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浜松市史 ニ
(大雄庵開創)
大雄庵
開創 石窓が
大雄庵
を創めたのは、延宝四年(一六七六)で、当時天神町村(当市天神町)に妙見菩薩の,これが
大雄庵
である。天神町村は石窓の生まれた将監名村にとなりあっている。,石窓が
大雄庵
をはじめたのは黄檗教線の浜松進出をはかったものに違いないが、胸中ひそかに故郷の恩にむくいる,【浜松人の協力】この
大雄庵
の創立には多くの篤志者の援護があった。,その著に『
大雄庵
創建記』『
大雄庵
石窓行由』がある。 石窓像(浜松市天神町 大雄寺) /
大雄庵
開創
浜松市史 ニ
(大雄庵の法系)
大雄庵
の法系 石窓以後、
大雄庵
の法燈は二代義山(ぎざん)・三代鼎山(ていざん)・四代陳宗(ちんそう),宝暦二年(一七五二)生まれ、安永二年(一七七三)四月八日
大雄庵
に入った。,のも仙台大年寺(黄檗宗の寺)の副寺監などをつとめ寛政七年
大雄庵
に帰山している。,【楚州】八代楚州は、
大雄庵
歴代のうちもっとも傑出した僧として知られている。,その法子に碧潭・冲天・勇峰・禅統があり、いずれも
大雄庵
を継いでいる。 /
大雄庵
の法系
浜松市史 ニ
(禅統)
大雄庵
で得度、その法燈を継いだが、のちに出でて初山二十二代となった。,明治九年十一月十六日五十七歳で示寂した(内田旭『浜松の
大雄庵
』)。 ,いま、
大雄庵
には石窓以下歴代の墓碑が並び、漢門は浜松市の文化財に指定されている。
浜松市史 ニ
(下堀村吾憂社)
【妙恩寺日満
大雄庵
禅統】そのほか妙恩寺(当市天龍川町)二十六代住職日満、
大雄庵
十二代住職禅統(明治九年十一月十六日没
浜松市史 ニ
(浜松の黄檗宗)
浜松の黄檗宗 浜松と黄檗宗との法縁は、
大雄庵
(だいおうあん)(当市天神町大雄寺)を開いた石窓によってはじまる
浜松市史 ニ
(内田乾隈)
【八木正路 楚州】水野藩の儒員八木正路に従い、のち
大雄庵
の楚州に漢学を学んだ。
浜松市史 ニ
(西遠・中遠の書家)
【禅統】このほか、
大雄庵
(いま大雄寺)十二代住職禅統および前述の高林方朗・小沢仁庵などがある。
浜松市史 四
([遠州大念仏の復活])
[遠州大念仏の復活] 【中村雄次
大雄庵
】 浜松市域の人々が地元の寺社の祭礼を通して宗教的因縁として,例えば天神町の中村雄次の懐旧談には、黄檗宗妙見山
大雄庵
の寺施餓鬼に奏せられる「チンチンドンドン」の音と,蒲神明宮の秋祭り(ごしんさま)、鴨江観音の彼岸会(おかもえ)へ出かけたことなどを挙げている(白土彦編『
大雄菴
浜松市史 三
(内田旭)
このほか『渡辺蒙庵の研究』『村尾元融兄弟』『浜松の村尾元融』『浜松の
大雄庵
』『遠州の先賢掛川海野予介』
浜松市史 ニ
(印西派)
【曽我柳橋】
大雄庵
の曽我柳橋(第七章第一節および本節三和算の項参照)も竹山孫左衛門に師事し弓術家として
浜松市史 ニ
(浜松宿内と周辺の私塾寺子屋)
足立衛 新町 〃 20~30人 真言院皓賢 鴨江 〃 140人内外 岡部与三郎 伊場 〃 30~40人
大雄庵
楚州
浜松市史 ニ
(流行の仏たち)
妙見菩薩 法雲寺・
大雄庵
。 虚空蔵菩薩 新橋村蔵興寺。 地蔵菩薩 鴨江寺の水向地蔵。
浜松市史 ニ
(宝林寺の法系)
このうち法源をのぞく他の禅僧は
大雄庵
(だいおうあん)(当市天神町)に関係がふかいので後述することとして
輝くいなほはたの音:わが町文化誌
(浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)
125 【織物のまち 佐藤町 磯部繁蔵】 125 【佐藤町栄養食配給組合の結成】 128 【
大雄庵
,竜泉寺 飯田町】 143 【田舎芝居 歌舞伎】 144 【諏訪神社の祭り 中島町】 145 【
大雄庵
浜松市史 ニ
(巡礼)
34 貴平村 青観寺 78 内野村 良泉寺 35 有新村 大日堂 79 中野町 観音堂 36 天神町
大雄庵
浜松市史 ニ
([幕末の算法])
辻村作兵衛久道は志都呂の人で、師は不明であるが、天元(てんげん)術・点竄(てんざん)術をよくし、交友に
大雄庵
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