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浜松市史 一
(大墓御厨)
大墓御厨 【
大塚
村】大墓(おおつか)御厨 もと東西
大塚
村があり、いまは当市
大塚
町にあたる。
浜松市史 ニ
(北長十郎新田)
そこで起返しのため茅や柳を植え込んだところ、西
大塚
村ではその地点は自村の所有と主張したので訴訟となり、,境界を定めて十二月内済となった(西
大塚
町『鈴木家文書』)。
浜松市史 三
(朝岡福重)
弟子に内田玉英・
大塚
福美・長島福代などがあった。
浜松市史 ニ
(御用船)
(8村) ●中野町 ●中野町 ●国吉 ●国吉 ●新貝 ●常光 ●半場 ●善地 ●鶴見 ○神増 ●西
大塚
,●平松 ●的場 ●掛下 ●東
大塚
●寺谷新田 ●長十郎新田 大助役村 ●老間 (17村) ●東村 ●,請負新田 ○安富 ●藤木 ○掛塚 ○源兵衛新田 ●十郎嶋 ○立野 ●川袋 ○森本 ●西
大塚
浜松市史 三
(天竜川出水)
出水は新貝・東
大塚
・老間・弥助新田・中善地・倉中瀬・高薗・新堀・上小島等各村におよび破堤およそ四千間、
浜松市史 ニ
(新生の村々)
大蒲・名切・塚越・西伝寺・渡瀬・次広・別久・青屋・小松方・西之郷・長鶴・竜光・上飯田・下飯田・福増・西
大塚
,・東
大塚
・新貝・半場・鶴見・安富・庄屋 石田 2 下石田・上石田 天王 4 天王・天王新田・下堀・中田
浜松市史 ニ
(浜松地方の天領)
かわごえじま)・かやは・国吉(くによし)・安富(やすとみ)・鶴見小池・庄屋・鶴(つる)見・同所新田・東
大塚
,・西堀・敷地(しきじ)・同所新田・江口・内明・領家(りょうけ)・おいま・東金折(ひがしかなおり)・西
大塚
浜松市史 三
(料理屋 洋食店 バー カフェー)
いずれも千歳)・鯛めし・川島屋(いずれも肴)・八百吉(伝馬)があり、流行の洋食店には佐藤牛肉店(肴)・
大塚
浜松市史 ニ
(三郎五郎新田)
三郎五郎新田 三郎五郎新田 鈴木三郎五郎という者が十三人を使って西
大塚
の東地続きの地を開発したのがはじまりという,元禄六年・文化元年の石高四十六石で(西
大塚
町『鈴木家文書』)、延宝六年の年貢割付によると反別七町七反一畝余
浜松市史 ニ
(禅宗)
(末寺49寺ソノ他浜名湖北岸一帯ニ末寺ヲ有ス) 竜泉寺● 上飯田 下飯田 鶴見 新貝 竜光 青屋 東
大塚
, 西
大塚
半場 西之郷 立野 四本松 江川 御給 松嶋 恒武 安間 薬師 富屋敷 下中嶋 下前嶋 笹ケ
浜松市史 ニ
(浜松藩の新田開発)
; ○新貝 40 31 靏見 63 9 ○西
大塚
,○新貝 40 31 ○敷地 39 28 ○西
大塚
浜松市史 四
(浜松市復興計画調査委員会)
井上啓一郎、岡部慎爾、中村達一郎、清川久二郎、坪井貞治(以上市会議員)、山根七郎治、神田次郎、平野繁太郎、
大塚
章司
浜松市史 ニ
(天竜川安間川流域)
に土手を築いたところから争論となり、両村の境界にある丑池に土手の位置を移すということで解決している(
大塚
町,引水は水量その他に不都合が多かったので、この年に天竜川(西川)岸に取入口(堰込)を付け替え(その地点は
大塚
村字弁天,悪水吐」の差障になるとして紛争を生じているし、松小池・四本松・本郷の各村では「水際御普請」を新貝村境と西
大塚
村飛地
浜松市史 三
(遠州織物の特色)
遠州織物の特色 大正九年にもこのような不況がおこり、このときは織れば織るほど損をする時代であったが(
大塚
章司
浜松市史 三
(治河協力社解散)
地元寄付金二千七百余円および天竜橋の管理権を沿岸諸村へ譲渡するという約定をもって天竜川沿岸二百三十六か村(代表新貝村
大塚
善八
浜松市史 三
(明治八年小学校)
こうして明治八年には八幡・神立・西
大塚
・上飯田・本郷・入野・篠原・馬郡・伊左地・佐浜・東大山・平松・白洲
浜松市史 一
(蒲御厨)
長鶴郷 長鶴村 16 竜光郷 竜光村 17 幡多郷 上飯田村・下飯田村 18 福増郷 福増村 19
大塚
郷,西
大塚
村・東
大塚
村 20 新貝郷 新貝村 21 半場郷 半場村 22 鶴見郷 鶴見村 23 安富郷
浜松市史 ニ
(新田の種類)
】この新田分布を地形の上から分けると、第一に天竜川に沿う新田として中新田・萱野新田・北長十郎新田・西
大塚
新田
浜松市史 四
([米陸軍顧問団と訓練の開始])
彼等について、指導を受けた
大塚
正七郎はベーコン少佐以下、全員親日家で、人柄も良く、好感を持って迎えることが,出来たと記している(
大塚
正七郎『陸自航空よもやま物語』六十二頁)。
浜松市史 三
(青物市場)
大塚
章司『喜寿格子』)。
浜松市史 三
(民会開催)
岡田良一郎(第三大区)、副議長に青山宙平(第二大区)、幹事に丸尾文六(第三大区)・須永信夫(第二大区)・
大塚
義一郎
浜松市史 三
(第六回 昭和最初の市議選)
政友倶楽部(木堂会系、佐藤章次・久野茂・湯浅輝夫・木村金秋・内藤惣一等)と昭和会(鈴木幸作・石岡孝平・
大塚
章司等
浜松市史 五
([浜松市中央卸売市場の開設])
建設場所は二転三転したものの、最終的に飯田地区の新貝町(新貝・鶴見・下飯田・
大塚
の四町にまたがる)に決
浜松市史 三
(近代俳句の芽生 渥味溪月)
静岡師範学校卒、明治三十二年万斛小学校勤務、和田・入野・曳馬下・白須賀小学校へ転勤、大正六年愛知県宝飯郡
大塚
村
浜松市史 三
(浜松学校)
女 0 女 123 神立学校 神立村 新築 男 2 男 69 有 4円余 3 女 0 女 54 西
大塚
学校,西
大塚
村 寺院 男 1 男 75 有 3円余 5 女 0 女 25 上飯田学校 上飯田村 寺院 男
浜松市史 一
(蒲御厨)
【松井氏領】松井宗信は、今川義元から蒲東方飯田・
大塚
の二村を与えられ、鶴見・長田両郷の今川氏蔵入地(くらいりち
浜松市史 三
(交換米取消願 遠江国民会報告)
が認められないからには交換米取消の出願をなすべきことが議決され、その実行を出願委員三名(岡田・青山・
大塚
義一郎
浜松市史 三
(学区制)
金原明善 31番 500 鶴見村 安富村 庄屋村 小野江善八 32番 604 新貝村 西
大塚
村, 東
大塚
村 三郎五郎新田 領家村 北長十郎新田 東金折村 三河島村 33番 523 金折村 下飯田村
輝くいなほはたの音:わが町文化誌
(浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)
領主の争いと農民 寿量院文書 吉良氏 今川氏 向宿町】 61 【戦国の世に飯田に住みついた武士たち
大塚
郷左衛門,【戦前のあそび】 150 【なつかしいおやつ】 153 【おんべい 事始め 事納め 行事
大塚
町
浜松市史 五
([都市型水害の予防と対策])
浜松市総合排水対策本部を設置して、水害の発生している江東地区、鴨江排水路流域、高台地区、中ノ町地区、
大塚
地区
浜松市史 四
([モラロジーの活動])
このことについて、
大塚
真三著『入門モラロジー』(昭和四十七年九月刊)を手引きに、この浩瀚(こうかん)な
浜松市史 五
([緑の基本構想、緑化推進センターの開設と緑化事業])
緑の基本構想の中で設置が叫ばれていた浜松市緑化センター(後の浜松市緑化推進センター)が
大塚
町の安間川の
浜松市史 四
([災害派遣と救難航空隊の発足])
空輸、写真偵察等当時のL―5飛行機で可能な限りの支援活動を行い、保安隊航空の存在価値を内外に示した(
大塚
正七郎
浜松市史 三
(敷知長上浜名郡役所 郡域変更)
金折村 半場村 北長十郎新田 長鶴村 北島村 青屋村 橋羽村 小松方村 名切村 西之郷村 庄屋村 西
大塚
村
浜松市史 五
([戦災と市民の木])
現浜松郵便局の西側)に移され、次いで昭和五十六年、今度は遠鉄高架化工事に伴い浜松市緑化推進センター(
大塚
町
浜松市史 四
([警察予備隊の発足と航空学校])
壁新聞などが市内で配布され、市民の関心を深めつつあって、不穏な空気が漂っていたとの印象を受けたようだ(
大塚
正七郎
浜松市史 三
(町制施行 敷知郡浜松町 大字制度)
庄屋 青屋 福増 小松方 渡瀬 別久 次広 西ノ郷 新貝 下飯田 北長十郎新田 領家 三郎五郎新田 西
大塚
引佐町史 上巻
(引佐町史 上巻 目次)
発見と歴史と文化を守る会 263 2 継続される学術調査 265 (二)西遠江最古の古墳 ―北岡
大塚
古墳,― 266 1 立地と墳丘の形態 266 2 北岡
大塚
古墳の特質と年代 268 (三)相次ぐ前方後円墳,谷津古墳 295 (五)井伊谷古墳群とその性格 296 1 西遠江と井伊谷古墳群 296 2 北岡
大塚
古墳出現
浜松市史 五
([浜松商業高校の選抜優勝と各校の活躍])
昭和五十七年と五十八年の全国総体の女子砲丸投げでは浜松市立高校の
大塚
真澄がなんと二連覇、浜松工業高校の
浜松市史 五
(浜松史蹟調査顕彰会)
以後、飯尾・寺田二人の熱意と努力に、浜松市の代表的文化人菅沼五十一と、市立中央図書館館長
大塚
克美らの事務的
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
東平等 縄文土器】 9 (二)古墳時代(四世紀~七世紀)【三方原古墳群 千人塚古墳 住吉墓苑南古墳
大塚
古墳
(解説)中村與資平の建築
((解説)中村與資平の建築)
番町小学校や
大塚
窪町小学校がそれである。
浜松市史 ニ
(交錯する諸領)
#160; 中善地 58 天 38 寺 24 西
大塚
, 松小池 218 大 218 東
大塚
浜松市史 四
(オートバイ工業)
ロケット商会 1947 フレーム販売 1949〜61 原、軽、自 クインロケット 自動車販売出典:
大塚
昌利著
浜松市史 四
(図・表一覧)
ホンダ山下会想い出集『轍』 昭和57年2月発行 2-22 浜松地域における1950年代の二輪車工業
大塚
昌利著
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