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浜松市史 ニ
(後道地域)
後道
地域 ⑥
後道
地区(うしろみち) 九十一軒。,多いのは、町組という組屋敷(十軒が一組)が二組と普通の組屋敷(二十軒が一組)が一組とあわせて三組が上
後道
,(うわうしろみち)・中
後道
(なかうしろみち)方面に多かったからである。 /
後道
地域
浜松市史 ニ
(武家屋敷の人口)
浜松御城下略絵図 名残組屋敷(部分)
後道
侍屋敷 (表)井上藩家中勤役柄(嘉永,間野六助 代官手代 文木 長谷川半吾 半頭町 川嶋邑次 同所 安川啓六 蔵方掛
後道
篠原藤八 元木,竹山藤三郎 山方奉行掛 清水 鈴木藤四郎 下垂 入江定次 同上手代 深谷半助 郡勘定
後道
,林邑太 文木 和田勝次 早馬 岡山勝三郎
後道
石井俊助
後道
松下伝兵衛 郡同心 下垂 田沼文三郎,諸星順蔵 同上手代 文木 宮山専五兵衛
後道
高林善次 東早馬 中村芳蔵 名残 直江保次兵衛 清水
浜松市史 三
(駅付近発展)
駅付近発展 【鍛冶町
後道
】駅前の発展につれて、これに隣接する鍛冶・
後道
なども変貌する。,鍛冶町の東海道交差点にはステーション道と標した道標が立ち、町筋へは商店が立ち並び、
後道
(大正十四年千歳町
浜松市史 三
(子の日座火事)
子の日座火事 【三十四年】二回目は同年十二月二十一日に
後道
の劇場子(ね)の日(ひ)座から午前二時出火,、折からの西北風に火はみるみる拡がり、
後道
を焼きぬき伝馬におよび、午前五時ようやく鎮火した。
浜松市史 四
([有楽街と浜松座通りの発展])
浜松座通り(今のモール街)一帯は、江戸時代には東海道の後ろにあったことから
後道
(うしろみち)と呼ばれていた,東海道に近い通りは上
後道
(今の中央柳通り)、その東側は下
後道
(後の浜松座通り)であった。,明治三十四年(一九〇一)に巨大な歌舞伎座が、大正三年(一九一四)には浜松座が下
後道
に完成すると、ここでは
浜松市史 ニ
(侍屋敷)
後道
(うしろみち) 東海道往還のうしろにあった。,東海道往還に近いところから上(うわ)
後道
・中(なか)
後道
・下(しも)
後道
と三筋の通りがあった(現在の千歳町
浜松市史 三
(主要商店)
(田) 今泉呉服店(神明) 若森屋池谷茂一(連尺) 丸万(神明) 金井呉服店(鍛冶) 山田屋啓太郎(
後道
,青龍山房太田大年(連尺) 金華堂福田奇山(連尺) 商標肖像画製作 福田寿山(田) 写真業 豊田吾策(上
後道
,大明堂富次郎(高) 薬種商 渥美薬店木俣文四郎(田) 杏林堂渥美市平(伝馬) 村手寸木堂尾崎気楽堂(
後道
,) 料理屋 松月楼萩原安五郎(田) 八百吉(伝馬) 中村楼(伝馬) 山崎屋山内太三郎(肴) 芙蓉館(
後道
,) 自笑亭(成子) 鯛めし(肴) 聴濤館(下
後道
) 川島屋本店(肴) 旅館 大米屋(駅前) 花屋(駅前
浜松市史 三
(浜松の仮戸長と管轄地)
成子坂町・塩町・旅籠町・伝馬町・連尺町・神明町・平田町・平田村 一市川吉平 七百四十九軒 田町・肴町・
後道
新地,馬冷・作左・袋町・高町・半頭(はんこう)町・鴨江小路・白山下・分器・船蔵・元目・年行事(司)・下馬場・
後道
浜松市史 三
(新川出水)
なお高・名残・元城・松城・
後道
・菅原は風害が甚しかった。
浜松市史 ニ
([医学])
[医学] 浜松の医家では、寛文時代に
後道
の渡辺玄之、享保年間に大工町の渡辺蒙庵(国学漢学参照)・田渕玄統,天正十四年家康が浜松から駿府へ移るにさいし暇を請い、その後は拝領した
後道
の屋敷に住み医業を開いた。
浜松市史 五
([齢松寺の移転])
齢松寺は市内
後道
(うしろみち)にあったのであるが、明治二十七年に旧城内本丸跡に移転し、昭和四年には墓地,昭和二十九年に換地案も浮上したが、当初は
後道
から浜松城跡に移転させられた時の、役場との交渉経緯を理由に
浜松市史 三
(浜松の芝居小屋)
松栄座に翌十六年地籍について訴訟がおこり、建物は伝馬町で地籍は
後道
ということになったようである(明治十六年九月二十五日,【子の日座】二十年ころ
後道
に子(ね)の日座(ひざ)があり、二十九年九月菊五郎一座が興行したり、三十二年九月,二十五年三月二十三日座内のラムネ屋より出火して焼失(入枡座の火事という)、子の日座は三十四年十二月二十一日焼失した(
後道
,この歌舞伎座は浜松停車場へ近い
後道
(千歳町)に明治三十四年にできた劇場で、木造建坪百六十四坪、定員千六百四十三人,三十六年には利町五社小路に音羽座が(四八坪、四八五人)、四十一年には伝馬町に若松座(九八坪、九八〇人)、
後道
浜松市史 三
(駅前新道)
駅前新道 【二十一年】①駅前新道 鍛冶町の東端(
後道
及び肴新小路入口)から駅へ至る新道(長さ一四五間
浜松市史 ニ
(浜松宿内と周辺の私塾寺子屋)
塾主 住所 流 塾生概数 相曾小次平
後道
不明 5.60人 野沢夏左衛門 白山下 〃 3.40人 竹山佐平,
後道
佐山流 6.70人 大山万助 清水 不明 〃 柏井房之丞 元城 〃 4.50人 三浦勇次郎 下垂
浜松市史 ニ
(本末制度)
【齢松寺】これは階層的な統属関係の成立を示すもので、たとえば明和年間、浜松
後道
齢松寺(東本願寺の末寺)
浜松市史 三
(遊廓 検番)
遊廓 検番 歓楽街には、大正十一年に旅籠・伝馬から鴨江に移転の二葉遊廓、また市の中央部の千歳町(
後道
浜松市史 三
(販売業)
新 5 佐藤一色 4 天神町 3 神明 2 成子 2 菅原 2 旅籠 1 肴 1 平田 1 池 1
後道
浜松市史 ニ
(真宗)
齢松寺(
後道
、現在中沢町)開創は明応九年という。
浜松市史 三
(その他の裁縫学校 金原裁縫技芸学校)
古沢裁縫義塾は大字
後道
(現在千歳町)にあって古沢某女の経営、浜松裁縫義塾は馬渕しん(元士族)の経営で大字松城
浜松市史 三
(馬込川新川出水)
氾濫し、いわゆる「下町(したまち)」方面全域(馬込・新・板屋・田・下垂・常盤・元目・池・早馬・八幡地・
後道
浜松市史 三
(侍屋敷 町人町)
また平民が半ば以上を占めているのは繁華街に近接する
後道
・大堀新地・鴨江小路と秋葉町などであった。
浜松市史 ニ
(浜松宿の困窮)
浜松宿の困窮 【火災】ひるがえって浜松宿をみると、文政十二年二月二十七日伝馬町熊野屋から出火し、
後道
浜松市史 ニ
(大蔵永常)
として農学者大蔵永常(おおくらながつね)(徳兵衛)を浜松に招聘したのは天保十三年、その年の十月十三日浜松
後道
浜松市史 三
(士族の配置)
また明治三年六月に内野へ移住のため浜松入をした八王子千人同心衆の場合をみると、
後道
(うしろみち)(一軒
浜松市史 三
(梨の葉会)
【朗読会】第一回の朗読会は十一年六月で、浜松中
後道
の松涛会事務所を会場とし「黄楊の櫛」その他を上演し好評
浜松市史 三
(信行社)
心学布教の団体で、明治三十二年一月に守本恵観にあい、その教えに心服した福島豊策(浜松病院長、明治二十年
後道
浜松市史 三
(浜松宿 三十二か町村独立)
〃高町 林勝昌 〃伝馬町 林弥十郎 〃鍛冶町 乗松甚十郎 〃平田町 松下茂平 〃松城町 山崎金重 〃
後道
町
浜松市史 三
(第四回 市議員選)
小選挙区は左のとおりで、第一区 定員四名(田・池・下垂・神明・連尺・紺屋・利・栄・大工・伝馬・肴・鍛冶・
後道
浜松市史 三
(神社仏閣)
旗立の松は下
後道
にあるが、三方原の戦のときこの樹上に旗を立て勢揃いしたところという。
浜松市史 一
(火災)
此節両町不残類火仕候、 一、伝馬町火事、享保五庚子年(一七二〇)十一月十六日、此節肴町下の町焼、鍛冶町・
後道
浜松市史 三
(小野組大火)
浜松宿家数三千二百二軒の内、焼失家数千三百十八軒(蔵一〇八、寺五、狂言小屋一)で、被災町は伝馬町・旅籠町・鍛冶町・
後道
浜松市史 ニ
(職人の由緒)
平田町の桑原彦右衛門家は、源右衛門と同族の家柄であるが、同家の『桑原家文書』によると、高力摂津守の代に
後道
浜松市史 三
(立憲帝政党 自由党 改進党 浜松政界の基盤)
【士族 山崎金重】その中心勢力は山崎金重(城内)・岡田安貞(
後道
)・伊藤脩忠(名残士族町)・加瀬頼正(
浜松市史 三
(政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝利)
大場虎次郎(三組、元治元年七月生、市会議員、昭和十三年十月没、七十四歳)・伊東安太郎(名残)・岡田金正(
後道
浜松市史 三
(浜松三戸長役場)
浜松塩町 浜松元魚町 浜松成子町 浜松菅原町 浜松栄町 浜松大工町 浜松鍛冶町 浜松平田町 浜松
後道
町
浜松市史 三
(寺島村 和地山)
234 13 7 8 作左 袋町 浜松栄町 大堀新地 55 236 2 9 0 鴨江小路 白山下 浜松
後道
町
浜松市史 ニ
(杉浦国満)
杉浦国満 国満は正徳五年(一七一五)五月十一日渡辺玄之の子として、
後道
(うしろみち)(当市千歳町)に
浜松市史 三
(馬込川新川出水)
~10 日降水量 344mm 馬込川 新川 馬込 新 板屋 田 下垂 常盤元目 池 早馬 八幡地
後道
浜松市史 三
(浜松へ波及)
【伝馬町
後道
】最初の、当時政友会の事務所になっていた伝馬町平野屋旅館では、暴徒と化した群衆はガラスを,の米穀商米清に向かったが、先まわりした警察側の厚い警戒の壁にさえぎられ、米穀商組合役員が集合している
後道
浜松市史 三
(連合制の発達 浜松宿二十六か町村連合会 地方自治制の出発 浜松宿議会)
大工町) 松本兵次郎 吉川彦太郎 (池町) 川瀬豊三郎 杉浦彦惣 (鴨江小路) 伊藤範三 ●岡田安貞 (
後道
浜松市史 三
(浜松商友会 浜松商業会議所)
洋物商 勝田忠治 〃成子 酒造業 田畑庄吉 〃〃 醤油製造業 鈴木幸作 〃田 洋物小間物商 中村藤吉 〃
後道
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
伝馬町火事火元杉浦彦右衛門宅 このころ火事あり肴町下・鍛冶町・
後道
,,西来院火事 弘化 4.12.12 (1847) 紺屋町より出火榎町・神明・田町・連尺・肴町・伝馬町
後道
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
しかし新しくできた町名もあるが、尾張町(おわりちょう)(大字下垂の改称)・千歳町(ちとせちょう)(大字
後道
,馬込・東田・新・肴・北田・尾張・早馬・常盤・八幡・元浜・山下の各町へ編入 鍛冶町 かじまち 〃 鍛冶
後道
,伝馬 旅籠の一部 一部を松江・板屋・鍛冶・旭・砂山・千歳の各町へ編入 千歳町 ちとせちょう 改称
後道
浜松市史 三
(大きな町)
1 1 17 早馬 96 11 107 96 96 1 10 11 18
後道
浜松市史 ニ
(杉浦国頭)
杉浦国頭 国頭は延宝六年(一六七八)八月二十三日、医師渡辺竹庵の次男として浜松
後道
(うしろみち)(当市千歳町
浜松市史 三
(中心街板屋町 問屋街の形成)
0 0 0 早馬 107 0 0 0 0
後道
浜松市史 三
(商業地域 浜松駅開通 新興商店街)
【千歳町】江戸時代に武家屋敷であった
後道
(大正十四年千歳町と改称)も駅に近いばかりか三十四年に劇場の歌舞伎座
浜松市史 三
(学区制)
3番 743 浜松神明町 仝連尺町 仝元城内 仝馬冷 三好長五 4番 490 浜松伝馬町 仝
後道
新地,仝平田町 平田村 権田和三郎 6番 640 浜松成子坂町 仝七軒町 仝上新町 7番 540 浜松
後道
浜松市史 ニ
(宗旨人別帳)
ごとにその姓名・宗旨・性別・年齢等を調査して提出させたものである(青山藩時代には、これを取扱う役人の宅が
後道
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
) 191 ○ 浄鏡院の狐(鍛冶町) 192 ○ 底無牢(千歳町) 193 【水野越前守忠邦
後道
,215 【芳蘚寺 池町】 216 【教興寺 中沢町 勘馬 小野組】 217 【齢松寺 中沢町
後道
,301 【紺屋座 紺屋町 常盤座 利町 入枡座 連尺町 松栄座 曳馬座 伝馬町 子の日座 歌舞伎座
後道
,】 301 【芝居見物 鷹野つぎ 四季と子供 歌舞伎座
後道
】 303 (二)映 画 304, 齢松寺檀徒の探検物語「遠山奇談」 【東本願寺 山岳紀行 千歳町】 410 3 明治はじめまで
後道
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