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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 三 (山葉寅楠)

山葉寅楠 山葉寅楠(嘉永四年四月生、大正五年八月没、六十六歳)、紀州に生まれ、父は孝之助といい紀州藩,【福島豊策】その山葉寅楠が、はしなくも楽器製作に己れの進む道を発見し、浜松を生涯の地とするようになったのは,をうけていた福島豊策(佐賀蓮池藩士、明治十二年浜松病院長、鍛冶町に開業)が、医療器械の修理を依頼したことのある山葉寅楠,これが機縁となって山葉寅楠は今まで手がけたことのないオルガンの故障の修理に成功し、オルガン製造の自信を,山葉寅楠と河合喜三郎が自作の風琴を天びん棒でかついで箱根山を越す姿は、のちに銅板となって会社の玄関近く / 山葉寅楠
浜松市史 三 (楽器工業)

楽器工業 【日本楽器】②楽器工業 山葉寅楠の創立になる日本楽器株式会社は、大正十五年の争議(後述、本章第三節第二項,山葉寅楠
浜松市史 三 (特殊産業発達の原因)

【浜松人気質】しかし、山葉寅楠・野沢源次郎父子・池谷七蔵の蒔いた一粒の種子も浜松というあたたかい肥沃な
浜松市史 三 (綜合誌)

巴水は宮本甚七(昭和十五年刊)・明石為次(昭和三十年刊)・山葉寅楠・河合小市(昭和三十一年刊)などの伝記
浜松市史 三 (日本楽器会社)

日本楽器会社 【オルガン製作 中村藤吉】日本楽器製造株式会社 山葉寅楠(やまはとらくす)によって創立
浜松市史 三 (河合楽器)

河合楽器 【河合小市】また技師長として山葉寅楠を援け、日本楽器株式会社の発展に尽してきた河合小市(浜松上新町明治十九年一月生
浜松市史 五 ([西遠総合教育センターの開館])

ここは山葉寅楠ゆかりの建物と立派な庭が一部残っていた。
浜松市史 四 ([浜松信行社の人々])

信仰心が厚く、山葉寅楠の創業を支援したことが著名である。
浜松市史 三 (写真・図版目次)

                     三八四 浜松市商品陳列所     (浜松市松城町 中谷福男氏提供) 三八六 山葉寅楠
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

高射砲連隊 見付たばこ製造所 日本専売公社】 57 (四)普大寺とオルガン山 【浜松小学校西部分教場 山葉寅楠
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

64 五 医  学 66 【太田用成 県立浜松病院 七科約説】 66 【福島豊策 浜松病院 山葉寅楠
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