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浜松市史 三
(浜松商工会議所)
浜松商工会議所
商工団体として
浜松商工会議所
があった。,はじめ浜松商業会議所(明治二十六年創立)といったが、昭和二年四月法律の改正により工業方面も含めて強化され
浜松商工会議所
/
浜松商工会議所
浜松市史 四
(社団法人浜松商工会議所設立趣意書 浜松商工会議所)
社団法人
浜松商工会議所
設立趣意書
浜松商工会議所
この時に作成された「社団法人
浜松商工会議所
設立趣意書,浜松地区は之に代つて全く清新な社団法人
浜松商工会議所
を設立し、真に商工業者に依つて運営される商工業者の,
浜松商工会議所
は、全国的に見ても、戦後いち早く設立された会議所の一つであった。,
浜松商工会議所
は、各産業分野の結束を固めるために五つの部会を組織することにした。 / 社団法人
浜松商工会議所
設立趣意書
浜松商工会議所
浜松市史 五
([浜松商工会議所会館の落成])
[
浜松商工会議所
会館の落成] 戦後、浜松の商工業者の拠点となっていたのは、昭和二十二年に復興した商工会議所,【
浜松商工会議所
会館】 新会議所会館は、昭和四十四年六月に竣工。 / [
浜松商工会議所
会館の落成]
浜松市史 四
(商工会議所)
商工会議所
浜松商工会議所
の前身は明治期に出来た浜松商業会議所で、昭和初期に
浜松商工会議所
となった。,『
浜松商工会議所
百年史』(以下、『百年史』という)によると、商工会議所設立の経緯は次のようなものであった
浜松市史 五
([会社の成長は社員の健康から])
の健康から] 【ミニドック 成人病検診】 既に昭和五十九年七月六日付『静岡新聞』の記事によれば
浜松商工会議所
,昭和六十年五月二十九日付『静岡新聞』の記事では、
浜松商工会議所
がミニドックの検診料を一万円(非会員一万四千円,昭和六十二年六月二十一日付、および同年六月三十日付の『静岡新聞』には、
浜松商工会議所
が「会社成長 社員
浜松市史 五
([浜松国際交流協会])
浜松商工会議所
や浜松青年会議所、浜松ユネスコ協会、学識経験者などが集まり任意団体としての浜松国際交流協会,協会の事務局は
浜松商工会議所
に置き、ホームステイやホームビジット、語学講座、国際交流フェア、国際資料コーナー
浜松が生んだ名建築家中村與資平展
((7)その他のおもな建築)
(7)その他のおもな建築 ・静岡県茶業連合会議所 ・藤相鉄道(駅、事務所) ・
浜松商工会議所
浜松市史 四
([第一回浜松まつりの実施])
祭りと従来からの凧揚げ祭を組み合わせ、商工業や農業、観光など全市を挙げ総合的な祭りを行おうとの考えが
浜松商工会議所
,第一回浜松まつり本部の組織を見ると、顧問は浜松市長、相談役は県議会議員や警察関係者、会長は
浜松商工会議所
理事,まつり本部は
浜松商工会議所
内に置かれ、事務局には市の吏員や商工会議所の職員が勤めることになった。,まつり 実施日 昭和23年 7/1~12 昭和24年 7/1~10 昭和25年 5/1~5 主催者
浜松商工会議所
,浜松市,
浜松商工会議所
浜松まつり本部(
浜松商工会議所
内) 後 援 国鉄浜松駅,遠州観光協会(協賛
浜松市史 五
([浜松まちなかループの運行])
平成七年十月、市や
浜松商工会議所
は、中心市街地活性化と西武撤退(平成九年十二月)後の周辺再開発のために,同九年には中心市街地巡回バス導入調査研究会をスタートさせ、市や
浜松商工会議所
などに協力を呼び掛けた。
浜松市史 四
(図・表一覧)
『
浜松商工会議所
六十年史』昭和29年11月発行 2-15 輸出契約実績 『静岡新聞』昭和23年9月8,日付 2-16 浜松地域工業の被災率
浜松商工会議所
『浜松商工名鑑』1951 昭和26年7月発行,2-17 浜松地域工業における施設の復興率
浜松商工会議所
『浜松商工名鑑』1951 昭和26年7月発行,『遠州機械金属工業発展史』昭和46年7月発行、浜松市・
浜松商工会議所
『浜松商工名鑑』1954 昭和29,比較
浜松商工会議所
『
浜松商工会議所
百年史』平成6年3月発行 2-54 少年自治会の活動内容 『静岡新聞
浜松市史 四
([浜松まつりの開始])
第一回浜松まつりを開催するに当たり、その趣意書には次のような趣旨が述べられている(『
浜松商工会議所
百年史, 第一回浜松まつりの行事内容は以下の通りである(『
浜松商工会議所
百年史』)。
浜松市史 四
([貿易の再開と生産の増加])
昭和二十三年八月に、
浜松商工会議所
が調査した輸出契約実績は、表2-15の通りで、早い段階から輸出を行っていたことが,447 1,444 902 605 438 合板 100 119 260 168 199 ― ―出典:『
浜松商工会議所
六十年史,アメリカ 関係工場 浜名湖食品 出典:『静岡新聞』昭和23年9月8日付より作成 注:昭和23年8月
浜松商工会議所
調
浜松市史 四
([浜松郵便局・電話局・電報局])
『
浜松商工会議所
六十年史』によれば、市内の電話加入者数は四千二百七十四を数えたが、十八日の空襲により加入回線, 3,997 25 4,281 26 4,458 27 6,463 28 7,277出典:『
浜松商工会議所
六十年史
浜松市史 五
([産業見本市・ハイテク浜松の開催])
産業見本市・ハイテク浜松の開催] 浜松地域テクノポリスを柱に地域産業の先端産業化を推進するために、浜松市、
浜松商工会議所
,【ハイテク浜松】
浜松商工会議所
が中心になって昭和四十六年から開催しているのが「ハイテク浜松」(初期
浜松市史 三
(浜松商品陳列所 浜松銀行集会所)
って地方産業の紹介に力を尽したが、十六年七月に陳列所は閉鎖され、二十年六月の空襲によって焼失した(『
浜松商工会議所
六十年史
浜松市史 五
([猛威を振るった伊勢湾台風])
浜松商工会議所
は同月二十九日、大工や木材・セメント・トタン・瓦等建設資材関係者および浜松中央署からの出席,を求め緊急会議を開き、復興資材の値上げを防止し、円滑な市場の流通を確保するための対策を決定した(『
浜松商工会議所
百年史
浜松市史 四
(山根七郎治)
この間に、浜松市選挙管理委員会委員長(同二十七年)、
浜松商工会議所
相談役(同二十九年)、
浜松商工会議所
浜松
浜松市史 四
([経済団体の発足])
昭和二十一年十月、
浜松商工会議所
が発会(設立)されると、その翌年、二十代から三十代の若手経済人によって,法人会は事務所を商工会議所内に置き、税制度に関する研究会や経営指導等を行った(『
浜松商工会議所
百年史』
浜松市史 四
([占領下の市街と生活])
昭和二十四年一月、
浜松商工会議所
会頭の川上嘉市は国際基督教大学設立に向けての募金協力を会員に求めている,続けて、二十六年三月に浜松市役所・
浜松商工会議所
・静岡県西遠地方事務所・静岡県新聞協会西部支部は、浜松市公会堂大
浜松市史 四
([盛大になった浜松まつり])
そこで同年二月に
浜松商工会議所
で開催されたまつりの懇談会の席上、婦人代表者から「五日間の会期は長すぎる,【浜松市観光協会 五社神社の御輿渡御 復古調】 これまで浜松まつりの主催者は浜松まつり本部(
浜松商工会議所
, カラーの部 五月二十五日 六月一日~五日迄浜松まつり写真コンテスト発表展を開催 主催
浜松商工会議所
,〇〇〇本 広告大カーニバル 豪華広告 仮装行列 五月一日より三日迄晴天毎日(雨天順延)
浜松商工会議所
前
浜松市史 三
(銀行の得失)
なお、明治四十四年浜松市内に本店のあった銀行は前頁の表のとおりである(『
浜松商工会議所
六十年史』『浜松発展史
浜松市史 四
(遠州地方労働組合会議 遠州経営者協会)
昭和二十二年二月二十八日、
浜松商工会議所
で創立総会が開催され、地域の経営者が協力して産業復興に努力することを
浜松市史 五
([大店立地法への移行と郊外型大規模店の急増])
平成十七年に
浜松商工会議所
が実施した「大型店出店に伴う地元中小小売業界への影響」に関する調査結果(
浜松商工会議所
報
浜松市史 五
([中日新聞東海本社の設立])
「女人群像」、地元企業の歴史を紹介する「郷土創造」などの連載が始まり、また、「浜松市制七十周年」、「
浜松商工会議所
九十周年
浜松市史 三
(物産陳列館 商品標本陳列所 商品陳列所)
昭和四年十一月市経営の浜松市商品陳列所(浜松警察署旧庁舎利用)として再開され、隣接して十年建造された
浜松商工会議所
浜松市史 四
([体育協会とスポーツ祭])
浜松市では昭和二十一年(一九四六)三月に浜松市体育協会(会長は
浜松商工会議所
会頭の中村達一郎)が設立され
浜松市史 三
(笠井商人の自覚 西遠太物業組合)
わり笠井村に西遠太物業組合(組合長加藤平四郎)の設立となった(『遠州織物発展史』『遠州輸出織物誌』『
浜松商工会議所
五十年史
浜松市史 五
([浜松商圏の縮小])
[浜松商圏の縮小] 【浜松の商圏】 平成十二年、
浜松商工会議所
が実施した「消費動向調査」(『NEWing,0.2(0.1) 0.9(-) 出典:「平成12年度浜松市内の消費動向調査結果報告書」(
浜松商工会議所
報
浜松市史 五
([産業考古学館の構想])
これをきっかけに
浜松商工会議所
は産業考古学館建設促進協議会を設置し、建設基金と資料となる収蔵品収集を幅広
浜松市史 五
(栗原市政)
これに対して平山市長は同五十四年一月になって
浜松商工会議所
などの財界が推す栗原勝収入役を擁立する方向に
浜松市史 五
([肥満は薄命と知るべし])
浜松商工会議所
発行の『浜松商工時報』号外(昭和四十五年五月一日刊)には静岡労災病院長近藤鋭矢が「肥満は
浜松市史 五
([コンベンション都市へ])
[コンベンション都市へ] 【国際コンベンション都市 浜松コンベンションビューロー】
浜松商工会議所
,当初の基本財源は四億五百万円、県や市、
浜松商工会議所
のほか、民間企業十社が出捐した。
浜松市史 三
(電力使用動力機の普及 全国一の普及)
1,598 8,212 12,952 253 6,915 705 158 25.3% 26 (『
浜松商工会議所
五十年史
浜松市史 三
(遠州織物の全国的進出)
774,372,791 6.4 2.3 (『遠州織物発達史』,大正15年発行『浜松市史』,『
浜松商工会議所
五十年史
浜松市史 四
([新制度下での業務開始])
このような状況を受けて、昭和二十五年七月二十九日に
浜松商工会議所
を中心に浜松電話協力会が結成された。
浜松市史 三
(織物工場の激増)
300,000 386,785 3.9倍 氷砂糖 56,000 154,200 345,482 6.2倍 (『
浜松商工会議所
五十年史,50,807,285 122,575,000 136,156,284 ○明冶44年・大正6・14年の統計は『
浜松商工会議所
五十年史
浜松市史 三
(浜松商友会 浜松商業会議所)
材木商 林 文吉 〃白羽 材木商 松下文治郎 笠井町 米穀商 池田為吉 〃 洋物商 山下重平 (『
浜松商工会議所
六十年史
浜松市史 五
(浜松秋まつり)
市と
浜松商工会議所
などで組織した同まつり実行委員会は、春の浜松まつり、夏の七夕まつりに並ぶ浜松三大まつりとして
浜松市史 五
(駐車場)
同駐車場は、昭和三十七年に
浜松商工会議所
の提案を受けて市建設部が計画書を作成、建設省へ提出し、同省起債対象事業
浜松市史 四
([佐久間線、調査線から建設線へ])
図3-43 佐久間線敷設計画 出典:『
浜松商工会議所
六十年史』 【飯田線の付替路線
浜松市史 四
([野球ブームと各種大会])
市内では
浜松商工会議所
主催の商工人野球大会が始まっていた。
浜松市史 五
([増えたブラジル人])
このような中、浜松市は
浜松商工会議所
と共に出入国管理事務所の浜松市への設置を陳情した。
浜松市史 五
([テレビ放送の開始])
放送開始当日には、
浜松商工会議所
で放送開始式が開催されたほか、公開番組が全国に放送されるなどした。
浜松市史 四
([湘南電車浜松まで 湘南電車浜松乗り入れ])
浜松市議会と
浜松商工会議所
は湘南電車の浜松乗り入れの早期実現を関係当局に陳情したが、電力事情が窮屈なこと
浜松市史 四
([中田島での凧揚げ])
25 第1回浜松まつり
浜松商工会議所
内浜松まつり本部 5/1~5 和地山町旧練兵場 51 59 観光的大,出典:『静岡新聞』昭和21年5月6日、22年5月3日、23年5月5日、24年5月1日付と『
浜松商工会議所
六十年史
浜松市史 五
([栗原市政から北脇市政へ])
特に
浜松商工会議所
の主なメンバーは北脇支持を鮮明にし、これを受けて栗原市長の後援会の幹部は市長に出馬辞退
浜松市史 五
([中心市街地の活性化])
これを受けて、平成七年十月に浜松市、
浜松商工会議所
、自治会、学識経験者などからなる浜松市中心市街地街づくり
浜松市史 五
(主な参考文献)
町文化誌』 浜松市内各公民館 『はまな』 航空自衛隊浜松南基地 『三方原』 航空自衛隊浜松北基地 『
浜松商工会議所
六十年史,』・『同百年史』
浜松商工会議所
『浜松商工時報(NEWing)』
浜松商工会議所
『浜松商工名鑑,』
浜松商工会議所
『50年史』・『70年史』 鈴木自動車工業株式会社 『交通白書』・『浜松地区交通白書,商業近代化委員会浜松地域部会 『浜松卸商団地新聞』 協同組合浜松卸商センター 『遠州機械金属工業発展史』
浜松商工会議所
浜松市史 五
([悪質商法とその対策])
被害者は
浜松商工会議所
に苦情を持ち込んだが、法的な規制もなく、誘われた方が気を付ける以外に防止策はなかった
浜松市史 四
([近距離貸切バスの運行])
二十三年四月には
浜松商工会議所
を中心として遠州観光協会が設立され、二十四年八月には同協会と遠州鉄道の監修
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