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浜松市史 ニ
(本陣)
本陣
前にも述べたように
本陣
は宿駅における大名・公卿等の宿泊する高等旅館であり、天保十四年ごろには
本陣
,【杉浦家】この
本陣
のなかでもっとも古いのは伝馬町の杉浦助右衛門家である。,嘉永三年浜松宿杉浦
本陣
の図 (浜松市菅原町 川島浦治氏蔵) /
本陣
浜松市史 ニ
(本陣の規模)
本陣
の規模 街道筋でこのような
本陣
が六軒も設けられていたのは東海道では箱根宿と浜松宿のみである。,
本陣
の規模は上表のとおりである。 ,「今宵の宿は
本陣
にて伊藤平左衛門といふ。上段と思しき所にあげ畳あり。,
本陣
凡建坪272坪 伝馬町(杉浦助右衛門) 壱軒 門構玄関付
本陣
凡建坪180坪 伝馬町(梅屋市左衛門,) 壱軒 門構玄関付
本陣
凡建坪163坪 伝馬町(川口次郎兵衛) 壱軒 門構玄関付
本陣
凡建坪225 /
本陣
の規模
浜松市史 ニ
(御本陣日記)
御
本陣
日記 『御
本陣
日記』(『浜松市史史料編一』)はその一部が抜けているけれども、元和四年(一六一八,参勤交代制が確立したのが寛永十二年(一六三五)であるから、大名の往来が頻繁になるにつれて、このころまでに
本陣
五軒,伝馬町稲津甚太夫家から養子市左衛門をもらい、家を建て
本陣
宿になったのだという(『旅籠町平右衛門記録』),【六軒】伝馬町川口次郎兵衛家があらわれて、
本陣
が六軒になるのは後代である(二一九ページ参照)。 / 御
本陣
日記
浜松市史 三
(浜松伝馬所)
浜松伝馬所 【
本陣
家】伝馬町の伝馬所は廃され、浜松最古の
本陣
杉浦助右衛門家も、梅谷
本陣
家も明治七年の
浜松市史 ニ
(霊祭と歌会)
その他一覧表 開催期日 名称 開催場所 出席者数 享和元年11月27.8日 真渕33年祭 見付鈴木
本陣
宅,文化10年9月13日 宣長13年祭 高林方朗宅 13名 文化14年8月27日 宣長17年祭 浜松梅谷
本陣
宅, 文政元年9月20日 真渕50年祭 〃 54名 文政6年9月20日 一神六霊祭 見付鈴木
本陣
宅,22日 県居霊社上棟遷座式 天保13年3月6日 県居霊社竟宴歌会 浜松梅谷
本陣
宅
浜松市史 ニ
(城主と町民)
【
本陣
】寛政十年(一七九八)正月二日、二の丸鉄砲の間で行なわれた年頭祝儀の儀式には、医師一人、
本陣
四人
浜松市史 一
(武器)
弾薬も事情によっては、
本陣
から補給する。
浜松市史 ニ
(伝馬朱印状)
伝馬朱印状 「 御朱印之写 御
本陣
助右衛門方ニ所持仕罷在候 「 定 」 紙、竪一尺五分、横一尺五寸五分
浜松市史 ニ
(浜松滞在)
さらに同十一年十一月西丸老中として京都から江戸へ下る途すがらの十四日、浜松
本陣
に立ちよっている。,翌十二年正月には上京の途次杉浦
本陣
に休憩し、また二月に下向、二十二日に着城し「きさらぎばかり引馬城に来
浜松市史 ニ
(市野宿の衰退)
文政十三年(一八三〇)に市野宿役人惣代が道中奉行宛に差出した文書(市野村旧
本陣
『斎藤文書』)によると、,「東海道浜松宿最寄、本坂往還、気賀・見付宿前後四里宛之場所」で宝永・正徳のころまで「市野宿」ととなえ
本陣
問屋
浜松市史 三
(今切関所)
今切関所 明治維新によって、明治二年正月には今切関所が、三年閏(うるう)十月には
本陣
が、五年七月には
浜松市史 三
(浜松宿政)
町政が行なわれていたが、奉行所の宿政統一方針により浜松宿市街取締のため大庄屋がおかれ(明治二年)、浜松
本陣
杉浦助右衛門家出身
浜松市史 ニ
(一大宿場町を形成)
上申書によると、「浜松通筋町数拾壱丁、家数六百四拾六軒、人数四千三百三十六人、右拾壱丁分也、右之内、五軒
本陣
浜松市史 ニ
(旅行記に現われた宿の繁昌)
(表)東海道遠江9宿駅一覧表(天保14年) 宿番 戸数 人口
本陣
数 脇
本陣
数 旅籠屋数
浜松市史 ニ
(問屋場)
宿高 なし 宿往還 23町15間余 人別 5964人 男2932人 女3032人 戸数 1622軒
本陣
浜松市史 五
(「県居霊社修造の沿革」)
第二章「学祖霊祭」は、方朗が中心となって文化十四年浜松梅谷
本陣
にて挙行された宣長の十七年霊祭に関する記録,と、文政元年に同じく浜松梅谷
本陣
にて行われた真淵没後五十年の霊祭の記録である。
浜松市史 ニ
(藩論決定)
同日参謀海江田・木梨両名より井上藩重役多川善右衛門・浅村勝司・伏谷又左衛門・三浦良五右衛門に宛て急速に桑名
本陣
浜松市史 ニ
(首謀者詮議)
そして八月四日までが「水野様の御代」、五日に
本陣
伊藤平左衛門方で郷村の引渡しがあって「井上様の御代」になったと
浜松市史 ニ
([伊能忠敬の測量])
東海地方を測量したのは文化二年で、門人を伴って三月十六日に浜松に泊り、翌十七日舞坂(浜名郡舞阪町)の
本陣
源馬十右衛門方
浜松市史 ニ
(町の景観)
大田南畝(おおたなんぼ)が旅籠町の
本陣
で蛙の鳴き声をきいた話はすでに述べておいた。
浜松市史 ニ
(浜松宿の困窮)
】ひるがえって浜松宿をみると、文政十二年二月二十七日伝馬町熊野屋から出火し、後道へ延焼して杉浦・梅谷
本陣
浜松市史 ニ
(宿の財政と助成)
天領の舞坂宿でも困窮いちじるしかったが、同宿の
本陣
覚書「往古より御拝借金銭米之覚」によると、舞坂宿では
浜松市史 ニ
(海防案)
【仮
本陣
】こうして天竜川東岸では仮
本陣
が小嶋村正眼院に、西岸では三嶋陣屋に設置され、総指揮をとることになっていた
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
浜松 17 【浜松宿の24町】 18 (四)浜松宿における宿泊施設 21 (五)浜松宿における
本陣
,【杉浦助右衛門
本陣
小野組 大火】 23 【梅谷市左衛門
本陣
賀茂真淵】 24 【川口次郎兵衛
本陣
, 佐藤与左衛門
本陣
】 25 【杉浦惣兵衛
本陣
伊藤平左衛門
本陣
太田南畝】 26 (六)近代都市浜松,十五 千歳町 【芸妓組合 料亭 花柳界 思案橋】 370 十六 伝馬町 372 【商店街地図
本陣
,410 3 明治はじめまで後道にあった牢屋 【伝馬町 教興寺 底無牢 処罪】 412 4 梅谷
本陣
浜松市史 ニ
(方朗と忠邦)
君臣であり師弟である両者の親密さは、文政十一年十一月、忠邦が江戸へ出府の途次、浜松杉浦
本陣
で方朗に、楽長三郎
浜松市史 ニ
(立場)
同年四月十六日「吉川監物様」が「浜松御
本陣
梅屋市左衛門御旅宿」のところ「五ツ時鍛冶町浄鏡院出火」のため
浜松市史 一
(直轄軍の機構)
供奉の随兵を直轄軍としている奉公方(ほうこうがた)(属している人は奉公衆)が、戦時には親衛軍(奉公方は
本陣
浜松市史 ニ
(報国隊帰郷)
ついで隊員は宮を舞坂宿今切渡まで見送り、山本金木と竹山主水の二人は、隊を代表して新居宿
本陣
まで出頭、舞坂海苔五帖
浜松市史 三
(郵便取扱所)
に浜松宿伝馬町(明治十三年の史料に四十三番屋敷とある)に開設され、取扱人(一等)は川口左又郎(旧浜松
本陣
家
浜松市史 ニ
(大雄庵開創)
磯部忠三郎父子・同姓伊兵衛一家、地元の天神町村庄屋惣太郎と彦左衛門・同住人伝左衛門、また浜松では伝馬町
本陣
杉浦助右衛門夫妻
浜松市史 一
(被害状況)
による浜松宿の被害家屋に対する救米・拝借米 救米 被害家屋 軒数 救米 俵数 1軒当り 伝馬町杉浦
本陣
,#160; 計 200(+1) 1,374 ― 拝借米 御役町 拝借米 杉浦
本陣
浜松市史 ニ
(城下のにぎわい)
本陣
の項参照)。四日天気よし。
浜松市史 三
(移住開始)
同月八日浜松
本陣
泊、九日三ヶ日泊、十日は三方原追分で御小休、三方原・和地山移住士族たちの出迎えをうけ、
浜松市史 ニ
(真渕の父母)
【梅谷の妻】享保十年には政長の弟である植田政元の世話で、浜松宿
本陣
梅谷甚三郎方良の女の婿養子となった。
浜松市史 ニ
(山本大隅の記録)
被成候ト也」「浜松五社・諏訪等ゟ御参詣相願候処一向ニ不叶、御札献上も不叶由、然処ブンギノイナリトカ云テ
本陣
持之小社有之由
浜松市史 ニ
(隊制決定)
神主竹山民部(庄屋竹山孫左衛門、池田庄三郎の兄)・下堀の神主竹山主水(下堀竹山金左衛門家)、市野宿の
本陣
斎藤伝兵衛
浜松市史 ニ
(水野氏浜松入)
そしてようやく七ツ時(午後四時)になって旅籠町伊藤
本陣
の裏の広場で庄屋一同勢揃いして威儀を正すうちに、
浜松市史 ニ
(触書要旨)
(5)御
本陣
が二階から見える家は二階に目かくしの塀を建てること。
浜松市史 ニ
(問屋場と問屋役人)
助右衛門家は伝馬町の名主の家柄で、
本陣
を営んでいた浜松宿の名家であった。
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
宿場 表筋町 裏町通筋 横町】 7 【浜松名産「忍冬酒」 神谷家】 9 【東海道宿駅制度 浜松宿の
本陣
,(二)県居地区 【元魚町 本魚町 魚町 肴町 歌舞伎座 火災 恋沢橋】 279 【旅籠町
本陣
浜松市史 ニ
(県居神社)
柳瀬方塾亭歌会に出詠 一〇 一七二五 二九 詠草に春栖の名がある 浜松
本陣
梅谷甚三郎方良
浜松市史 五
([賀茂真淵の顕彰と寺田泰政])
一つは文政元年(一八一八)に、高林方朗らを中心に梅谷
本陣
において県居翁五十年霊祭が行われたことであり、
細江町史 通史編中
(細江町史 通史編 中 目次)
気賀関所での通行と取り締まり 第1節 気賀関所と助郷村 323 第2節 金指関所 324 第3節
本陣
中村家
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
一八七 天竜川渡船場図 青山御領分絵図 部分 一八八 嘉永三年浜松宿杉浦
本陣
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
記載がないので断定できないが、浜松宿最大の
本陣
、杉浦助右衛門
本陣
を指している可能性もある。,これは『浜松市史史料編2』に掲載され、「年代は不詳であるが、宝永年間の製図と推測され、浜松
本陣
杉浦助右衛門家
解説「国絵図」
(解説「国絵図」)
「御陣屋」は代官所や旗
本陣
屋を示す。15ヵ所程度が記載される。
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