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浜松市史 三
(富塚村)
富塚村
富塚村
は明治二十二年四月一日町村制施行によって富塚(
富塚村
・小薮村の二か村が合併して成立)・,、戸数三五、人口一七五)が浜松市へ編入され、昭和十一年二月十一日には残る全村もまた浜松市へ編入されて
富塚村
/
富塚村
浜松市史 三
(富塚村の例)
富塚村
の例 ここで、浜名郡
富塚村
(昭和十一年浜松市に合併)の当時の状況をふりかえってみよう(昭和七年刊,『
富塚村
誌』)。,として高台地域で農業に従事したが中には「飛行聯隊ヲ目当ニ」商売を営む者も少くなかったという状況であった(
富塚村
,(表)
富塚村
の人口移動 (昭和6年9月調査) 入寄者 出寄者 男 女 合計 前住地 男 女 合計 /
富塚村
の例
浜松市史 三
(少年消防隊)
【
富塚村
】
富塚村
では大正八年の一月に創立、消防訓練で静岡県消防組連合会や浜松警察署長などから表彰をうけたり,、自村の火災に出動し感謝状を受けている(『
富塚村
誌』)。
浜松市史 三
(小村の合併)
都田村 三新村】また諸制度が改められるにつれ小村の行政が困難になったのでこの年には村の合併も行なわれ、
富塚村
,上中島村へ合併)・蜆塚村(入野村へ合併)・谷上村(佐浜村へ合併)・片草村(西鴨江村へ合併)・小籔村(
富塚村
,8月) 郡名 合併前の宿村名 合併後の宿村名 名称の変らない宿村 新設された村 敷知郡 浜松宿
富塚村
,人見村 西鴨江村 片草村 西鴨江村 馬生村 馬船村 寸田ヶ谷村 和合村 富新屋村 不遣村
富塚村
, 小薮村
富塚村
西追分村 東追分村 両追分村 長上郡 宮竹村 宮竹新屋村 宮竹村 頭陀寺村 参野村
浜松市史 三
(富塚耕地整理組合)
ここで、昭和初年に実施された耕地整理の一例として浜名郡
富塚村
(現浜松市)の場合について述べてみよう(昭和七年刊,『
富塚村
誌』)。,(表)
富塚村
の耕地整理 ①工事費(予算) 第一次工事 第二次工事 総計 設計変更前 設計変更後,1,670 総計 110,000円 45,506円 51,000円 161,000円 (表)
富塚村
浜松市史 三
(各村消防組)
の結成をみるようになり、各村に普及するに至っている(都盛村明治十八年、村櫛村十八年、吉野村二十八年、
富塚村
二十九年,また、少年消防隊が各地に誕生するのは大正へ入ってからである(
富塚村
は大正八年。
浜松市史 三
(庄内街道)
富塚村
に朝日橋・弥生橋ができたのもこのときであった(『
富塚村
沿革誌』)。
浜松市史 三
(小村の合併)
小村の合併 【
富塚村
の内沢村 名残村 寺島村】また村の合併もこのころ行なわれ、「
富塚村
ノ内沢村ト唱候分明治九年二月同大区壱小区江引渡
浜松市史 三
([農業地域の都市化])
合併順位) 合併の歩み 1 大正元.10
富塚村
一部, 3 〃10.4 天神町村 4 昭和11.2 曳馬町
富塚村
浜松市史 三
(食生活)
(表)
富塚村
大正期 献立表 月 火 水 木 金 土 日 朝 みそ汁 じゃがいも たくわん みそ汁,じゃがいも 鱒 のり 晩 抜菜にもの 茄子漬 抜菜ひたし 里芋にもの のり みそ汁 里芋にもの (『
富塚村
誌
浜松市史 ニ
(楮栽培)
【製紙業】権現谷村(
富塚村
の分村)で多八なる者が藩命によって紙漉きをはじめたのもこのころだという(『
富塚村
誌
浜松市史 三
(蒲村)
(表)町村合併表 順位 合併年月日 町村名 大字名 1 大正元.10.1
富塚村
のうち 両追分 和地山,曳馬町 高林 上島 一本杉 早出 細島新田 助信 十軒新田 島之郷 新津 茄子一色 5 〃14.7.1
富塚村
浜松市史 三
(水田畑地の割合 一反歩の収支)
つぎに小作量を
富塚村
でみると田・畑一反につき上表下のとおりであった。 ,3円30銭 藁100貫目代 20銭 籾殻8貫目代 差引 18円93銭4厘 利益 (表)
富塚村
浜松市史 ニ
(松山舜応)
松山舜応 また
富塚村
法林寺には松山舜応があった(『浜名郡史』)。
浜松市史 ニ
(水車の企業化)
こうして和地村に近い篠原村・
富塚村
・入野村・志都呂村にも牧田家と同じように商業に従事する農家が弘化ごろから,篠原村 甚右衛門 惣太郎 十三郎 久次 林蔵 忠兵衛 繁吉 要太郎 源助 平蔵
富塚村
善右衛門 七蔵
浜松市史 三
(浜松県の壬申地券)
浜松地方の場合、例えば
富塚村
では五年十一月に地券竿入が始まり七年六月二十日までに地券証が下附され(『
富塚村
誌
浜松市史 三
(茶と繭)
ニヨリ茶繭等暴落シタル為メ桑茶ヲ倒シ蔬菜類ヲ栽培スルモノ多クナリタリ」という状態であった(昭和七年刊『
富塚村
誌,5円18銭 6.16 6.11 2.60 2円80銭 4.12 5.56 10.70 備考 浜名郡
富塚村
,14.5 北庄内村 14.5 雄踏村 0.9 神久呂村 34.5 伊佐見村 15.5 入野村 24.5
富塚村
浜松市史 ニ
(阿多古紙)
富塚村
の和紙については後述する(三三一ページ)。
とみつか:わが町文化誌
(浜松市立冨塚公民館『とみつか:わが町文化誌』 目次)
めたころ ・富塚地区の周辺と遺跡 66 【又七遺跡 小藪遺跡】 69 村名の由来 71 二
富塚村
,【村内沢村 和合村】 79 【両追分村 和地山村 浜松町 浜松沢】 80 一八九六年「浜名郡
富塚村
記事,」 81 【明治39年
富塚村
の行政、勧業、交通、教育、兵事、社寺、会議、諸税及び歳入出等】 82,【合併記念碑】 89 三 開発の足跡 ・浜松市制の施行 ・
富塚村
・浜松市に合併 91,水車産業 137 【製麺業 住岡喜平 深谷貞次郎 浜名郡工場調査表】 138 ・昭和初期における
富塚村
浜松市史 三
([白洲の福紗人形])
には関歌蔵(稲垣太蔵)の考案になる指人形があって近隣を興行したが、明治二十五年ごろ跡を絶ったという(『
富塚村
誌
浜松市史 ニ
(藍の移入)
嘉永四年までの八年間に入野村又兵衛は八十二駄、志都呂村治右衛門は七十駄余、同村伝八は四十七駄余、そのほか
富塚村
弥七
浜松市史 三
(猪俣全獅 松山舜応)
普済寺住職として再度来山しその再建に力を尽し、松山舜応(文政八年尾張国生、明治四十年三月没、八十三歳)は
富塚村
法林寺住職
浜松市史 三
(茶業組合 共同組合)
は年を追って増加し大正時代には十指に数うるにいたった(鴨江・伊場西・東大山・神ヶ谷・曳馬村・阿弥陀・
富塚村
,13.0 吉野村 14.5 雄踏村 0.9 神久呂村 34.5 伊佐見村 15.5 入野村 24.5
富塚村
浜松市史 三
(段子川)
段子川 【製紙 製油】段子川流域
富塚村
(当市富塚町)では製紙・製油・製麵業が行なわれた。
浜松市史 三
([町制の施行])
浜松では二十二年一月、町制実施準備として従来の三十二か町村のうち浜松沢村(
富塚村
へ)・浜松寺島村・浜松八幡地
浜松市史 ニ
(主要寺院)
安寧寺 竜雲寺(木宮亮邦『竜雲寺史談』) 甘露寺 西隠寺 大伝寺 宝珠寺 普賢院 法林寺(
富塚村
浜松市史 三
([町村合併の進行])
こうして市は隣接する浜名郡の
富塚村
・天神町村・曳馬町・白脇村・蒲村の五町村を市へ編入し、昭和十四年十二月戸数三万二千三百四十一
浜松市史 三
(耕地整理 浜名郡耕地整理組合)
の後期にいたって村単位などで、例えば神久呂村志都呂(四十年)・入野村西鴨江・篠原村大島(四十三年)・
富塚村
浜松市史 三
(浜松地方報徳社)
浜名郡龍池村 23 〃 長北報徳社 浜名郡小野口村 29 33年5月 島之郷社 浜名郡曳馬村 29 〃
富塚村
報徳社,浜名郡
富塚村
37 34年9月 報徳遠譲社第四分社石原上社 浜名郡豊西村 13 〃 石原社 浜名郡豊西村
浜松市史 三
(住居)
(表)
富塚村
大正3年 電灯数 燭光数 5 10 16 24 32 50 100 個数 239 543
浜松市史 三
(八代九代市長 第八回 市議選)
横光市政時代には、十一年の十一月市制二十五周年記念商工祭の開催、市営バスの運転開始、曳馬町・
富塚村
の編入
浜松市史 三
(養鶏)
224 計 1556 1244 1233 1733 備考 天神町村合併 曳馬町合併
富塚村
合併
浜松市史 三
(浜松電灯株式会社)
そして四十三年には点灯数六千九百五灯、供給区域も浜松町はもちろん天神町村・曳馬村・
富塚村
・浅場村とひろがり
浜松市史 三
(浜松住民の熱望)
)・堀口勘蔵(元城・常盤・元名残)・小西四郎(神明)・間渕重太郎(肴)、そのほかの戸長では中村米吉(
富塚村
浜松市史 三
(農業労働力)
1818 1884 5060 4922 4847 7102 備考 合併町村 天神町村
富塚村
浜松市史 三
(蚕糸業組合 蚕業組合)
(表)大正2年 浜名郡養蚕戸数・産額 町村名 戸数 産額 市野村 ― 3500石
富塚村
177
浜松市史 三
(誘致運動 徴兵区域 設置完成 練兵場と凧揚)
榛原・志太・周智・小笠・磐田・引佐・浜名の七郡で、翌四十一年三月豊橋で編成された部隊は町民歓迎のうちに
富塚村
浜松市史 三
(展覧会 劉生と浜松)
その出品物はほとんど山本貞二郎(敷知郡
富塚村
馬生生、晒業、大正十二年没、三十四歳)の収集品であった。
浜松市史 三
(都市計画区域)
戸数六五二、人口四一四九、面積一五七万四千坪)・入野村(戸数五八三、人口三六八六、面積二六一万三千坪)・
富塚村
浜松市史 ニ
(漁業と貢租)
東海別27か村 舞坂村 馬郡村 坪井村 篠原村
富塚村
小藪村 入野村 片草村 西鴨江村 志都呂村 宇布見村
浜松市史 一
(普済寺十三派)
遠州池川村 (浜松市下池川町) 常光寺 三州渥美郡 堀切村 12 月窓派 (月窓義運) 西来院 遠州
富塚村
浜松市史 三
(浜松瓦斯株式会社)
へひかれたのは明治四十三年十一月で、その会社は灯火用・熱源用・動力用として、浜松町・天神町村・曳馬村・
富塚村
浜松市史 三
(小野組支店)
二六信用 浜名郡北浜村 昭和4.2 西遠銀行(第二次)に買収さる 明治33.9 積富(株) 浜名郡
富塚村
,明治33.10 笠井商業 浜名郡笠井町 明治42.10 千葉県へ移転 大正4.1 天富 浜名郡
富塚村
浜松市史 三
(小作争議)
大正十三年から同十四年にかけて、浜名郡積志(せきし)村有玉(ありたま)から半田方面には四回にわたり、また同郡
富塚村
浜松市史 三
(都市近郊農業)
(53%) 183,605 (21%) 30,597 (4%) 194,338 (22%)
富塚村
浜松市史 ニ
(助郷の一本化)
888 22 東若林村 HB 280 7 浅田村 HB 517 13 明神野村 HB 241 6
富塚村
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
幸 曳馬村 高林 島之郷 上島 一本杉 大芝原 曳馬町 和地山区】 20 【泉 段子川村 御料林
富塚村
, 銭取】 22 【和合町
富塚村
和合村 神谷家所蔵文書 内山家所蔵文書】 24 【和地山 和地村,利用と普及 52 【水の落差を利用して 段子川 権現谷川 新川 四ツ池】 52 【水車の分布図
富塚村
馬生区有文書
浜松市史 三
(学区制)
西追分村 東追分村 馬生村 馬船村 段子川村 不遣村 寸田ヶ谷村 富新屋村 横田保 157番 500
富塚村
, 158番 514
富塚村
小薮村 159番 743 神ヶ谷村 160番 606 神
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌
(浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)
三、池川(新川)の字を訪ねて 【町内の小字21箇所の説明】 103 四、秋葉坂下通り 【
富塚村
浜松沢
浜松市史 三
(敷知長上浜名郡役所 郡域変更)
大久保村 宇布見村 山崎村 人見村 19小区(敷知郡) 志都呂村 西鴨江村 段子川村 神ヶ谷村 和合村
富塚村
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