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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 五
([戦災遺族・負傷者の運動])
【浜松空襲・戦災を記録する会 『
浜松大空襲
』】 昭和四十七年、浜松市福祉事務所社会課内に事務局を置,同年九月、西武百貨店浜松店特設会場で
浜松大空襲
展を開催、翌年『
浜松大空襲
』の冊子を刊行した。
浜松市史 三
(トーキー化と時局映画)
、その専門館(伝馬町角、浜松実業倶楽部階下)もできるようになった(山本巴水「戦前の浜松の文化施設」『
浜松大空襲
浜松市史 四
([天皇行幸による道路復旧])
[天皇行幸による道路復旧] こうしたなか、
浜松大空襲
からちょうど一年後の昭和二十一年六月十八日、浜松地方
浜松市史 四
([市内中心部の被害甚大])
特に、六月十八日の
浜松大空襲
と七月二十九日~三十日の艦砲射撃は、市内中心部の鉄道施設に致命的な打撃を与
浜松市史 四
([一日の休みもなく運転続行])
昭和二十年六月十八日の
浜松大空襲
の直後においても直ちに遠州助信駅を臨時起点として西鹿島駅まで運転を開始
浜松市史 四
([電灯の復旧と電灯引き込み料金])
[電灯の復旧と電灯引き込み料金] 【電気】
浜松大空襲
から約三カ月たっても浜松の中心市街地の多くは
浜松市史 四
([駅本屋と上下ホーム等の焼失])
また、その他の施設の多くも六月十八日の
浜松大空襲
と七月二十九日~三十日の艦砲射撃によって焼失または損壊
浜松市史 四
(浜松張子)
これより先、昭和二十年六月十八日の、米軍による
浜松大空襲
により、元魚町にあった工房は全焼し、木型・資材
浜松市史 五
([戦後復興の終盤])
同寺は昭和二十年六月十八日の
浜松大空襲
の際に焼失し、仮本堂のままであったが、その本堂を約二億円の予算をかけて
浜松市史 四
([茫然自失の日々からの脱出])
北国民学校教員の鈴木良は
浜松大空襲
約二カ月後の昭和二十年八月二十四日に自宅の焼け跡に戻り、幹だけがただれた
浜松市史 四
([戦災による移転と学校再開])
電子工学研究施設 テレビジョン】 浜松工業専門学校の戦災被害は昭和二十年二月を第一回とし、六月の
浜松大空襲
浜松市史 四
([病院再興と新設])
なお、「六月十八日」の
浜松大空襲
の被災状況の詳細については既刊の『浜松市史』三(昭和五十五年三月刊)に
浜松市史 四
([盲学校・聾啞学校の復興])
鴨江町にあった浜松盲学校は昭和二十年四月三十日に戦災に遭い無期限休校となり、さらに六月十八日の
浜松大空襲
浜松市史 三
(救護活動 戦災対策本部)
の警防団は本部・常設部と16箇分団の編成で人員2,250人であった (浜松空襲・戦災を記録する会『
浜松大空襲
中村與資平物語
([後編])
浜松大空襲
(はままつだいくうしゅう)です。,▲
浜松大空襲
(はままつだいくうしゅう)(左)と写真を説明(せつめい)した図(右) 昭和20年(1945,昭和二十年(一九四五年)六月十八日
浜松大空襲
(はままつだいくうしゅう)。
浜松市史 四
(国立浜松病院 天竜荘)
国立療養所天竜荘(磐田郡二俣町)とともに従来は傷痍軍人のみを収容してきたものであり、特に陸軍病院は戦時中、
浜松大空襲
時
浜松市史 三
(浜松地方決戦作戦 軍民一体の撃退訓練)
軍民一体となって怨敵の来寇に備えたのであった(浜松市役所『浜松戦災復興誌』、浜松空襲・戦災を記録する会『
浜松大空襲
浜松市史 四
(復興住宅)
その後、次々に住宅の建設は進み、
浜松大空襲
一周年の昭和二十一年六月十八日の昭和天皇の浜松行幸に際して藤岡兵一市長
浜松市史 四
([社殿再建築の動き])
、昭和十三年に五社神社が修復竣工、同二十年に諏訪神社が修復竣工した直後、同二十年六月十八日米軍による
浜松大空襲
浜松市史 四
([図書館の開館])
最も大きかった浜松市立図書館の蔵書数は三万五千冊もあったが、
浜松大空襲
で建物とともに一瞬の間に焼失した
袖紫ケ森:わがまち文化誌
(浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次)
への合併 44 蒲村全略図 45 NHK浜松放送局開局 47 中島飛行機製作所の出現 48
浜松大空襲
浜松市史 四
([電化生活])
[電化生活] 【電灯普及】
浜松大空襲
により中心部の家庭では一時的に電気が途絶えたことがあったが
浜松市史 四
([昭和天皇の浜松行幸])
浜松への行幸は六月十八日、この日は一年前に
浜松大空襲
があった日であった。
浜松市史 五
(繊維産業)
戦時中には軍需品(軍服や軍用品の縫製など)の生産をしていたが、
浜松大空襲
で被災し、昭和二十六年に復興した
浜松市史 五
([戦災と市民の木])
【市民の木】 市民の木 昭和20年6月18日の〝
浜松大空襲
〟により市街地の大半が
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
すうよう)な機関をはじめ国宝建造物の五社神社・諏訪神社も焼失した(浜松空襲・戦災を記念する会発行の『
浜松大空襲
浜松市史 四
([引き揚げの終息と戦争犠牲者への援護])
この日は
浜松大空襲
の記念日、浜松市営プールには戦病死者三千六百四十五柱、学徒動員犠牲者百六十二柱、戦災犠牲者二千七百七十五柱
浜松市史 四
([戦災学校とその復興])
浜松の中心部は昭和二十年六月十八日の
浜松大空襲
や、七月二十九日の艦砲射撃など、合わせて二十七回にも及ぶ
東方見聞録:東区の文化誌
(東区役所まちづくり推進課東方見聞録編集委員会『東方見聞録:東区の文化誌』 目次)
話 村の変遷、明治から昭和までの合併 22 第3話 東南海地震の爪跡 26 第4話 戦争の苦難
浜松大空襲
輝くいなほはたの音:わが町文化誌
(浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)
81 三 激動の昭和 【戦前の動き】 82 【戦時体制】 83 【東南海地震】 85 【
浜松大空襲
浜松市史 四
([戦災による分散授業と移転])
浜松市立浜松高等女学校(松城町)・浜松市立女子商業学校(元城町の元城国民学校内)の四校で、いずれも昭和二十年六月十八日の
浜松大空襲
浜松市史 四
([文化センターとしての図書館])
これより先、紺屋町(旧浜松医学校跡地)にあった元の市立図書館は、昭和二十年六月十八日の
浜松大空襲
により
とみつか:わが町文化誌
(浜松市立冨塚公民館『とみつか:わが町文化誌』 目次)
【肥料 下肥 肥え街道 公共施設の下肥利用】 112 【御料地 払い下げ 新切】 113 【
浜松大空襲
浜松市史 四
(生活物資の確保)
市内で教員を務めていた鈴木良は六月十八日の
浜松大空襲
で罹災してから磐田郡光明村山東に疎開していた。
浜松市史 三
(目次)
浜松重爆撃部隊の出撃 連日連夜の空襲 第二項 六・一八
浜松大空襲
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
導入 ガソリンカー レールカー 通学 お花見列車】 88 【遠州鉄道奥山線の発足と近代化 燃えん炭
浜松大空襲
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