• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 参照データ一覧

浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 95件
辞書ファセット
/ 2ページ
浜松市史 三 (和地山)

和地山 【和地村共有地】浜名郡和地村外四か村地付字和地山(一、反別一二二一町二反七畝二六歩、内畑反別一,元禄三年(一六九〇)の争論で幕府の裁決(境界を正した大絵図と裁決書は当村に現存する)があってからこの山林は和地山,、明治五年、浜松県庁から「誰持」の名称のない土地はすべて官地にする旨の布達があり、役場で「和地村共有和地山,一、和地山民有の来歴証拠書類は次の通りであり(省略)、それら「証拠物ノ真正ナルコト」は疑いをいれない。,一、和地山が御料地に編入になったことは「全村ノ名誉ニシテ私共一同満足」すべきことであるとは思うが、当村 / 和地山
浜松市史 三 (浜松和地山戸長役場)

浜松和地山戸長役場 このとき浜松宿は和地山村と連合し、浜松宿和地山村戸長役場を置き、堀口勘蔵が選ばれてその,和地山は和地村が管理していたためにその名があったが、明治初期士族の移住によって発達した新開地で、村名を / 浜松和地山戸長役場
浜松市史 三 (寺島村 和地山)

寺島村 和地山 寺島村(全戸四五戸のうち三五戸が農)と寺島村八幡地(全戸二一戸のうち農一五戸、ここはのちに,また和地山(五六戸のうち士族四九戸)には江戸から移住の士族が住んでいた。   / 寺島村 和地山
浜松市史 三 (大正の凧揚げ)

明治四十四年市制がしかれ、鉄道工場が大正元年操業を始めると、浜松歩兵第六十七聯隊(現在の静大工学部)の和地山,陸軍の好意によりそののち毎年五月一日から五日までの使用が許可され、凧揚げといえば和地山練兵場、和地山といえば
浜松市史 三 (士族移住)

士族移住 【和地山】その他に犀ヶ崖は古戦場で、その北の和地山は元は松林だったが明治二年に「士家数百軒商舎若干建,【三方原】三方原は和地山開墾所より北方一里で小松躑躅(つつじ)が多い。
浜松市史 五 ([住居表示の実施])

市の住居表示実施計画によると第一次計画(昭和三十九~四十一年度)では浜松城を中心に、北は和地山、中沢、,こうして昭和四十年(一九六五)四月一日、市内初めての住居表示が船越町と和地山三町で実施されることになった,船越町の街区数は四十二、和地山一丁目は十二、和地山二丁目は三十八、和地山三丁目は十六であった。,船越町はほぼ町界に変更はなく、和地山三町はこれまでの和地山町を三つに分け、入り組んだ境界を合理的に手直,の一部が城北二丁目、文丘町、和地山二丁目に入った。
浜松市史 三 (凧揚組の増加)

凧揚組の増加 【和地山時代】和地山練兵場は浜松が初めて得た本格的な凧揚げ広場で、このころになると砂山
浜松市史 三 (行楽地)

 桜花(五社公園・天守閣・八幡公園・岩水寺) 牡丹(ぼたん)(天林寺公園) 躑躅(つつじ)(鹿谷園・和地山,・三方原) 藤花(西来院) 潮干狩り(弁天島) 凧揚(たこあげ)(和地山練兵場) 浜遊(米津浜・白羽浜,なお右のうち、今は全く見られないものに浅田の螢や蓮の花・和地山の躑躅・若林の桃・舘山寺の茸などがある。
浜松市史 四 ([公営住宅])

公営住宅] 【公営住宅】  一般住宅の不足を補うため、昭和二十一年度から市と住宅営団による公営住宅が和地山,公営住宅建設地別戸数 年度 木造公営住宅 耐火構造公営住宅 合計戸数 建設地 戸数 建設地 戸数 21 和地山町,(74),鴨江町(54), 龍禅寺町(4) 132 0 132 22 和地山町(108),助信町(,10), 鴨江町(8)、龍禅寺町(4) 126 0 130 23 名残町(110),和地山町(90,) 78 名残町(32),松城町(24) 56 134 26 0 亀山町(48) 48 48 計 和地山町
台地と水と輝き:わが町文化誌 (浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)

17 (一)町の移り変わり  17 【住吉 茶 マルキ カネカ カネ良 カネ吉 曳馬村 大柴原 和地山本区, 中村慶重】 18 【幸 曳馬村 高林 島之郷 上島 一本杉 大芝原 曳馬町 和地山区】 20 【,御料林 富塚村 銭取】 22 【和合町 富塚村 和合村 神谷家所蔵文書 内山家所蔵文書】 24 【和地山, 和地山三丁目】 171 (二)寺院  172 【真道山大聖寺 幸四丁目 天林寺 板屋町 林泉寺 , 和地山三丁目 歩兵第六十七連隊 高射砲第一連隊 行幸 親閲の記念碑 凧揚げ】 181 【高台の坂道
浜松市史 四 ([市営バスの発展・充実期])

市営バス路線図 出典:『広報はままつ』昭和28年3月15日号   【車庫・事務所の和地山移転,こうしたなか、上池川町の車庫や事務所が手狭になったため、三十一年十二月二十六日に和地山町に車庫や事務所,図3-49 和地山車庫   【経営内容の悪化】  しかし、路線バスの事業区域が市内
浜松市史 三 (富塚村)

二か村が合併して成立)・和合(馬生村・馬船村・寸田ヶ谷村・富新屋村・不遣村の五か村が合併して成立)・和地山,大正元年十月一日大字の両追分(地積三三町歩、戸数一二二、人口六一〇)・浜松沢(地積五五町歩、戸数七五、人口三七五)・和地山及
浜松市史 三 (郷学校)

●渡辺宗蔵 〃 浜松名残 ●石川黙翁 〃 浜松文喜 ●田中久太郎 〃 浜松文喜 ●鈴木半蔵 〃 浜松和地山,●佐野直吉 〃 浜松和地山 ●滝本直次郎 浜松和地山 ●滝本たけ 龍禅寺村 ●大石福太郎 浅田村
浜松市史 三 (風致地区)

風致地区 浜松城・佐鳴湖地区・曳馬野地区が風致地区に指定されたのは昭和九年、さらに十三年には和合地区・和地山地区
浜松市史 三 (浜松宿)

旧侍屋敷(一九)と旧町人町(二五)より成る旧地域と②明治になって宿へ編入された新地域(寺島村・八幡地・和地山村
浜松市史 三 (浜松まつり 中田島砂丘 町ぐるみの祭典)

そののち会場も和地山(わじやま)公園(旧和地山練兵場)・中田島砂丘などと二転三転したが、二十五年より市民
浜松市史 三 (年中行事)

秋葉神社祭典】正月 元日(官民合同新年祝賀会) 五日(消防組出初式、浜松駅前広場) 八日(聯隊観兵式、和地山歩兵第六十七聯隊練兵場,各学校卒業式)  四月 十七日(東照宮大祭、元城)   【凧揚】五月 一日から五日まで(凧揚、和地山練兵場
浜松市史 三 (浜松行幸 浜松市の賑わい)

【親閲式】ついで午後三時からご親閲が高射砲第一聯隊練兵場(和地山)において行なわれた。,奉迎歌を玉座に立って一々ご答礼になり、やがておこる君が代の合唱と聖寿をことほぐ万歳のうちに式は終った(和地山公園
浜松市史 三 (浜松市役所 機構)

402 高町 325 松城町 321 亀山町 281 名残町 536 追分町 253 広沢町 677 和地山町,319 中沢町 427 上池川町 377 下池川町 423 茄子一色 1750 新津 助信 高林 池川 和地山本,島之郷 十軒新田 細島新田 早出 上島 一本杉 和地山 追分 計 28494
浜松市史 三 (浜松地方決戦作戦 軍民一体の撃退訓練)

15 昭和 16 昭和 17 昭和 18 昭和 19 昭和 20 高射砲第1連隊 浜松市和地山町,連隊 浜松市葵町 ○ 飛行第1連隊 同 ○ ○ ○ 中部第72部隊 浜松市和地山町,○ ○ 中部第94部隊 浜松市葵町 ○ ○ 千葉防空学校浜松分教場 浜松市和地山町
浜松市史 三 (移住士族戸数)

移住士族戸数 徳川の旧臣たちが帰参がかない、浜松宿・三方原・和地山・内野方面へ移住してきたのは明治二年
浜松市史 三 (陶工)

陶工 陶磁器工 明治の初めに和地山から陶器を産し(「浜松県一覧表」)、また渡辺某という陶工があり、大堀
浜松市史 五 ([マンションの建設])

これ以降、特に同四十八年には浜松ではマンションブームが到来し、和地山や蜆塚、上島などで多くのマンション,東京に本社がある地産が和地山一丁目に建設予定の七階建てのマンション建設により、付近の二十戸余りの住宅は
浜松市史 三 (松の創刊 海紅)

【永井治雄】また『海紅』は永井治雄(当市和地山町、海紅同人)などによってうけつがれていく。
浜松市史 三 (塵芥焼却場)

【浅田町】止むを得ずこんどは三方原方面に着目し、曳馬村と和地山を打診したが、曳馬村は拒絶、和地山の銭取
浜松市史 三 (御料地)

現在の浜松営林署(昭和二十九年和地山に移る)はその後身である。
浜松市史 三 (蒲村)

(表)町村合併表 順位 合併年月日 町村名 大字名 1 大正元.10.1 富塚村のうち 両追分 和地山
浜松市史 三 (浜松八景)

の牡丹(ぼたん)・西来院の藤・高町半僧坊の秋月・鴨江寺の池・平田(なめだ)の蓮・浅田の螢(ほたる)・和地山
浜松市史 三 (浜松総社の決定 凧揚げ由来の普及)

大正初期の凧揚げ風景(和地山練兵場)
浜松市史 三 (浜松の仮戸長と管轄地)

鴨江小路・白山下・分器・船蔵・元目・年行事(司)・下馬場・後道・御組町・早馬などで、このほか三方原・和地山等各地
浜松市史 四 ([電灯の復旧と電灯引き込み料金])

までに野口、佐藤、植松、向宿、中島、北寺島、砂山、寺島、楊子、浅田、海老塚、森田、広沢、鴨江、上池川、和地山
浜松市史 三 (自転車)

四十一年三月には歩兵第六十七聯隊の和地山練兵場に全国自転車競走大会があり、四十五年には浜松市内の自転車
浜松市史 五 (戦災復興事業)

反対により、整理面積を百八十四万平方メートル(約五十五万坪)に縮小、工区も六工区の予定が中央・駅南・和地山,三工区のうち一番工事がはかどっていたのは和地山工区(第三工区)で、昭和三十五年四月の段階で九十九%の工事
浜松市史 ニ (鉄砲訓練)

【和地山狩】安政五年二月九日と十八日の両度、和地山で追山と称して大規模な猪・鹿狩りが催され、家中の武士
浜松市史 三 (浜松宿 三十二か町村独立)

【二十九戸長役場】ここに於て和地山村との連合は解かれ、浜松宿三十二か町村各独立の姿をなして、その町村名
浜松市史 三 (第四回 市議員選)

(成子・元魚・塩・伊場・東鴨江・菅原) 第四区 定員三名(元城・上池川・下池川・浜松沢・松城・三組・和地山
浜松市史 三 (道路網計画)

総延長 旭町・上島 297m 昭和2年 3,618m 停車場通り 792  〃3.4年 792  連尺・和地山
浜松市史 五 ([戦後復興土地区画整理事業の完工])

和地山工区のみは比較的順調に進展し、昭和四十七年三月に換地処分が完了、駅南工区全部と中央工区の一部は戦災復興事業
浜松市史 五 ([中央地区で難航の住居表示])

中央地区で難航の住居表示] 【住居表示】  浜松市の住居表示は第二章で述べたように昭和四十年四月の和地山三町
浜松市史 四 ([練兵場跡に市営住宅])

  【市営住宅】  昭和二十七年版の『浜松市勢要覧』には、昭和二十三年度に市営住宅が和地山町
浜松市史 四 ([公立私立の保育園の増設])

海老塚保育園(海老塚町) 25 26 馬込保育園(馬込町) 27 浜松児童福祉園(和地山町
浜松市史 四 ([第一回浜松まつりの実施])

[第一回浜松まつりの実施] 【復興浜松商工祭 浜松電化祭 浜松まつり 和地山町の旧練兵場 広告カーニバル,凧揚げ会場は砂に足を取られることもあった中田島海岸から戦前に使っていた和地山町の旧練兵場(今の和地山公園一帯,まつり初日の五社神社拝礼はこの年も実施されたが、会場が戦前のように和地山町に戻ったにもかかわらず、五社神社神輿
浜松市史 四 ([保育所の開設])

佐藤町の瑞雲寺境内に出来た瑞雲保育所と和地山町に出来た浜松児童福祉園は共に昭和二十七年十一月一日に開所
浜松市史 ニ (正月)

削り掛け 大の子(浜松市西町) 浜松の凧揚げ(大正時代)(現和地山公園1)
浜松市史 三 (大字制度 新町名)

上池川の一部 一部を上池川・亀山の各町へ編入 追分町 おいわけちょう 改称 両追分 一部を上池川・和地山,の各町へ編入 広沢町 ひろさわちょう 〃 浜松沢 和地山町 わじやまちょう 町をつける 和地山 両追分,・和合の各一部 和合 和地山町へ編入 伝馬町 てんまちょう 〃 伝馬 旅籠の一部 一部を松江・板屋
浜松市史 四 (土地利用計画)

比較的広いものとしては今もある浜松城公園、和地山公園、四ツ池公園(区域外)などがあった(表2-2 公園緑地計画,2.56 2.56      現在地区外 3 犀ガ崖公園 追分町 0.87 0.87 児童公園 4 和地山公園,和地山町、追分町 10.16 8.50 普通公園 地区内 5 四ツ池公園 幸町、上島町 26.80,第2工区 424,780 第2工区 234,000 第3工区 589,870 第3工区 (和地山
浜松市史 三 (浜松営林署)

現在の浜松営林署(昭和二十九年、浜松市和地山)はその後身である。  
浜松市史 三 (耕地整理)

万円 ⑤375人 ⑥3か年 5 浜松西北部耕地整理組合 ①大正14.10 ②上池川の一部・中沢の一部・和地山
浜松市史 三 (最初の夜間空襲)

全焼二百四十三戸、死者二人、二十五日は広沢町・中沢町方面に、二十九日は海老塚町・浅田町・砂山町・追分町・上池川町・和地山町
浜松市史 ニ (元和の野論)

このようにして原野はのちに境界が定められて入会地となるのであるが、林地は和地山・祝田山・都田山等となるので
/ 2ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 参照データ一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました