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浜松市史 四
([三十六メートル道路の驚き])
[三十六メートル道路の驚き] 街路計画のうちでも伝馬
池川
線(通称市役所前通り)と旭上島(旭八幡)線(,通称広小路)などは、それまで浜松市民が経験したことのない三十六メートル道路(伝馬
池川
線は当初は幅員五十,特に伝馬
池川
線は、伝馬─連尺間が国道一号線と重複する路線であるとともに、元城町で東田町追分線と交差する, 【市役所前大通りの完成】 昭和二十六年秋には、伝馬
池川
線と東田町追分線沿線の家屋の,から下
池川
町に抜ける市役所前通りは全線三十六メートルに広げられた。
浜松市史 ニ
(明光寺口)
明光寺は下
池川
村(現在下
池川
町)の明光寺山の麓にあって「曹洞宗、天林寺末、寺廃而薬師堂領、朱符之寺田三石存,
池川
谷をへだてて北にあるのが天林寺である。
浜松市史 三
(曳馬町)
上島・一本杉・早出・細島新田・十軒新田・島之郷・高林・助信・新津・茄子一色・船越一色・野口・八幡・下
池川
,・上
池川
・中沢の十六か村を大字として自治村となり曳馬下村と称したが、明治二十四年六月十一日曳馬村と改称,大正五年五月一日大字高林の一部(戸数五、人口三〇)・野口(戸数一七一、人口一〇二六)・八幡(戸数一四、人口八四)・下
池川
,(戸数六七、人口四〇二)・船越一色(戸数九三、人口五五八)・中沢(戸数八七、人口五二二)・上
池川
(戸数七
浜松市史 三
(神社の統合)
【
池川
神社】こうして、この時期にその地域内の山野や路傍に数多く散在している神祠仏堂(例えば塞神の祠とか,の社寺へ合併移転させられ、このとき合併移転をまぬがれた屋敷神の中で、のちにその町の氏神となったものに
池川
家,の屋敷神であった上
池川
町の
池川
神社がある。
浜松市史 ニ
(地勢)
地勢 【作左谷 鹿谷
池川
谷】さらにくわしく述べると、城地のすぐ北側は作左(さくざ)谷(作左深谷または,深谷ともいう)・鹿谷(しかたに)・
池川
谷(いけがわだに)にのぞむ。,とをへだてるのが明光寺山(みょうこうじやま)で、その北に明光寺山と亀井山とのあいだの谷が鹿谷、亀井山の北がわが
池川
谷
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
・元城の各一部 中沢町 なかざわまち 町をつける 中沢 野口の一部 上
池川
町 かみいけがわまち 〃,上
池川
名残・高林・両追分の各一部 一部を下
池川
・亀山・名残の各町へ編入 下
池川
町 しもいけがわまち,〃 下
池川
松城・上
池川
の各一部 一部を元城・元目・山下・亀山の各町へ編入 紺屋町 こんやまち 〃,・高・亀山の各町へ編入 亀山町 かめやまちょう 改称 元名残 名残・松城・上
池川
・下
池川
の各一部 名残町,なごりまち 町をつける 名残 上
池川
の一部 一部を上
池川
・亀山の各町へ編入 追分町 おいわけちょう
浜松市史 三
(浜松市営住宅)
これが市営住宅の最初で、十五年鴨江町二十四戸、佐藤町二十四戸、中沢町二十六戸、昭和三年上
池川
町に三十戸,と計百五十四戸が建設されたが、昭和二十年の戦災で中沢町・上
池川
町の五十六戸を残して焼失した。
浜松市史 三
(新川馬込川出水)
昭和十年九月四日 降雨量二百四十七ミリ、浸水地域は砂山・寺島・龍禅寺・北寺島・海老塚・浅田・野口・下
池川
,んだが十二日より再び降り出し、午前七時には台風の眼に入り、新川を始め各河川氾濫し、浸水地域は常盤・下
池川
浜松市史 三
(蒲村)
のうち 両追分 和地山 和合の一部 浜松沢 2 〃5.5.1 曳馬村のうち 高林の一部 野口 八幡 下
池川
, 船越一色 中沢 上
池川
3 〃10.4.1 天神町村のうち 馬込(北馬込) 天神町村 天神町 上中島
浜松市史 五
([バス優先レーンの実施])
対象となったのは、八幡町交差点から国鉄浜松駅前、伝馬町交差点、下
池川
町交差点を結ぶU字型の区間、延長二,浜松市中心部のバス優先・専用レーン 【バス専用レーン】 バス優先レーンは、昭和五十一年十月には下
池川
町交差点,昭和五十六年二月一日には、バス優先レーンの規制が強化され、八幡町交差点─下
池川
町交差点を結ぶ二・四キロメートル
浜松市史 四
(浜松保健所)
浜松保健所 『浜松市戦災史資料』二によれば、静岡県浜松保健所は昭和十四年八月二十四日に市内下
池川
町に,一部の器具等は磐田郡富岡村農業会建物に疎開して、仮事務所を市内上
池川
町の民家を借用して設営したが、六月二十五日,磐田郡・引佐郡)の疾病予防や保健指導の日常業務の遂行に当たっては、あまりにも不便の地である故に、市内上
池川
町
浜松市史 四
([公営住宅])
24 名残町(45),東伊場町(15), 浅田町(15) 75 松城町(24) 24 99 25 上
池川
町,(8),名残町(60), 下
池川
町(10) 78 名残町(32),松城町(24) 56 134 26,,名残町(215), 鴨江町(62),東伊場町(15), 浅田町(15),助信町(10), 上
池川
町,(8),下
池川
町(10), 寺脇町(4),龍禅寺町(8), 利町(1) 620 松城町(48),亀山町
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
出納係 調度係 廨 図書館 公会堂 商品陳列所 馬込公益質屋 寺島公益質屋 海老塚保育園 下
池川
保育園,常盤町 547 野口町 817 八幡町 441 元浜町 747 山下町 319 中沢町 427 上
池川
町,377 下
池川
町 423 茄子一色 1750 新津 助信 高林
池川
和地山本 島之郷 十軒新田 細島新田
浜松市史 三
(被爆地域)
敵艦隊の艦砲射撃と分ったのは後のことだったが、報告によると最初は軍事施設のある市北部の名残・追分・上
池川
方面,浜松駅より寺島方面②中島町浅野重工業会社工場より相生町鈴木織機工場方面③東伊場町浜松鉄道工場方面④上
池川
町,・下
池川
町天林寺方面⑤名残町師範学校方面に及んだ、ということであった。
天竜川と東海道:わがまち文化誌
(浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次)
安間川との日常的なかかわり 安間川改修促進期成同盟会 中野町都市下水排出口 安間川のまとめ 7 松小
池川
,のうつりかわり 142 松小
池川
の源 流れのうつりかわり 地域住民とのかかわり 柏木橋の堰 松小
池川
,の改修 最近の松小
池川
松小
池川
のまとめ 第4章 なりわい 151 1 農業の昔と今 153
浜松市史 一
(木寺宮領)
山田は天正18.12.28竜禅寺文書にもある (鴨江町・西伊場町・助信町) (1603) (同上)
池川
,・将監 慶長15.12.16 五社神社文書 (上
池川
町・下
池川
町・将監町) (1610) (同上),海老塚村・下
池川
村・西塚村 寛永11.7.2 五社神社文書 (海老塚町・下
池川
町・西塚町) (1634
浜松市史 三
(市内道路の改良)
【六間道路】六間道路は上
池川
から下
池川
を経て元浜・船越方面へ通ずる新設道路であって、昭和三年に全通した,・気賀間拡張工事 5,634 4 元城町地間改良 52.2 5 中島町改良 90 6 上
池川
町改良
浜松市史 三
(第四回 市議員選)
浜松八幡地・浜松寺島) 第三区 定員三名(成子・元魚・塩・伊場・東鴨江・菅原) 第四区 定員三名(元城・上
池川
,・下
池川
・浜松沢・松城・三組・和地山・両追分・名残・元名残・高) 第五区 定員二名(旧天神町村全部)
浜松市史 三
(馬込川出水)
昭和七年九月十四日 馬込川が氾濫し諏訪橋が流失、浸水地域は船越・野口・浅田・寺島・砂山・龍禅寺・佐藤・山下・下
池川
浜松市史 三
(静岡県浜松保健所)
静岡県浜松保健所 静岡県浜松保健所 昭和十二年四月「保健所法」が公布され、十四年八月静岡県浜松保健所が市内下
池川
町
浜松市史 三
(信愛女学校)
信愛女学校 また私立浜松高等裁縫女学校が常盤町より下
池川
町へ移り、浜松高等家政女学校と改称し(昭和二年
浜松市史 ニ
(天林寺と高力氏)
天林寺と高力氏 高力忠房の次男長房は寛永七年江戸城中奥の小姓に就任したが翌八年死去し、浜松
池川
村の天林寺
浜松市史 三
(食物店)
食物店 旨いものに、鳥善・鳥利(いずれも鍛冶)の鳥、
池川
(田)菊屋(肴)の鰻(うなぎ)、柳川(鍛冶)
浜松市史 三
(火葬場)
火葬場 火葬場 従来私設で、下
池川
字天林寺山と福地字西方の二か所に分散していたが、大正十三年四月市内大字中沢
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
街路計画 街路番号 路線名 起点・終点 幅員 街路番号 路線名 起点・終点 幅員 Ⅰ. 1. 2 伝馬
池川
線,伝馬・下
池川
36m Ⅰ. 3.21 天竜川駅前通線 和田地内 22m Ⅰ. 1. 2 旭八幡線,. 1.18 白羽線 白羽地内 20 Ⅰ. 3.15 助信宮竹線 助信・宮竹 25 Ⅱ. 3. 1
池川
広沢線,上
池川
・広沢 12 Ⅰ. 3.16 松江曳馬線 松江・曳馬 27 Ⅱ. 3. 2 伊場亀山線 東伊場
浜松市史 三
(乗合バス 浜松循環自動車会社)
【東廻り 西廻り 北廻り】大循環線(下
池川
・追分・名残・広沢・鴨江・鍛冶・浜松駅・砂山・龍禅寺・北寺島,・中島・相生・佐藤・馬込・元浜・下
池川
)は一日八十八回運転で、そののち東廻り・西廻り・北廻り(営業不振
浜松市史 五
([浜松中央警察署の移転と設備の近代化])
近代化] 【浜松中央警察署】 昭和四十六年(一九七一)九月十八日、浜松中央警察署は鴨江町から下
池川
町,この下
池川
町の庁舎は地震対策上問題があると判断され、住吉五丁目に移転(図3―11)、昭和六十二年二月九日
浜松市史 三
(耕地整理)
(表)耕地整理組合 1 浜松北部耕地整理組合 ①大正11.6 ②野口・八幡・元浜・上
池川
・中沢 ③80, ③105町歩 ④30万円 ⑤375人 ⑥3か年 5 浜松西北部耕地整理組合 ①大正14.10 ②上
池川
浜松市史 五
([住居表示の実施])
市内二番目の住居表示は昭和四十年十一月一日に中沢町と下
池川
町で実施され、これまで日本楽器の敷地となっていた,次いで西伊場町と南伊場町が同四十一年二月一日に、四番目は同年五月一日に上
池川
・追分・名残(一部)の三町,上
池川
町は城北一・二丁目、布橋一丁目、和地山一丁目に、追分町は布橋一・二丁目、城北二・三丁目に、名残町,この住居表示により古くから親しまれた追分・上
池川
・名残(一部)の町名が消えた。
浜松市史 三
(公衆便所)
名残町宗円堂地域内西北端、下
池川
町市役所水道課敷地東南端、元城校前、海老塚町南校の敷地外北角、鴨江町鴨江観音境内東側
浜松市史 三
(市営バスの誕生)
そののち十四年十二月には上
池川
に車庫を新設、十五年四月には自動車係より自動車課へ昇格、早出・伊場線などの,浜松市営乗合自動車運行状況 路線名 経由地 距離 回数 km 1日 西廻線 浜松駅 鴨江 広沢 名残 追分 下
池川
浜松市史 四
([都市計画事業])
[都市計画事業] 【都市計画事業 田町問題 伝馬
池川
線 有楽街】 坂田市長就任の直前に行われた区画整理委員,同二十五年になると伝馬町から下
池川
町に通じる伝馬
池川
線で百八十戸の移転交渉が成立したが、元城町では依然
浜松市史 四
(病院・診療所の再開)
浜松市の綜合診療所は上
池川
の婦人勤労所の建物を活用していよいよ来る廿日から開所することゝなつた 診療科目,耳鼻科、歯科等で調剤室も設け追つて神経科、性病科も増設する これによれば場所が中沢町ではなく、上
池川
町,場所は右同様に市内上
池川
町と記し、八科の診療を「医師会から専門医が交代で出勤診療に当り、乳幼児の保健相談
浜松市史 三
(翼賛市会議員選挙)
推薦候補者十三名を含む二十六名で争ったが、浜松市を含む第三区では浜松市出身の加藤七郎(明治二十二年生、当市上
池川
町住
浜松市史 三
(浜松市立託児所)
そののち十五年十二月下
池川
町、昭和三年十月馬込町にも開設されている。
浜松市史 三
(馬込川大水)
の破堤で浸水家屋五千戸余(ともに浸水区域はいつも船越・野口・浅田・寺島・砂山・龍禅寺・佐藤・山下・下
池川
浜松市史 ニ
(浜松領の成立期)
堀込・佐藤一色・馬込・野口・船越一色・茄子一色・新津・嶋郷・早出・上嶋・一本杉・高林・助信・中沢・下
池川
,・上
池川
・八幡・寺嶋地・田町・板屋町・新町外塩之口役高ニ入 53か村 (一万三千石余) 豊田郡の内 上嶋
浜松市史 ニ
(禅宗)
西塚 上之郷 西在所 石原 竜雲寺 入野白羽 曹洞宗 ●普済寺系 普済寺● 富塚 下
池川
,26寺) 西来院● 高町 早出 上嶋細嶋 天林寺● 肴町 下垂町 板屋町 伊場 野口 八幡 寺脇 下
池川
浜松市史 三
(販売業)
2 菅原 2 旅籠 1 肴 1 平田 1 池 1 後道 1 高 1 馬込 1 森田 1 野口 1 下
池川
浜松市史 一
(普済寺十三派)
命天派 (命天慶受) 宿芦寺 遠州堀江村 (浜松市庄内町) 11 潔堂派 (潔堂義俊) 天林寺 遠州
池川
村,(浜松市下
池川
町) 常光寺 三州渥美郡 堀切村 12 月窓派 (月窓義運) 西来院 遠州富塚村
浜松市史 三
(遠州灘海岸平野 天竜川平野 三方原台地)
【
池川
方面】また②では一般に下町(したまち)と呼ばれる田町・肴町・鍛冶町の地域には家のひずみ・壁の脱落,・瓦の落下が各所にあったが、なかでも利町の五社神社では石垣が崩れ、また
池川
沿いでは三十センチメートルほどの,ことに下
池川
町の六間道路に沿った地域では上
池川
町を合わせ全壊十五棟、半壊二十七棟、傾斜七十棟、水道湧水六百
浜松市史 三
(駅前広場の発展)
内国通運会社浜松代理店で新聞雑誌販売所をかねていた林新聞舗(林弥十郎経営)の運送業者が進出し、旅人休泊所として
池川
屋,(金原庄太郎)が開業している(駅弁をはじめたのは
池川
屋とも自笑亭ともいわれる。
浜松市史 三
(塵芥焼却場)
しかし、ここでも名残・追分の両町は焼却に反対し埋立を可としたのに対し、上
池川
・下
池川
の両町は埋立に反対
浜松市史 三
(金城学校)
― 50 私立浜松文華裁縫女学校 三組町 2 2 2 50 ― 50 1 私立浜松高等簿記学校 下
池川
町
浜松市史 五
([ボウリング場の隆盛])
昭和三十九年三月、浜松初のボウリング場が下
池川
町に完成した(『新編史料編六』 七社会 史料89)。
浜松市史 四
(浜松診療所)
しかし、戦後の「浜松市綜合診療所」が新聞二紙の報道のように、上
池川
町の所在ならば、何も不自然ではなかろう,疑問が持たれるのであって、その運営が一年そこそこで閉鎖されたのはいかなる事情によるものか不明ながら、上
池川
町
浜松市史 四
([電灯の復旧と電灯引き込み料金])
昭和二十年十月三日までに野口、佐藤、植松、向宿、中島、北寺島、砂山、寺島、楊子、浅田、海老塚、森田、広沢、鴨江、上
池川
浜松市史 四
(浜松市史編さん関係者名簿)
同 矢田勝 浜松市立神久呂中学校教諭 浜松市史編さん調査協力員 井口久男
池川
義雄
浜松市史 三
(雪腸の自由俳句運動)
口田朴也(静男、当市高町、大正六年浜松の清水吟社所属)・田中貫川(麻次郎、当市北寺島町)・高柴象外(当市下
池川
町
浜松市史 三
(総代会)
これに賛するもの総代会加入の六十六か町のうち、前述の五か町以外に西伊場・追分・和地山・上
池川
・下
池川
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