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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 四
(神社の統合 墓地の移転)
肴町の大安寺の墓地は寺院の南側にあり広大な面積を占めており、旭町の
法雲寺
の墓地は浜松駅前の一等地に大安寺以上,大安寺の墓地は昭和二十六年度に、
法雲寺
の墓地は同二十七年度にそれぞれ中沢墓園に移転し、跡地は道路や住宅
浜松市史 ニ
(天正の修築)
を命ぜられ、鍛冶職の守護神をまつる金山社(当市栄町)が城内三の丸から(『金山神社由緒』)、また城内の
法雲寺
,(当市旭町)が替地を賜わって現在地に移転(『
法雲寺
記』)したと伝えているのは、浜松城修築の事情を物語っているようである
浜松市史 ニ
(浜松と囲碁)
浜松と囲碁 徳川家康が浜松在城当時(一五七〇-一五八六)、
法雲寺
住職日豪と対局したと伝えられるので、
浜松市史 ニ
(日蓮宗)
日蓮宗 日蓮宗
法雲寺
(板屋町、現在旭町)初め城内にあったが、ここに移転したという。
浜松市史 三
(神社仏閣)
【
法雲寺
】
法雲寺
は寺島村耕田の中央にあって鬼子母神を祭り毎年五月十三日から十五日まで参詣人が多い。
浜松市史 三
(駅前新道)
なお、これによって鍛冶町から新川に架したやなぎ橋を渡り
法雲寺
へ出るむかしからの道は裏道となった。
浜松市史 三
(浜松市職業紹介所)
、又新に職業に就かんとする者に対し便宜を与ふる」ことを目的として、大正九年十二月市内大字伝馬(旭町)
法雲寺
境内
浜松市史 三
(浜松駅)
(龍禅寺付近)の中へ最初予定されたが、浜松町民の再三にわたる浜松近傍への変更運動の結果、新川の東岸で
法雲寺
浜松市史 三
(明治初期の凧揚げ)
めるといった程度のものであったが、凧を揚げる町がふえてくると共同の広い地がもとめられ、田町の大安寺下・
法雲寺
前
浜松市史 ニ
(黙之助の通舟案)
安政二年九月、彼は「御為筋申上げ覚書」の中で、 一、通舟の事 【入野川 平田川 寺嶋川
法雲寺
小橋,掘割候井筋を成子坂町と猿屋町との道ばた迄掘割、又夫より古小川筋を平田川下も伏樋ニ通し、夫より寺嶋川へ掘通し、
法雲寺
浜松市史 ニ
(流行の仏たち)
妙見菩薩
法雲寺
・大雄庵。 虚空蔵菩薩 新橋村蔵興寺。 地蔵菩薩 鴨江寺の水向地蔵。,鬼子母神
法雲寺
。
浜松市史 三
(浜松の祭)
の輪(わ)くぐり、七月の玄忠寺(浜松田)の地蔵会、八月の八幡宮(浜松野口)の放生会(ほうじょうえ)、
法雲寺
浜松市史 三
(乗合馬車 浜松馬車会社)
事務所と厩舎は
法雲寺
の北の旧速里軒の建物を襲用し、車輌二十八輌と馬三十頭をもって営業、浜松地方における
浜松市史 三
(静岡事件と浜松)
そのうちで浜松関係について述べると、一味の中野二郎三郎が浜松(浜松板屋町
法雲寺
付近)へ移ってきて鳳離舎
浜松市史 三
(新川橋)
新川橋 つぎに橋梁であるが、駅前新道の新川(
法雲寺
付近の字名を新堂と称し、新川の名はこれによって生じたともいわれる
浜松市史 ニ
(浜松の画人)
安政四年に没し、
法雲寺
(当市旭町)に葬られた(『蒲の栄』)が、のち植松の円通寺に移された。
浜松市史 四
([罹災した寺院])
菩提寺(三組町)、齢松寺(元城町)、芳蘚寺(池町)、大安寺(肴町)、西見寺(平田町)、玄忠寺(田町)、
法雲寺
浜松市史 三
(年中行事)
半僧坊大祭、高町) 二十八日(報国隊例祭) 三十日(県居神社大祭、伊場) 【酉の市】十一月 酉の市(
法雲寺
浜松市史 三
(浜松郵便電信局 浜松郵便局)
翌三十七年十一月浜松町鍛冶一二二番地へ局舎を移転(丸市運送店の建物を借用)したが、大正四年四月浜松市伝馬の
法雲寺
前
浜松市史 三
(駅前広場の発展)
【凧】浜松出身の漢詩人内田遠湖(後述)は「四月五月遊興高 郊天尤好紙鳶翺
法雲寺
前出相集 市中少年気太豪
浜松市史 五
(墓地)
大正十三年に火葬場の開設とともに開園したもので、戦後に戦災復興事業で寺院や墓地の移転が行われた際に大安寺、
法雲寺
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
西来院 西国民学校 玄忠寺 東国民学校 心造寺 県居国民学校 蓮華寺 北国民学校
法雲寺
浜松市史 四
(生活物資の確保)
案内所は翌年四月末日に閉鎖となったが、復員者や海外かわららの引揚者が続いたため、六月一日に再開、駅前の
法雲寺
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
び地 戦前の北田町 尾張町交番火の見櫓 戦後の北田町】 364 十三 旭町 【八幡地 八幡宮
法雲寺
,中野町 天竜馬車 笠井 林弥十郎 郵便馬車】 455 22 若松座など芝居小屋の乱立 【大厳寺
法雲寺
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