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浜松市史 一
(海蝕崖)
海蝕崖 【
東伊場町
入野町】三方原台地は、天竜川右岸において北東から南西にかけて、きわめてゆるやかに,傾斜する約二〇キロの扇形をなし、その南縁は浜松市
東伊場町
・入野町・浜名郡雄踏町にわたって東西に走る海蝕崖
浜松市史 四
([罹災した寺院])
広厳寺(船越町)、天林寺(下池川町)、浄土寺(広沢町)、普済寺(広沢町)、西来院(広沢町)、瑞生寺(
東伊場町
,)、光雲寺(
東伊場町
)、円通寺(植松町)、本誠寺(富吉町)、教興寺(伝馬町)、松林寺(名残町)、観音院
浜松市史 三
(浜松の名所)
三方原古戦場 犀ケ崖 (名残町) 鎧懸松 (松城町) 雲立の楠 (八幡宮) 颯々の松 (八幡宮東) 鳥居坂 (
東伊場町
,龍山公残亭 (龍禅寺境内) 火灯山 (中沢町) 六本松 (中島町) 鴨江城趾 (鴨江町) 県居翁誕生地 (
東伊場町
浜松市史 三
(紅緑天と雁来紅)
なお表紙は岡部長節(当市
東伊場町
、岡部譲の第三子、長節の子に岡部冬彦がある)が画いている。
浜松市史 三
(被爆地域)
をはじめ伊場の鉄道省工場等の交通施設に、ついで東部の浅野重工業等軍需工場地帯へかけて盛んに弾着があり(
東伊場町
二二,なったということで、被爆地域は①浜松駅より寺島方面②中島町浅野重工業会社工場より相生町鈴木織機工場方面③
東伊場町
浜松鉄道工場方面
浜松市史 一
(岡部郷)
じっさいは『亀山法皇御領目録』)の岡部郷の下に註記されているのは、その意味である(もと岡部郷、いまの
東伊場町
,慶長六年(一六〇一)正月徳川家康は、岡部村の地四石二斗を賀茂神社(当市
東伊場町
)に保証した(「岡部文書
浜松市史 四
([賀茂神社の氏子会])
先には浜松市域の神社を糾合した氏子総代会や連合氏子会の存立を示す規約等を見たが、ここでは賀茂神社(
東伊場町
,賀茂神社宮司岡部嚴夫は昭和二十四年六月の氏子会の発足を、翌年七月十五日付で刊行した
東伊場町
青年会雑誌『
浜松市史 三
(一月の空襲)
3人,全壊4戸 半壊6戸,小破27戸,全焼35戸,半焼10戸 11 20.3.4 250キロ爆弾
東伊場町
,14.20 死者1人,軽傷者1人 23 20.7.24 小型爆弾及び銃撃 広沢町 八幡町 砂山町
東伊場町
,艦載機約70機,爆弾3箇 7.10 死者1人,軽傷者3人 24 20.7.25 〃
東伊場町
成子町,小破65戸 26 20.7.29 艦砲射撃 中島町 松江町 馬込町 新津町 旭町 追分町 名残町
東伊場町
浜松市史 三
(織物関係 一般工業機械材料 特殊工業品生産品 日用品 運輸倉庫業 金融機関 その他)
)・高橋合資会社(四十三年、木戸町)・東海染色会社(四十三年、船越町)・浜名染色株式会社(四十三年、
東伊場町
,二十八年、田町)・浜松貯蓄銀行(三十年、連尺町)・株式会社遠江銀行(三十年、田町)・遠友株式会社(三十年、
東伊場町
浜松市史 三
(浜松市史の編纂)
そののち九年七月にいたり岡部哲(当市
東伊場町
、岡部譲の長男、市立浜松高等女学校教員)・松本勘次郎(浜名郡新津村
浜松市史 四
([公営住宅])
寺脇町[転用住宅](4),利町 [付属住宅](1) 205 0 205 24 名残町(45),
東伊場町
,26 0 亀山町(48) 48 48 計 和地山町(272),名残町(215), 鴨江町(62),
東伊場町
浜松市史 四
([青年運動の展開と転機])
【
東伊場町
青年会】 このころ都市部の青年会の中で活発な活動をしていた
東伊場町
青年会,同新聞記事では、
東伊場町
青年会は市の連合青年会に加入していなかったことも解散を早めた一因としている。
浜松市史 三
(常盤幼稚園 葵幼稚園)
57 1,727 881 846 市立元城幼稚園 元城町 7 211 123 88 市立県居幼稚園
東伊場町
浜松市史 三
(日赤浜松病院 遠州病院 聖隷保養農園)
静岡県浜松保健所 下池川町 昭和14年 名古屋鉄道局浜松鉄道診療所 砂山町 名古屋鉄道局浜松西鉄道診療所
東伊場町
浜松市史 三
(浜松の労働組合結成の動き 最初の犠牲者)
が高まってくるのは大正十五年で、全日本鉄道従業員組合の結成(大正十五年二月)をみると直ちに浜松支部(
東伊場町
浜松市史 三
(文芸誌)
大正九年十一月、一号で休刊、鈴木覚馬の長子乾也の小説を掲載)、竹内鉱太郎・堀見宗男・和多田幸一(当市
東伊場町
浜松市史 三
(織物工場分布)
・木戸町・中島町・船越町・馬込町・向宿町・天神町など)と駅南地帯(寺島町・浅田町・海老塚町・菅原町・
東伊場町
浜松市史 三
(七月の空襲 艦砲射撃)
鈴木織機・日蓄工場等の軍需工場を、二十五日も戦闘機二機が邀撃する中を十二機が侵入し天竜川鉄橋をねらい、
東伊場町
浜松市史 四
([青年団・青年会の運動の再出発])
東伊場町
青年会は『まなび』、豊西村青年団は『大地』、長上村青年団は『萬年青』、都田村青年団は『青年団報,また、
東伊場町
青年会の『まなび』では郷土の最大の祭りである浜松まつりについて率直な批判を加えている(『
浜松市史 三
(シルケット法)
そののち大正十五年になると東洋紡績会社浜松工場(浜松
東伊場町
)ではガスで綿糸の毛を焼いてガス糸・カタン
浜松市史 四
([ボーイスカウトとガールスカウト])
その後、三十年に
東伊場町
に第二隊、東洋紡績浜松工場従業員子弟の浜松第三隊、同三十一年に中心部の多くの町
浜松市史 四
([浜松市消防団の誕生])
第三分団 同 追分町三四番地 亀山町 広沢町 名残町 追分町 和地山町 上池川町 同 第四分団 同
東伊場町
八八番地,ノ七 元魚町
東伊場町
西伊場町 森田町 成子町 塩町 菅原町 平田町 同 第五分団 同 寺島町三七八番地
浜松市史 三
(青年学校 浜松の青年学校)
市立曳馬青年学校 曳馬町 12 9 244 市立富塚青年学校 富塚町 8 4 129 市立県居青年学校
東伊場町
,市立追分青年学校 追分町 11 6 179 市立高工青年学校 広沢町 16 4 68 私立東洋紡績青年学校
東伊場町
浜松市史 三
(会社)
2(1) 紺屋町 2(1) 利町 2(0) 名残町 2(1) 旅籠町 2(1) 成子町 2(1)
東伊場町
浜松市史 三
(教育費の増加)
1,270 160 25 東 大正6年 東田町 29 1,816 1,620 196 31 県居 〃9年
東伊場町
浜松市史 四
([住宅建設])
年度 第1種 木造平家建瓦葺1戸建 75戸 10坪 2間 165,492円 名残町45戸浅田町15戸
東伊場町
浜松市史 三
(救護活動 戦災対策本部)
和地山町 ⑦ 浜松警防団第1分団 伝馬町 ⑧ 〃第2分団 板屋町 ⑨ 〃第3分団 広沢町 ⑩ 〃第4分団
東伊場町
浜松市史 四
([敗戦と神社])
五社神社(利町)・諏訪神社(利町)・県居神社(
東伊場町
)・松尾神社(元魚町)・秋葉神社(三組町)・東照宮
浜松市史 四
([浜松鉄道病院])
浅田町の丹羽織物会社跡に仮病院を建設し、二月九日から外来患者のみの診療を行うことになり、この十カ月後には
東伊場町
浜松市史 四
([諸寺の復興])
本光寺(浜名郡河輪村)・玉伝寺(早出町)、同二十五年には鴨江寺(鴨江町)・法林寺(成子町)・光雲寺(
東伊場町
浜松市史 三
(二月の空襲 三月の空襲)
防火帯】浜松市街の一部(砂山町と柳通り)では防火帯を設置するために家屋の取壊しがはじまり、三月四日には
東伊場町
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
亀山町 281 名残町 536 追分町 253 広沢町 677 和地山町 70 鴨江町 1901
東伊場町
浜松市史 四
([泉松山法林寺の復興])
に万福寺(野口町)、同三十一年に善正寺(紺屋町)、同三十二年に常住院(名残町)、同三十三年に瑞生寺(
東伊場町
浜松市史 四
(鈴木自動車工業)
疋田製作所 浜名郡新居町 小楠金属工業所 浜名郡篠原村 星川鉄工所 浜松市龍禅寺町 カネ辰鉄工所 浜松市
東伊場町
浜松市史 四
(『浜松市戦災史資料』)
(元城町)、佐藤病院(東田町)、矢部病院(田町)、遠州病院(常盤町)、東洋紡績浜松工場病院(ママ)(
東伊場町
浜松市史 四
([第一回浜松まつりの実施])
浜松電化祭 浜松まつり 和地山町の旧練兵場 広告カーニバル 浜松物産展示会 木遣り道中 寄付金集め
東伊場町
青年会,
東伊場町
青年会の機関誌『まなび』は祭りの当事者である青年会のメンバーの投書を載せたが、それには毎月の積立方式
浜松市史 四
([浜松中央・東・北警察署の設置])
巡査派出所 市内砂山町・菅原町・新町・尾張町・亀山町、署所在地 計六カ所 巡査駐在所 市内
東伊場町
浜松市史 三
(時局教育 浜師時習寮 大久保教育)
明42 浜松市東国民学校 東田町 29 26 1,633 792 841 大6 浜松市県居国民学校
東伊場町
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
の改称)・元目町(げんもくちょう)(大字元城の内の元目)・中山町(なかやまちょう)(中山は小字名)・
東伊場町
,かもえまち 改称 東鴨江 一部を海老塚・東伊場・西伊場・中山・三組・成子・元魚・菅原の各町へ編入
東伊場町
浜松市史 一
(木寺宮領)
息神社所蔵棟札にもある (浜名郡雄踏町宇布見) 岡部郷 同上 同上 賀茂別雷神社文書・岡部文書等にもある (
東伊場町
浜松市史 五
(繊維産業)
昭和三十八年当時、浜松地域で操業していた紡績会社は、東洋紡績(
東伊場町
)、東棉紡績(宮竹町)、玉川紡績
浜松市史 四
([工場誘致、名鉄電車の浜松乗り入れ])
それは、戦前に東洋紡績の浜松工場が
東伊場町
にあり、戦災で焼失したままになっていたからである。
浜松市史 三
(四月と五月の空襲)
3 5 32 1 5 1 19 23 新町 7 2 11 19 7 2 120 4 4
東伊場町
浜松市史 三
(遠州灘海岸平野 天竜川平野 三方原台地)
①では
東伊場町
・西伊場町・森田町方面に若干の被害があり、県居小学枚では屋根瓦が雪崩を打って落ち、校庭の
浜松市史 五
([昭和三十八年時点の医療環境])
については『浜松市史』四において、主としてその成立事情について述べ、建設地の変遷(海老塚町・浅田町・
東伊場町
浜松市史 五
(各種学校)
浜松朝鮮初中級学校 東田町 ○浜松ブラザー編物学院 早馬町 予備校 補習 東海学院
東伊場町
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
153 【松尾様の茅の輪くぐり 松尾神社 夏越しのお祓い 元魚町】 155 【秋祭り 賀茂神社
東伊場町
浜松市史 四
([都市計画事業])
昭和二十九年になると、市は都市計画の事業区域をさらに縮小し第二工区(千歳町、旭町など)、第四工区(鴨江町、
東伊場町
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