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浜松市史 五
(『広報はままつ』)
『
広報はままつ
』 浜松市は岩崎市政下の昭和二十七年(一九五二)九月十五日に『
広報はままつ
』(B5判、,こうした浜松市の広報活動は全国的にも評価され、『
広報はままつ
』は昭和三十六年度全国広報コンクールで第四位,ちなみに、同三十六年に行った世論調査の五百人からの回答によると『
広報はままつ
』を読んでいる市民は九十九,その後も『
広報はままつ
』は充実の度を増し、同四十年(一九六五)四月の第二六〇号からB5判八頁に増え、同四十四年四月 / 『
広報はままつ
』
浜松市史 四
([『広報はままつ』の発刊])
[『
広報はままつ
』の発刊] 【『
広報はままつ
』 『浜松市報』】 岩崎市政が誕生して一年四カ月後の,昭和二十七年九月十五日、浜松市は『
広報はままつ
』を創刊した。,
はままつ
』であります。」,以来、『
広報はままつ
』は浜松市政を知る市民の月刊の情報紙として歩んできたが、昭和三十二年四月からは毎月五日,図3-2 『
広報はままつ
』No.1 / [『
広報はままつ
』の発刊]
浜松市史 五
([『広報はままつ』の意思表示])
[『
広報はままつ
』の意思表示] 大学誘致問題に関する新聞記事とは別に、浜松市政上の公式発言としては、,『
広報はままつ
』昭和四十七年九月二十五日発行の特別臨時号がある。,それまで『
広報はままつ
』は市民に向けて積極的な大学誘致に関わる説明をしてこなかった。,竹山知事の説明を『
広報はままつ
』では、次のように引用する。,右に見えるような「事情」の裏側でどのような工作を展開していたのかというと、実はこの『
広報はままつ
』の末尾 / [『
広報はままつ
』の意思表示]
浜松市史 五
([『広報はままつ』のA4判化とカラーページ])
[『
広報はままつ
』のA4判化とカラーページ] 【『
広報はままつ
』】 『
広報はままつ
』は昭和二十七年,官公庁で国際規格のA4判の紙を使用することになったのは平成五年からであったが、『
広報はままつ
』は平成三年四月五日号,平成四年からは『
広報はままつ
』の特集号はオールカラーとなり、内容も充実していた。 / [『
広報はままつ
』のA4判化とカラーページ]
浜松市史 五
(図・表一覧)
はままつ
』第216号 昭和38年6月5日発行 2-3 名誉市民になった川上嘉市 『
広報はままつ
』第141,号 昭和35年7月5日発行 2-4 住居表示の例とお知らせ 『
広報はままつ
』第434号 昭和47年7,)案 『
広報はままつ
』第143号 昭和35年8月5日発行 2-35 期成同盟会拡大大会 『
広報はままつ
,
はままつ
』第657号 昭和57年3月5日発行 3-37 高架開通記念式典でのテープカット 『
広報はままつ
,
はままつ
』第893号 平成4年6月5日発行 4-2 市民総合窓口センターでできること 『
広報はままつ
浜松市史 五
([エイズ認識])
【エイズ】 感染症新法の四類に属するエイズについては、『新編史料編六』 八医療 史料27に『
広報
,
はままつ
』(平成五年八月二十日号)の啓蒙記事を転載している。,右の『
広報はままつ
』の記事には、日本で初めてのエイズ感染者は、血液製剤を通じて感染した人で(薬害エイズ
浜松市史 五
([少年非行の増加と少年保護センター、家庭の日])
底辺とし、その後次第に増加し昭和三十五年には同二十四年の約二倍を超す事態(五百十三件)となっていた(『
広報
,
はままつ
』昭和三十七年一月二十日号)。 ,また、非行少年をのけ者にしないで周囲の人が進んで愛情を注ぐ必要性を呼び掛けている(『
広報はままつ
』昭和三十五年三月五日号,相談や該当する少年への継続補導や街頭補導、さらに市内の小中高校の補導担当教員の連絡と研修等があった(『
広報
,
はままつ
』昭和三十七年一月二十日号)。
浜松市史 五
([敬老の日と老人クラブ])
『
広報はままつ
』昭和三十二年九月五日号では、「としよりをいたわりましょう」という見出しの記事で社会福祉協議会,老人クラブの数は、昭和三十七年には市内で八十四あったものが二年後の三十九年には百七十と倍増し(『
広報はままつ
,をし老後を愉快に過ごすこと、また、神社の境内や児童遊園地の清掃や学校で使う雑巾作り等であった(前掲『
広報
,
はままつ
』)。
浜松市史 五
([環境衛生])
『新編史料編六』では昭和三十七年七月五日発行の『
広報はままつ
』で瓜内町に建設中の下水道終末処理場が操業開始,昭和四十八年一月二十日発行の『
広報はままつ
』'73・冬 総合版では、公共下水道区域内においては,なお、浄化槽使用に関しては、『
広報はままつ
』平成二十四年十月号では依然として、法律で決められた①保守点検
浜松市史 五
([一樹百穫])
国立浜松医科大学の創設に収斂(しゅうれん)していく過程、特に市当局と浜松市医師会が打った布石について、『
広報
,
はままつ
』や新聞記事に拠って述べるものである。,標題の「長年の石積み」とは、『
広報はままつ
』の特別臨時号(昭和四十七年九月二十五日発行)におけるタイトル,それは昭和五十七年の『
広報はままつ
』冬の号に「時代に即応した医療体制を」という標題で掲載されたもので、
浜松市史 四
([環境・食品衛生の徹底])
[環境・食品衛生の徹底] 『
広報はままつ
』の昭和三十三年七月二十一日号では、伝染病の防疫対策・環境問題,これについて『
広報はままつ
』では、その原因が「戦災後、下水やゴミ箱が整備されないまま不規則な建築がおこなわれ,有玉南町川原本村・米津町中舟・西ヶ崎町上・小沢渡町・市野町東・西伊場町官舎・古人見の十地区である(『
広報
,
はままつ
』では新規・継続の区別と各町の世帯数と代表者名が記されている)。
浜松市史 五
([新たな火葬場と斎場会館])
【新火葬場】 昭和四十六年十二月五日号の『
広報はままつ
』では、市民念願の新火葬場が完成した(同年十二月一日稼働,【斎場会館】 次いで翌昭和四十七年十一月二十日号の『
広報はままつ
』には葬祭が執行できる斎場会館が、
浜松市史 四
([鼠の一斉駆除])
このようなねずみ捕りは『
広報はままつ
』によると三十年代まで続くが、昭和二十七年十一月十五日付の『
広報はままつ
浜松市史 五
([昭和三十八年時点の医療環境])
[昭和三十八年時点の医療環境] 【医療機関】 昭和三十八年二月二十日発行の『
広報はままつ
』(第二,
はままつ
』所載の病床数と異なる点が見える。,また、右の『
広報はままつ
』の冒頭に「労災病院誘致(二〇六号既報)」とある問題についても併せて後述することになる,『
広報はままつ
』(昭和三十八年二月二十日号)に記載された、その後の新築・増築状況を見ると次の通りである,【浜松鉄道病院】 ところで、昭和三十八年二月時点の『
広報はままつ
』とは別に、『静岡新聞』(昭和三十八年七月五日付
浜松市史 五
(南米移民)
また、市は現地での自営開拓や雇用農となって移住する方法などを市民に紹介していた(『
広報はままつ
』昭和三十六年九月五日号,昭和三十八年度に浜松市は国の集団移住促進都市の指定を受け、同年の『
広報はままつ
』八月二十日号に「未来を
浜松市史 五
([公明選挙から明るく正しい選挙へ])
また、『
広報はままつ
』では選挙の三悪として「棄権」、「買収」、「事前運動」を挙げたり、「戸別訪問は違反,これは『
広報はままつ
』によると「最近の選挙の実情は、おびただしい選挙違反の続発で、公明選挙どこ吹く風といつた
浜松市史 五
([高齢化社会と認知症問題])
【痴呆】 『
広報はままつ
』昭和六十年九月五日号(『新編史料編六』 八医療 史料33)では、「押し寄,【認知症 日野原重明】 『
広報はままつ
』や『静岡新聞』、また医師等は、この時点でボケ・ボケ老人の語法,この『
広報はままつ
』の記事は金子満雄の解説に基づいている。
浜松市史 五
([浜松市アクトシティ音楽院の開校と活動])
] 【浜松市アクトシティ音楽院】 浜松市アクトシティ音楽院の開設が決定し、その具体的な内容が『
広報
,
はままつ
』に発表されたのは、平成十年(一九九八)二月二十日号紙上である。,前記『
広報はままつ
』によれば事業は十継続事業と五新規事業からなり、①マスターコース、②ゼネラルコース、
浜松市史 四
([減少しない伝染病])
『
広報はままつ
』には頻繁に伝染病の予防を喚起する記事があふれ、市民参加の大掃除施行を呼び掛ける記事が見,右の表れが『静岡新聞』や『
広報はままつ
』での様々な記事となる。,他方、『
広報はままつ
』ではハエや蚊が媒介する赤痢・チフス・日本脳炎を防ぐための春の大掃除キャンペーンとねずみ
浜松市史 五
(下水道)
ポンプ場は大雨の時に雨水を一時的に排水する災害防除の役割とともに下水中継という重要な働きもした(『
広報
,
はままつ
』昭和四十年九月二十日号)。,瓜内終末処理場までの下水道本管がつながり、同年十一月十五日に下水道事業の貫通修祓式と通水式が盛大に挙行された(『
広報
,
はままつ
』昭和四十一年八月二十日号)。
浜松市史 五
([諸機関紙のキャンペーン])
【糖尿病】 昭和五十二年一月二十日号の『
広報はままつ
』には「糖尿病は恐ろしい病気」というタイトルの,昭和五十四年四月二十日号の『
広報はままつ
』では「肺ガン検診・始めます」という一大キャンペーンを張っている
浜松市史 五
([浜松科学館の開館])
展示品やプラネタリウムなどが備えられ、楽しく体験しながら学べる工夫が随所に込められたものであった(『
広報
,
はままつ
』昭和六十一年四月二十日号)。
浜松市史 五
([浜松市児童会館の誕生])
【プラネタリウム】 開館した頃の『
広報はままつ
』の見出しに「夢の天文台 プラネタリウムが四階に」とあり,鉄道模型(運転開始は昭和三十八年三月二十一日)について『
広報はままつ
』は「静岡市にある県立の児童会館にも
浜松市史 五
([天竜川西縁水防組合の解散と浜松市水防団の誕生])
【浜松市自治水防団】 昭和三十五年浜松市自治水防団が結成され(『
広報はままつ
』昭和三十八年六月二十日号,海岸堤防等の巡視、災害防ぎょ、避難指導及び被害をより少なくするように努め、住民の安全を守ることである(『
広報
,
はままつ
』昭和三十八年六月二十日号)。
浜松市史 五
(医師会中央病院)
昭和三十八年二月二十日発行の『
広報はままつ
』(第二〇八号)には、「医療の充実という問題については、市としても,市民医療の革命、全国のモデル、中央病院」と規定した医師会中央病院の設立について行政側の記事として、『
広報
,
はままつ
』を引用し、その後で『浜松市医師会史』に依拠して、開業医らによる医師会中央病院の設立運動が、「,【病診連携】 このオープンシステムというのは、右の『
広報はままつ
』でも言及されているが、これは後の
浜松市史 五
([高度経済成長期の予算])
昭和四十二年一月五日に発行された『
広報はままつ
』によると、昭和三十一年に市がオートレースを始めて十一年,28,000千円 40,000千円 計 2,087,257千円 出典:『
広報
,
はままつ
』昭和42年1月5日号
浜松市史 五
([戦災遺族・負傷者の運動])
浜松市福祉事務所社会課内に事務局を置く浜松市戦災死者遺族会を母体として浜松空襲・戦災を記録する会が結成され、『
広報
,
はままつ
』に空襲・戦災の被災者に体験談や当時の資料・写真等の募集を呼び掛けた(『
広報はままつ
』昭和四十七年三月五日号
浜松市史 四
([母子福祉施設の開所])
このニュースは『
広報はままつ
』の創刊号(昭和二十七年九月十五日号)に「母子に福音」「母子寮開設」の見出,した鴨江町の浜松仏教養護院の中に母子家族を入れる母子寮があり、昭和三十三年には十世帯が入っていた(『
広報
,
はままつ
』昭和三十三年九月二十日号)。
浜松市史 四
([X線検診車の巡回診断])
こうした状況下で、『
広報はままつ
』(昭和三十二年七月五日号)に初めて市衛生課が購入したX線検診車の記事,なお、『
広報はままつ
』昭和三十二年九月二十日号には「X線車が大活躍 各地区共診断予定人員超ゆ」という大見出
浜松市史 五
([浜松市社会福祉会館と浜松市福祉文化会館])
ボランティアビューローやボランティア活動室が備えられ、市内の福祉やボランティアの活動の拠点となった(『
広報
,
はままつ
』昭和五十九年三月二十日号)。
浜松市史 四
([行政組織の変革])
[行政組織の変革] 『
広報はままつ
』昭和三十一年十月五日号には「改革された市の行政機構」と題された職務系統図
浜松市史 五
(成人病)
浜松市の『
広報はままつ
』や新聞各紙は、成人病を誘発する原因やそれによって起こる問題、あるいは、高齢化社会
浜松市史 五
(水質汚濁)
このような市民運動や『
広報はままつ
』でのたびたびの呼び掛けにもかかわらず、一部の市民の意識は低く、河川,浜松市立高校生物クラブは佐鳴湖の水質調査を長年続けてきたが、その研究成果が『
広報はままつ
』(昭和五十九年七月五日号
浜松市史 四
([都市計画道路の舗装と国道の改良])
『
広報はままつ
』によると昭和二十九年七月からの舗装工事では民間業者より五百七十万円の節約が出来ると記されている,『
広報はままつ
』には「中野町子安町間 新国道開通 整然とした市の東玄関」と紹介された。
浜松市史 五
([浜松市移譲])
[浜松市移譲] 【浜松市リハビリテーション病院】 平成十一年四月二十日発行『
広報はままつ
』(第一
浜松市史 五
([児童虐待の増加])
図4-34 児童虐待相談件数の推移 出典:『
広報はままつ
』平成17年2月20日号 注:浜松の件数は
浜松市史 五
([統廃合か経営移譲か])
数のうちの三十四施設を地方自治体などに経営移譲することとし、国立浜松病院もこれに該当したのである(『
広報
,
はままつ
』第一〇六四号、平成十一年十一月五日発行、「浜松市医師会史年表」『浜松市医師会史』所収)。
浜松市史 五
([パイプオルガンの設置])
このことは、まず三月二十日号の『
広報はままつ
』が「バロック音楽の荘厳な響きでわたしたちを楽しませてくれる
浜松市史 五
([路上駐車の禁止区域等設定])
昭和三十九年当時の鍛冶町通りであるが、道路の両側に駐車する車のため通行可能な道幅が極めて狭くなっている(『
広報
,
はままつ
』昭和三十九年六月二十日号)。
浜松市史 五
([新しい街づくりと用途地域])
この詳細な地図や解説は『
広報はままつ
』昭和四十八年十二月十五日発行の新用途地域特集号に掲載された。
浜松市史 四
([公明選挙])
昭和三十年代に入ると浜松市でも『
広報はままつ
』などを通じて公明選挙の推進に力を入れるようになった(図3
浜松市史 四
([結核患者・死亡者の減少と医療機関の転進])
次いで『
広報はままつ
』昭和三十六年十月五日号では、「結核による死亡者数は年々減少し、一方結核の治療法はどんどん,厚生省は昭和三十四年二月一日から七日までを成人病予防週間に設定した(『
広報はままつ
』昭和三十四年二月五日号
浜松市史 四
([盛大になった浜松まつり])
1,000,000 34 60 60余 1,140,000出典:『静岡新聞』、『浜松民報(遠州新聞)』、『
広報
,
はままつ
』より作成 注:参加町数や人出の数は新聞各紙や『
広報はままつ
』などによりやや異なるが、『浜松民報,』・『静岡新聞』・『
広報はままつ
』などの数字を使った。
浜松市史 五
([工場誘致])
新聞が指摘した工場誘致条例は昭和三十五年四月に制定され、『
広報はままつ
』(昭和三十八年六月五日号)によれば
浜松市史 四
([市営バスの発展・充実期])
図3-48 市営バス路線図 出典:『
広報はままつ
』昭和28年3月15日号 【車庫
浜松市史 五
([浜松市歯科医師会有志の奉仕活動])
昭和五十一年二月二十日発行『
広報はままつ
』(第五一八号)には、市内篤志家の寄付金を基金とする医療奨励金
浜松市史 四
([国立浜松病院])
同三十七年六月時点で総合病院としての病床数は二百九十床という(『
広報はままつ
』)。
浜松市史 五
([東京学生寮の設置])
[東京学生寮の設置] 【浜松市学生寮】 昭和三十五年八月五日号の『
広報はままつ
』は一面トップで「
浜松市史 四
([貝類による中毒])
[貝類による中毒] 【カキ中毒 アサリ中毒】 昭和二十八年三月十五日号の『
広報はままつ
』には「貝類
浜松市史 四
([生活保護施設と質屋])
昭和三十二年度の利用状況は千七百二十一人・三千九百四十口で、貸付金は三百八十八万円であった(『
広報はままつ
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