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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 三 (板屋町新道)

板屋町新道 【三十年】③板屋町新道 板屋町より駅へ通ずる新道(長さ一一八間、幅三間)で、明治三十年七月竣工,板屋(町)南(裏)新道ともいい、板屋町の渥美久四郎他五名の所有土地の寄付によってできた道であった(明治三十三年記念碑建立 / 板屋町新道
浜松市史 ニ (板屋町の場合)

板屋町の場合 板屋町は新町(しんまち)(もとはかや屋町といって馬込村から分かれて町並となった)とともに,【戸数人口】それが天保十四年の「板屋町町内諸職并渡世向人御改帳」(板屋町『市川文書』)によると、当時戸数百三軒 / 板屋町の場合
浜松市史 三 (中心街板屋町 問屋街の形成)

中心街板屋町 問屋街の形成 板屋町は天保十四年(一八四三)「板屋町町内諸職并渡世向人御改帳」(『浜松市史二,1 1 2 神明町 26 板屋町 / 中心街板屋町 問屋街の形成
浜松市史 四 ([自警団を組織した板屋町])

[自警団を組織した板屋町] 【自警団】  終戦直後からの混乱の中で、市内の中心部や郊外でも犯罪が頻発,やみ市があった板屋町付近では露天のおでん屋が夜遅くまで開店している関係で、チンピラが夜遅くまでうろつき,そこで、新春早々、町民大会を開き、二十一年一月、板屋町の町民は自警団を組織し、五人一組で夜警を始めている / [自警団を組織した板屋町]
浜松市史 三 (統制の強化 配給制 体力検定と国民服 紀元二千六百年祭 板屋町火事)

統制の強化 配給制 体力検定と国民服 紀元二千六百年祭 板屋町火事 戦争が長期化してくると戦争の影響,そのようなうちに十六年四月十六日には浜松市板屋町に四十七戸焼失という火災が発生し、七月十二日より大風雨 / 統制の強化 配給制 体力検定と国民服 紀元二千六百年祭 板屋町火事
浜松市史 ニ (職人町と屋敷)

神明町には職人頭の家が三軒、紺屋町と大工町には二軒あり、家数からいうと大工町・紺屋町・鍛冶町・下垂町・板屋町,4軒 新町 4軒  大工頭 1   木挽頭 1  畳屋役 8  本役 2    四本松村 10   板屋町,水役 5    寺脇村 2   紺屋町 3   本魚町 2    小池村 1    鍛冶町 2   板屋町,1   平田町 1    有下村 1   水役 4   田町 1  無役 24   下垂町 3   板屋町,1   下垂町 2  伝馬町 2   下大瀬村 2 塗師役 24   江川村 1   池町 1   板屋町
浜松市史 三 (火災)

【板屋町】昭和十六年四月二十六日 板屋町材木商キヤリこと村井貞治方の材木工場より午前零時半出火し同三時四十分鎮火,四十七戸焼失(東田町二七戸、板屋町七戸、非住屋その他)。
浜松市史 ニ (各町の長短)

各町の長短 町の長さが二百間以上あるのは伝馬町・田町・板屋町・新町の東海道通町道の四町で、板屋町の二百十四間
浜松市史 ニ (戸口の増減)

これを町別でみると、戸数百軒以上を数えるのは田町が一か町のみであったのに伝馬町・肴町・板屋町・新町・大工町,また、二十五軒以上の増加は、御役六町では塩町があるばかりでその他は七軒町・板屋町・新町・早馬町・下垂町,町の大小からいえば、最大の田町百戸が板屋町百二十三軒に席をゆずり最小の町は三軒から十六軒とふえたが猿屋町
浜松市史 三 (道路)

道路も大正八年道路法の施行により、国道・県道(気賀線・笠井線・掛塚線・二俣線・村櫛線・鎮玉線・伝馬線・板屋町線,三年には肴町に約五百メートルの舗道ができ、鍛冶町御幸(みゆき)通りの完成は四年で、犀が崖新道は十年、板屋町
浜松市史 三 (中ノ町線)

そして馬込川に鉄橋がかかり四十三年には次頁の表のように板屋町と馬込の両駅間も結ばれ、これによって鹿島線,起点となった板屋町駅付近は田圃であったが、北田町新道もできて駅前通りに商店がならぶようになり、貨物営業
浜松市史 四 ([浜松駅前繊維問屋街の誕生])

浜松駅前繊維問屋街の誕生] 【駅前繊維問屋街】  戦後、遠州織物の問屋は浜松駅前の旭町(浜松駅前繊維問屋連盟)や板屋町,板屋町中通り繊維問屋連盟が設立されたのは昭和二十四年で、浜松駅前繊維問屋連盟は昭和二十八年に設立された
浜松市史 三 (木綿商人密集地域)

【名残町 七軒町 板屋町 新町】そのうち①宿の北部の名残町に多いのは庄内地方の綿作地帯に、②七軒町・成子坂町方面,に多いのは西南部地域(篠原・若林・入野等)の綿作地帯に、③また板屋町・新町方面に目立って多いのは東南部地域
浜松市史 三 (市街電車)

大正十五年十二月)は遠電との連絡路線を設けるとともに、広沢普済寺前から南進して東海道に至る案であったが、第二次案は板屋町駅,から浜松駅前に出て鴨江裁判所・高等工業学校・名残・高射砲隊を経て奥山線と接続し、再び板屋町駅に戻る循環線
浜松市史 ニ (無役町の人足割)

その後、文政九年(一八二六)に、無役町のうち下新町・成子坂町・神明町・板屋町にさらに七軒町・新町を加えて,(表)無役町の人足割 無役町 人足 早馬町 2 人 板屋町 16 本魚町 6 紺屋町 12 下新町
浜松市史 ニ (馬込川の出水)

一六七四)八月十一日に堤防が決潰して田町付近は七日間家々の軒下まで浸水し、享保十三年七月八日にも田町・板屋町,まで水がおよび、つづいて享保十九年八月七日にはまたも板屋町・田町・早馬町一帯が床上二尺(六〇㌢)ほど冠水
浜松市史 三 (昭和の商店街)

【板屋町】ついで昭和十一年四月には都市計画事業街路国道筋の改築に伴なって板屋町・新町・松江町の商業的発達
浜松市史 三 (旭町駅新設 宮口線 旭町駅改築と本社移転)

旭町駅新設 宮口線 旭町駅改築と本社移転 大正十三年二月には鹿島線の起点の板屋町駅から馬込川西岸(現馬込駅,旭町駅は東海道線浜松駅の目前にあるため浜松駅から板屋町駅までの徒歩連絡の不便もなくなり、貨車も東海道線
浜松市史 三 (化学染料の導入 染色業者の続出)

鈴木雅雄(文久元年浜松板屋町生)は染色法を授ける私立浜松染織共研学舎(明治二十九年四月)を設立し、三十年八月,また早川吉之助は明治三十年に板屋町で浜松最初の染色工場を開いている。
浜松市史 ニ (町屋)

新町(しんまち)・板屋町(いたやまち) 東海道往還の東端にできたのが新町と板屋町で、新町はもと、かや屋町,板屋町は板屋葺の民家が多かった。  
浜松市史 ニ (町の意義)

【板屋町村 新町村】その後、寛文四年(一六六四)の印知状では浜松領分の村々のうちに田町村・板屋町村・新町村,【塩町村】そののちの『元禄高帳』をみると、田町三十二石余・板屋町三十石余・新町十六石余・塩町四百二十石余,宝永年間の「浜松宿略絵図」(二二〇・二二一ページ)では田町・板屋町・新町の町屋の裏方は田畑となっている
浜松市史 三 (織物関係 一般工業機械材料 特殊工業品生産品 日用品 運輸倉庫業 金融機関 その他)

Aのうち織物売買会社は木俣物産合名会社(三十二年、鍛冶町)・外山織物合名会社(三十四年、板屋町)・遠江綿糸合資会社,び生産品に関する会社は四社あり日本楽器製造株式会社(三十年、中沢町)・浜松ポンプ合資会社(四十三年、板屋町,浜松堀留合資会社(四年、森田町)・浜松委託運送株式会社(三十一年、鍛冶町)・浜松倉庫株式会社(四十年、板屋町
浜松市史 三 (東海道通)

【板屋町 新町】板屋町・新町は、田町に続く宿の東はずれの町々であるが、ここは農村地帯に近接しているので
浜松市史 ニ (日蓮宗)

日蓮宗 日蓮宗 法雲寺(板屋町、現在旭町)初め城内にあったが、ここに移転したという。
浜松市史 三 ([駅へ集まる市内道路])

そのため①駅前新道②田町新道③板屋町新道の三路線が新設されることとなった。
浜松市史 三 (新町火事)

道路が狭くてポンプは東海道筋しか使用ができず、全焼三十二戸(板屋町三、新町二九)、火元の家族の内焼死者四名
浜松市史 三 (曽我廼家三郎)

曽我廼家三郎 曽我廼家三郎(本名後藤庫太郎、明治二十一年十月浜松板屋町生)六歳のとき子(ね)の日(ひ
浜松市史 三 (古書の復刻)

曳馬拾遺 遠江国風土記伝】古くは、浜松谷島屋書店が『曳馬拾遺』(山本金木校訂、明治三十四年高林家本、板屋町渥美活版所
浜松市史 三 (寺島村 和地山)

6 0 浜松田町 193 725 19 0 3 浜松肴町 123 491 12 1 2 浜松成子町 板屋町,成子坂町 浜松菅原町 七軒町 117 428 6 3 上新町 浜松神明町 34 132 6 4 浜松板屋町
浜松市史 三 (遠州軌道株式会社 遠州電気鉄道株式会社)

開通年月日 馬込―中ノ町 5.2km 明治42. 3. 3 馬込―南新町 0.5 〃 42.12. 6 板屋町,―鹿島 17.7 〃 42.12. 6 板屋町―南新町 0.5 〃 43. 3.18 中ノ町村地内延長
浜松市史 三 (駅付近発展)

へは商店が立ち並び、後道(大正十四年千歳町と改称)には聴濤館・芙容館・鳥利などという料理店ができて、板屋町新道
浜松市史 三 (一県一組合主義)

織物工業組合】工業組合も一県一組合主義によって永久社を中心に六組合も合同となり、静岡県織物工業組合(事務所板屋町
浜松市史 ニ (町幅)

町幅 また四間以上の町幅の町は連尺町・伝馬町・塩町・神明町・板屋町・新町・池町の七か町で、池町以外は
浜松市史 四 ([天皇巡幸])

(浜松市天竜区二俣町)にある浜名用水取入口を視察の後、赤佐村(浜松市浜北区)に向かわれ、帰路の途中、板屋町,浜松では板屋町から浜松駅までが徒歩区間であり、これはあらかじめ町内会を通じて知らせておいたため、多くの
浜松市史 四 ([金融機関の拡充])

二十八年には駅南支店、二十九年には西ケ崎支店、三十年には鷲津支店、三十一年には野口支店、三十三年には板屋町支店,協和銀行浜松支店 日本勧業銀行浜松支店 静岡銀行砂山支店 三和銀行浜松支店 駿河銀行浜松支店 静岡銀行板屋町支店,第一銀行浜松支店 静岡銀行成子支店 静岡銀行相生支店 清水銀行浜松支店 静岡銀行相生支店 静岡銀行板屋町支店
浜松市史 ニ (曹洞宗)

曹洞宗 曹洞宗 天林寺末として南能庵(板屋町、明治十六年大聖寺と改称、那賀山乙巳文『真道山大聖寺誌』
浜松市史 三 (遠州鉄工機械工業組合)

・渥美浅太郎・加藤幸太郎を発起人として工業組合法に基づく遠州鉄工機械工業組合(理事長森口淳三、事務所板屋町二二一番地
浜松市史 三 (水甕派)

水甕派 『犬蓼』に中谷福男・安中新平(当市板屋町、昭和四十九年一月没、七十五歳、歌集『坂道』)・平松東城
浜松市史 三 (民間の動き)

民間の動き つぎに民間をみると、このころ夏目茂雄(板屋町)らの労働者の生活改善等を目的とした同好会、
浜松市史 三 (販売業)

【問屋街の形成】そしてこれも東部および南部工業地帯に近接する馬込川西岸の田町・板屋町に集中し、ここに問屋街
浜松市史 三 (遠州五大問屋)

その中心街は板屋町で、なかでも木俣千代八の木俣物産株式会社(浜松鍛冶、創立明治三十二年)、鈴木初蔵のマンボウ
浜松市史 三 (郷学校)

(表)私塾 所在地 塾主 教育内容 浜松伝馬町 ●斎藤英吉 手跡 浜松板屋町 ●久保田行哉 〃,浜松池町 大渕貞竜 〃 浜松百軒長屋 長唯蓮 〃 浜松新町 中村文方 浜松大堀 鈴木一郎 浜松板屋町
浜松市史 三 (工業組合法による再編成 五組合誕生)

事務所浜松市板屋町。創立当時の組合員数六十七名、理事長伊藤謙次郎。    ,事務所浜松市板屋町。創立当時の組合員数四百四十九名、理事長竹山彳。    
浜松市史 四 ([廃墟と化した中心商業地とやみ市の発生])

最初は浜松駅前や道幅の広い板屋町の広小路通りに出来た。その後、駅前は壊されて田町に出来た。,この時点で、やみ市は鍛冶町・田町・板屋町・旭町の四カ所にあり、常時営業は二、三百人とみられていた(『静岡新聞
浜松市史 ニ (各町の夫役)

たとえば、高欄橋(新川にかかり万年橋ともいう)は田町・板屋町で、鯉沢橋は大工町・本魚町という具合であった,たとえば明和九年(一七七二)二月十二日に紺屋町から出火して連尺町・神明町・田町・板屋町方面まで延焼するという,下新町火事 〃 6.1.15 (1693) 城内家中屋敷火事火元石川監物宅 〃 6.9.11   板屋町火事,8.1.19 (1771) 心造寺火事 〃 9.2.12 (1772) 紺屋町・連尺町・神明町・田町・板屋町火事
浜松市史 ニ (浜松の職業)

其外仕馴たる手業なし」とあるが、そのうちの板屋町を例にとって述べよう。
浜松市史 三 (大きな町)

大きな町 百戸以上の町人町には伝馬町・田町・肴町・板屋町・新町・紺屋町があったが、この時代になると下垂町,25 11 1 2 47 10 神明町 2 24 26 2 2 24 24 11 板屋町
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

浜松電灯 神明町 浜松瓦斯 旅籠町 開明堂】 80 (六)浜松の三大会社 81 【砂山町 帝国製帽 板屋町, 鈴政式織機 飯田式織機 日本織機】 82 (八)鍛冶師・鋳物師たち 82 【鍛冶町 板屋町 田中太兵衛,82 (九)楽器産業、木工機械工業を起こす 83 【中沢町 日本楽器製造 馬込町 日笠鉄工所 板屋町,楠 源義家 徳川家康 松島十湖】 209 【八柱神社 船越町 船越の花火】 210 【愛染稲荷 板屋町, 戊辰戦争 石川倉次頌徳碑 点字 松城町】 229 (四)新名所・記念塔 230 【アクト通り 板屋町
浜松市史 三 (浜松の仮戸長と管轄地)

伝馬町・連尺町・神明町・平田町・平田村  一市川吉平 七百四十九軒 田町・肴町・後道新地・鍛冶町・板屋町
浜松市史 三 (静岡事件と浜松)

そのうちで浜松関係について述べると、一味の中野二郎三郎が浜松(浜松板屋町法雲寺付近)へ移ってきて鳳離舎
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