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浜松市史 三
(連合凧揚会 屋台の出現)
連合凧揚会
屋台
の出現 【統監部】しかし凧の数が多くなると(天神町の伊藤嘉七、伝馬町の桑原安太郎、板屋町,底抜け
屋台
とは長方形に組んだ木の枠(わく)に四本柱を立て、それへ凧をのせて屋根とし、軒に提灯を吊し、枠,の腰まわりに造花の菖蒲(しょうぶ)や藤をかざりつけた仮の
屋台
で、その中へはいったお囃し連は歩きながら進,しかしそれだけではすまず、やがて千鳥破風(ちどりはふ)・唐(から)破風仕立ての本格的な
屋台
(花車)が出現,し、照明も電灯・アセチレン燈が併用されてぐんと明るくなった(大正十五年
屋台
数六二)。 / 連合凧揚会
屋台
の出現
浜松市史 三
(昭和の凧場げ 御殿屋台の出現と夜の賑わい)
昭和の凧場げ 御殿
屋台
の出現と夜の賑わい 昭和へはいると
屋台
は華美になるばかりで、昭和四年には多くの,彫刻でかざりたてた豪華ないわゆる御殿
屋台
(ごてんやたい)(野口町と八幡町)が現われ、それ以後は各町ほとんど,御殿
屋台
となった。,この御殿
屋台
が市内を練り廻る行列をみるために夜の見物人が増してくるのもこの時代からであった。 / 昭和の凧場げ 御殿
屋台
の出現と夜の賑わい
浜松市史 三
(浜松まつり 中田島砂丘 町ぐるみの祭典)
浜松まつり 中田島砂丘 町ぐるみの祭典 戦後は凧揚げの道具・
屋台
(やたい)などを焼失した町が多かったが,しかし凧揚げ会場が市の中心街より離れているので、凧揚げには加わるが市内の
屋台
行列は中止する、
屋台
行列には,であったのに、戦後は町ぐるみの祭典ということで女児も加わるようになりいよいよ華やかに、それにつぎつぎ建造される
屋台
,昼は凧で人の山、夜は
屋台
で人の渦となって観衆は年毎に増すばかりで、「凧も世につれ」といった感が深い(「
浜松市史 四
([盛大になった浜松まつり])
【
屋台
】 戦災で
屋台
を焼失した町の中には豪華な御殿
屋台
の建造がすぐに出来ず、昭和二十年代後半,ここの道路は浜松一の幅員(三十六メートル)で多くの
屋台
が集まるには便利な場所であったが、他町の
屋台
との,比較も容易にでき、底抜け
屋台
を持つ町にとっては御殿
屋台
建造に向けて力が入っていった。,彫物を施した祭礼
屋台
を競つている。」,表3-39 凧揚げと
屋台
引き回しの参加町(組)数の推移 年 凧揚げ 参加町 (組)数
屋台
引き
浜松市史 四
([中田島での凧揚げ])
市街地から約四キロも離れた場所であり、
屋台
の凧揚げ会場への集結は不可能であった。,祭りの期間は五月三日から五日までの三日間、いずれも昼間は凧揚げ、夜は
屋台
の引回しであった。,
屋台
は前年と同じ四十六町であった。 ,凧揚げや
屋台
引きは無し。,
屋台
は五十四町(組)で、前年より八町(組)増えた。
浜松市史 ニ
(鴨江彼岸会)
【町民参加】覚書によると、浜松の各町それぞれ日割により幟を立て
屋台
をひきまわしたり、人形をつくって山車,鴨江寺(明治時代)(浜松市鴨江) 月日 町名 出し物 2.29 上新
屋台
木遣 晦 七軒
屋台
木遣,さるの山車 3.5 本魚
屋台
ふきぬき 6 紺屋 大江山酒天童子山車 7 利 三社をかざりふきぬき 8
浜松市史 四
([凧揚げ祭の復活])
戦前は和地山練兵場での凧揚げが終了後、ここに集結していた
屋台
は行列と練りを繰り返しながら市街地へと向かった,戦後復活した凧揚げ祭では
屋台
は凧揚げ会場に集結する方式をやめ、昭和二十二年五月四日は旧元城国民学校(今,この年
屋台
や神輿を出した町は四十六、凧と違い、田町・鍛冶町・元城町・板屋町・肴町などの中心部の町もあった,ただ、戦前の
屋台
が残っていたのは数台程度で、後は粗末なものであった。,タイムス』は「漸く夜の祭典は湧き立つ、昔懐しい囃子の音に連れてギシギシと特有の音を残して、動いて行く
屋台
浜松市史 五
([浜松まつりの見直し])
[浜松まつりの見直し] 昭和二十五年から始まった浜松まつりは従来の凧揚げや
屋台
の引き回しのほか、広告,
屋台
の引き回しや凧揚げに町外の人や暴力団の構成員を入れる町内があり、町内間の争いやけんかや女性への暴行,しかし、同三十九年からまた五日間(ただし、凧揚げと
屋台
の引き回しは三日間のみ)となり、これが同四十一年,【浜松まつり規約 凧揚げ
屋台
引き回し おまつり広場】 このように暴力団を排除し少年非行を防止する,表2-46 凧揚げと
屋台
引き回しの参加町(組)数、人出の推移 年 参加町(組)数 まつりの
浜松市史 五
([浜松まつりの参加町数の増加と観客数の減少])
まつり】 浜松まつりの参加町数は平成二年から同十六年までに、凧揚げでは百三十六から百六十九に、御殿
屋台
引,中でも、御殿
屋台
の引き回しへの参加は、
屋台
の新築等で多くの経費が必要となり、不景気の中、財政負担やまつりの
浜松市史 五
(浜松まつり)
表3―27のように凧揚げへの参加は景気回復に従って増えていったが御殿
屋台
の引き回しへの参加数は伸び悩んでいた,これは、新たに
屋台
をつくる負担の大きさから、凧揚げへの参加で済ませることが多かったと見られる。,表3-27 凧揚げと
屋台
引き回しの参加町(組)数、人出の推移 年 参加町(組)数 まつり,の人出 (万人) 備考 凧揚げ
屋台
引き回し 昭和48年 49 47 70,・御殿
屋台
引き回しを30分延長、午後7~10時。
浜松市史 五
(神前奉納)
浜松市内の神社の祭礼記事は、紙上に多々報道されるが、戦後といえども、その秋の祭典に参加する地域の多さと
屋台
,
屋台
引き回し、じゃんけん大会、新生児のお祓い、もち投げなどが催された。,平成十四年九月二十三日付記事によれば、坪井町の稲荷神社祭典で引き回す
屋台
の大太鼓を住民らが二十年ぶりに,太鼓の直径は約二・二メートル、長さ約二・三メートルで、町内を引き回す
屋台
に乗せた。
浜松市史 三
(浜松総社の決定 凧揚げ由来の普及)
浜松総社の決定 凧揚げ由来の普及 このように
屋台
の出現によってお祭化が進んでくると、大正十一年から浜松
浜松市史 五
([多彩な美術界])
小池清(御殿
屋台
棟梁)…昭和四年磐田郡掛塚の、代々宮大工の家に生まれる(昭和三十一年浜松市名塚町に移る,昭和四十六年以来、西遠の多くの地域の御殿
屋台
を造る。,実績を買われ、平成四年完成の浜松まつり会館展示御殿
屋台
作成の際には、推されて棟梁を務めた。
浜松市史 四
([第一回浜松まつりの実施])
行 事 <凧揚部> ・凧揚げ競技大会・山車
屋台
引回し ・恵比寿抽選アトラクション,凧揚げには前年より九町多い五十一町、
屋台
は五十九町が参加したが、凧揚げは狭い会場だけに揚げる人々と観光客,も実施されたが、会場が戦前のように和地山町に戻ったにもかかわらず、五社神社神輿の凧揚げ会場への渡御や
屋台
行列,また、
屋台
の凧揚げ会場への集結もなかった。 ,浜松まつりは先述のように多くの行事からなっていたが、凧や
屋台
以外に注目を集めたのは広告行列(広告カーニバル
笠井:わが町文化誌
(浜松市立笠井公民館『笠井:わが町文化誌』 目次)
笠井地区の神社 2 神社とまつり 3 笠井地区の寺院 4 寺院縁起とまつり 5 まつりと
屋台
浜松市史 四
([神輿を担いで市内を行進])
昭和二十年六月十八日未明の大空襲によって浜松の市街地の大半は焼失し、凧やその道具、
屋台
などは灰燼(かいじん
浜松市史 四
([浜松まつりの開始])
〈凧揚部〉凧揚げ競技大会 山車
屋台
引回し 〈演芸部〉木遣り道中 邦楽舞踏 洋楽舞踏
しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌
(浜松市立白脇公民館『しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌』 目次)
二 神社 211 御輿(みこし)の渡御(とぎょ) 217 奉納芝居 218
屋台
,の引き回し 219
屋台
とおはやし 221 三 寺院 222 阿弥陀如来立像(りゅうぞう
浜松市史 五
([浜松まつりへの女性・障害者の参加])
当初は、障害を持つ児童ら十三人が車いすなどで参加し、市内中心部での御殿
屋台
の引き回しを体験した。
美しかる可き里:わが町文化誌
(浜松市立可美公民館『美しかる可き里:わが町文化誌』 目次)
)可美地区の建物 207 (二)可美地区の失われた建物など 213 (三)可美地区の祭り
屋台
浜松市史 四
([環境・食品衛生の徹底])
への強力な指導、無表示食品の追放を掲げて市内小売店や鉄道弘済会などの売店、あるいは土産物店、飲食店や
屋台
袖紫ケ森:わがまち文化誌
(浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次)
松並木と植松の商店分布図 140 笠井街道の変遷(1)(2) 142 第4章 ふれあい 蒲の
屋台
浜松市史 五
([浜松まつりへの高校生の正式参加])
参加する各町内・各校の高校生には凧揚げや
屋台
の由来などの歴史や凧揚げの技術伝承、さらに参加規則の徹底を
浜松市史 四
([静大工学部の発展])
まつりにテレビの一般公開を行うことになり、市の公会堂、松菱百貨店ほか市内のラジオ店など九カ所で凧揚げや
屋台
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
浜松郵便局 洋風建築 遠州電気鉄道本社ビル 中村與資平】 368 十四 鍛冶町 368 【浜松まつり
屋台
,放生会 東海道本線の高架化 遠州馬込駅の廃止】 398 三十 新町 【庚申堂境内の移転と御殿
屋台
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
)自主防災隊 139 (四)浜松まつりへの参加 140 【住吉・幸・泉・和合町・和地山 御殿
屋台
浜松市史 五
(図・表一覧)
年度 昭和47年11月発行、静岡県保育所連合会『40年の歩み』平成12年3月発行 2-46 凧揚げと
屋台
引,された保育園(所) 静岡県民生部『静岡県社会福祉施設・団体要覧』昭和56年4月 3-27 凧揚げと
屋台
引
浜松市史 四
(図・表一覧)
浜松まつり本部「第六回 浜松まつり行事一覧表」昭和30年 浜松まつり関係資料 3-39 凧揚げと
屋台
引
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