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浜松市史 三
(昭和の商店街)
昭和の
商店街
昭和六年に都市計画法が定まると、「浜松駅前及市ノ中心部連尺付近一帯ハ、現在商業ノ最モ殷賑,ナル集団地ニシテ、又元浜町付近及栄町鴨江町ノ各一部ノ地ニ相当
商店街
ヲ形成シ将来益々発展スルノ傾向ヲ察知,はこの地域が全国産業博覧会々場であったこと、また栄町・鴨江町は裁判所・警察署・遊廓の移転によることが
商店街
化,【砂山町】また駅南の砂山町(砂山銀座の愛称で呼ばれた)が新興の
商店街
として発展するのもこのころであった / 昭和の
商店街
浜松市史 四
([商店街の誕生])
[
商店街
の誕生] 【
商店街
浜松商店界連盟】 昭和三十年当時、市内には三十余の
商店街
があり、それぞれ,立地条件に応じて浜松の中心
商店街
や住宅地に隣接した近隣型
商店街
を形成していた。,
商店街
を大別すると中心部と周辺部に分類でき、さらに周辺部は南部、東部、西部、北部、高台地区にそれぞれ分類,鍛冶町
商店街
は浜松市の中心部にあり、それに隣接した田町
商店街
、有楽街
商店街
など、そして駅南の砂山町
商店街
,他方、住宅街の外延的拡大とともに、住宅地に隣接した形で生鮮食品や日常生活品を中心に販売する近隣型
商店街
/ [
商店街
の誕生]
浜松市史 三
(大正の商店街)
大正の
商店街
これをみると大正時代には、商店の種類(カッコ内は戸数)には薬舗(一四)・呉服太物類・酒類,九)・新町(八)の順となっており、東海道表筋町の田・神明(五)・連尺の通りが五十五戸と三十八%を占め
商店街
,を形成し、また駅前通から鍛冶へかけて新興の
商店街
の現出となっていることが分る。 / 大正の
商店街
浜松市史 五
([商店街の近代化])
[
商店街
の近代化] 【浜松モール街】 昭和三十年代後半から同四十年代にかけて大型店出店が相次ぎ、,昭和四十四年、有力
商店街
の一つである「浜松座通り
商店街
」は「浜松モール街」に改称した。,モール街は有楽街と並んで市内でも代表的
商店街
であった。,砂山銀座商店会は
商店街
全面アーケードの対応措置を取った。,市内には
商店街
別、業種別組合があるが、いずれも任意団体にしか過ぎなかった。 / [
商店街
の近代化]
浜松市史 四
([中心商店街の繁栄])
[中心
商店街
の繁栄] 朝鮮特需を背景に戦後の窮乏から抜け出し、経済も安定化してくると市民の消費マインド,浜松市の中心
商店街
である有楽街や鍛冶町では
商店街
の近代化が進められた。,また、昭和二十八年七月に鍛冶町通りにはネオンが輝くアーケードが完成し、
商店街
としての一体感を醸し出した,そのほか、連尺や田町の
商店街
においてもネオン灯が設置され、「二千六百円」と揶揄(やゆ)されたバラック
商店街
,商店のビル化は鍛冶町
商店街
でも行われ、昭和三十六年に連鎖式防火建造物として建て替えられた。 / [中心
商店街
の繁栄]
浜松市史 五
([商店街の美しい街路])
[
商店街
の美しい街路] 【モール街】 浜松市の中心
商店街
を活性化しようと様々な取り組みがなされたが,【ゆりの木通り 電線地中化工事】 田町の国道一五二号線(旧国道一号線、東海道)沿いの
商店街
は昭和三十二年十一月一日,その後、昭和六十二年三月になってこの
商店街
は通りに植えられていたゆりの木にちなんでゆりの木通りとし、平成二年度,ゆりの木通りの西側でも電線地中化工事やアーケード工事が完成し、明るい
商店街
が出来たのは平成十三年であった,平成四年度からは無電柱化、多くの照明灯、レリーフ、時計灯、プランター設置などで、欧州風の
商店街
づくりを / [
商店街
の美しい街路]
浜松市史 四
([やみ市の衰退と商店街の復興])
[やみ市の衰退と
商店街
の復興] 【露天街 GHQ静岡軍政部 カリソン やみ市撲滅 浜松商店界連盟】,ただ、平田町の住民も近い将来立派な
商店街
をつくるために、平田町からの移転を陳情している(『静岡新聞』昭和二十三年十二月二十七日付,図2-52 再建された
商店街
・鍛冶町大通り 昭和二十四年三月からのドッジラインの実施などにより / [やみ市の衰退と
商店街
の復興]
浜松市史 三
(商業地域 浜松駅開通 新興商店街)
商業地域 浜松駅開通 新興
商店街
【鍛冶町 旭町】商業地域は、依然として東海道筋の田町・神明町・連尺町,浜松城本丸跡)に移り、鍛冶町通りから駅前通り(八幡地といったが大正十四年旭町と改称)の駅へ通ずる道が新興の
商店街
/ 商業地域 浜松駅開通 新興
商店街
浜松市史 五
([中心商店街活性化とザザシティの建設])
[中心
商店街
活性化とザザシティの建設] 【ザザシティ】 中心市街地から大型店や百貨店が相次いで撤退 / [中心
商店街
活性化とザザシティの建設]
浜松市史 五
([中心市街地の地盤沈下と中心商業地活性化事業])
丸井浜松店の出店により中心
商店街
の核店舗が増え、商圏を拡大した。,衣類品、家電製品といった買回り品は中心
商店街
で購入する消費者が多いが、食料品や雑貨などの最寄り品は地元,郊外の商業施設の充実とともに中心
商店街
の地位が相対的に低下し始めてきた。,【中心
商店街
の活性化】 昭和四十七年四月、浜松市は中心
商店街
の活性化を目的に中小企業庁の指定を受け,に大きな影響を与えるという危機意識から中心
商店街
の近代化が提案された。
浜松市史 五
([浜松商圏の縮小])
ほとんどの商圏地域において浜松市での買い物が減少もしくは横ばい状態を示し、浜松市中心
商店街
の吸引力が低下,この原因は浜松市の中心
商店街
から百貨店や大型スーパーが相次いで撤退したこと、それぞれの商圏地域に大型店,一般的に「買回品」「贈答品」などは中心
商店街
への商圏人口を拡大するとともに百貨店や量販店での買い物を増,このことからも、浜松の中心
商店街
の地盤沈下が進んできていることが分かる。,0.3(-0.1) 0.8(-0.3) 7.1(-0.3) 0.5(-) 高台
商店街
浜松市史 五
([中心市街地の美しい道路と歩道])
] 【彫刻の散歩道】 JR浜松駅前から北に伸びる板屋町通りは一般には広小路通りと呼ばれ、駅前の
商店街
,水野欣三郎で、「春一番」や「ヴィーナスの誕生」など合計十基、総事業費は千五百万円、このうち三十%は市が
商店街
共同施設設置事業,メイワン(同年五月一日オープン)なども出来て、無電柱化やカラー舗装が進められることになったため、駅前
商店街
浜松市史 四
([火災予防])
【防火
商店街
浜松ショッピングセンター】 浜松は明治時代に二度の大火に見舞われた。,このような折、昭和二十九年十一月ごろから不燃都市建設問題が浮上したが、資金面や道路拡幅によりかえって
商店街
,しかし、鉄筋コンクリートで耐火の建物には国などの補助が受けられるという耐火建築促進法の下で防火
商店街
(,不燃化都市協力会が設立され、田町を中心に国道一号線の連尺交差点から板屋町交差点までを鉄筋三階建ての近代的な防火
商店街
,国道沿いの防火
商店街
の計画はその後少しは延長されたが、当初の予定通りには進まずに終わった。
浜松市史 五
([中心商業地の商業診断])
報告書によると、新しく生まれ変わる浜松駅周辺地区には広域的な商業機能の集積が十分予想されるため、各
商店街
,田町ブロック …専門店と飲食店と娯楽施設をうまくミックスした若者の街 鍛冶町ブロック…中心
商店街
,、商業機能、都市施設を持った浜松の顔としての機能を持つ街 この提言を生かすべく各ブロックの
商店街
浜松市史 四
([浜松最初のスーパーマーケット誕生])
これに対して高台
商店街
は末広会に対しスーパーマーケットの建設中止を申し入れ反対運動を起こしたものの商工会議所,そのため
商店街
への影響は大きなものがあった。
浜松市史 五
(戦災復興事業)
戦災復興事業 【防火高層
商店街
都市改造事業】 昭和二十一年から始まった戦災復興都市区画整理事業は,鍛冶町通りでは伝馬町の四つ角から北側一帯約二百メートルにわたって鉄筋コンクリート四階建ての防火高層
商店街
,同じく田町四つ角の東側の三十メートルにわたって鉄筋コンクリート四階建ての防火高層
商店街
が鍛冶町とほぼ同
浜松市史 五
(浜松秋まつり)
浜松商工会議所などで組織した同まつり実行委員会は、春の浜松まつり、夏の七夕まつりに並ぶ浜松三大まつりとして、
商店街
,実行委員会は東京の高円寺
商店街
の阿波踊り(人出百万人)を見学し準備を進めた(『静岡新聞』昭和六十一年八月三十日付
浜松市史 五
(駐車場)
また、同三十七年八月には市商工課や商工会議所は、駐車禁止による顧客減少などの
商店街
への影響に対応して、,
商店街
の駐車場施設を促進するための二十四件の融資希望をまとめて県に申請するなどした。
浜松市史 四
([復興した浜松の中心市街地])
[復興した浜松の中心市街地] 【
商店街
浜松商店界連盟 七夕祭り 地球儀型のネオン塔 店舗照明コンクール, 中心市街地にあったやみ市は昭和二十年代半ばにはほとんど消滅し、変わって二千六百円住宅を改装した
商店街
,これらの
商店街
をまとめていた浜松商店界連盟は昭和二十八年七月には第一回七夕祭りを実施した。,当時の映画館のほとんどは中心部に立地しており、
商店街
と合わせて、中心市街地は戦前を凌駕するほどのにぎわいを
浜松市史 五
([西武百貨店の撤退と松菱の破産])
西武百貨店の撤退は中心
商店街
の地盤沈下に拍車を掛けることとなった。,松菱の破産は地域経済や雇用に悪影響を与えるだけでなく、空洞化しつつある中心
商店街
の活性化策にも深刻な影響
浜松市史 五
(郊外型大型店)
このような出店攻勢に対して、地元の
商店街
は出店反対を表明した。,他方、ニチイの出店に対しては、長上、和田、中野町、笠井などの地元
商店街
が出店反対の姿勢を示した。
水と光と緑のデルタ:わが町文化誌
(浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次)
創始者 134 第四節 商業 135 南陽地区の商業の発展 135 大正初期の芳川
商店街
大橋,へ行けば何でも間に合う 137 戦前と平成三年の
商店街
の比較 137 戦前と現在の河輪
商店街
浜松市史 四
(浜松市店舗装飾コンクール)
当時、浜松の中心
商店街
の整備は、静岡市の中心街に比べ後れを取っていた。
浜松市史 五
([大店立地法への移行と郊外型大規模店の急増])
その結果、多くの地方都市では中心
商店街
がシャッター通りになり、空洞化が起きた。 ,ショッピングセンター サンストリート浜北】 浜松においても郊外型の大規模店が急増し、ますます中心
商店街
浜松市史 四
(谷島屋書店 バラック建て)
図2-32 バラック
商店街
浜松市史 五
([街の彫刻])
[街の彫刻] 【彫刻の散歩道】 広小路
商店街
の広小路共栄会の人々の発意によって、「彫刻の散歩道」
浜松市史 三
(旭町駅新設 宮口線 旭町駅改築と本社移転)
【北浜村発展】また沿線の北浜村の貴布祢駅(元木船駅)・小松駅方面の発展は著しく駅前には
商店街
ができるようになり
浜松市史 四
([都市計画事業の推進])
【中央工区不燃化
商店街
】 松菱筋向かいの富士銀行浜松支店は鉄筋二階建ての堅牢な建物,また、中央工区の防火帯指定による不燃化
商店街
建設は各地に建設の予定であったが、昭和三十二年二月に着工したのは,道路幅は二十五メートルとなり、鉄筋コンクリート三階、四階の
商店街
が完成したのは同年十一月一日であった。
浜松市史 三
(東海道通)
老舗も多く
商店街
を形成し、呉服・太物・銅鉄器・薬種・書籍・小間物・雑貨などのほとんど日常の用事はここで
浜松市史 五
([消費税導入])
浜松市内のスーパー、デパート、
商店街
では導入前の三月には駆け込み需要により売り上げが大幅に増えたものの
浜松市史 五
([JR東海の発足と浜松駅])
浜松・掛川市内の小中高校に入学する児童・生徒たちの手でくす玉が割られ(図3―35)、同駅や同駅
商店街
による
浜松市史 五
(スーパーの郊外進出)
ショッピングセンター ミニスーパー】 昭和三十年代後半から同四十年代中頃にかけて大手スーパーや百貨店の中心
商店街
,であれば、大店法に基づいて浜松商工会議所の浜松商業活動調整協議会(商調協)の調整対象になるため、地元
商店街
,さらに、有楽街、鍛冶町、モール街といった中心
商店街
にも影響が出始め、中心街の通行量を減少させるといった
浜松市史 五
(鉄道線)
浜北市域の発展と利用客の増加に伴い、昭和五十二年八月には遠州貴布祢駅を浜北駅に改称、そして浜北駅を駅兼
商店街
浜松市史 三
(最初の夜間空襲)
四回に及び、被弾地域も最初の馬込川以東の東部地域より駅南の南部地域の工場地帯へ移り、浜松駅を中心とした
商店街
浜松市史 五
([中心市街地の活性化])
これ以降、たびたび
商店街
の診断や調査が行われ、多くの提言がなされるようになり、提言を生かした街づくりも
浜松市史 四
(戦災都市)
都市の
商店街
について、盛り場は浜松駅正面地区や中心部(おおむね旭町・伝馬町・連尺町・神明町・田町・板屋町
浜松市史 五
([中心市街地からの大型店撤退])
平成三年二月、中心
商店街
のモール街で二十二年近く営業を続けてきた大手スーパー、ニチイ浜松店が閉店した(
浜松市史 五
([大型小売店舗出店指導要綱と融資制度の導入])
と融資制度の導入] 【大型店】 高度成長期における大手スーパーの全国展開に伴って、各地で地元の
商店街
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌
(浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)
広沢駅 ラッキョウ軽便】 89 第四章 河の流れは絶えず(移りかわるわが町の風景) 一、鹿谷
商店街
浜松市史 三
(耐乏生活と竹槍練習)
商店街
を歩いても商品を売る店はほとんどなく、戸を閉ざす家が多かった。
浜松市史 五
([放置自転車への対応])
放置自転車への対応] 【放置自転車】 放置自転車は戦後しばらくしてから劇場やパチンコ店などの前、
商店街
浜松市史 四
([健民運動と町を住みよくする運動])
そして、国体では市役所前のグリーンベルト作り、
商店街
の移動花壇作りのほか、会場入口に花のアーチを作るなど
浜松市史 五
([大規模な団地と分譲マンション])
各種住宅(市営、県営、公団、県住宅供給公社、産業労働者住宅、一般住宅、その他)のほかに、小学校・幼稚園・
商店街
浜松市史 五
([駐車場の整備と表示])
こうした対策の一環として、平成七年四月には浜松商店界連盟は浜松中心
商店街
共通駐車券システム(Pチケ)を
浜松市史 五
(目次)
ドルショック・スミソニアン体制と産業界 浜松商工会議所会館の落成 第二項 大型店の出店攻勢と地元
商店街
, 一八〇 スーパーマーケットの増加と大型店の進出
商店街
,第二項 大型店の進出と地域商業の変化 五七一 スーパーの郊外進出と地元
商店街
, 全国最長のコミュニティ道路 中心市街地の美しい道路と歩道
商店街
, 消費税引き上げとデフレ不況 不況と地域振興券 第二項 空洞化が進む中心
商店街
浜松市史 五
(大型店進出)
浜松市の中心
商店街
の重心は長崎屋やニチイが進出したモール街に移っていった。
浜松市史 五
([浜松商業高校の選抜優勝と各校の活躍])
多くのビルには「祝 浜商初優勝」などの垂れ幕が飾られ、
商店街
のアーケードの上にも人が鈴なりといった状態
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌
(浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)
(一)商業のうつりかわり 【浜松町 駿遠豆繁昌明細記 商店】 119 【駅南の商業 砂山町
商店街
,洋画家 高砂小学校】 128 (四)砂山銀座 【商店会活動 中屋 電気館 あけぼの市場 昭和初期の
商店街
浜松市史 四
([女性運動の展開])
この運動の背景には、食糧事情も好転し始め、やみ市に取って代わって各地の
商店街
が復興してきたこと、各地の
浜松市史 四
([青年学級の開設])
同年二月十七日に浜松市中心部の
商店街
が一斉休日制を行ったことを契機に、浜松市教育委員会は中心部にある中部中学校
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