機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
参照データ一覧
浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 30件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
浜松市史 三
(小野組大火)
小野組
大火
【七年】翌七年四月二十七日、浜松宿はじまって以来の
大火
があった。,、駅中并近傍不残類焼、午前十一時ヨリ南風ニ変リ、東ハ馬込村迄延焼シ、午後第四時鎮火、右ハ管下未曾有之
大火
,浜松廃城と小野組の
大火
、この二つの事件は城下町・宿場町として生きてきた浜松への挽歌であった。 / 小野組
大火
浜松市史 三
(明治八大火事)
明治八
大火
事 以上の火災と小野組の火災を合わせ明治の八
大火
事という。 / 明治八
大火
事
浜松市史 四
([松城官庁街の大火])
[松城官庁街の
大火
] 【浜松東警察署 浜松税務署】 昭和三十三年四月十四日午後三時十分ごろ、新庁舎,はさらに有楽街の大映劇場裏・松竹座前、寺島町の民家にも及び、いずれも屋根を少し焦がすなど、戦後まれにみる
大火
,ただ、静岡
大火
の二の舞になることが避けられたことは不幸中の幸いであった。 ,図3-11 松城官庁街の
大火
を報ずる『静岡新聞』 / [松城官庁街の
大火
]
浜松市史 一
(火災)
火災 冬は天気が良くて空気が乾き、かつ西風が強いから火災が発生しやすく、この季節に
大火
が起こりやすい,その中でもとくに
大火
となっているのは火元が西方にある場合である。
浜松市史 三
(高町火事)
高町火事 明治三十年以後にも
大火
が三回あった。
龍山村史
(龍山村史 目次)
官有地払い下げ運動 五四一 三 丸山講騒動 五四三 四 天竜川西川渡船の改革 五四五 五 山林
大火
,の活躍 五六五 (二)銃後の村 五六六 五 白倉報徳社の設立 五六七 六 あいつぐ水害と西川の
大火
,村議選 六二五 四 不況下のあいつぐ災害 六二六 (一)大正五年の集団赤痢 六二六 (二)峰之沢
大火
,あいつぐ動員 六四五 (三)国家総動員法の発令 六四七 三 村内の戦時体制 六四八 四 あいつぐ
大火
,六五二 (一)瀬尻の
大火
六五二 (二)下平山の
大火
六五四 (三)秋葉山の
大火
六五四 第九節
浜松市史 三
(江間殿小路火事)
二十五年三月出火した付近で、家屋が密接した地域なので、容易に鎮火しなかったが、消防組の活動と警官の督励によって
大火
事
浜松市史 四
([火災予防])
【防火商店街 浜松ショッピングセンター】 浜松は明治時代に二度の
大火
に見舞われた。,静岡市では昭和十五年(一九四〇)に五千軒を焼く静岡
大火
があり、戦後も二俣や熱海で大きな火災が起きた。,浜松では戦後九年を過ぎても都市計画が順調に進まず、狭い道路にバラック建ての商店が密集するなど、
大火
が起
浜松市史 四
([商店密集地での火災])
白昼の火災でこれだけの
大火
になった原因は、放火で火の回りが早かったこと、人家が密集しており、道路が狭く
浜松市史 三
(各町消防組 連合消防組)
各町消防組 連合消防組 【七年十月】しかるに明治七年の小野組
大火
によって、各町は消防組設置の必要を感
浜松が生んだ名建築家中村與資平展
((6)静岡県庁舎(本館))
これらの建物は静岡
大火
と戦災にあったが、公会堂を除いて現存しており、その建築美は今も失われていない。
浜松市史 三
(笠井商人の自覚 西遠太物業組合)
こうして太物類の購入と販売との二方面に力を注ぐこととなったが、十八年の笠井の
大火
で罹災し解散している。
浜松市史 四
([東署の改築])
強風にあおられて東署を全焼、隣接の浜松税務署も全焼させ、飛び火によって常盤幼稚園も全焼する戦後最大の
大火
浜松市史 四
([浜松西高等学校の火災])
同校は小高い山に建てられ、発見が遅く大事に至ったもので、その上、消火活動に不運が重なり思わぬ
大火
となった
浜松市史 ニ
(宿駅の困窮と余荷)
浜松宿では天保六年十一月に
大火
が起こり、伝馬町ほか五か町が類焼し、常備人馬の持立が困難となったので、御定人馬百疋百人
春野町史 通史編 下巻
(春野町史 通史編 下巻 目次)
普選の成立と総選挙 463 三 周智郡役所の廃止 468 四 第一回国勢調査 475 五 町域の
大火
, 慰問と婦人会 677 三 隣組の強化と警防団 683 四 映画会の変質 687 五 秋葉山の
大火
浜松市史 三
(上水道 上水道規模)
進展による飲料水の不足、水質の悪化、特に発展途上の高台地区の水不足は深刻で、こうした水利の未整備は一旦
大火
天竜市史 上巻
(天竜市史 上巻 目次)
六二四 二俣村名主袴田甚右衛門 水害になやむ二俣村 鳥羽山堀割第一期工事 第二期工事 第四節
大火
,と大地震 六三五
大火
に怯える村々 安政の大地震 第六章 幕藩制社会の動揺 第一節 村落構造の
浜松市史 三
(大区小区制)
当時浜松宿の戸長副戸長は何名であったか不明であるが、明治七年四月「浜松宿
大火
罹災救助慰労」(『明治初期静岡県史料第四巻
天竜市史 下巻
(天竜市史 下巻 目次)
発足 消防団の発足 第三節 記録に残る災害等 二七五 第一項 市域の火災 二七五 相つぐ二俣村の
大火
, 熊村の山火事 横山の
大火
熊村字市場の火災 光明寺の火災 秋葉山の
大火
二俣町の
大火
第二項 河川
浜松市史 三
(目次)
にみる浜松 一二八 明治維新の浜松 第二項 廃城と
大火
, 第六項 浜松の災害 二八三 明治後半期の
大火
事
浜松市史 三
(活動写真)
鷹野つぎは歌舞伎座で日露戦争後「サンフランシスコの
大火
災」を(『娘と時代』)、また同座では明治四十二年浜松中学校
浜松市史 四
([女性運動の展開])
・熱海
大火
見舞金義援 ・箱根診療所、孤児が収容されている舘山寺こどもの家福音寮,国立病院,養老院,母子寮
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
明和九年(一七七二)二月十二日に紺屋町から出火して連尺町・神明町・田町・板屋町方面まで延焼するという
大火
浜松市史 三
(小野組支店)
火災】浜松の支店もその一つで、浜松伝馬町にあり浜松県庁の出納方を勤めたが、明治七年四月二十七日に浜松の
大火
解説「浜松の明治以降の資料」
(解説「浜松の明治以降の資料」)
ただ、浜松市は明治以降2度の
大火
と太平洋戦争による大空襲で市内の中心部のほとんどが焦土と化し、良質な史料
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
(四)浜松宿における宿泊施設 21 (五)浜松宿における本陣 【杉浦助右衛門本陣 小野組
大火
,明治の大旅館、大米屋と花屋 【伝馬町 一新講社 浪花講 関東講 真誠講】 426 11 明治の
大火
浜松市史 四
(目次)
商店密集地での火災 浜松西高等学校の火災 松城官庁街の
大火
引佐町史 下巻
(引佐町史 下巻 目次)
寺院の明治維新 237 2 方広寺経営の危機 238 3 半僧坊の再建 240 4 奥山村の
大火
浜松市史 四
(図・表一覧)
西高新聞縮刷版』昭和48年10月発行「浜松西高新聞」特報 1954年7月7日付 3-11 松城官庁街の
大火
/ 1ページ