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浜松市史 ニ
(杉浦国頭)
磐田郡見付 斎藤右仲信幸 同 14 山名郡鎌田 袴田縫殿為寿 同 14 長上郡神立 蒲刑部清詮 同 15
敷智郡
八幡村,金原筑前守清房 同 16 長上郡北島村 大橋主殿正員 同 豊田郡中泉 秋鹿主計朝郷 同 18
敷智郡
新居, 長上郡参野村 桑原右門盛行 同 豊田郡大明神村 守屋平馬重基 同 19
敷智郡
新居,田代判事時房 元文 1
敷智郡
八幡村 金原兵庫久富 同 3 長上郡小池村 竹山内膳茂睡 同 ,; 同 洲貝伊織忠村 同
敷智郡
浜名郷三箇日村 県靱負正邑 同 5 山名郡鎌田 袴田左仲為仲
浜松市史 一
(津毛利神社)
津毛利神社 2 津毛利神社 同じく
敷智郡
六座の一。参野町にある。
浜松市史 一
(曾許乃御立神社)
曾許乃御立神社 3 曾許乃御立神社 同じく
敷智郡
六座の一。呉松町の字鹿島原にある。
浜松市史 一
(賀久留神社)
賀久留神社 1 賀久留神社 神名式には
敷智郡
の項に六座をあげているが、その中の一つ。
浜松市史 ニ
(志都呂の松平氏)
『元禄高帳』によると服部中は三千七百七十一石(
敷智郡
二千六百七十一石、長上郡千九十九石)、松平半右衛門,は六千二百二十九石(
敷智郡
)を所有し、また嘉永元年(一八四八)当時の『志都呂領内村々』によると「新所・
浜松市史 ニ
(退転馬の増加)
天保十四年
敷智郡
入野村助郷歎願書前部 天保十四年
敷智郡
入野村助郷歎願書後部 年次 伝馬
浜松市史 ニ
(八幡社)
『遠江国風土記伝』によると、
敷智郡
と長上郡でもっとも多い神社は八幡社と神明社である。
浜松市史 ニ
(新田改め出し)
(『岡部家文書』)によって例示してみると、新田改め出しは領内広範囲に行なわれており、ことに基幹部分の
敷智郡
内
浜松市史 一
(栗原駅)
『静岡県史』はこれを『倭名抄』の
敷智郡
駅家郷にあたるであろうとし、それが浜松郷のつぎに記されていること
浜松市史 ニ
(塩専売権の紛争)
じ浜松塩の入荷を保護しているし(「中村文書」『静岡県史料』五)、享保三年(一七一八)五月には、塩町と
敷智郡
和田村,また元文四年(一七三九)八月にも
敷智郡
馬郡村(当市馬郡町)百姓代藤兵衛外三人に対して塩町塩問屋源兵衛外二人
浜松市史 ニ
(堀江の大沢氏)
子の基宿(もといえ)(基宥)も家康に従い軍功をたて、関ケ原戦の直後に
敷智郡
六か村で千五百五十石余の本領,1700) (1705) 領主 基胤 基宿 基宿 基重 基重 基将 基隆 基隆 領地名・石高 崎村櫛
敷智郡
六
浜松市史 ニ
(青山忠雄)
寛文二年に大坂城代に転じ、その所領五万石は摂・河・泉三か国のうちを主とし、これに遠江
敷智郡
のうち五千石
浜松市史 ニ
(竹村尚規)
竹村尚規 竹村尚規は
敷智郡
入野村(当市入野町)佐鳴湖畔の竹村又右衛門家に生まれた。
浜松市史 ニ
(元禄の野論)
そして地元三か村を含め
敷智郡
四十五か村、長上郡七十二か村、豊田郡十四か村、引佐郡五加村、麁玉郡二か村都合五郡百三十八,なおこのさい指定洩れになった村が
敷智郡
で十一か村、長上郡で十六か村あった(別表「元禄三年三方原秣場入相村々高辻,(表)三方原秣苅場138か村(元禄3年)
敷智郡
45か村 ,
敷智郡
浜松市史 ニ
([幕末の算法])
「浜松藩 軽部佐一郎敏武 引佐郡金指町 渡辺兵治謙堂
敷智郡
浜松宿, 川上三九郎貴行
敷智郡
浜松宿 清水清吉廉慶
敷智郡
浜松五社神社祠官 ,森讃岐守猶竜
敷智郡
浜松宿 小池権十郎薫運」 嘉永七年(一八五四)二月十八日
浜松市史 ニ
(田尻湊)
田尻湊 新源太夫堀の工事と前後して、天保四年
敷智郡
田尻村の庄屋孫蔵たちは廻漕業の権利復活運動をおこしている
浜松市史 ニ
(誕生の諸説)
四月八日参州産目村(安城市篠目か)で生まれたという説(『越前黄門行状』)と、二月八日辰刻に遠江国
敷智郡
宇布見
浜松市史 一
(調布銘と木簡)
【雇役】正倉院には、 「遠江国
敷智郡
竹田郷戸主刑部真須弥(おさかべのますみ)調黄絁六丈 天平十五年十月
浜松市史 ニ
(石塚竜麿)
石塚竜麿 石塚竜麿は
敷智郡
細田村(当市協和町)石塚司馬右衛門家の二男として明和元年(一七六四)に生まれ
浜松市史 ニ
(石高と人口)
元禄 天保 地域 全国 409 489 遠江国 300 338 浜松地方
敷智郡
浜松市史 一
(管郡と浜松市域 長田郡の分割)
そして市の中心部はもともと
敷智郡
の地であって、これが浜名郡に含まれたのは明治二十九年(一八九六)の郡区改正
浜松市史 ニ
(浜松領の創立期)
六十八か村(郡名不詳)一万五千三百石余、元和(げんな)三年(一六一七)十月に加増分として五十二か村(
敷智郡
八
浜松市史 一
([古墳支群と「郡」])
引佐古墳群……………引佐郡 万葉集巻十四初見 C、敷智北支群と同南支群==敷智古墳群……………
敷智郡
浜松市史 ニ
(浜松領の成立期)
四本松・江川・下中嶋・下前嶋・富屋敷・清光庵・御給西嶋・鼠野・大柳・八反畑 66か村 (一万五千石余)
敷智郡
浜松市史 ニ
(天保十年知行地)
天保十年知行地 【遠江国六万石】これによると、天保十年三月五日当時、遠江国内の長上郡・
敷智郡
・豊田郡,#160; 有玉松木嶋村 有玉畑屋村 有玉新村 万斛村 漆嶋村 橋爪村
敷智郡
浜松市史 ニ
(浜松領の中心地域)
浜松領の中心地域 【
敷智郡
長上郡】右の次第で浜松藩領は敷智・長上両郡に集中している。
浜松市史 ニ
(組別支配制)
代官名 熊谷三太夫 藤井仙右衛門 飯野八兵衛 小野四郎右衛門 神戸幸右衛門 高橋兵蔵 計 支配地
敷智郡
浜松市史 ニ
(真渕の家系)
真渕の家系 近世の国学史上重要な地位を占める賀茂真渕は、元禄十年(一六九七)三月四日、遠江国
敷智郡
浜松庄岡部郷伊場村
浜松市史 一
(荘園の祭神)
大神神社 (オオムワ) 浜名郡新居町中之郷 同所二宮神社 角避比古神社 (ツノサクヒコ) 浜名湖口
敷智郡
六座
浜松市史 ニ
(兄弟庵連)
油田 1 安間 6 小松 3 金指 1 石田 9 小計 48 小計 6 市野 1 豊田郡 恒武 3
敷智郡
浜松市史 ニ
(浜松地方の寺社領)
【郡別】これを『遠江国風土記伝』の敷智・長上・麁玉・引佐・浜名の五郡についてみると、
敷智郡
(二六六〇石
浜松市史 ニ
(梅谷の妻)
【真渕の名】「真渕」という名も遠江国
敷智郡
の出身で、その地名の「敷智」にちなんで「真渕」と名付けたものであろう
浜松市史 一
(高山寺本)
○ 〃 三ケ日辺 宇智 (ウチ) 宇智 ○ 〃 宇志辺
敷智郡
浜松市史 ニ
(領国経営の方針)
【和地村】つぎに
敷智郡
和地村(当市和地町)に伝存された七か条定書を引いてみよう。
馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌
(浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)
】 89 【村入用帳 丑年中村方諸入用割合帳】 90 【高林一丁目 少林寺 大乗妙典一石一字塔
敷智郡
上嶋村御墨印御除高御帳面
浜松市史 ニ
(県居神社)
六三 (表)賀茂真渕略年譜 年次 西暦 年令 事項 元禄一〇 一六九七 一 三月四日、遠江国
敷智郡
岡部郷
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
川島浦治氏蔵) 一九七 元禄七年浜松・舞坂両宿助郷村図 二〇二 天保十四年
敷智郡
入野村助郷歎願書前部
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
浜松のあけぼの 1 一 浜松が形成されるまで 2 (一)伊場遺跡と伊場遺跡群 2 【栗原駅家
敷智郡
家
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
本絵図と同様の絵図は浜松市博物館にあり、その受入簿によると「⑦遠江州
敷智郡
浜松御城下略絵図」、「⑨浜松御城下絵図略図,「⑦遠江州
敷智郡
浜松御城下略絵図」は嘉永3年(1850)8月12日制作とされる図であるが、本図は昭和23,⑦遠江州
敷智郡
浜松御城下略絵図 軸装。
解説「国絵図」
(解説「国絵図」)
豊田郡は須賀村(中田村)、押切村(森本村)、祢宜新屋村(森岡村)、百々村(宮本村)、薦ヶ脇村(太田村)、
敷智郡
浜松市史 ニ
(交錯する諸領)
旗本領・寺社領 村名 石高 大名領・天領・旗本領・寺社領 村名 石高 大名領・天領・旗本領・寺社領
敷智郡
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