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浜松市史 ニ
(塩と塩町)
塩と
塩町
【
塩町
由来】塩
塩町
は、はじめは肴町と同様に浜松城付近にあったが、のちに伝馬町の南へ移転し,この塩も
塩町
に限り専売権が付与されていたという。,その後、その塩売りは城下の町民であったことがわかり、恩賞としてその者の居住する
塩町
一町を限って塩専売を / 塩と
塩町
浜松市史 ニ
(塩町と伝馬)
塩町
と伝馬 若林村にいた塩商人は浜松城内の塩御用をつとめるとともに大手門筋の塩市場の支配権を持っていたが,、そののち半頭町に移り、さらに高力城主の時代に「
塩町
」へ引越した。,
塩町
の者は塩商売の運上(若林村の石高にみあう無地高四百二十石分の税金)を納め、地子(じし)免除・塩専売,このような事情によって
塩町
に伝馬役がかけられた。 /
塩町
と伝馬
浜松市史 ニ
(塩専売権の紛争)
るのを禁じ浜松塩の入荷を保護しているし(「中村文書」『静岡県史料』五)、享保三年(一七一八)五月には、
塩町
,このとき
塩町
は、古来から当町は宇布見・山崎・篠原三か村の塩を買い取って塩市をたて「天竜川・今切・気賀・,は「
塩町
之者所持之牓示古証文数通有之証拠分明」ということで勝訴となった。 ,調候儀無之、他国塩自由に調来候、
塩町
之高値成塩調候ては渡世難成」と答え、
塩町
の塩は高値であるから、これを,正徳三年
塩町
塩出入文書(浜松市恒武町 田辺寛司氏蔵)
浜松市史 ニ
(伝馬役二町方)
さらに、寛永十五年に伝馬数が百疋と定められたが、この時の増加分二十五疋は
塩町
が負担したので、
塩町
も伝馬役町,になり、以後伝馬町・
塩町
を伝馬役二町(丁)方と呼んだ。
浜松市史 ニ
(町幅)
町幅 また四間以上の町幅の町は連尺町・伝馬町・
塩町
・神明町・板屋町・新町・池町の七か町で、池町以外は,中でも塩市が立つ
塩町
は五間余でもっとも広かった。
浜松市史 ニ
(製塩業者との紛争)
製塩業者との紛争 もともと
塩町
は田地を持たず無地高四百二十石を結び、毎月塩市をたてることにより口銭をとり,そこで
塩町
の塩問屋としては、なるべく安価に仕入れたいことから製塩業者との間に紛争を生ずることがあった。,このとき村々が申しあわせた「議定書」(弘化二年十一月)によると「浜松
塩町
塩牓示内之儀古来之定例茂無之儀,ヲ
塩町
之もの共より彼是申紛シ牓示内と唱へ」高値の塩を売り「権威ヲ以勝手之取計無躰之儀」を申しかけるのは
浜松市史 ニ
(榎門口)
浜松御在城記』(『浜松市史史料編一』)に「塩市口ト申ヲ、所ノ者モ不存候、追手(大手)御門筋ヲ申ニ而可有之筋
塩町
,ニ毎月御座候、
塩町
昔ハ高町にて御座候、塩市口ハ榎御門ニ而御座候」とある。
浜松市史 ニ
(戸口の増減)
のみであったのに伝馬町・肴町・板屋町・新町・大工町・紺屋町が加わり七か町となり、また五十軒未満が旅籠町・
塩町
,また、二十五軒以上の増加は、御役六町では
塩町
があるばかりでその他は七軒町・板屋町・新町・早馬町・下垂町
浜松市史 三
(団扇職)
提灯職には山下某(浜松
塩町
)があった。
浜松市史 三
(東海道通)
【
塩町
成子坂町 七軒町】
塩町
には依然と塩商人(一七戸)が軒をつらね、成子坂町には酒造店(神谷忍冬酒)
浜松市史 ニ
(真言宗)
真言宗 真言宗 明寿院(
塩町
、京都三宝院末、廃寺)。
浜松市史 三
(県居歌会)
須部弥一郎(当市
塩町
)はこの派の一人である。
浜松市史 ニ
(各町の長短)
あるのは伝馬町・田町・板屋町・新町の東海道通町道の四町で、板屋町の二百十四間が最長、百間未満は旅籠町・
塩町
浜松市史 ニ
(肴町と歩役)
【伝馬町
塩町
肴町 田町 旅籠町】この裁断にしたがって五か町の庄屋たちは、つぎのような申し合わせを行, 二町方五分 三分七厘五毛 伝馬町御役門七五軒 御伝馬一五五疋 一分二厘五毛
塩町
浜松市史 ニ
(御役六町)
浜松宿の助郷制始まる 〃15
塩町
,25疋 小山市郎兵衛外 伝馬町・
塩町
を伝馬役二町方と袮す 計100疋 〃19
浜松市史 三
(翼賛文化協会 文学報国会)
各部に職場・小国民・婦人の専任をおき、同人には気賀由利子(引佐郡気賀町)・後藤一夫・竹山亥三美(当市
塩町
,)・光明静夫(西遠高等女学校勤務、掛川市
塩町
)・石原武男・渥美静一・加藤貞雄・名森三吉・木本陽二・滝茂
浜松市史 三
(平版印刷)
これは浜松
塩町
の渡辺安次郎が明治十年ごろに印刷機を購入し、石版職人を招いて、銅版に捨版を刻り輪郭を石板石
浜松市史 ニ
(寺院の配置)
そのほか小さな仏堂として新町に庚申堂、
塩町
裏に十王堂、七軒町に薬師堂などがあった。
浜松市史 ニ
(浜松の商圏)
【塩の商圏】つぎに
塩町
に限り塩専売権が認められており、その商圏は享保三年(一七一八)の評定所の裁定文書,したがって前に述べたように馬郡村との紛争では、馬郡村の者が規定の牓示内にありながら、
塩町
の専売権を冒して,他国塩の売買を行なったことに端を発し、これも評定所の裁決で、
塩町
以外の者が牓示内で塩売買は行なわぬよう
浜松市史 ニ
(曹洞宗)
宗源院末として西見寺(平田町)・万戒寺(平田町、西見寺の西、廃寺)・光珠院(
塩町
、廃寺)西来院末として
浜松市史 ニ
(一大宿場町を形成)
右拾壱丁分也、右之内、五軒本陣、七拾三軒伝馬町はたこや、弐拾弐軒旅籠町はたこや、弐拾弐軒田町はたこや、十八軒
塩町
浜松市史 三
(堅実な歩み)
500 肴町 浜松貯蓄銀行 340 連尺町 遠江銀行 400 田町 倉松銀行 165
塩町
浜松市史 三
(翼賛文化協会)
浜松翼賛文化協会(昭和十七年四月創立、浜松市立図書館内、会長浜松市長)によって「国意考」の意訳(竹山亥三美、当市
塩町
浜松市史 三
(浜松の仮戸長と管轄地)
秋葉町・清水町・利(とぎ)町・本魚町・紺屋町・大工町・大堀新地・猿屋町・愛宕町・七軒町・成子坂町・
塩町
浜松市史 三
(浜松医学校新設)
中川澪忠・富田玄仙(浜松
塩町
)・木村質文(浜松下垂町)・宮下歓哉・久野貞三(浜松伝馬町)・宮崎保之・渡辺謹弥
浜松市史 三
(各町消防組 連合消防組)
明治七年の小野組大火によって、各町は消防組設置の必要を感じ、同年十月に新町・田町・肴町・連尺町・伝馬町・
塩町
浜松市史 ニ
(御役六町の増減)
総家数 本役家数 問屋・庄屋家数 A B A B A B 伝馬町 83 75 75 73 3 2
塩町
浜松市史 ニ
(宿の根幹表筋町)
ここで今まで西進してきた道は直角に左折し連尺町・伝馬町・旅籠町・
塩町
・成子坂町がならぶ。
浜松市史 ニ
(町の意義)
【
塩町
村】そののちの『元禄高帳』をみると、田町三十二石余・板屋町三十石余・新町十六石余・
塩町
四百二十石余
浜松市史 ニ
(問屋場と問屋役人)
になると一人では勤めがたくなったので、寛永八年(一六三一)から二人で上下月番で当番制となし、おもに伝馬町・
塩町
,ハ、人馬問屋会所弐ヶ所、別ニ御継飛脚会所壱ヶ所右三ヶ所ニて往還御用相勤申候 此訳 伝馬町・
塩町
弐町
浜松市史 四
([罹災した寺院])
龍禅寺(龍禅寺町)、鴨江寺(鴨江町)、法林寺(成子町)、西導寺(成子町)、東漸寺(成子町)、明寿院(
塩町
浜松市史 ニ
([医学])
富田玄卜家は
塩町
にあって代々玄仙をとなえ、医を継いでいる。
浜松市史 三
(小野組大火)
焼失家数千三百十八軒(蔵一〇八、寺五、狂言小屋一)で、被災町は伝馬町・旅籠町・鍛冶町・後道・平田町・平田村・
塩町
浜松市史 ニ
(開帳)
普大寺 薬師十二神 浅田 慈光院 十一面観音 成子坂 西道院 阿弥陀如来 高町 宗安寺 阿弥陀如来
塩町
浜松市史 三
([市政を荷なった人々])
昭和十五年九月没、七十八歳)・中村藤吉(田町住)・田中五郎七(田町住、昭和三年七月没、七十七歳)・竹山平八郎(
塩町
住
浜松市史 三
(浜松三戸長役場)
【浜松中央部】伝馬町外十二ケ町村戸長役場 浜松旅籠町 浜松伝馬町 浜松
塩町
浜松元魚町 浜松成子町
浜松市史 三
(寺島村 和地山)
町 3反 1畝 浜松伝馬町 134 478 14 1 5 浜松旅籠町 73 275 7 2 2 浜松
塩町
浜松市史 四
([商店街の誕生])
平田町商店界 1 大工町商店界 1 栄町商店界 1 亀山町商店界 1 北部商店界 1 城北商店界 1
塩町
商店界
浜松市史 三
(連合制の発達 浜松宿二十六か町村連合会 地方自治制の出発 浜松宿議会)
林弥十郎 (七軒町) ●和田義正 (分器) 小野江吉次郎 松下茂平 (平田町) 殿岡善太郎 水島敬四郎 (
塩町
浜松市史 ニ
(職人町と屋敷)
2 旅籠町 3 中瀬村 2 本役 4 仕立屋役 13 桶屋役 35 大工町 1
塩町
浜松市史 ニ
(禅宗)
野口 八幡 寺脇 下池川 宗源院● 入野 馬郡 舞坂 寺嶋 名残追分新田 楊子 三嶋 爪内 馬込
塩町
浜松市史 ニ
(町屋)
塩町
(しおまち)・肴町(さかなまち) 町名の商人が居住し、本魚町はもと肴町があった町である。
浜松市史 三
(大きな町)
30 41 154 3 旅籠町 7 51 58 7 7 4 36 1 5 5 51 4
塩町
浜松市史 ニ
(東海道往還通)
198 3 旅籠町○● 45 27 14 2 東69 3.4 免 馬 高 火 西75 4
塩町
浜松市史 ニ
(城下の不穏)
の御用達池田庄三郎をはじめ本魚町若森長右(権左)衛門・神明町木綿屋柳瀬権左衛門・七軒町八百屋善兵衛・
塩町
権太
浜松市史 三
(中心街板屋町 問屋街の形成)
0 0 0 旅籠町 58 0 0 0 0
塩町
浜松市史 ニ
(水野氏浜松入)
によって夜も明けやらぬうちから袴(はかま)羽織上下持参で郷宿に詰めていると、明け七ツ半(午前五時ごろ)
塩町
光秋寺
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
龍禅寺町 537 北寺島町 830 伝馬町 166 千歳町 331 平田町 169 旅籠町 120
塩町
浜松市史 五
([横断歩道(歩道橋・地下道)の整備])
同年には、三月に
塩町
の国道一号線に歩道橋を架設することが決定、同年七月には元城小学校前と中部中学校前の
浜松市史 ニ
(寺島八幡地の年貢)
49 利町 17 6 清水町 1 1 大工町 6 4 本魚町 19 10 旅籠町 124 126
塩町
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