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浜松市史 ニ
(天林寺と高力氏)
天林寺
と高力氏 高力忠房の次男長房は寛永七年江戸城中奥の小姓に就任したが翌八年死去し、浜松池川村の
天林寺
,
天林寺
にはその墓(五輪塔)があり、同寺の過去帳には「御城主高力摂津守様御子息兵部殿」とある。 /
天林寺
と高力氏
浜松市史 三
(弔祭)
4 3 2 人員 1 38 26 32 69 144 190 122 418 210 場所 元城校
天林寺
,
天林寺
天林寺
天林寺
天林寺
天林寺
元城校 市公会堂 市議事堂
浜松市史 ニ
(明光寺口)
古城の「大手は明光寺口、搦手を
天林寺
口と称し」(『武徳編年集成』)たというが、
天林寺
口はおそらく元目口,明光寺は下池川村(現在下池川町)の明光寺山の麓にあって「曹洞宗、
天林寺
末、寺廃而薬師堂領、朱符之寺田三石存,池川谷をへだてて北にあるのが
天林寺
である。
浜松市史 ニ
(卓池の来遊)
【
天林寺
風流九家会】卓池が西遠を訪れた記録は、文化七年(舘山寺方面)・天保十年(掛塚方面)のほか同十二年,(一八四一)八月、浜松の
天林寺
で催された「風流九家会」(本節 二 建築・絵画・書道の項参照)があり、また
浜松市史 一
(普済寺十三派)
【新豊院
天林寺
西来院 宗源院】その門下で新豊院(当市砂山町)透翁義能(とうおうぎのう)らは、西遠に,また潔堂義俊が開山の
天林寺
、月窓義運の開いた西来院、在天弘運を開山とする宗源院など、普済寺派の寺院が、,三州高松 10 命天派 (命天慶受) 宿芦寺 遠州堀江村 (浜松市庄内町) 11 潔堂派 (潔堂義俊)
天林寺
浜松市史 三
(織田利三郎)
浜松の人で明治十六年池坊家へ入門、池坊家元参房職についた(昭和十五年一月十八日没、墓
天林寺
)。
浜松市史 三
(廃寺と合併 上知令)
寺院名 所在地 廃寺年 天台宗 万戒寺 平田 明治以前 曹洞宗 宗安寺(
天林寺
末) 高町,明治6年 昌安寺(
天林寺
末) 下垂町 〃 用源寺(
天林寺
末) 海老塚 〃 時宗 浄鏡院(教興寺末
浜松市史 三
(子規三方原句碑)
子規三方原句碑 昭和六年四月には浜松市
天林寺
境内に「馬通る三方原や時鳥」の子規の句碑を建立したが、翌七年十一月二十四日市内森田町地先
浜松市史 三
(浜松の名所)
浜松の名所 【梅 花見 藤 牡丹 桃 夜見世】浜松の名所には
天林寺
の花見・鴨江寺の池・西来院の藤・半僧坊,の月見・
天林寺
の牡丹(ぼたん)・馬込の納涼・五社公園の桜・鹿谷園の躑躅(つつじ)・浅田の螢(ほたる)・
浜松市史 三
(火葬場)
火葬場 火葬場 従来私設で、下池川字
天林寺
山と福地字西方の二か所に分散していたが、大正十三年四月市内大字中沢
浜松市史 ニ
(曹洞宗)
曹洞宗 曹洞宗
天林寺
末として南能庵(板屋町、明治十六年大聖寺と改称、那賀山乙巳文『真道山大聖寺誌』
浜松市史 三
(会場)
会場 ①会場及び建物 【東会場】東会場 位置 元浜町及び
天林寺
境内 敷地 三万四千二百平方,余興も興味を添える点で必要ということで、東会場の
天林寺
公園には演芸館(観覧料大人一名三〇銭)を設け、浜松芸妓
浜松市史 ニ
(主要寺院)
日蓮宗 妙恩寺(佐々木茂『日蓮宗長光山妙恩寺』) 東本徳寺 西本徳寺 曹洞宗 普済寺
天林寺
浜松市史 三
(献納運動の強化)
の青銅大鳥居は十七年九月に、これと前後して高山仰止元城小学校校長・大賀辰太郎西小学校校長・宮本甚七(
天林寺
境内
浜松市史 五
([教化活動の現れ])
【
天林寺
】 寺院側の積極的な教化活動の例のうち、鴨江寺(高野山真言宗・鴨江四丁目)の春秋彼岸会や蔵興寺,昭和六十三年十一月八日付記事で、
天林寺
(曹洞宗・下池川町)の開山五百年を記念し、報恩授戒会が天竜川以西百六十寺院,この準備は昭和六十一年の
天林寺
本堂完成を期してなされたという。
浜松市史 三
(浜松八景)
野口八幡宮の桜・
天林寺
の牡丹(ぼたん)・西来院の藤・高町半僧坊の秋月・鴨江寺の池・平田(なめだ)の蓮・
浜松市史 三
(石川倉次)
明治三十六年八月に
天林寺
の祖母の母石川とよの墓へお参りにきている。
浜松市史 三
(行楽地)
春 桃花(若林・銭取) 桜花(五社公園・天守閣・八幡公園・岩水寺) 牡丹(ぼたん)(
天林寺
公園) 躑躅
浜松市史 三
(石川雅長 林鋼三郎)
林鋼三郎 石川雅長は、会津藩少年隊の出身、東京へ出てのち浜松へ移り住んだが、歌をよくしたという(墓、
天林寺
浜松市史 四
([幼稚園])
元城町)・葵(高町)・松城(松城町)・昭和(向宿町)・青葉(栄町)・馬込(野口町)・朝田(浅田町)・
天林寺
浜松市史 四
([私立幼稚園の復興])
戦後の開(再開)園として早かったのは昭和二十一年四月の赤門(新津村)、青葉(栄町)、
天林寺
(田町)、同八月,キリスト教系幼稚園はこの松城と市内最古の歴史を誇る常盤幼稚園の二つ、仏教系は朝田・赤門・
天林寺
の各幼稚園
浜松市史 五
(開帳)
昭和六十三年八月二十八日付記事では、
天林寺
(曹洞宗・下池川町)において県内曹洞宗徒弟による駒澤大学静陵会主催,同六十三年十二月四日付記事、右の
天林寺
ではその保育園の子供たちの生活発表会が
天林寺
保育園で行われた。
浜松市史 三
(中島登)
中島登 異色の人物に、浜松紺屋町に明治十七年銃砲火薬店を創めた中島登(明治二十年四月没、五十歳、墓
天林寺
浜松市史 ニ
(宗旨人別帳)
曹洞宗檀家三十九軒男女百四十六人(内男七十三人、女七十三人)と下人十三人(男九人、女四人)合計百五十九人につき調査し、檀那寺(
天林寺
,浜松田町宗旨改帳(引佐郡細江町 林岱雲氏蔵) 一 禅宗曹洞派池川村
天林寺
印 庄屋
浜松市史 三
(常盤幼稚園 葵幼稚園)
48 44 分園佐藤町 2 33 17 16 私立朝田幼稚園 浅田町 6 132 68 64 私立
天林寺
幼稚園
浜松市史 ニ
(風流九家会)
天保十二年八月二十九日下池川の
天林寺
で開かれた会で、詩・文・書・画・和歌・連歌・俳諧・篆刻(てんこく)
浜松市史 三
(忘れられていく地名)
市の繁華街にある坂、そのほか灯籠(とうろう)坂(県居神社の側の坂)・平手坂(平手堅物の碑に上る坂)・
天林寺
坂
浜松市史 四
([罹災した寺院])
玄忠寺(田町)、法雲寺(旭町)、大聖寺(板屋町)、仙林寺(野口町)、万福寺(八幡町)、広厳寺(船越町)、
天林寺
浜松市史 ニ
(寺院の形式化)
旧家山下佐二兵衛家は法永寺と定明寺の両寺に墓地をもち、伊場村岡部家は同村の見海院が檀那寺であるがその本寺の
天林寺
浜松市史 ニ
(調達金下命)
ついては借主には池川の
天林寺
・上飯田の竜泉寺・有玉の竜秀院・三島の神宮寺がなるが、質物としては有玉下村
浜松市史 ニ
(源吉・因徹の対局)
文政八年(一八二五)九月一日六十三歳で没し、
天林寺
に葬られた。
浜松市史 ニ
(本末制度の進行)
かんぶん)二年(一六六二)肴(さかな)町大安寺創建、入野村彦尾の不動堂開眼(かいげん)、同十一年松嶋新田へ
天林寺
塔頭
浜松市史 ニ
(三ヶ日出兵)
しかし二十九日の夕方、
天林寺
に一番手、二番手の部隊が出兵する状況となって飯島新三郎からやはり御用達・仕法掛
浜松市史 五
(托鉢)
托鉢は
天林寺
(曹洞宗・下池川町)から浜松駅方面に向かい、家々を廻って喜捨を仰ぐ軒鉢や通行人から喜捨を受
浜松市史 三
(被爆地域)
寺島方面②中島町浅野重工業会社工場より相生町鈴木織機工場方面③東伊場町浜松鉄道工場方面④上池川町・下池川町
天林寺
方面
浜松市史 ニ
(遠江の書画会と浜松地方)
掛川円満寺 村松助弥 11 (3)○ 風流九家会 〃 12・ 8・ 29 1841 浜松
天林寺
浜松市史 ニ
(禅宗)
松嶋 恒武 安間 薬師 富屋敷 下中嶋 下前嶋 笹ケ瀬(末寺26寺) 西来院● 高町 早出 上嶋細嶋
天林寺
浜松市史 三
(童話の実演)
、月例会場として成子町法林寺、そのほか各小学校・各寺院・会社の寮・田町共生会館・信行社などを巡回し、
天林寺
浜松市史 五
([郊外での保育園の急増])
60 (福)浜松児童福祉園 (福)聖隷福祉事業団 * * 120 0 120 51年度
天林寺
保育園
浜松市史 ニ
(安政五年の不作)
そしてすでに
天林寺
下まで押し出していた農民たちの要望をきき、今夜のところは神妙に帰村するよう言いきかせ
浜松市史 ニ
(浜松の主要交通路)
、連尺町追手札之辻から神明(しんめい)町・田町・池町・下垂(しもだれ)町・元目(げんもく)・池川村・
天林寺
浜松市史 五
([施設の刷新])
【
天林寺
】 昭和六十一年十月五日付記事では、
天林寺
(曹洞宗・下池川町)本堂新築の落慶式法要が執行されたことを
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
市立浜松高等女学校 元魚町松尾神社 私立誠心高等女学校 鴨江寺 女子商業学校 普済寺 元城国民学校
天林寺
浜松市史 五
(橋)
飯田浜松線を結んで住吉町以北から中心部へ下る交通をこれへ移す、②下池川町─中沢町間(九五三メートル、通称
天林寺
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
228 (六)神照山瑞生寺 【西の寺 水琴窟】 229 (七)潮音山見海院 【中の寺
天林寺
, 鉄道院浜松工場】 230 (八)鶴枩山光雲寺 【東の寺
天林寺
緑ヶ丘幼稚園 鯖提弘法大師の伝説
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
(1784) 鍛冶町浄鏡院火事 天明 7 (1787) 新豊院火事 寛政 9.11 (1797)
天林寺
火事
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
○ 椿姫観音(元浜町) 196 【引馬城 飯尾豊前守乗龍 お田鶴の方 徳川家康】 196 ○
天林寺
,後道 本丸御殿跡】 218 【常楽寺 中沢町 曳馬村阿弥陀 富士浅間神社 毘沙門堂】 219 【
天林寺
,浜松中央幼稚園 尾張町】 237 【日本文教幼稚園 常盤町】 238 【中沢幼稚園 中沢町】 239 【
天林寺
保育園
細江町史 通史編中
(細江町史 通史編 中 目次)
広沢山普済寺の炎上 196 1 合戦当時の浜松城 196 2 玄黙寺と玄黙口 197 3 明光寺口と
天林寺
解説「浜松の明治以降の資料」
(解説「浜松の明治以降の資料」)
東会場のうち、
天林寺
に近い方面と東側の元浜町方面の間には二俣街道が通っていたため、事故防止の観点から高架橋
浜松市史 四
([オートレース場の建設])
【オートレース場設置反対運動】 このころ、オートレース場は下池川町の
天林寺
西の牛山一帯
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