 薬師・有玉下・伊場   4 橋羽・和地
浜松市史 四 ([公立私立の保育園の増設])

都市部の工場や商店の多い地域だけではなく、農村部でも増加している(表3-37)。,これまで農村部では季節託児所が各地で設けられていたが、これは保育園の設置により徐々に減っていった。,農村部  24 海老塚保育園(海老塚町) 25 26 馬込保育園(馬込町) 27,浜松児童福祉園(和地山町) 和光保育園(和地村) 瑞雲保育所(佐藤町) 28 鴨江保育園(鴨江町,) 中ノ町保育園(中ノ町村) 新津保育所(新橋町) 神田原保育園(神久呂村) 29 吉野保育園(吉野村
浜松市史 四 ([市営バスの発展・充実期])

への連絡の便を図るため、昭和二十九年三月に、市役所北廻線と市役所南廻線の二路線の運行を開始したほか、町村合併,市営バス路線図 出典:『広報はままつ』昭和28年3月15日号   【車庫・事務所の和地山移転,こうしたなか、上池川町の車庫や事務所が手狭になったため、三十一年十二月二十六日に和地山町に車庫や事務所,図3-49 和地山車庫   【経営内容の悪化】  しかし、路線バスの事業区域が市内
浜松市史 三 (村櫛村勝訴 採藻場境界の確立 和解内容)

村櫛村勝訴 採藻場境界の確立 和解内容 【十六年】こうして明治十四年六月にはじまった訴訟の結果、村櫛村,【三十六年】境界案は関係町村長が作製して提示、各町村ほとんど異議なく、はじめ原案に難色を示した和地村と,伊佐見村も同年十二月には賛同したが、雄踏村と村櫛村とは両者意見を固執してゆずらず浜名郡長・浜松警察署長,とし、それ以西をもって村櫛村の採藻場とする。,②村櫛村に属する採藻場の中の湖面反別二十町歩は、篠原村が貸与料を出して村櫛村より貸与をうける。 / 村櫛村勝訴 採藻場境界の確立 和解内容
浜松市史 三 (浜松宿)

浜松宿は①旧侍屋敷(一九)と旧町人町(二五)より成る旧地域と②明治になって宿へ編入された新地域(寺島村・,八幡地・和地山村)から成立しており、全戸数二千九百九十戸、そのうち旧地域は二千八百六十八戸であった。
浜松市史 三 (作業経過 等級制)

等級は土地一筆ごとに村内・小区内・大区内・遠州一国内と順次(聯環)に比較して決定された。,浜松県第一大区十六小区(10か村)田畑等級表 (浜松市和地『中村家文書』) 村名 田 畑 区内協議,による等級 十六小区 内の村位 等級 気賀出張 所管内村 位等級 備考 収穫平均 反米 収穫平均, 升 石 斗 升 円 呉松 1 4 0 1 6 0 上の上等 中 等 一 等 一 等 50 和地
浜松市史 ニ (運輸方法)

【馬 舟運】牧田家のある和地村は浜名湖と三方原林野とにはさまれた谷あいにあって、笠井・浜松方面へは馬で
浜松市史 ニ (領国経営の方針)

五か国総検地とほぼ並行して家康は諸郷村に七か条の定書を下付した。  ,十八年二月まで、頒布された地域はほぼ五か国にわたるが、残存状態としては駿河六十通、遠江六十四通が多い(中村孝也,【和地村】つぎに敷智郡和地村(当市和地町)に伝存された七か条定書を引いてみよう。  ,   天正十七己丑年        八月廿四日     倉橋長右衛門 花押」   みたけ村検地帳,の一部分 徳川家七か条定書(和地村旧蔵 浜松市立郷土博物館蔵) 気賀村検地帳の一部分
浜松市史 三 (報徳家)

三遠農学社に入り、村に報徳社を創め、養蚕の私立伝習所を開く。③三輪孫平 芳川村都盛。,④鈴木勝十郎(文久三年生)飯田村上飯田。飯田村報徳社々長。教員。明治二十二年同村々長。,村社周囲の荒地に松杉の植樹。⑧宮本良作(大正九年没、六十五歳、大正十二年頌徳碑建立)和地村。,【中村陸平】そのほかに⑨富田林太郎は都田村谷上、⑩杉浦勘三郎は領家、⑪中村陸平は天神町、⑫杉浦藤一郎は,は老間(天竜川堤防修築、大正四年頌徳碑建立)などがあった(呉松鹿島神社境内には明治二十七年四月、和地・
浜松市史 三 (煙草)

品種は明治十五、六年のころ龍池村永島(現浜北市)の伊藤喜重によって知られた永島種が一般に耕地されたが、,二十九年葉煙草専売法公布されると耕作者が増加して各町村に普及し、なかでも芳川・河輪・北浜・龍池の各村が,和地村には煙草の集荷所があった。,二四二頁表は天王村・篠原村の農業生産の推移である(『大正二年各村誌』)。
浜松市史 三 (浜松地方決戦作戦 軍民一体の撃退訓練)

そして食糧を補うための農耕部隊(赤佐村、現浜北市)も駐屯していた。,15 昭和 16 昭和 17 昭和 18 昭和 19 昭和 20 高射砲第1連隊 浜松市和地山町,連隊 浜松市葵町 ○ 飛行第1連隊 同 ○ ○ ○ 中部第72部隊 浜松市和地山町,○ ○ 中部第94部隊 浜松市葵町 ○ ○ 千葉防空学校浜松分教場 浜松市和地山町,○ 浜松飛行学校 浜名郡神久呂村 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 三方原飛行部隊 浜名郡三方原村
浜松市史 三 (山林原野等)

明治八年改租の際に民有の証拠不明との理由で官有地第三種に繰り入れられたが、その後一部は旧によって入会村(,御料地】ところが二十二年九月、何れも御料地に編入され帝室財産となり、ついで拝借も停められたので、入会村は,明治三十一年頃と推定される和地村の静岡県知事宛の請願書(浜松市和地『中村家文書』)の要旨を次に紹介して
浜松市史 ニ (在郷商人の台頭)

在郷商人の台頭 和地村の牧田太兵衛家(初代太兵衛は天明三年死去)は農業のかたわら商取引(棒手ふり)に
浜松市史 ニ (黙之助と植物仕法)

黙之助と植物仕法 岡村黙之助はすでに安政二年(一八五五)九月「御為筋申上げ覚書」(『岡村父祖水蹟』),植物仕法は岡村のいう樹芸が実現された一つの姿であるといってよいであろう。  ,【楮・三椏】『岡村父祖事蹟』によれば岡村黙之助は養蚕を盛んにするため、良種の桑樹数万株を陸奥・出羽などから,【和地村 島の郷 四ツ池】黙之助は安政二年のころ率先して和地村の原野五十町、島の郷字四ツ池の二十余町の,【三方原】このような記述を考慮にいれると、岡村が建白書を提出した安政二年のころ、岡村による三方原の開拓植樹
浜松市史 三 (銀行類似会社の全盛)

の全盛 【十二年 笠井銀行】以上は浜松における銀行類似会社であるが、浜松付近でも明治十一年一月には和地村,に隆永社、十二年九月舞坂宿に荷質社、十四年三月に笠井村に笠井銀行、同年八月に掛塚村に掛塚銀行、十五年市野村,に消海社、十六年一月貴布祢村に永世社、同年龍禅寺に共栄社の設立をみて、その流行は目を見張るものがあった
浜松市史 ニ (庄内地方の藻刈)

庄内地方の藻刈 東海別二十七か村のうち、小人見・大人見・伊左地・佐浜・和地・平松・白須・神田・村櫛などの,諸村は赤地や痩地のため藻を刈って耕地を養っていたことは『遠江国風土記伝』に説くとおりであるが、ことに庄内地方,は浜名湖畔で藻草利用がもっともさかんなところで、しばしば藻草取場の採藻権紛争が関係村々(主として大沢領,ここで藻草の村ともいうべき村櫛村の場合を『村櫛区有文書』によって述べることにする。
浜松市史 四 ([青年学級の開設])

  【和地村青年学級】  浜名郡和地村の青年学級は昭和二十五年に誕生し、活発な活動をしていたので,このころ、和地村の中学校卒業者のうち、進学は約三十三%、就職が四十一%、残りの二十六%が家事従事であった,和地村青年学級の具体的目標は、理想の郷土を建設するため情熱を傾ける、陋習(ろうしゅう)「を打破し、民主社会,表3-10 和地村青年学級の教科課程表 出典:『青年学級のあゆみ』   【入野村青年学級,農村建設に努めていったことは注目に値する。
浜松市史 三 (丸山教)

にかけて遠州地方(豊田・敷知・引佐郡)に教線を伸ばし、明治十七年には庄内地方一帯に深く浸透し、ついに村櫛村,家業を怠る者さえ現われ、警察がこれを尋問し先達十余名を抱留するという事態が起こり、そればかりか近隣の村々,【和地】そして同年十一月には、村櫛呉松地区の信者たちの集会を抑圧しようとした和地の戸長役場との間に騒擾,①庄内地方の村々に流行する丸山講(丸山教)の信徒は近頃盛んになった借金党と同じような動きを示し「其筋にても
浜松市史 一 ([自然の制約])

その間、浜名郡の篠原村(九・四一平方キロ)・湖東村(二〇・五平方キロ、旧和地村・旧伊佐見村)・積志村(,一三・六五平方キロ)・入野村(九・二〇平方キロ)・庄内村(一七・六四平方キロ、旧北庄内村・旧南庄内村・,旧村櫛村)が編入されたのである。,それよりも以前に神久呂村(一四・四〇平方キロ)や引佐郡都田村(二九・二三平方キロ)が合併されていた。
浜松市史 ニ (鹿島祭)

氏子十五か村(村櫛・内山・西村・神田・平松・西大山・東大山・谷上・伊左地・堀江・細田・白須・和地・佐浜
浜松市史 三 (明治初期の漁業税)

遠州灘沿岸漁業税 西島村 8円 松島村 9 福島村 3 江ノ島村 11 平左衛門新田 1 弥助新田 3,掛塚村 30 大柳村 4 鼠野村 2 御給村 1 四本松村 1 三新村 1 瓜内村 1 寺脇村 2,中田島村 19 白羽村 11 田尻村 2 新橋村 4 米津村 8 堤村 1 倉松村 12 小沢渡村 5,舞坂宿 136 馬郡村 21 坪井村 12 篠原村 19 浜名湖東岸漁業税 佐浜村 23 和地村 22,呉松村 6 平松村 8 伊左地村 2 村櫛村 42 白洲村 33 協和村 4 堀江村 12 内山村
浜松市史 三 (浜松行幸 浜松市の賑わい)

この間に浜松市長中村陸平は浜松市の市勢一般について奏上申しあげた。,【親閲式】ついで午後三時からご親閲が高射砲第一聯隊練兵場(和地山)において行なわれた。,奉迎歌を玉座に立って一々ご答礼になり、やがておこる君が代の合唱と聖寿をことほぐ万歳のうちに式は終った(和地山公園
浜松市史 三 (馬車鉄道)

①西遠馬車鉄道株式会社 明治三十年二月川口栄三郎らによって計画され、引佐郡気賀町から中川・和地・三方原,・吉野・曳馬村を経由して浜松にいたる(一〇マイル)案として、浜松町会へ道路使用願まで出したが立ち消えとなった,②浜松・二俣間馬車鉄道会社(仮称) 明治三十年浜松町中村忠七・曳馬村中村太郎三郎らの立案。
浜松市史 三 (浜松地方報徳社)

25 〃 馬領家社 浜名郡天神町村 7 〃 積志社 浜名郡積志村 20 18年6月 天神町社 浜名郡天神町村,浜名郡芳川村 156 21年11月 上飯田社 浜名郡飯田村 21 22年6月 小池社 浜名郡市野村 9,浜名郡吉津村 46 25年3月 曳馬社 浜名郡曳馬村 5 25年7月 将監名社 浜名郡蒲村 17 26,11 28年4月 報徳遠譲社第六分社和地社 浜名郡和地村 45 28年7月 鼠野社 浜名郡芳川村 32,浜名郡芳川村 15 〃 立野社 浜名郡芳川村 15 43年4月 遠江中ノ町村社 浜名郡中ノ町村 58
浜松市史 五 (防音校舎)

造の防音施設に改築する工事が始まったのは昭和三十八年度で、以後、伊佐見・上島・葵が丘・北庄内・積志・和地,・与進・村櫛の各小学校などで、中学校では高台・積志・湖東・与進などで行われた。,幼稚園での防音工事は昭和四十六年度に中ノ町・和地の両幼稚園で行われたのが始まりで、この後多くの幼稚園でも
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