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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 一
(引馬宿は浜松市の原型)
引馬宿
は浜松市の原型 【伝馬町 連尺町】宿駅関係の都市は、街路にそい、長方形に展開する。,当市の発展の原型は
引馬宿
であり、宿内の伝馬町には、伝馬問屋もおかれた交通の要地だった。 /
引馬宿
は浜松市の原型
浜松市史 一
(問屋)
問屋 【
引馬宿
の問屋】為替業務は遠隔地の取引をしている問屋が行なった。,遠江国のばあい
引馬宿
の問屋が京都に送ったのであろう。,
引馬宿
をたずねる京都商人の定宿の商人(問屋)が京都にゆき、また京都の商人が引馬の定宿にきたとき決済がなされたのであろう
浜松市史 一
(都市の行政)
都市の行政 【
引馬宿
】都市の行政は、はじめのころはその都市をふくむ荘園領主の代官が直接におこない、のち,
引馬宿
は、中世では浜松荘の領家の代官が支配し、南北朝になると吉良氏の手に移った。
浜松市史 一
(市庭)
市庭 【
引馬宿
市】地方農村でも平安の末(七九四-一一八〇)になると、交換取引の市場(市庭)ができ、しだいに,京都南禅寺領の遠江初倉荘の江得郷(旧榛原郡初倉村、いま島田市)には嘉吉(かきつ)三年(一四四三)に、浜松荘の
引馬宿
市
浜松市史 一
(東海道本道)
三河二川(豊橋市二川)・遠江汐見坂・新居町浜名(橋本宿)・同上辺(浜名橋)・浜松浦(当市西南部)・
引馬宿
浜松市史 一
(都市のなりたち)
じない)町、港津関係の大津(大津市)・博多(福岡市)・堺(堺市)・兵庫(神戸市)など、宿駅関係の遠江
引馬宿
浜松市史 一
(浜松のおこり)
浜松のおこり 本市は東海道の交通上の要地の
引馬宿
と、引馬市の商業聚落によって発展してきた。
浜松市史 一
(第三期 足利氏の内訌)
【
引馬宿
佐与中山 懸川】尊氏は直義を打倒しようとし、南朝では京都を奪回しようとした。,十月二十八日尊氏の将小笠原政長は、信濃から遠江に入り、直義の党吉良満貞の代官富長某と
引馬宿
で戦い(「佐藤元清軍忠状
浜松市史 一
(本道と別道)
本市と関係のあるのは、本坂峠をこえて遠江に入り、浜名湖北岸をへて三方原をとおり
引馬宿
・池田宿にでて、東海道本道
浜松市史 一
(商工業税)
引馬宿
の業者は、負担していたろう。
浜松市史 一
(市場)
【
引馬宿
】
引馬宿
でも早くから営業していた金融業の酒屋・土倉がある。
浜松市史 一
(栗原駅)
との間隔三十里(いまの約一六キロ)という令規などからすれば穏当であるが、ただつぎの引摩駅と、この浜松の
引馬宿
浜松市史 一
(引摩駅)
『静岡県史』では、地名辞書の説にしたがい、栗原駅を浜松の
引馬宿
に充てたから、この駅を流布本によって□摩駅
浜松市史 一
(栗原駅の方位)
約一二キロで、両駅間の距離が短いきらいはあるが、栗原駅を篠原村付近と仮定すれば、つぎの引摩駅と浜松の
引馬宿
浜松市史 一
(酒造業)
【
引馬宿
の土倉】引馬(引間・曵馬など混用している)宿の土倉も酒屋の兼業であったかもしれない。
浜松市史 一
(当時の紀行文)
【山科言継
引馬宿
の伝馬】山科言継は、弘治二年(一五五六)九月、駿河府中(静岡市)に下った。
浜松城下のうつりかわり
(解説)
また、引馬城の東側には中世東海道の宿場町として
引馬宿
が栄えていた。
浜松市史 一
(遠江と三河をむすぶ道路)
、正応二年(一二八九)四月中院雅忠の女で、後深草院二条の『とはすかたり』(『桂宮本叢書』所収、舞坂・
引馬宿
浜松市史 一
(繁田氏)
(表) 人名 年紀 出典 備考 石河氏 文明17. 9.15 梅花無尽蔵 万里集九を
引馬宿
に訪問
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
【栗原駅家 敷智郡家 濱松郷】 3 (二)県居・西地区の地形と地質 【鴨江台地】 4 二
引馬宿
市
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
浜松城の東、旧
引馬宿
にあたる区域、現在の浜松八幡宮から遠江分器稲荷にかけての一帯である。
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