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汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌
(浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)
砂山新豊院】 18 (三)生産物のひろまり 【龍禅寺 市場】 19 (四)まぼろしの城 【
寺島町
,鈴政式 遠州製作】 70 (四)静岡県繊維工業試験場 【綿花栽培 染色 馬込町 浜松工業試験場 北
寺島町
,】 71 (五)浜松工業高校 【静岡県染織講習所 北
寺島町
浜松高等工業学校】 73 (六), 木戸町 諏訪神社】 202 ○永代橋 【北
寺島町
中島一~二丁目】 203 ○新橋,【北
寺島町
中島二~三丁目 天神町村】 203 ○大浜橋 【竜禅寺町 中島三~四丁目 北
寺島町
浜松市史 四
([生活改善と消費者運動])
【勤労者協議会 北
寺島町
勤労者協議会 生活協同組合】 都市部ではスーパーマーケット,初めて作られたのは昭和三十一年の北
寺島町
勤労者協議会で、昭和三十三年には
寺島町
勤労者協議会(親和会)が
浜松市史 ニ
(海岸地域)
その一例として『旅籠町平右衛門記録』によって寺嶋八幡地(当市
寺島町
・北
寺島町
付近)の綿作について述べよう
浜松市史 三
(浜松病院)
二十年に平田(なめだ)に移されたが不完全であったため、二十九年一月浜松町大字肴字天神森(飛地、現在の北
寺島町
浜松市史 三
(明治二十八年度)
【避病院】避病院の新設を決定し浜松町肴地内字天神森二九五(現在の北
寺島町
)を候補地とした。
浜松市史 四
([生活保護施設と質屋])
【公益質屋】 昭和二十九年二月、戦災で焼けた
寺島町
の公益質屋跡に新しく造った浜松市,公益質屋の目的は、低利での生活・生業資金を貸し付け、市民生活の安定を図ることであり、戦前には馬込町と
寺島町
浜松市史 三
(白脇村)
浜松の発展により明治三十七年十二月十四日に馬込川の北部の大字浜松寺島(地積三五町歩、現在の
寺島町
)・浜松八幡地
浜松市史 三
(市立浜松病院 浜松市実費診療所)
市立浜松病院 浜松市実費診療所 市立浜松病院(鴨江町二三五番地) 肴町地内天神森(飛地で現在の北
寺島町
浜松市史 四
(東洋ピアノ製造)
戦後間もない昭和二十二年東洋楽器製作所を設立、ピアノ製造を開始、二十三年には浜松市北
寺島町
に東洋ピアノ
浜松市史 四
([楽器生産の開始と中小楽器工場の設立])
日本楽器製造株式会社 浜松市中沢町 ピアノ、ハーモニカ、オルガン、 アコーディオン、ギター 河合楽器製作所 浜松市
寺島町
,昭和21年4月 鷲津紡織株式会社 浜名郡鷲津町 ハーモニカ 昭和21年5月 東海楽器研究所 浜松市
寺島町
,昭和22年2月 鈴木商事株式会社 浜松市相生町 ハーモニカ 昭和21年1月 キング楽器研究所 浜松市北
寺島町
浜松市史 三
(一月の空襲)
機,爆弾1箇 10.10 小破70戸,半壊1戸 6 20.2.10 6ポンド焼夷弾 中島町 砂山町
寺島町
,北
寺島町
龍禅寺町 (B29)2機,焼夷弾786箇 13.35 全焼26戸,半焼14戸 7 20.2.15,250キロ爆弾 砂山町 海老塚町 向宿町 大工町
寺島町
名塚町 伝馬町 鍛冶町 (B29)6機,機 9.30 重傷者1人 10 20.2.25 250キロ爆弾 馬込町 八幡町 相生町 海老塚町
寺島町
浜松市史 三
(駅南北交通円滑化 地下道 平田跨線橋)
【八幡地 北寺島】その結果、①については大正十一年三月にいたり砂山町と鍛冶町間(八幡地踏切)、北
寺島町
浜松市史 三
(染織講習所 浜松工業学校)
最初は静岡工業試験場浜松分場で授業を開始したが、八年四月に浜松北
寺島町
(校地七六〇〇坪、定員三五〇名),820 820 ― 県立浜松第二商業学校 名残町 4 21 4 183 183 ― 県立浜松工業学校 北
寺島町
浜松市史 五
([郊外での保育園の急増])
昭和 48年度 和合保育園 住吉保育園 ルンビニー・プレスクール 和合町 住吉町 北
寺島町
,西保育園 瑞雲保育所 太陽保育園 曳馬保育園 瞳ヶ丘保育園 みどり保育園 佐鳴台三丁目
寺島町
浜松市史 四
([子ども会])
駅南の北
寺島町
に生まれた浜松仲良し子供会は、そのリーダーが児童福祉の専門教育を受け、県や市の福祉事務所,北
寺島町
の子供会の運営では、指導者の青年の創意や子どもたちの自発性を大切にする試みが多数実践されたことは
浜松市史 三
(浜松の二大工業地帯 東部工業地帯 南部工業地帯)
、帝国製帽株式会社・浜松瓦斯株式会社・旭日氷糖株式会社(砂山町)・日本コール天紡織株式会社浜松支店(
寺島町
浜松市史 五
([浜松科学館の開館])
しかし、老朽化したこともあって、国鉄浜松駅の東、北
寺島町
に科学館に衣替えして開館した。
浜松市史 四
(『繊維通信』)
創刊の時期は明確でないが、発行元は社団法人繊維振興協会(本部は
寺島町
)で、その設立が昭和二十三年四月一日
浜松市史 三
(雪腸の自由俳句運動)
竹田磊石(らいせき)・口田朴也(静男、当市高町、大正六年浜松の清水吟社所属)・田中貫川(麻次郎、当市北
寺島町
浜松市史 四
([幼稚園])
(向宿町)・青葉(栄町)・馬込(野口町)・朝田(浅田町)・天林寺(下地川町)・広沢(広沢町)・寺島(
寺島町
浜松市史 四
([浜松市消防団の誕生])
東伊場町八八番地ノ七 元魚町 東伊場町 西伊場町 森田町 成子町 塩町 菅原町 平田町 同 第五分団 同
寺島町
三七八番地,
寺島町
砂山町 北
寺島町
龍禅寺町 同 第六分団 同 山下町九八番地 山下町 中沢町 下池川町 元浜町
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
257 森田町 145 富塚 687 和合 段子川 鍛冶町 324 旭町 104 砂山町 1774
寺島町
,824 龍禅寺町 537 北
寺島町
830 伝馬町 166 千歳町 331 平田町 169 旅籠町
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
)(大字下垂の改称)・千歳町(ちとせちょう)(大字後道の改称)・旭町(あさひちょう)(通称八幡地)・
寺島町
,(てらじまちょう)(大字浜松寺島の改称)・北
寺島町
(きたてらじまちょう)(通称寺島)・砂山町(すなやまちょう,浜松八幡地 海老塚・鍛冶・連尺・浜松寺島・伝馬の各一部 一部を松江・寺島・北寺島・海老塚を各町へ編入
寺島町
,北寺島の各町へ編入 龍禅寺町 りゅうぜんじまち 町をつける 龍禅寺 北馬込・浜松寺島の各一部 一部を
寺島町
,へ編入 北
寺島町
きたてらじまちょう 新設 (寺島) 北馬込・新・浜松寺島・浜松八幡地・肴・紺屋の各一部
浜松市史 三
(常盤幼稚園 葵幼稚園)
下池川町 5 160 72 88 私立広沢幼稚園 広沢町 5 152 68 84 私立寺島幼稚園
寺島町
浜松市史 ニ
(寺嶋八幡地の要求)
もともと寺嶋八幡地(当市
寺島町
およびその付近)は前述のごとく土地所有関係が複雑で寺社領があり、また浜松市中
浜松市史 五
([駐在所と派出所])
昭和五十三年三月一日から業務を開始した駅南警察官派出所(北
寺島町
)は、以前は
寺島町
警察官派出所と言っていたが
浜松市史 四
([小学校の発足と復興への歩み])
ただ、学区の砂山町には学校建設に必要な土地が確保できなかったため、学区外の
寺島町
に建設するという異例の,そして、住民の勤労奉仕やバザー等での学校建設資金の提供などによって
寺島町
に新校舎が完成したのは昭和二十四年九月
浜松市史 四
(鈴木自動車工業)
日工産業KK 豊橋市北島町 池谷鉄工所 浜名郡可美村 野中鍍金工業所 浜松市八幡町 植松鉄工所 浜松市北
寺島町
,揚子工業KK 浜松市楊子町 鈴木砲金所 浜松市龍禅寺町 ワシズ製作所 浜名郡鷲津町 立石鉄工所 浜松市
寺島町
浜松市史 三
(河合楽器)
してきた河合小市(浜松上新町明治十九年一月生、昭和三十年十月没、七十歳)が独立して河合楽器研究所(当市
寺島町
浜松市史 三
(織物工場分布)
分布するのは馬込川東岸地帯(佐藤町・木戸町・中島町・船越町・馬込町・向宿町・天神町など)と駅南地帯(
寺島町
浜松市史 三
(化学工業 写真フィルム 印画紙)
以上の他に化学工業としては合資会社浜松石鹸製造所(当市
寺島町
)・日本ビスコース工業株式会社(当市中沢町
浜松市史 四
([浜松の交通問題])
; 【平田踏切 森田踏切】 また、東海道本線との平面交差により、市が南北に分断され、鍛冶町、北
寺島町
浜松市史 三
(翼賛文化協会 文学報国会)
に城三平(天城良平、当市松城町)、詩を竹月冬(当市中山町)・岡本真宏(当市鴨江町)・藤田晴弘(当市北
寺島町
浜松市史 三
(会社)
(3) 龍禅寺町 4(3) 菅原町 4(3) 連尺町 4(0) 大工町 4(0) 中島町 4(3)
寺島町
浜松市史 五
(カルチャーセンター)
そして、昭和六十三年十月二十五日にはしずおか社会保険センター浜松が北
寺島町
にオープン、鉄筋四階建ての大
浜松市史 三
(四月と五月の空襲)
7 30 3 龍禅寺町 152 11 19 154 109 140 456 11 70 北
寺島町
,140 田町 17 2 336 塩町 3 120
寺島町
浜松市史 四
([浜松市消防署の発足])
浜松市消防署は昭和二十五年七月六日に
寺島町
に南部派出所を設置し、職員十五名、ポンプ自動車一台を配備した
浜松市史 四
([松城官庁街の大火])
そして道路を隔てて風下の常盤幼稚園の二階建ての園舎も全焼、飛び火はさらに有楽街の大映劇場裏・松竹座前、
寺島町
浜松市史 五
([救世軍社会鍋の連帯])
『静岡新聞』平成元年十二月二十四日付の記事(以下、掲載年月日のみ表記)では、救世軍会館(北
寺島町
)において
浜松市史 三
(救護活動 戦災対策本部)
⑳ 〃第14分団 神立町 21 〃第15分団 野口町 22 〃第16分団 鴨江町 23 河合楽器
寺島町
浜松市史 ニ
(流行の仏たち)
寺嶋村(当市
寺島町
)の鳥追地蔵。
浜松市史 三
(日本画)
燦墨社はその一つで原田明治(当市北
寺島町
)・佐々木興堂(小室翠雲門、蜆塚に住む)・藤田黎仙(れいせん)
浜松市史 四
(オートバイ工業)
岩田宗太 軽オートバイ部分品 〃 佐藤町 (株)加藤鉄工所 加藤幸太郎 オートバイエンジン 〃
寺島町
,伊藤鉄工所 伊藤一枝 軽オートバイ部分品 〃
寺島町
国華精工所森田工場 板橋利昌 軽オートバイ部分品,寺田一郎 軽オートバイ部分品 〃 曳馬町 生安協同工業所 矢内国彦 軽オートバイ部分品 〃 北
寺島町
,大畑鉄工所 大畑多作 軽オートバイ部分品 〃 北
寺島町
藤田機械製作所 藤田春一 軽オートバイ部分品,〃 北
寺島町
山本金吾 軽オートバイ部分品 〃 北
寺島町
(株)桜井製作所 桜井定芳 軽オートバイ
浜松市史 四
([戦災による分散授業と移転])
十三校中で全焼したのは、県立の浜松工業学校(北
寺島町
)・浜松第二工業学校(浜松商業学校は昭和十九年四月,葵町の仮校舎から北
寺島町
に新築された校舎に移転したのは、浜松工業高等学校になった昭和二十三年九月一日であった
浜松市史 ニ
(寺島八幡地の年貢)
【高免地】この土地は、いまの浜松市砂山町から
寺島町
にかけての一帯にあたり、江戸時代には浜松宿の町々や近村
浜松市史 五
(各種学校)
珠算 浜松山下珠算学校 山下町 ○サイトウ洋裁学院 高町 ○浜松渥美珠算学校
寺島町
,浜松歌舞技芸学校 千歳町 若葉学園 北田町 音楽 カワイ音楽教室本部付属中央音楽学園 北
寺島町
浜松市史 三
(物品販売業)
棒四郎 田 〃 中屋万年筆店 連尺 楽器 ●日本楽器製造株式会社 中沢町 連尺町 〃 ●河合楽器製造所
寺島町
浜松市史 四
([浜松中央・東・北警察署の設置])
警部派出所 浜名郡雄踏町 警部補派出所 市内海老塚町 巡査部長派出所 市内旭町・浅田町・
寺島町
浜松市史 五
(繊維産業)
昭和三十八年当時、浜松地域で操業していた紡績会社は、東洋紡績(東伊場町)、東棉紡績(宮竹町)、玉川紡績(北
寺島町
浜松市史 一
(木寺宮領)
賀茂別雷神社文書・岡部文書等にもある (東伊場町) 寺島 同上 同上 永禄12家康安堵状には寺島郷 (
寺島町
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