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浜松市史 五
([相互応援協定の締結])
磐田市外二町消防組合、掛川市、袋井市外四町村消防組合、小笠地区消防組合、天竜市、浜北市、 引佐郡消防組合、湖西市
新居町
消防組合, 市町村相互応援協定市町 浜松市、浜北市、引佐郡消防組合、磐田市外二町消防組合、湖西市
新居町
消防組合,昭和五十七年版の『消防年報』には、先の三つ以外に国道一号浜名バイパスにおける消防相互応援協定を浜松市、湖西市・
新居町
消防組合
浜松市史 一
(弁天島遺跡)
5・6 浜名郡舞阪町白石山遺跡出土(榎本迪夫氏蔵) 7・8 〃
新居町
一里田遺跡出土,(
新居町
教育委員会蔵) 9~17 〃 舞阪町弁天島遺跡出土(天野正治氏蔵)
浜松市史 一
(東海道本道)
三河二川(豊橋市二川)・遠江汐見坂・
新居町
浜名(橋本宿)・同上辺(浜名橋)・浜松浦(当市西南部)・引馬宿
浜松市史 一
(損戸)
この新居郷はいうまでもなく浜名湖南端の
新居町
付近であり、津築郷は湖北の都筑の地であろう。
浜松市史 三
(今切関所)
今切関所が、三年閏(うるう)十月には本陣が、五年七月には伝馬所及び助郷も廃止となった(「温徳日記」『
新居町
史
浜松市史 五
([水産試験場浜名湖分場の新築とウォット])
静岡県水産試験場浜名湖分場 ウォット】 静岡県における水産試験場の歴史は、明治三十七年(一九〇四)一月に浜名郡
新居町
,明治四十三年に
新居町
の養殖部は廃止されたが、昭和九年には浜名郡舞阪町の弁天島蓬莱園に静岡県水産試験場浜名湖分場
浜松市史 一
(源頼朝の連歌)
橋本宿の現景(浜名郡
新居町
)
浜松市史 五
([篠原村の合併])
同年七月、浜松市は次の合併町村として知事から勧告の出ている篠原、雄踏、舞阪の三町村をはじめ、庄内村と
新居町
,八月には町村合併を促進してきた県の施策を受けて、浜松市と篠原村、雄踏町、舞阪町、
新居町
、庄内村との合併
浜松市史 一
(遠江の真言宗寺院)
竜禅寺(同上)、周辺の華蔵寺(引佐郡三ケ日町)・摩訶耶(まかや)寺(同上)・大福寺(同上)・応賀寺(
新居町
浜松市史 ニ
(鱸有鷹)
鱸有鷹 鱸有鷹(すすきありたか)は新居(あらい)(浜名郡
新居町
)泉町の宿屋尾張屋の主人で歌をよくし、
浜松市史 三
([県会議員選挙])
敷知郡からは竹村太郎(入野村、現浜松市)・馬渕金吾(大久保村、現浜松市)・高須平六郎(新居宿、現浜名郡
新居町
浜松市史 三
(浜名郡被災状況)
【浜名湖】なお浜名湖口の篠原村・舞阪町・
新居町
にも被害があった。
浜松市史 一
(猪鼻駅)
豊橋市南郊)にいたるとあることなどから、浜名湖南端を経過する路線上の駅であることは疑いなく、その地は
新居町
浜名
浜松市史 三
(天領)
であったが、四月二十九日新政府が参河・遠江・駿河を支配する参河裁判所(吉田宿関屋町快真寺)を設けると(『
新居町
史資料編六
浜松市史 三
(復活運動 陳情団上京)
【※
新居町
駅は大正四年一月の開駅】このとき陳情団は浜松駅以外に掛川・袋井・中泉・舞阪・新居の各駅からも
浜松市史 一
(橋本宿)
「振裾考記」『
新居町
史』史料編二所収) また雅有は、建治元年(一二七五)三月鶴岡八幡宮の放生会,【浜名の橋 ひきま てんちう川 さ夜の中山】「このはまなの橋(浜名橋については『
新居町
史』史料編一・二
浜松市史 五
(浜名バイパス)
同バイパスは、篠原町から浜名郡
新居町
大倉戸まで延長十二・九キロ、四車線を盛土造りと高架橋、途中、今切口,坪井インターで浜松西インターへの取り付け道路となる都市計画街路坪井豊西線と接続、
新居町
より西は潮見バイパス
浜松市史 一
(義定の軍に勝間田・横地氏従う)
義定らの防禦陣地は、いまの
新居町
よりもすこし南方の現在の浜名湖今切あたりの方が地の利をえていたように思
浜松市史 三
(堀留運河)
明治八年十一月には火災があって十七、八軒焼失したこともあったが、川島屋とか大海屋という茶店や(「温徳日記」『
新居町
史
浜松市史 一
([浜松の称])
天竜川を渡り、浜名橋を経て三河に入るくだりに、海浜の松原のさまを記しているが、それは浜名湖南端、いまの
新居町
浜松市史 四
([連合国軍への対応の変化])
その準備のためアメリカ海兵隊が浜名郡
新居町
に上陸、引き揚げは昭和二十年九月四日から九日にかけて行われた,日本人の心構えが出来ていなかったこと、言葉が通じないことからくる誤解などが影響してか、アメリカ兵の略奪が
新居町
浜松市史 ニ
(姫街道と宝永地震)
の「御関所潰レ津波ノ上ル事大斗ニシテ三度」で、「渡海止ル事四五日」(冨田政愈「御関所由来并旧跡記」『
新居町
史史料編
浜松市史 四
([国鉄バスの運行])
浜松地域における国鉄バスの運輸営業は、昭和十二年にそれまでの省営自動車浜名線(豊橋─二川東間)を
新居町
浜松市史 一
(親王の転戦)
後醍醐天皇の期待をにない、東海道を上京してくる義良親王(後村上天皇)・北畠顕家に宗良親王も橋本(浜名郡
新居町
橋本
浜松市史 五
(浜名湖北部用水事業)
貯水量千二百万トンの多目的ダムとして建設され、ミカン園への農業用水のほか、二市四町(浜松市・湖西市・
新居町
浜松市史 一
(交通税)
遠江堀江の中安兵部少輔は、新居(浜名郡
新居町
)の関銭を知行していた。
浜松市史 四
(鈴木自動車工業)
戸塚鉄工所 浜松市龍禅寺町 旭屋工業KK 浜名郡可美村 中島銅工店 浜名郡可美村 新居鉄工所 浜名郡
新居町
,太田機械製作所 浜松市中島町 彦坂鉄工所 浜松市砂山町 大石鉄工所 浜松市新津町 疋田製作所 浜名郡
新居町
浜松市史 五
([国鉄バスの運行])
[国鉄バスの運行] 【国鉄バス】 国鉄バスの営業所は、西北遠地域では
新居町
と遠江二俣に置かれ、浜松
浜松市史 一
([遠江の天変地異])
浜名川の跡(浜名郡
新居町
橋本) 【天文の悪風】天文八年(一五三九)、遠江に「悪風」があり、大福寺
浜松市史 三
(紡績業の勃興)
って富士瓦斯紡績株式会社鷲津工場(昭和四年浜名郡鷲津町)・浜名紡績株式会社新居工場(昭和十一年浜名郡
新居町
浜松市史 ニ
(お鍬祭)
鍬祭 お蔭まいりの前提となったのがお鍬祭といわれるが、遠州方面では明和三年(一七六六)浜名湖西岸の
新居町
浜松市史 一
(中世編)
四二六‐四二七 熊野の墓と伝える宝篋印塔(磐田郡豊田村 行興寺) 四二九 橋本宿の現景(浜名郡
新居町
, 五六九 観世能 洛中洛外図屏風 部分(東京 町田満次郎氏蔵) 五七三 浜名川の跡 (浜名郡
新居町
橋木
浜松市史 五
(繊維産業)
宮竹町)、玉川紡績(北寺島町)、日清紡績(浜北市貴布祢)、東海繊維(浜北市小松)、新日本紡績(浜名郡
新居町
,その後、昭和四十年に近藤紡績所(中田町)が、昭和四十五年に鐘淵紡績(カネボウ繊維・浜名郡
新居町
)が新日本紡績
浜松市史 三
(労働運動)
7 7.28 日本楽器木工部50名 賃上要求スト 9.15
新居町
新居汽船船員 賃上要求 8 9.12
浜松市史 ニ
(引馬城主飯尾連竜の離反)
永禄九年正月六日引馬城代江馬泰顕(江馬氏は関ケ原役のとき今切関を守り、元和四年徳川頼宣に仕えることになった『
新居町
史
浜松市史 三
(創業年代)
1 1 伊佐見村 1 1 2 入野村 0 富塚町 1 1
新居町
浜松市史 四
([貝類による中毒])
はあるが、貝の有毒化がどうして起るか不明ですけれども… 以上が貝中毒事件の概要であるが、『
新居町
史
浜松市史 三
(村櫛村勝訴 採藻場境界の確立 和解内容)
その内容は、①伊佐見村・古人見村地先湖面の既設の標識を起点として、
新居町
新居洲崎庄境石を見通して一直線
浜松市史 五
([西遠総合教育センターの開館])
これを受けて西遠地区広域市町村圏事業(浜松市・浜北市・湖西市・可美村・舞阪町・
新居町
・雄踏町・細江町・
浜松市史 五
([平成の大合併])
平成十四年七月になって浜松市は周辺の九市町(浜北市、湖西市、天竜市、舞阪町、
新居町
、雄踏町、細江町、引佐町,、天竜市の中谷市長は北遠の四町村(佐久間町、水窪町、春野町、龍山村)と同一歩調を取ると表明、湖西市や
新居町
,これに対し注目されていた湖西市は保留、浜名三町(
新居町
、雄踏町、舞阪町)も即答を避けた。,同年八月十三日に協議会参加を表明していなかった舞阪町が参加を表明したが、八月二十日に
新居町
の片山町長は
浜松市史 三
(浜松の芝居小屋)
諏訪神社の大祝杉浦大学の屋敷跡に常盤座があり、九年九月芝翫・菊五郎一座が興行している(「温徳日記」『
新居町
史,があり(井枡屋が経営したので井枡座ともいった)、六月二十九日市川団十郎が興行している(「温徳日記」『
新居町
史
浜松市史 四
([路線の拡大と好調な営業成績])
浜松市・磐田市・二俣町・気賀町・掛塚町・
新居町
といった商工業中心地から放射状にバス路線が拡大された(遠鉄
浜松市史 一
(荘園の祭神)
同所浜名総社神明宮 猪鼻湖神社 (イハナコ) 〃 下尾奈か 同所猪鼻湖神社か 大神神社 (オオムワ) 浜名郡
新居町
中之郷
浜松市史 三
(近代俳句の芽生 渥味溪月)
三十七年、金子正三)・もみぢ会(三十八年)、和田村に浜松俳友会、三方原村に萩会(三十六年~三十七年)、
新居町
浜松市史 五
(郊外型大型店)
ジャスコの出店に対しては入野地区の商店関係者をはじめ、可美村、篠原、舞阪町、雄踏町、
新居町
、湖西市の各商工会
浜松市史 一
(浜松付近の中期弥生文化)
遺跡が増加し、引佐郡下では前述した岡ノ平遺跡(第17図5)、浜名郡下では舞阪町白石山遺跡と弁天島遺跡、
新居町
一里田遺跡
浜松市史 三
(三方原臨時飛行場 飛行聯隊 陸軍飛行学校)
開拓の進んでいなかった原野を天恵の飛行場として、臨時飛行場を開設したという由緒ある土地でもあり(この年
新居町
中之郷大正浜
浜松市史 四
(公園)
浜名湖の湖面全域と周辺の舞阪町・
新居町
・北庄内村・南庄内村・村櫛村・和地村・伊佐見村などのほか、浜名湖
浜松市史 四
([湖面(浜名湖)漁業の実態])
代表者村櫛村漁業協同組合外十五組合共有で、ここには篠原村・伊佐見村・和地村・北庄内村・北庄内村湖東・南庄内村・舞阪町・雄踏町・
新居町
浜松市史 五
([方言の研究とその成果])
戦後『土のいろ』が復刊されたのは、昭和三十年のことで、復刊第一号(昭和三十年八月)に、山口幸洋(浜名郡
新居町
新居在住
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