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浜松市史 ニ
(若宮八幡社)
(八幡町)の神輿(みこし)の御旅所となったのは、正徳四年(一七一四)の八月十五日からであるという(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(放生会)
大工町の若宮八幡社と小沢渡村(当市小沢渡町)の音羽松(浜松の松ともいう)は神輿の御旅所であるという(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(寺院の配置)
薬師堂は慶安二年のころ新道から七軒町に移ったという(「
旅籠町平右衛門記録
」『浜松市史史料編一』)。
浜松市史 ニ
(笹ヶ瀬隕石)
三百十六匁ぐらいあり、たいへん珍しい「玉」というので領主本庄安芸守は江戸屋敷へ運ばせて検分したという(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(一大宿場町を形成)
十八軒塩町はたこや、十六軒連尺町はたこや、はたこや〆百五十一軒」とあり、一大宿場町を形成していた(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(海岸地帯)
【浅田村】『
旅籠町平右衛門記録
』(『浜松市史史料編一』)によると、享保十一年(一七二六)に浅田村・伊場村
浜松市史 ニ
(馬込川の出水)
床上二尺(六〇㌢)ほど冠水し、橋当番の旅籠町ほか他町も出動して土俵などを運び馬込橋の流失を防いでいる(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(代官役所)
【地代官】『
旅籠町平右衛門記録
』によると、下表のとおり江戸時代の中ごろ、藩領の「寺嶋八幡地」(後述)が
浜松市史 ニ
(大久保山論)
浜名郡雄踏町)との間にある大久保山の山堺が不明のため紛争がおき、貞享三年(一六八六)解決しているし(「
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(御本陣日記)
伝馬町稲津甚太夫家から養子市左衛門をもらい、家を建て本陣宿になったのだという(『
旅籠町平右衛門記録
』)
浜松市史 ニ
(五社明神社)
杉山(当市利町、現在の市民会館の前)では延宝四年九月まで三年に一回ずつ能楽が行なわれ(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(鴨江彼岸会)
不及申、惣町見物之者共残多」く思ったのである(伝馬・連尺・塩・旅籠のお役町は困窮のため参加していない『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(開帳)
また七軒町普大寺不動尊では享保九年、下垂町明光寺は享保十三年(『
旅籠町平右衛門記録
』)、寺嶋村大聖寺は
浜松市史 ニ
(起源)
【記録】大念仏の由来に関する最も古い記録とされている『
旅籠町平右衛門記録
』(『浜松市史史料編一』には、
浜松市史 一
(火災)
旅籠町平右衛門記録
(『浜松市史史料編一』)の中に浜松町在々出火之覚という項があり、寛文五年(一六六五)
浜松市史 ニ
(海岸地域)
その一例として『
旅籠町平右衛門記録
』によって寺嶋八幡地(当市寺島町・北寺島町付近)の綿作について述べよう
浜松市史 ニ
(寺社領)
【検地】享保六年に遠江の寺社領の検地があり、浜松領分でもこれが行なわれた(「
旅籠町平右衛門記録
」『浜松市史史料編一
浜松市史 ニ
(幕府と藩の二重支配)
伝馬人足の御朱印改めをきびしく行なうべきこと、荷物の貫目を定めのとおりにしらべるべきことを命じた(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(小栗家の歳々有物張)
享保九年は木綿の値段が騰貴した年であるが(前述の『
旅籠町平右衛門記録
』参照)、この年は資産二百三十五両
浜松市史 ニ
(流行の仏たち)
享保九年(一七二四)三月には「七軒町普大寺不動様開帳」で「殊外参詣人多」かったという(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(真渕の父母)
【実子真滋】このことは『
旅籠町平右衛門記録
』(『浜松市史史料編一』)に「伊場村与三郎(岡部氏)殿子庄助
浜松市史 ニ
(馬込川流域)
天王の両村との間に水争いがおこり、昼間は市野村、夜間は両村と交互に水を引くということで解決している(「
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(海の難所遠州灘)
の子女のあいだで「まわり(毬)持ったが白まわり、せめて五官の糸ほしや」という歌が流行した、という(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(天竜川の出水)
れこんだので、東海道往還が不通となり佐藤村から天王・市野村を経て石田村通りで子安堤に出で船で越している(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(町の意義)
【成子坂町】また鴨江村の一部が成子坂(なるこざか)町になっている(『
旅籠町平右衛門記録
』)。
浜松市史 ニ
(問屋場と問屋役人)
二人で上下月番で当番制となし、おもに伝馬町・塩町からだんだん問屋場として整備されてきたのだという(『
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(町民の生活)
一六八五)の記録があり「此まつりは浜松町在々共ニおびたゞしく御座候、浜松町立始り而之まつりニ御座候」(「
旅籠町平右衛門記録
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
(1847) 紺屋町より出火榎町・神明・田町・連尺・肴町・伝馬町後道におよぶ火元清水屋大安寺焼失(『
旅籠町平右衛門記録
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
にあった牢屋 【伝馬町 教興寺 底無牢 処罪】 412 4 梅谷本陣に婿入りした賀茂真淵 【
旅籠町平右衛門記録
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
正徳4年(1714)から、浜松八幡宮の神輿の御旅所となったと「
旅籠町平右衛門記録
」(『浜松市史史料編1
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