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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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検索結果 : 371件
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浜松市史 三 (浜名郡廃止)

浜名郡廃止 浜松市は市制の施行によって浜名郡より分離したが、その浜名郡は大正十五年六月末日をもって廃止,浜名郡役所は郡区改正によってはじめは長上敷知浜名郡役所と称し明治十二年三月開庁(同年三月下旬敷知長上浜名郡役所,か村を管轄し、二十九年郡分合廃置によって敷知(ふち)・長上(ながかみ)・浜名(はまな)の三郡を廃止し浜名郡,を置くと浜名郡役所となり一郡三町四十一か村を管轄した。 / 浜名郡廃止
浜松市史 三 (浜名郡医会)

浜名郡医会 【二十四年】明治二十四年四月、県布達により郡市単位に医会を設立することになり、浜松地方では,同年六月に浜名郡医会(会場浜松町)が成立、三十九年には医師法により浜名郡医師会が創立された。 / 浜名郡医会
浜松市史 三 (浜名郡漁業)

浜名郡漁業 【鰯と鰹 養殖場】明治四十年浜名郡で漁民六千二百九十九人、漁船二千三百八十四艘、漁獲量では,鰯、価格では鰹で、養殖場数五十四か所で鰻、製造物では鰯の煮干が最も多かった(『浜名郡誌』)。 / 浜名郡漁業
浜松市史 三 (浜名郡被災状況)

浜名郡被災状況 【三方原村 天竜川】以上、浜松市の被災状況について述べてきたが、浜名郡関係ではやはり,浜名郡空襲被害状況は六六〇頁表を参照されたい(『浜松市記録』)。 / 浜名郡被災状況
浜松市史 一 ([浜名郡輸租帳])

[浜名郡輸租帳] 一般に古代史は史料の量が少ないので、ごく大きな変化はたどれても、庶民の生活とか、地方,しかし、浜松市に関しては、幸いに奈良の正倉院に天平十二年(七四〇)の『遠江国浜名郡輸租帳(ゆそちょう),天平十二年 遠江国浜名郡輸租帳 首部(正倉院文書) / [浜名郡輸租帳]
浜松市史 一 (浜名郡の戸口)

浜名郡の戸口 つぎにはこの口分田を班給されている浜名郡の戸数や人口が記されているが、受田戸数は七五〇 / 浜名郡の戸口
浜松市史 三 (浜名郡北部地方)

浜名郡北部地方 浜松地方では浜名郡北部の地味が桑の栽培に適していたので桑園が多かったが、養蚕業の発達,【講習会】また講習会には浜松で開催された浜名郡顕微鏡使用法研究会(中瀬村堀井為吉主催)などがあり、養蚕技術 / 浜名郡北部地方
浜松市史 三 (若者組の復活 青年会運動 浜名郡青年同志会 浜名郡青年会)

若者組の復活 青年会運動 浜名郡青年同志会 浜名郡青年会 明治維新のさい政府は若者組(若衆連)に解散,日露戦争がすむとその勝利の記念事業として浜松町・天神町村・浅場村・蒲村の有志によって浜名郡青年同志会が,さらに大正二年浜名郡青年団と発展した。,【青年雑誌の刊行】青年同志会の発刊した月刊の青年雑誌は青年団に受け継がれ浜名郡青年団雑誌部となり、青年 / 若者組の復活 青年会運動 浜名郡青年同志会 浜名郡青年会
浜松市史 三 (浜松町農会 浜名郡農会)

浜松町農会 浜名郡農会 つぎに農会について述べよう。,大正十二年九月没、六十七歳)が会長に就任(爾後在任三十余年に及んだ)、西遠勧業会は浜名郡農会となった(,そして三十三年政府による農会令施行によって、各町村のほとんどに農会の創立をみるにいたった(『浜名郡誌』 / 浜松町農会 浜名郡農会
浜松市史 一 (浜名郡の総田数 不堪田 輸租田)

浜名郡の総田数 不堪田 輸租田 【四断片】この輪租帳は、今日、四つの断片に分かれて残っているが、第一片,は首部で、第一行に    「浜名郡 式に依りて造る天平十二年輪租帳の事」   とあり、つづいて,それによると、浜名郡の田は総計一〇八六町一段一四五歩で、そのうち、二二七町四段七一歩は不堪田(ふかんでん / 浜名郡の総田数 不堪田 輸租田
浜松市史 三 (敷知長上浜名郡役所 郡域変更)

敷知長上浜名郡役所 郡域変更 【郡役所】このため浜松地方では、長上・敷知・浜名の三郡を管轄する長上敷知浜名郡役所,(まもなく敷知長上浜名郡役所と改称)が浜松宿(高町、旧浜松県庁、郡長石原幸正)に、引佐・麁玉の二郡を管轄, 篠原村 馬郡村 舞坂宿 坪井村 長十請新田 9小区(敷知郡) 宿村4 省略 10小区(敷知郡及び浜名郡 / 敷知長上浜名郡役所 郡域変更
浜松市史 三 (耕地整理 浜名郡耕地整理組合)

耕地整理 浜名郡耕地整理組合 耕地整理は明治の後期にいたって村単位などで、例えば神久呂村志都呂(四十年 / 耕地整理 浜名郡耕地整理組合
浜松市史 三 (浜松地方報徳社)

11月 浜松社 浜名郡元城町 36 18年1月 半田社 浜名郡積志村 16 18年2月 下石田社 浜名郡天王村,25 〃 馬領家社 浜名郡天神町村 7 〃 積志社 浜名郡積志村 20 18年6月 天神町社 浜名郡天神町村,浜名郡芳川村 156 21年11月 上飯田社 浜名郡飯田村 21 22年6月 小池社 浜名郡市野村 9,浜名郡吉津村 46 25年3月 曳馬社 浜名郡曳馬村 5 25年7月 将監名社 浜名郡蒲村 17 26,浜名郡小野口村 28 〃 共救社 浜名郡神久呂村 40 31年11月 勧農社 浜名郡天神町村 40
浜松市史 三 (小野組支店)

大正14.8 遠江銀行へ合併 明治16.3 共栄社 浜名郡龍禅寺村 明治27.9 龍禅寺銀行と改称,明治27.9 龍禅寺 浜名郡龍禅寺村 昭和2.8 遠州銀行に買収さる 明治16.6 浜松(第一次,明治31.4 浜松銀行(第二次)と改称、本店移転 明治28.4 芳川 浜名郡芳川村 大正8.11,浜名郡北浜村 昭和4.2 西遠銀行(第二次)に買収さる 明治33.9 積富(株) 浜名郡富塚村 大正,中瀬 浜名郡中瀬村 昭和5.7 二俣銀行へ合併 明治34.11 笠井(第二次) 浜名郡笠井町 大正
浜松市史 三 (郡制施行)

郡制施行 【二十九年 浜名郡】静岡県では二十九年(一八九六)四月、郡制(二十三年公布)が施行され従来,の敷知郡・長上郡・浜名郡の三郡が廃され、新しく浜名郡が設置された。,【浜名郡】浜松市域関係では①長上郡を廃し、その区域の一部掛塚村を磐田郡に入れ、その余の区域内の村と②敷知郡,を廃し、その区域の一部西浜名村・東浜名村を引佐郡に入れ、その余の区域内二十四か町村と、浜名郡を廃し、その,区域内の町と③豊田郡に属していた豊西村・中ノ町村・赤佐村・中瀬村・龍池村(以上五か村)とを以って④浜名郡
浜松市史 四 (鈴木自動車工業)

中島銅工店 浜名郡可美村 新居鉄工所 浜名郡新居町 永田鉄工所 豊橋市花田町 伊熊鉄工所 浜松市浅田町,日工産業KK 豊橋市北島町 池谷鉄工所 浜名郡可美村 野中鍍金工業所 浜松市八幡町 植松鉄工所,浜名郡篠原村 星川鉄工所 浜松市龍禅寺町 カネ辰鉄工所 浜松市東伊場町 三田鉄工所 浜名郡舞阪町,カネ宗鉄工所 浜名郡篠原村 丸鈴鋳造所 浜松市相生町 河口鉄工所 浜名郡入野村 水谷鉄工所 浜松市天神町,山下鉄工場 浜松市中島町 佐原鉄工所 浜名郡鷲津町 山下(喜)鉄工所 浜松市中島諏訪町 鈴長鉄工所
浜松市史 三 (蚕糸業組合 蚕業組合)

明治十九年(一八八六)で、その後斯業の発達にともなって各郡別に独立をみるにいたり、浜松地方では明治二十六年に浜名郡蚕業組合,これはのち法の改正により大正二年(一九一三)浜名郡浜松市蚕糸同業組合となって、伝習・講習(都田・和地・,また重要物産同業組合法(三十三年)に基づき、県下に蚕種同業組合が結成され(三十六年)、その浜松支部が浜名郡農業事務所内,下表は大正二年の浜名郡各村の養蚕戸数と産額である。  ,(表)大正2年 浜名郡養蚕戸数・産額 町村名 戸数 産額 市野村 ― 3500石 富塚村 177
浜松市史 四 ([浜松中央・東・北警察署の設置])

管轄区域は中心部の田町・旭町など、馬込川より西側の町、また、広沢町・蜆塚町や西南部の町など五十三町と浜名郡,    警部派出所   浜名郡雄踏町   警部補派出所  市内海老塚町   巡査部長派出所, 市内旭町・浅田町・寺島町、浜名郡篠原村 計四カ所   巡査派出所   市内砂山町・菅原町・新町・尾張町,・亀山町、署所在地 計六カ所   巡査駐在所   市内東伊場町・広沢町・森田町、浜名郡入野村・可美村,    警部派出所   浜名郡北浜村   巡査部長派出所 市内和合町・新津町・亀山町、浜名郡北庄内村
浜松市史 三 (浜松地方決戦作戦 軍民一体の撃退訓練)

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 三方原飛行部隊 浜名郡三方原村 ○ ○ ○ ○ ○ 浜松飛行部隊,浜名郡神久呂村 ○ ○ 海軍経理学校浜松分校 浜松市住吉町 ○ ○ 中部第,97部隊 浜名郡三方原村 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 中部第130部隊 浜松市葵町 ○,○ ○ ○ ○ ○ ○ 護古第22255部隊 浜松市富塚町 ○ ○ 第61飛行大隊 浜名郡吉野村,○ 楓第4151部隊 浜名郡新津村 ○ 師第34201部隊 浜松市葵町
浜松市史 三 (就学奨励 教員養成)

浜松市立入野小学校『さなる百年』)の設立、三方原学校の例でみるように皆就学校への浜松県よりの就学優良旗下付(『浜名郡三方原村誌,)、郡立として准教員養成所(浜松成子町法林寺、のちに西来院境内へ移る)が設立され、これは四十三年以降浜名郡教育会,によって続けられた(『浜名郡誌』)。
浜松市史 三 (日露戦争 浜松婦人会)

【浜松駅接待】浜松駅通過の軍隊は、浜名郡犒軍団(浜名郡民によって組織された浜名郡各駅通過軍隊の犒軍を目的,として結成された団体で浜名郡役所に事務所をおいた)規程によって、浜松町では町内各区に人員を割当て、昼宵明
浜松市史 四 ([金融機関の拡充])

  【浜名郡信用金庫 静岡県信用保証協会浜松支所 商工組合中央金庫浜松出張所 国民金融公庫浜松支所,】  浜松信用組合の発足から約一年後の昭和二十六年六月、農村部でも比較的商工業が盛んであった浜名郡中,ノ町村に浜名郡信用組合が発足した。,その後、浜名郡信用金庫と改称し、昭和二十七年には織物や商業が盛んであった笠井町にも支店を設置した。,静岡銀行富塚支店 浜名郡信用金庫笠井支店出典:浜松銀行協会資料「雑書綴」、浜松市・浜名郡入野村「市村合併
浜松市史 三 (工業組合法による再編成 五組合誕生)

①遠江染色工業組合開進社 昭和七年五月に浜松市と浜名郡の染色業者によって設立。,③遠州捺染整理工業組合盛興社 昭和八年三月に浜松市・浜名郡・磐田郡等の捺染加工業者及び整理業者によって,④遠州織物工業組合北盛社 昭和八年四月に浜名郡北部の笠井町をはじめとする各村、引佐郡等の小巾業者によって,事務所浜名郡小野口村小松(現在の浜北市)。    ,⑤遠江南部織物工業組合 昭和八年十二月に浜松市内と浜名郡南部の小巾業者とにより、小巾業者の不況打開をめざして
浜松市史 一 (中村氏)

中村氏 【宇布見】中村氏 浜名郡雄踏町宇布見の「地頭」であり、今川氏の代官を勤め(『中村文書』)、徳川家康,中村源左衛門邸(浜名郡雄踏町)
浜松市史 四 ([遠州四品の盛衰])

生姜は浜名郡北部で多く栽培され、当初海外へはアフリカ産として輸出されていた。,戦後、糸瓜栽培の中心は浜名郡笠井町・北浜村・積志村・浜名町・長上村で、輸出先は欧州各国とアメリカであった,トウガラシは浜名郡伊佐見村・神久呂村・引佐郡都田村などが主産地で、昭和二十八年の作付け面積は二十町歩で,生姜は浜名郡北庄内村・北浜村・引佐郡都田村が主産地で約百町歩を作付けし、五十万貫(約千八百七十五トン),落花生は浜名郡篠原村、村櫛村、南・北庄内村、雄踏町、引佐郡引佐町などで約四百町歩を作付けし、千五百石(
浜松市史 三 (創業年代)

10 7 24 8 48 9 51 10 37 11 30 12 40 13 6 計 364 【浜名郡,】次頁表は浜名郡における織布工場の町村別創立年表であるが、明治から大正三年までに創立の百二十九工場のうち,(表)浜名郡織布工場町村別創立年表 (大正3年調) 町村名 明治前 元~10 11~20 21~,吉津村 4 4 新所村 1 1 2 計 1 2 1 17 55 54 130 (『浜名郡誌
浜松市史 四 ([諸寺の復興])

昭和五十二年刊)例えば、『静岡県私幼の歩み』に登録する寺院名と設立・認可年次を挙げると、昭和二十一年には赤門寺(浜名郡新津村,)、同二十二年には善信寺(助信町)・寿量院(向宿町)・大円寺(浜名郡入野村)、同二十三年には光雲寺(浜名郡篠原村,)、同二十四年には普済寺(広沢町)・宗源院(蜆塚町)・興福寺(浜名郡篠原村)・本光寺(浜名郡河輪村)・
浜松市史 三 (水産学校)

水産学校 この舞阪に浜名郡立乙種水産学校(校長羽生弁之進)が開校したのは明治三十二年八月一日であった,しかし募集生徒数が定員に達せず、浜名郡では蚕業学校に力を注ぐこととなって三十四年四月廃止となった。
浜松市史 三 (学校工場 勤労令 授業停止)

〃常盤町 浜松西 浜松二中 5 陸軍航空分廠 〃三方原町 死亡7 5.4 鈴木織機KK 浜名郡可美村高塚,4 50 石川鉄工所 浜松市砂山町 石川鉄工にて生徒5,職員2被爆死 4 50 日蓄木工KK 浜名郡舞阪町,1 4 180 日本楽器浜松工場 浜松市中沢町 4 100 富士紡績(後豊川工廠に合併) 浜名郡湖西町鷲津,河合楽器製作所・日東航空KK 浜松市 昭20.4.30 空襲にて生徒10,職員1死亡 杉浦精密KK 浜名郡可美村,3 230 日本楽器製造KK 天竜市二俣町 浜松女商 私立浜松女商 4 58 日蓄木工KK 浜名郡舞阪町
浜松市史 三 (明治の病院)

明治の病院 当時、浜名郡の会員数は九十一名、浜松には友施医院(新)・村尾医院(常盤)・熊谷眼科医院(,また浜名郡新津村野崎(現在当市新橋町)の山内蒙斎は骨接(ほねつぎ)医者として知られた。
浜松市史 三 ([書籍の発刊と書籍店])

中之郷村伊東芳州著 静岡県名士列伝 17.12 浜松山下久太郎編 浜松魁新誌社 静岡県遠江国敷知長上浜名郡管内図,18.5 浜名郡役所編 浜松紺屋町渡辺安次郎刊 引佐麁玉有功者列伝 18.12 豊田郡中善地松島吉平著,遠江国敷知郡浜松町全図 28.4 関川美健著 浜松土産 32.7 谷島屋 開明堂(写真挿入) 遠江国浜名郡浜松市街図,内田友治編 郁文舎刊 遠江国風土記伝 33.3 内田友治発行 郁文舎刊 曳馬拾遺 34.7 谷島屋 遠江国浜名郡浜松図,35.6 関川美健著 独学韓語大成 38.8 浜松伊藤伊吉著 浜松元城丸善 遠江国浜名郡浜松町全図
浜松市史 三 ([浜松警察署移転問題])

しかし拡張よりむしろ新築ということで、元浜名郡役所跡に転用と定めた県当局が、浜松市会と浜名郡町村長会へ,これに対し浜松市会と町村長会は、現在浜名郡役所跡の建物は各種の実業団体や教育団体が使用中であるとし、これの
浜松市史 三 (富塚村の例)

富塚村の例 ここで、浜名郡富塚村(昭和十一年浜松市に合併)の当時の状況をふりかえってみよう(昭和七年刊,男 女 合計 前住地 男 女 合計 主な転出先 大正10 8 4 12 略 19 13 32 浜松・浜名郡曳馬村,13 10 23 〃 16 18 34 〃・愛知県 〃13 9 6 15 〃 31 24 55 〃・浜名郡曳馬村
浜松市史 ニ (夏目甕麿)

夏目甕麿 夏目甕麿(なつめみかまろ)は明和五年(一七六八)に生まれ、幼名を小八郎といい、白須賀(浜名郡湖西町,(その版木はいま浜名郡湖西町白須賀の蔵法寺所蔵)また甕麿はそのほか多くの事業を行なったため、多額の負債,万葉集遠江歌考版木(浜名郡湖西町 蔵法寺蔵)
浜松市史 三 (蚕業学校 水産学校)

のものに明治十一年に金原明善の設置した水利学校(前述)があったが、養蚕業がさかんになると明治三十年十一月浜名郡立蚕業学校,三十二年七月郡立となったが三十四年六月に閉校した(『舞阪町史』『浜名郡誌』)。
浜松市史 三 ([浜松税務署])

大蔵省の直轄で浜松は名古屋税務管理局に属し、その管轄区域は浜名郡と定められた。,三十五年名古屋税務監督局と改称、浜名郡・引佐(いなさ)郡が管轄区域となった。
浜松市史 一 (日蓮宗)

永徳三年(一三八三)日陣は東海道を遊化したが、真言宗の東光坊に止宿し、鷲津(浜名郡湖西町)出身の日乗を,本興寺本堂(浜名郡湖西町鷲津)
浜松市史 四 ([楽器生産の開始と中小楽器工場の設立])

ギター 河合楽器製作所 浜松市寺島町 ハーモニカ、アコーディオン 昭和20年10月 天龍工芸株式会社 浜名郡和田村,ハーモニカ、ピアノ 昭和21年4月 鷲津紡織株式会社 浜名郡鷲津町 ハーモニカ 昭和21年5月 東海楽器研究所,ハーモニカ 2月より試作品完成見込み 浜松楽器製造所 浜名郡積志村 ピアノ 1月中に2台完成見込み,山葉楽器製作所 浜松市助信町 オルガン 計画中 遠州楽器製造株式会社 浜名郡和田村 ピアノ 計画中 吉田木工株式会社,浜名郡豊西村 ハーモニカ 計画中 合計 18社 出典:「集排法手続記録(102)日本楽器製造株式会社関係
浜松市史 四 ([その他の選挙])

浜名郡のうち町村長選挙が行われたのは和地村・三方原村・赤佐村、引佐郡では都田村で、町村議会議員の選挙は,浜名郡では入野村・小野口村・北浜村・三方原村・可美村・積志村で、ほとんどは無投票当選であった。,四月三日は知事選の立候補の受け付け、この日に届け出たのは小林と社会党公認で浜名郡三方原村の聖隷保養農園
浜松市史 三 (紡績業の勃興)

東洋紡績株式会社  【日清紡績 富士紡績 浜名紡績】ついで大正十五年には日清紡績株式会社浜松工場(浜名郡北浜村貴布祢,)、昭和に入って富士瓦斯紡績株式会社鷲津工場(昭和四年浜名郡鷲津町)・浜名紡績株式会社新居工場(昭和十一年浜名郡新居町
浜松市史 三 (織物工場分布)

織物工場分布 つぎに浜松市及び浜名郡の織布工場の分布状況についてみてみよう。,            ●( )の数字は織物関係以外の工場    下図は大正十年の浜松市・浜名郡,遠江織物同業組合製造者地域別分布図   (表)浜名郡一帯綿織物生産額 (昭和6年) 町村名
浜松市史 三 (編入 編入)

龍神寺 浅田 海老塚 伊場 東鴨江】しかし、浜松駅設置により浜松町が発展してくると①三十七年十二月十四日浜名郡白脇,二八町歩余)の計九十三町歩余、戸数二百六十九戸、人口千二百三十七人を編入し、さらに②四十一年十月一日には浜名郡浅場
浜松市史 一 (田租の徴収率)

田租の徴収率 今日に残された輸租帳は、この遠江国浜名郡の、しかも天平十二年(七四〇)度のものただ一つであるから,この輸租帳に記されたところから計算すると、浜名郡では本来徴収可能なはずの量の五二パーセントしか集まらず
浜松市史 一 (中世編)

                四二六‐四二七 熊野の墓と伝える宝篋印塔(磐田郡豊田村 行興寺)  四二九 橋本宿の現景(浜名郡新居町,四三八 大𤭖神社  (浜松市中野町)            四三八 熊野神社  (浜名郡可美村,妙照寺蔵)   五六九 観世能 洛中洛外図屏風 部分(東京 町田満次郎氏蔵) 五七三 浜名川の跡  (浜名郡新居町橋木,        五八九 堀江城跡   (浜松市舘山寺町)          五九〇 中村源左衛門邸(浜名郡雄踏町,          六〇一 引馬城跡   (浜松市元城町)           六〇二 字津山城跡  (浜名郡湖西町入出
浜松市史 一 (荘園の祭神)

式内社 所在表(静岡県史による) 郡 社名 原所在 現在社 浜名郡五座 弥和山神杜 (ミワヤマ),同所浜名総社神明宮 猪鼻湖神社 (イハナコ)  〃    下尾奈か 同所猪鼻湖神社か 大神神社 (オオムワ) 浜名郡新居町中之郷,同所二宮神社 角避比古神社 (ツノサクヒコ) 浜名湖口 敷智郡六座 岐佐神社 (キサ) 浜名郡舞阪町砂町,か 浜松市八幡町八幡宮か 津毛利神社 (ツモリ)  〃 参野町 同所津毛利神社 息神社 (オキ) 浜名郡雄踏町
浜松市史 三 (水田畑地の割合 一反歩の収支)

水田畑地の割合 一反歩の収支 大正二年度における浜名郡各村の耕地面積と水田畑地の割合は前頁図のとおりである,なお生姜四十一%、糸瓜三十九%、蕃椒八十四%、煙草七十%であった(『浜名郡誌』より作製)。
浜松市史 三 (県居翁研究会)

内田旭を会長とし田林義信(浜松師範学校教諭)・袴田彦一(浜名郡長上村市野、県居小学校長)・野島角男(浜名郡伊佐見村伊左地
浜松市史 三 (農家数 耕地面積 農産物 四品)

(表)敷知長上浜名郡の収穫高および反別                明治27年 品名 収穫高,葉藍 4,000貫 落花生 1,733貫 4,750石 へちま栽培 大正初期 浜名郡各村,・天王・龍池・赤佐・笠井・中ノ町・芳川・市野・和田の各町村)に藍に代る作物として広く栽培され、生妻は浜名郡北部地方,、落花生は浜名郡の海岸地方(栽培のはじめは、新津村堤の藤田幸太郎、篠原村の相曽小平太ともいう)、蕃椒は
浜松市史 ニ (松山舜応)

松山舜応 また富塚村法林寺には松山舜応があった(『浜名郡史』)。
浜松市史 三 (文芸誌)

【松本長十郎】武者小路実篤の『白樺』に心酔した松本長十郎(浜名郡和田村篠ケ瀬生、浜松市総務部長、昭和五十二年十一月没,表紙は浜松に関係のあった岸田劉生(後述)に依頼し、寄稿者に坂口刺青・鈴木肇・竹村啓祐(浜名郡市野村)・
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