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浜松市史 ニ
(和地村牧田家)
和地村
牧田家 牧田家に遣る文書によると、同家は当時多くの水車を経営して粉ひきのほかに各地から菜種・綿実 /
和地村
牧田家
浜松市史 三
(和地山)
和地山 【
和地村
共有地】浜名郡
和地村
外四か村地付字和地山(一、反別一二二一町二反七畝二六歩、内畑反別一,〇町八反一畝一六歩拝借地、一、木数一五六万四〇〇〇本、内訳略)別今御料地であるが古来
和地村
の共有地であった,一、現今御料地に編入されている和地の御料林は往古から
和地村
共有の山林であったことは元文(一七三六‐一七四,裁決(境界を正した大絵図と裁決書は当村に現存する)があってからこの山林は和地山として明治初年まで全く
和地村
,】ところが、明治五年、浜松県庁から「誰持」の名称のない土地はすべて官地にする旨の布達があり、役場で「
和地村
共有和地山
浜松市史 一
(大山寺)
大山寺 【村櫛庄
和地村
永憲】旧
和地村
(当市大山町)の大山寺は、真言宗の名刹として、信仰と研学の一中心, 金剛仏子玄覚 三七歳云々、 交合畢、 于時元弘二年壬申正月十日、於遠州村櫛庄
和地村
御坊,元弘二年(一三三二)正月十日に、永憲が遠州村櫛荘
和地村
御坊すなわち大山寺で「権大僧都の本」を受けて〓法密記,大山寺旧跡(浜松市大山町) 〓法密記奥書部分 村櫛庄
和地村
御坊永憲書写(横浜市 金沢文庫蔵)
浜松市史 三
(伊左地川)
また
和地村
では花川の水車で米をついたという(『
和地村
誌』)。
浜松市史 三
(浜名湖高潮)
大正七年九月二十四日
和地村
では浸潮区域二十三町歩、浜名湖の高潮(海嘯)は老人さえも五十年来という七尺,に達した(『
和地村
沿革誌』)。
浜松市史 ニ
(運輸方法)
【馬 舟運】牧田家のある
和地村
は浜名湖と三方原林野とにはさまれた谷あいにあって、笠井・浜松方面へは馬で
浜松市史 ニ
(在郷商人の台頭)
在郷商人の台頭
和地村
の牧田太兵衛家(初代太兵衛は天明三年死去)は農業のかたわら商取引(棒手ふり)に
浜松市史 三
(真宗謝恩会)
真宗謝恩会 布教活動では明治の末に、
和地村
を中心とした真言宗信仰者によって組織された真宗謝徳会は庄内地方
浜松市史 ニ
(元和の野論)
和地村
は浜松領、祝田・都田両村は井伊谷近藤領であったからである。,そこで浜松領主高力摂津守は一旦課した野米を消滅してはならないとして幕府に乞うてこれを高に結び、
和地村
の
浜松市史 三
(煙草)
和地村
には煙草の集荷所があった。
浜松市史 三
(庄内街道)
【三十六年】明治三十三年浜松町ほか五か村が組合会を組織し改修工事を行ない三十六年竣工した(『
和地村
誌』
浜松市史 ニ
(黙之助と植物仕法)
【
和地村
島の郷 四ツ池】黙之助は安政二年のころ率先して
和地村
の原野五十町、島の郷字四ツ池の二十余町の
浜松市史 四
([青年学級の開設])
【
和地村
青年学級】 浜名郡
和地村
の青年学級は昭和二十五年に誕生し、活発な活動をしていたので,このころ、
和地村
の中学校卒業者のうち、進学は約三十三%、就職が四十一%、残りの二十六%が家事従事であった,
和地村
青年学級の具体的目標は、理想の郷土を建設するため情熱を傾ける、陋習(ろうしゅう)「を打破し、民主社会,表3-10
和地村
青年学級の教科課程表 出典:『青年学級のあゆみ』 【入野村青年学級
浜松市史 三
(銀行類似会社の全盛)
の全盛 【十二年 笠井銀行】以上は浜松における銀行類似会社であるが、浜松付近でも明治十一年一月には
和地村
浜松市史 三
(浜松和地山戸長役場)
和地山は
和地村
が管理していたためにその名があったが、明治初期士族の移住によって発達した新開地で、村名を
浜松市史 三
(茶業組合 共同組合)
功労者に気賀林・横田保をはじめ前記樋口林治郎・織田利三郎(浜松田町)・中村吉太郎(
和地村
和地)などがあった,新津村 0.1 篠原村 0.2 吉津村 0.1 新所村 0.7 知波田村 1.0 入出村 0.3
和地村
浜松市史 一
([自然の制約])
その間、浜名郡の篠原村(九・四一平方キロ)・湖東村(二〇・五平方キロ、旧
和地村
・旧伊佐見村)・積志村(
浜松市史 ニ
(領国経営の方針)
【
和地村
】つぎに敷智郡
和地村
(当市和地町)に伝存された七か条定書を引いてみよう。 ,八月廿四日 倉橋長右衛門 花押」 みたけ村検地帳の一部分 徳川家七か条定書(
和地村
旧蔵
浜松市史 三
(明治初期の漁業税)
小沢渡村 5 舞坂宿 136 馬郡村 21 坪井村 12 篠原村 19 浜名湖東岸漁業税 佐浜村 23
和地村
浜松市史 ニ
(白輅)
天明六年六月田中約我に、寛政十年正月
和地村
(当市和地町)の自笑庵橋夢(牧田伊兵衛)に連歌の秘伝を記した
浜松市史 四
([町村合併の推進])
決まったことを受け、合併への動きは急速に高まり、十一月二十八日には南庄内・北庄内・村櫛の三村に加え、
和地村
,中ノ町村 和田村 飯田村 芳川村 *以上の十カ村は浜松市へ編入 △南庄内村 北庄内村 村櫛村
和地村
, 【
和地村
伊佐見村】 当初は庄内三村と伊佐見村との五カ村合併を考えていた
和地村
では,の時点では
和地村
との合併は困難とした。,伊佐見村も庄内三村と合併するか、浜松市との合併をとるか、立場が決まらず、
和地村
と同じく取り残された状態
浜松市史 ニ
(三方原の名称)
曳駒拾遺』(『浜松市史史料編四』)に「みかたが原」として「此原は一里ばかり乾(いぬい)(北西)の方にあり、
和地村
浜松市史 ニ
(水車の企業化)
こうして
和地村
に近い篠原村・富塚村・入野村・志都呂村にも牧田家と同じように商業に従事する農家が弘化ごろから
浜松市史 四
([公立私立の保育園の増設])
25 26 馬込保育園(馬込町) 27 浜松児童福祉園(和地山町) 和光保育園(
和地村
浜松市史 ニ
(招魂社と上京隊員)
上京隊員 赤心・報国両隊員の正式採用は、まず七月八日に浜松諏訪社の杉浦大学・伊平村の神主宮田重郎左衛門・
和地村
浜松市史 四
([その他の選挙])
浜名郡のうち町村長選挙が行われたのは
和地村
・三方原村・赤佐村、引佐郡では都田村で、町村議会議員の選挙は
浜松市史 三
([その他の工場])
なお庄内葉の収蔵庫は
和地村
名古にあった。
浜松市史 ニ
(天保期の一里塚)
一里山135 追分 〃 66里 三方原築山現存 追分円塚現存 東大山 〃 67里 三方原大窪現存
和地村
東大山現存
浜松市史 四
([国家地方警察浜名地区警察署])
積志村・北庄内村・篠原村・三方原村・豊西村・飯田村・芳川村・河輪村・五島村・長上村・南庄内村・村櫛村・
和地村
,、長上村市野、 長上村天王、中瀬村、芳川村、飯田村、三方原村西、 三方原村東、南庄内村、村櫛村、
和地村
浜松市史 三
(山林原野等)
明治三十一年頃と推定される
和地村
の静岡県知事宛の請願書(浜松市和地『中村家文書』)の要旨を次に紹介して
浜松市史 三
(報徳家)
⑧宮本良作(大正九年没、六十五歳、大正十二年頌徳碑建立)
和地村
。青年婦人の指導に尽した。教員。
浜松市史 ニ
(慶安の野論)
この論争の原因は、さきに述べたように三方原を高受地としたために領主と
和地村
民とのあいだにおいては民有地
浜松市史 ニ
(助郷村の困窮)
・瀬戸村・石岡村・井伊谷村・神宮寺村・横尾村・奥山村・小野村・広岡村・大谷村 敷智 都筑村・佐浜村・
和地村
浜松市史 三
(創業年代)
3 1 6 新津村 1 1 5 2 9 篠原村 2 3 3 8 舞阪町 0
和地村
浜松市史 三
(村櫛村勝訴 採藻場境界の確立 和解内容)
【三十六年】境界案は関係町村長が作製して提示、各町村ほとんど異議なく、はじめ原案に難色を示した
和地村
と
浜松市史 三
(市内道路の改良)
尾張町間新設・車歩道分離 666 8 池町・元城線車歩道分離 666 10.8 9 北庄内・
和地村
新設
浜松市史 ニ
(漁業と貢租)
小藪村 入野村 片草村 西鴨江村 志都呂村 宇布見村 山崎村 小人見村 大人見村 伊左地村 佐浜村
和地村
浜松市史 三
(郷学校)
宮下竜軒 大久保村 馬渕綾左衛門 算筆,花,弓 大久保村 次代馬儀作 〃 志都呂村 高部千別 〃
和地村
浜松市史 五
([湖東村の合併])
[湖東村の合併] 【湖東村】 『浜松市史』四 第三章で述べたように、浜名郡
和地村
と伊佐見村は浜松市
浜松市史 四
([湖面(浜名湖)漁業の実態])
共同漁業権一件は代表者村櫛村漁業協同組合外十五組合共有で、ここには篠原村・伊佐見村・
和地村
・北庄内村・
浜松市史 四
(公園)
浜名湖の湖面全域と周辺の舞阪町・新居町・北庄内村・南庄内村・村櫛村・
和地村
・伊佐見村などのほか、浜名湖
浜松市史 三
(浜松地方報徳社)
浜名郡北浜村 6 27年8月 神立社 浜名郡蒲村 11 28年4月 報徳遠譲社第六分社和地社 浜名郡
和地村
浜松市史 三
(茶と繭)
新津村 0.1 篠原村 0.2 吉津村 0.1 新所村 0.7 知波田村 1.0 入出村 0.3
和地村
浜松市史 四
([村立幼稚園の開園])
和地村
では昭和三十年四月に明徳寺に私立の和地幼稚園が設立されたが、これは後に湖東村に移管される。
浜松市史 三
(学区制)
番 698 須ノ木沢村 134番 436 深萩村 東大山村 西大山村 135番 600
和地村
, 136番 683
和地村
137番 627 呉松村 138番 545 平松村
浜松市史 五
([庄内干拓の中止])
国営浜名湖庄内干拓は、昭和二十七年に天竜東三河特定地域総合開発計画の一環として庄内半島と伊佐見村・
和地村
浜松市史 四
([公民館の活動])
これほど大きくはなかったが、
和地村
や伊佐見村でも公民館が建設された。
浜松市史 四
([児童憲章の制定と児童福祉])
彼は昭和二十七年六月、
和地村
西大山に季節保育所を開設し、和地・中川・気賀・三方原等七カ町村の児童(満二歳以上
浜松市史 三
(敷知長上浜名郡役所 郡域変更)
13 省略 14小区・15小区(引佐郡) 村15 省略 16小区(敷知郡) 大山村 深萩村 佐浜村
和地村
浜松市史 四
([浜松中央・東・北警察署の設置])
巡査駐在所 市内船越町・野口町・葵町・曳馬町・三方原・和合町など十四町(大字)と浜名郡北庄内村・
和地村
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