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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 ニ (本坂道)

本坂道 姫街道は東海道の脇往還である。公儀では本坂道・本坂通・本坂越などと呼んだ。,これはこの街道筋にあたる遠・三両国国境の本坂峠が最難所であったためである。,永禄十年(一五六七)連歌師里村紹巴(さとむらしょうは)は、気賀から「本坂越は道止れるとて」小引佐峠を越,本坂越の名称の古いこと、また本坂峠がしばしば杜絶したことがわかる。 / 本坂道
浜松市史 ニ (市野宿の衰退)

市野宿の衰退 本坂道停止令にもっとも打撃をうけたのは市野宿であった。,市野宿役人惣代が道中奉行宛に差出した文書(市野村旧本陣『斎藤文書』)によると、市野村は「東海道浜松宿最寄、本坂往還,『有玉村高林家諸用記』にも、これと同様の記事が天保十四年(一八四三)にあり、市野宿が潰れたのちは「本坂筋
浜松市史 ニ (二筋の姫街道)

享和三年(一八〇三)八月本坂道普請のため見分が行なわれているが、そのときも気賀から浜松へ出ているし、天保十四年,『東海道浜松宿大概帳』(『浜松市史史料編三』)にも本坂通として「大手前」が浜松からの起点となっている。,近世前期の本坂道や市野宿の状態などは、「青山御領分絵図」によって、くわしく知ることができる。
浜松市史 ニ (天保期の一里塚)

か所 【篠原】篠原村地内  北側は榎、南側は松 【舞坂】舞坂宿入口  南北とも松  浜松宿から本坂通,70里 東浜名村東山768 都筑北東20丁 三ヶ日 〃 71里 西浜名村避病舎北 西浜名村避病舎 本坂,〃 72里 西浜名村本坂323 新旧道路の中間
浜松市史 ニ (姫街道の名称)

その一つは婦女子が取調べの厳しい今切関所をさけて本坂道をえらんだから名づけられたというのである。,また今切という言葉が婦女子にとって縁切れに通ずる不吉のひびきがあるので、本坂道をえらんだから姫街道と呼
浜松市史 ニ (姫街道の通行停止)

その結果本坂道通行の差留となったのが享保二年(一七一七)十一月で、地震以後十一年目であった。,といっても、享保三年四月には浄円院(将軍吉宗の生母)の通行があるというようなわけで、やはり本坂道を往復
浜松市史 ニ (家康遠江に侵入)

【浜名氏】しかし元本坂(引佐郡三ケ日町)で浜名頼広父子・後藤実久(本坂住人)らが武田信玄と通謀し、気賀
浜松市史 ニ (家康の進路)

酒井忠次は、本坂峠を経由して湖北の気賀(けが)に通ずる本坂路(のちの姫街道)を進んだ。
浜松市史 ニ (姫街道と宝永地震)

『本坂御往来留書』にも「五日之朝より本坂江往還之旅人荷物迄通り享保二酉年迄御通行繁有之」とあって十月四日
浜松市史 ニ (浜松の主要交通路)

享保六年(一七二一)町奉行からの尋ねに対して、浜松から本坂(ほんざか)道・鳳来寺(ほうらいじ)道の交通路,【本坂道】「一浜松より本坂通り道筋并山々江之道法   浜松追手御高札場より当所名残新田札木まで拾六丁三拾壱間,浜松追手御高札場より気賀御番所まで三里九丁十一間   気賀御番所より三ケ日村まで弐里三拾壱丁、三ケ日村より本坂峠江壱里五丁, この記録は東海道の幹線道路を一応度外視して、浜松からの他の主要交通路を示したものであるが、浜松から本坂通
浜松市史 一 (信長と天竜川)

【本坂越 今切渡】彼らは本坂越・今切渡で帰途につく。    
浜松市史 一 (遠江と三河をむすぶ道路)

遠江と三河をむすぶ道路 【本坂路 浜名峠路 中山峠路 大知波峠路 浜街道】遠江と三河をむすぶ道路は、,本街道・本坂路のほか、浜名峠路・中山峠路・大知波峠路・浜街道がある。  ,『十六夜日記』、弘安三年(一二八〇)の飛鳥井雅有の『春のみ山路』(『古典文庫』所収、京都からの下りは本坂越
浜松市史 ニ (遠江国侍の来降)

遠江国侍の来降 鍋掛の松井氏・浜名の後藤氏(引佐郡三ケ日町日比沢・本坂)・頭陀寺の松下氏・匂坂氏(さぎさか
今切変遷図 (解説)

旅行者は本坂通(姫街道)に集中し、浜松、舞坂、新居の宿場からは本坂通の通行禁止が求められたが、後の明和元年,(1764)、本坂通は道中奉行管轄となる。
浜松市史 ニ (現存の一里塚)

また、その名残りをとどめて東海道では篠原に、本坂道では小池に、一里山という地名が残っている。
浜松市史 ニ (姫街道の重要性)

姫街道の重要性 浜名湖の今切の渡船をさけて通行がしげかったので、幕府でも重視した道で『本坂御往来留書
浜松市史 一 (本道と別道)

本市と関係のあるのは、本坂峠をこえて遠江に入り、浜名湖北岸をへて三方原をとおり引馬宿・池田宿にでて、東海道本道
浜松市史 ニ (築山殿殺される)

築山殿殺される 築山殿は本坂道(姫街道)を三ケ日(みっかび)にでて、そこから浜名湖をわたり、宇布見から
浜松市史 ニ (芭蕉柳の句碑)

翌二十九日には気賀(引佐郡細江町)を経て三ヶ日に宿り、さらにその翌日本坂峠を越して京都に向かった(『俳諧蝶夢
浜松市史 一 (板築駅)

すなわち三河国から本坂峠を越え、三ケ日方面に出て三方原方向に通ずる道であって、古来、南方の路線と並んで
浜松市史 ニ (湖西の守備)

いなさ)郡で佐久城に浜名頼広(引馬城主飯尾連竜の叔父、妻は懸川城主朝比奈泰能の女)、日比沢城に後藤直正、本坂
解説「国絵図」 (解説「国絵図」)

遠江国では、東海道筋では新居のほか、小夜中山、中泉、本坂通筋では、野地、三ヶ日に御殿があった。,<本坂通> 東海道の付属街道となる前の段階である。,<本坂通> 本坂通の道筋には、安間新田村で分岐する道筋と、浜松宿大手門前(現在の連尺交差点)で分岐する,今切(東海道)、気賀(本坂通)、金指(鳳来寺道)の「御関所」も記載される。,宿場東端には今切関所があり、本坂通の気賀関所や鳳来寺道の金指関所も記載される。
浜松市史 ニ (立場)

本坂通り気賀までには立場はなかった。
浜松市史 三 (浜松の名所)

三山晴嵐 西湖山晩鐘   浜名八景 小野湖山選 浜名長橋 象洲漁火 舘山秋月 迫門奇巌 礫島松風 本坂紅葉
浜松市史 一 (交通路)

交通路 元来、三河方面から遠江へ連絡する交通路として、『静岡県史』では、    1 三河から本坂
三ヶ日町史 上巻 (三ヶ日町史 上巻 目次)

二七一 二、大谷 近藤家 二八六 三、幕末期の三ヶ日 三〇二 第二節 交通と産業 三一四 一、本坂街道
解説「浜松城絵図と城下絵図」 (解説「浜松城絵図と城下絵図」)

城下の東海道・本坂通の4ヶ所の番所については、木戸、柵、建物が明瞭に描かれる。,【番所】 東海道筋に3ヶ所、本坂通筋に1ヶ所の番所がある。,【本坂通】 大手門前で東海道と分岐した本坂通の枡形の道(「ひくま坂」と呼ばれる坂道)を西進すると、坂,【番所】 東海道筋の3つの番所、本坂通筋の名残番所が描かれる。,東海道・本坂通の枡形の道筋も表現されている。
浜松市史 ニ (宿駅の困窮と余荷)

#160; 江之嶋村   有掛下村   鵺代村   大崎村   本坂村
浜松市史 ニ (名前帳提出)

  石川喜左衛門 伊藤七郎左衛門  佐久米 都筑 大崎 駒場 津々崎 宇志 三ヶ日  釣  日比沢 本坂
三ヶ日町史 下巻 (三ヶ日町史 下巻 目次)

伸びる養蚕とみかんの栽培 二二五 二、宇志の耕地整理 二三〇 第三節 交通の発達 二三二 一、本坂峠
しいの森はぎの原:わが町文化誌 (浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)

千人塚古墳 追分一里塚 道標 北星中学校】 17 【姫街道の松並木】  18 【姫街道のいわれ 官道 本坂道, 防人 万葉集 物部古麻呂 今切渡し】  20 【本坂道御留書 細江町史 姫様道中 徳川吉宗 浄円院
浜松市史 一 (実暁記)

 吉美 妙立寺 しほみ坂 宗長手記 大永年間 (1521~28) 宗長 吉美 浜名の渡り 浜名湖 本坂
浜松市史 一 (高山寺本)

高山寺本 浜名郡 坂上 (サカカミ)       ○ 引佐郡三ケ日町本坂辺
浜松市史 一 (被害状況)

また、この地震によって、今切渡舟杜絶し、東海道が困難となり、旅人は本坂越をするようになり、浜松宿の休泊者激減
細江町史 通史編中 (細江町史 通史編 中 目次)

の宇津山攻め 102 4 『武徳編年集成』の記述 103 5 油田の地侍竹田高正 104 6 本坂,堀川城とその人物群 265 1 気賀一揆の寺と地侍 265 2 気賀村の名倉常閑 266 3 本坂
浜松市史 ニ (天保十年知行地)

; 都筑村 大崎村 駒場村 津々崎村 宇志村 三ヶ日村 釣村     日比沢村 本坂村
浜松市史 ニ (元禄の野論)

この結果三方原入会地の境界は「東は有玉東之崖留り限り、西南は本坂道、北は金指道より二俣道を限り」とし、
解説「徳川家康と三方原の合戦」 (解説「徳川家康と三方原の合戦」)

この史料によれば、徳川家康方の「参州軍」が、本坂峠より「出陣」したことになっている。
浜松市史 ニ (交錯する諸領)

10     嶋之郷 432 大 429 寺 3     本坂
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