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浜松市史 三
(姫街道)
姫街道
【旧
姫街道
】①姫(ひめ)街道 旧来の
姫街道
は、県会で明治十二年県費支弁の道路に指定されたが(,【新
姫街道
】しかしそののち、浜松神明で東海道国道と別れ、榎町(えのきまち)(紺屋町の一部)・紺屋・高・,名残から三方原を経て気賀を終点とする県道静岡気賀線が大正八年に新
姫街道
と指定された。 /
姫街道
浜松市史 ニ
(二筋の姫街道)
二筋の
姫街道
【浜松道】いずれにせよ、時代がくだるにつれ、見付宿から東海道を西進し、浜松宿大手門前で,東海道と岐れ、さらに高町・名残町を経て、三方原の追分にいたる道筋が
姫街道
といわれるようになっていったのである,したがって
姫街道
の道筋は、時代によって二筋あったとみるのがもっとも妥当の見解といえよう。,現に安政三年の絵図には、浜松宿を経て追分にいたる道を
姫街道
、安間から市野を経て追分までを市野道と記してある,
姫街道
の松並木(浜松市三方原付近)
姫街道
地図 / 二筋の
姫街道
浜松市史 ニ
(姫街道の名称)
姫街道
の名称 【三つの説】
姫街道
のいわれにはいろいろの巷説がある。,また今切という言葉が婦女子にとって縁切れに通ずる不吉のひびきがあるので、本坂道をえらんだから
姫街道
と呼 /
姫街道
の名称
浜松市史 ニ
(姫街道と宝永地震)
姫街道
と宝永地震
姫街道
が脇往還としてもっともその機能をあらわしたのは、宝永四年(一七〇七)十月四日,そればかりでなく「今切之渡海広罷成故、浪荒渡舟不自由」(「宝永の災害」『細江のあゆみ』3号)になったので、一時に
姫街道
/
姫街道
と宝永地震
浜松市史 ニ
(姫街道の重要性)
姫街道
の重要性 浜名湖の今切の渡船をさけて通行がしげかったので、幕府でも重視した道で『本坂御往来留書 /
姫街道
の重要性
浜松市史 ニ
(姫街道の通行停止)
姫街道
の通行停止 【浜松宿への影響】これは浜松宿をはじめ東海道の諸宿にとって「御役難勤渡世経営不罷成迷惑 /
姫街道
の通行停止
しいの森はぎの原:わが町文化誌
(浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)
】 14 【引馬野と飛鳥を結ぶもの 夏目隆文 万葉集遠江歌新考 檜隈 渡来人 市歌】 15
姫街道
追分三辻,【二つの道 宇藤坂 千人塚古墳 追分一里塚 道標 北星中学校】 17 【
姫街道
の松並木】 18,【
姫街道
のいわれ 官道 本坂道 防人 万葉集 物部古麻呂 今切渡し】 20 【本坂道御留書 細江町史, 姫様道中 徳川吉宗 浄円院 参勤交代 お茶壺道中 象鳴坂】 23 【
姫街道
いま 開拓 肥街道】 , はざ】 118
姫街道
、町並み繁盛記 【商店街 和合町 住吉 そうめん屋 自転車屋 一文菓子屋
浜松市史 ニ
(本坂道)
本坂道
姫街道
は東海道の脇往還である。公儀では本坂道・本坂通・本坂越などと呼んだ。,【道筋 安間新田】
姫街道
の江戸時代の道筋は、東海道五十三次の遠江見付宿から三河御油宿にいたるもので、見付宿
浜松市史 ニ
(現存の一里塚)
浜松宿近郷の一里塚で、現在昔の俤をとどめているのは
姫街道
の市野から三方原台地に登り、追分に近い道側に一基
浜松市史 五
([松くい虫の被害と対策])
同四十一年一月には
姫街道
の松並木での被害が報告されている。,これが行われたのは同年の二月から三月にかけて、
姫街道
沿い、四ツ池公園、浜松城公園などの松約三百二十本を
浜松市史 三
(人車鉄道)
明治30.4.22却下 浜松〃 浜松-西鹿島 〃29.9.20 〃30.8.7仮免 〃34年失効
姫街道
浜松市史 ニ
(宝永の地震)
津浪(つなみ)のため今切渡船が杜絶し東海道往復の旅客は
姫街道
筋に奪われ浜松宿が困窮したことはすでに述べた
浜松市史 三
(浜松案内書)
その著『山水と歴史』(昭和九年刊、千倉書房)には「
姫街道
と三方原」があり、曳馬の萩・細江のみおつくし・
浜松市史 ニ
(築山殿殺される)
築山殿殺される 築山殿は本坂道(
姫街道
)を三ケ日(みっかび)にでて、そこから浜名湖をわたり、宇布見から
浜松市史 一
(板築駅)
板築駅 ここに、湖南を経ず、湖北を通って三河と連絡するいわゆる
姫街道
の重要性が認められる。
浜松市史 ニ
(家康の進路)
酒井忠次は、本坂峠を経由して湖北の気賀(けが)に通ずる本坂路(のちの
姫街道
)を進んだ。
今切変遷図
(解説)
浜松市博物館所蔵、
姫街道
と銅鐸の歴史民俗資料館に保管。 ,旅行者は本坂通(
姫街道
)に集中し、浜松、舞坂、新居の宿場からは本坂通の通行禁止が求められたが、後の明和元年
浜松市史 三
(気賀林の三方原開発案)
開発人に元入金を補い、なお年貢を仰付けられたい、というのが要旨で、つまり浜松と気賀との中間の往還通り(
姫街道
ふる里ながかみ:わが町文化誌
(浜松市立長上公民館『ふる里ながかみ:わが町文化誌』 目次)
武士の台頭 24 定着する人々 25 新田大開発の時代 26 長上の神社と寺院 27
姫街道
,起源) 64 天竜川流路の変遷 66 第2節 川と道 安間川 77 その他の河川 84
姫街道
浜松市史 ニ
(天保期の一里塚)
新町2664 新居 〃 69里 西町368 西町369 白須賀 〃 70里 元町477 宅地となる
姫街道
浜松市史 三
(入植の困難)
故に一都会をなせり」といっているが、実際は気賀林が最初意図したような気賀道(
姫街道
)に沿う町作りは進行
浜松市史 ニ
(浜松の主要交通路)
【
姫街道
】その脇往還として
姫街道
のあることも周知のとおりである。
浜松市史 四
([国体秋季大会の開催])
鹿谷公園の庭球場入口までは、
姫街道
と六間道路から新しく道路(国体道路)をつくり、六面のコートが整備されていた
浜松市史 ニ
(町屋)
名残町(なぐりまち)(名栗町とも書く)
姫街道
のはずれに発達した町である。
浜松市史 三
(市内道路の改良)
また距離の最長は高町から飛行隊に至る
姫街道
の四千メートルの改良工事で、曳馬(ひくま)坂と呼ばれた高町の
東方見聞録:東区の文化誌
(東区役所まちづくり推進課東方見聞録編集委員会『東方見聞録:東区の文化誌』 目次)
びと 85 第24話 東海道の松並木と牓示杭 87 第25話 東海道 風景点描 90 第26話
姫街道
,92 第27話
姫街道
市野宿を中心に 94 第28話 信仰の道 秋葉街道 96 第29話 笠井街道
浜松市史 五
([交通事故の急増と対策])
昭和三十四年当初は市内の交通信号機は七カ所に過ぎなかったが、同三十四年九月には国道連尺町角・
姫街道
追分角
浜松市史 五
(下水道)
この事業は昭和三十四年度から十カ年計画で始まり、区域は東は馬込川、西は名残町を起点に
姫街道
沿いの亀山町
浜松市史 三
(上水道 上水道規模)
浄水した後、高林地内を南行して中沢町に下り自然流下によって市内低区に配水する線と、喞筒(ポンプ)により
姫街道
細江町史 通史編中
(細江町史 通史編 中 目次)
への移行 289 中世編の執筆について 291 第4編 近世 第1章 気賀の関所 第1節
姫街道
,と気賀の関 295
姫街道
の名 295
姫街道
のあらまし 295 細江町のなごり 297 第2
浜松市史 五
([危険地帯の民家移転])
その後も、
姫街道
と基地の滑走路に挟まれた地域にある民家やその周辺の民家(土地)の移転も進めていったが、
浜松市史 三
(浜松鉄道株式会社)
【気賀線】静岡気賀線(
姫街道
)に沿い三方原に出て、浜松田口線(金指街道ともいう)に沿って北上し金指へ出
浜松市史 五
([PTA活動])
新設された北星中学校への
姫街道
側からの近道がなく、生徒の多くが遠回りしているのを見かねた同校のPTAは
天竜川と東海道:わがまち文化誌
(浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次)
江戸時代の東海道 街道筋の村々と松並木 傍示杭 板橋・土橋 道幅 掃除町場 一里塚 立場茶屋 脇道
姫街道
浜松市史 ニ
(目次)
一七一 浜松を中心とする街道
姫街道
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
浜松市鴨江 渥美静一氏蔵) 一七〇 琉球使節墓(浜松市平田町 西見寺) 一七八
姫街道
,の松並木(浜松市三方原付近) 一七九
姫街道
地図
浜松市史 五
(橋)
天竜市方面、三方原方面の交通量が増え、とりわけ飯田浜松線(通称二俣街道、浜松赤十字病院前)や恵那浜松線(通称
姫街道
浜松市史 五
([進むバイパスと環状線の建設])
その後、県道六五号・浜松環状線)として建設が進められ、昭和五十六年には伊佐地川付近から県道磐田細江線(
姫街道
浜松市史 五
([詩歌界の動き])
八編) ○私の青写真―サイクリング・ロードへの夢―(六編) 集の初め数頁には、弁天島夜景、
姫街道
細江町史 通史編下
(細江町史 通史編 下 目次)
古文書研究会 339 12 細江町美術協会 339 13 細江町史料調査会 340 14 細江町
姫街道
歴史民俗資料館
浜松市史 四
([戦後緊急開拓と浜松の開拓地])
浜松市葵町) 浜松開拓の北東部に隣接し、旧軍用地外周道路と、浜松市街地から引佐郡気賀町に至る松並木が残る
姫街道
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
とぴあ浜松住吉支店 75 五 交通・通信の移り変わり 76 (一)古い道と新しい道 76 【
姫街道
浜北市史 通史 上巻
(浜北市史 通史 上巻 目次)
第二節 遠江地方の御札降りと浜北の御札降り 1383 1 東海道新居宿の場合 1383 2
姫街道
気賀宿周辺地域
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