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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 四
(松菱百貨店 棒屋百貨店)
松菱百貨店
棒屋百貨店
松菱百貨店
は戦災の被害が甚大であったが、昭和二十年十月には一階の一部を古本屋 /
松菱百貨店
棒屋百貨店
浜松市史 四
([食堂の開業と松菱百貨店])
[食堂の開業と
松菱百貨店
] 【食堂
松菱百貨店
棒屋百貨店】 市民や近郷近在から浜松に来た人、やみ,昭和十二年に開店した
松菱百貨店
は空襲と艦砲射撃で大損害を受けたが営業を続行し、終戦時にも一部の売り場で / [食堂の開業と
松菱百貨店
]
浜松市史 五
([中心商店街活性化とザザシティの建設])
ザザシティ浜松構想は、既存の
松菱百貨店
を第一の核とし、さらに西武の跡地に第二の核である西館を建設し、この,予定であったが、ザザシティハママツのグランドオープン(十一月二十二日)を目の前に控えた十一月十四日、
松菱百貨店
浜松市史 四
([その他のスポーツ])
駅伝競争大会】 浜松・二俣間のマラソン大会は戦前から行われていたようで、スタートは二俣町役場、ゴールは
松菱百貨店
前
浜松市史 五
([化学消防車、はしご付き消防車などの導入])
これは
松菱百貨店
から市へ寄贈され、「鳳竜」と命名され、中消防署に配備された(『新編史料編六』 二自衛隊,図2-15
松菱百貨店
から寄贈されたはしご車
浜松市史 五
([中心市街地からの大型店撤退])
月 ニチイ浜松店閉店、撤退は3月 平成4年1月 長崎屋浜松店撤退 平成4年4月
松菱百貨店
新館増築,西武百貨店浜松店撤退 平成12年11月 ザザシティ浜松西館オープン 平成13年11月
松菱百貨店
浜松市史 四
([梵鐘供出と復活])
光福寺の梵鐘は著名な鋳金家に依頼したという事情もあり、
松菱百貨店
でその披露が果たされ、稚児行列を組んでの
浜松市史 四
([浜松ライオンズクラブ])
結成に当たっては、当時の
松菱百貨店
社長谷政二郎の果たした役割が大きかった。
浜松市史 五
(カルチャーセンター)
浜松で比較的大きなものとして出来たのは
松菱百貨店
の会員組織・松菱友の会が開設した松菱友の会文化教室で、
浜松市史 四
(佐々木松次郎)
また、浜松市立図書館や
松菱百貨店
を会場として、しばしば個展を開催した。
浜松市史 三
(救護活動 戦災対策本部)
28 現浜松市役所 元城町 29 第113部隊 三方原台地 30 浜松医師会救護所 下池川町 31
松菱百貨店
浜松市史 四
([廃墟と化した中心商業地とやみ市の発生])
中心市街地では、昭和十二年に開店した
松菱百貨店
ほかわずかな建物だけが残った。
浜松市史 四
([復興した浜松の中心市街地])
【
松菱百貨店
県下初のエスカレーター】
松菱百貨店
は昭和二十四年に全売場を再開し、
浜松市史 五
([西武百貨店の撤退と松菱の破産])
同百貨店は
松菱百貨店
に次ぐ売り場面積(二万二千五百平方メートル)を保有し、都市型百貨店として浜松市民から
浜松市史 四
([結核予防の実践運動])
した通知で、結核感染者の増加について警鐘を鳴らし、その予防実践週間を設定したこと、その期間中に「鍛冶町
松菱百貨店
二階
浜松市史 五
([バブル経済の崩壊と不良債権問題])
同年の路線価で見ると、市内の最高価格は鍛冶町の
松菱百貨店
前鍛冶町通りが前年(平成二年)比三十三・一%アップ,その後も地価の下落傾向は止まらず、平成三年に最高路線価を付けた
松菱百貨店
前は、平成八年には一平方メートル
浜松市史 五
(大型店の進出)
15,100㎡ 遠鉄百貨店 17,300㎡ 14,000㎡ 23,110㎡
松菱百貨店
,浜松市内大規模小売店舗出店状況 第1種大規模小売店舗(27店) 業態 店舗面積 (㎡) 開店年月
松菱百貨店
浜松市史 三
(買物圏の拡大 近代化する商店 百貨店開業)
建築面積建坪千四百十四平方メートル延坪八千二百十五平方メートル、全館暖房換気装置・客用エレベーター二基を備えた
松菱百貨店
浜松市史 五
([浜松婦人懇話会の活動])
八一年国連婦人の十年浜松婦人会議(児玉レイコ事務局長)は昭和五十六年六月四日から六日間にわたって
松菱百貨店
浜松市史 四
([静大工学部の発展])
昭和二十八年になると、浜松まつりにテレビの一般公開を行うことになり、市の公会堂、
松菱百貨店
ほか市内のラジオ
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
専売局浜松出張所 日本形染会社工場 県食糧営団浜松出張所 浜松専売局支局 浜松憲兵分隊
松菱百貨店
浜松市史 四
([プロテスタント布教の原点])
の昭和四年四月に遠州教会に着任していた松本美実牧師は、実に昭和二十年八月下旬にして、焼け野原となった
松菱百貨店
浜松市史 五
([所得の増加と豊かな消費生活・貯蓄・消費者教育])
昭和三十五年六月に
松菱百貨店
の全館冷房が完成すると、さらに楽しみが増えていった。
浜松市史 四
([観光協会の設立と浜名湖の観光])
また、十三年八月に日本交通公社(今のJTB)の浜松案内所が
松菱百貨店
の中にでき、観光案内や宿泊の手配などを
浜松市史 五
([春闘と労働運動の活発化])
23日:
松菱百貨店
労組結成。26日:丸正自動 車製造労組結成。,4日:政暴法粉砕静岡県総決起 大会に2500人参加(県庁前) 7月 1日:
松菱百貨店
労組、24
浜松市史 四
([女性運動の展開])
・性病撲滅と正しい性知識普及のため「明るい結婚展」開催(
松菱百貨店
) 23年度 ・物価引下げ運動を展開
浜松市史 五
(スーパーの郊外進出)
松菱百貨店
の子会社である松菱商事は昭和四十六年四月に松菱マートを遠州浜に出店させ、さらに遠州鉄道は昭和四十八年十月
浜松市史 四
([第一回浜松まつりの実施])
遠州物産展示会・広告仮装行列・総合美術展・日本画・洋画展・華道展 <商工祭部> ・物産展示会(
松菱百貨店
六階
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
88 二 商 業 89 (一)浜松中心市街地の商業の発展 89 【田町 棒屋】 89 (二)
松菱百貨店
開店
浜松市史 四
(目次)
三一七 何でも揃っているやみ屋 食堂の開業と
松菱百貨店
浜松市史 五
(図・表一覧)
消防庁舎落成記念号』昭和45年8月発行、『浜松市報』第91号 昭和30年10月25日発行 2-15
松菱百貨店
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