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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 五 ([三方原用水導入による新水道計画])

[三方原用水導入による新水道計画] 【三方原用水 大原浄水場】  昭和四十二年(一九六七)八月二十八日,そして昭和四十三年三月にはこの事業の心臓部に当たる大原浄水場の第一期建設工事が完了、同年七月一日から給水,この後、第二期工事では大原浄水場の施設の拡充と市の周辺部や可美村、雄踏町、舞阪町方面への配水管の布設が
浜松市史 五 ([専門学校と各種学校])

近い板屋町への専門学校の建設は学生の通学には便利とあって、これ以降、駅に近い所には浜松情報専門学校や大原簿記専門学校,【名古屋大原学園】  名古屋大原学園は各地に専門学校を展開しているが、浜松では昭和五十七年に浜松大原簿記専門学校,同学園はさらに公務員試験合格を目指して平成九年四月に大原法律専門学校浜松校を設立、翌年四月には大原法律公務員専門学校浜松校
浜松市史 三 (百里園の解散)

がもちあがったのは三十五年六月であるが、これをきいた曳馬村の中村太郎三郎はじめ原川通徹・横山義珍・大石和吉・大原則教
浜松市史 五 ([下水道と上水道の普及])

【上水道 遠州広域水道用水 市民皆水道】  上水道については三方原用水から上水道用水を取り入れ、大原浄水場,これには莫大な投資が必要なことから、県が進めている船明ダムからの中遠水道用水の水を県の於呂浄水場を通して大原浄水場,これは既設の大原や常光の浄水場の増設や都田川ダムからの遠州広域水道用水を県の都田浄水場を経て受水する都田配水場
浜松市史 一 (その他の国司)

さくらいおう)が聖武天皇に奉った歌がみえているが、この桜井王は天武天皇の子孫で、天平十一年(七三九)に大原真人
浜松市史 一 (湖岸各地の関係位置)

浜名の郡家は坤(ひつじさる)(南西)に居り、売愛の大原は庚に帯ぶ。」と記されている。
浜松市史 四 ([治療技術の革新])

戦前以来の結核患者の療養生活の大原則は「大気・安静・栄養」であるが、栄養については、西遠地方事務所は管内市町村長
浜松市史 一 (繁田氏)

大原資良は今川氏の将か。,大原肥前守資良 (浜名郡湖西町) 瀬名氏貞 大永 5.11.23 竜泉寺文書 蒲東方 地頭高橋靏寿丸
浜松市史 ニ (浜松町奉行)

松平伯耆守 根井恵左衛門 木村藤太夫 中島治部右衛門 再役 朝倉四郎左衛門 治部右衛門代 大原武兵衛
浜松市史 三 (電力使用動力機の普及 全国一の普及)

  (『浜松商工会議所五十年史』)    力織機の普及した原因について、県是もあったが、その最大原因
浜松市史 ニ (葉隠堂只木)

そのうち二十七句は遠江の掛川・中泉・新貝・大原など十三か所からの出句で、浜松とあるのは、つぎの一句のみである
浜松市史 五 ([不発弾の処理])

[不発弾の処理] 【不発弾の処理】  浜松市北区の豊岡・三幸・大原町などの一帯や中区の高丘地区は戦前
浜松市史 三 (農家数 耕地面積 農産物 四品)

その最大原因は従来の実綿の生産額が外国綿花の輸入によって需要が減少したためであった。
浜松市史 四 ([電化生活])

中川工区(根洗松開拓・今の根洗町付近)も同じ時期に導入されたが、三方原工区(今の東三方町・豊岡町・三幸町・大原町
浜松市史 五 ([診療所の衰退])

昭和四十三年十月十五日付『静岡新聞』によれば、医師、看護婦、事務員各一人計三人が市中心部から離れた三方原の広域地区(大原町
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌 (浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)

化けもの 次郎助の池】 232 (九)用源寺の身代り薬師 【海老塚 松山將監 三方ケ原の戦い 大原九郎兵衛
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

【笹田学園デザインテクノロジー専門学校】 79 【静岡県西部理容美容専門学校】 80 【名古屋大原学園浜松校
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