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浜松市史 四
([浜松市役所の増築])
[
浜松市役所
の増築] 【
浜松市役所
】 浜松市は昭和二十九年度以降、周辺十二カ町村との合併に伴う事務量 / [
浜松市役所
の増築]
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
浜松市役所
機構 昭和十五年における
浜松市役所
の機構は前表(三六四頁)のとおりであった。 /
浜松市役所
機構
浜松市史 四
([モダンな新庁舎の完成])
[モダンな新庁舎の完成] 【
浜松市役所
】
浜松市役所
は焼け跡に浜松市在郷軍人会が使用していた旧演習廠舎,当時これだけ大きく堂々とした建物は珍しく、
浜松市役所
は〝白亜の殿堂〟と呼ばれた。
浜松市史 ニ
(馬屋)
御成厩とも称した(現在
浜松市役所
の一部)。
浜松市史 三
(防護団 警防団 特別防衛団)
、浜松市では各町総代・在郷軍人会・消防組が中心となって地域・職域・学校を単位とし空襲に備えて防護団(
浜松市役所
,十六年八月設置の
浜松市役所
の特別防衛団もその例である。
浜松市史 ニ
([奥付])
奥付] 浜松市史 二 昭和46年3月25日 印刷 昭和46年3月31日 発行 編集兼発行者
浜松市役所
浜松市史 一
([奥付])
奥付] 浜松市史 一 昭和43年3月25日 印刷 昭和43年3月31日 発行 編集兼発行者
浜松市役所
浜松市史 三
([奥付])
奥付] 浜松市史 三 昭和55年3月15日 印刷 昭和55年3月26日 発行 編集兼発行者
浜松市役所
浜松市史 四
([市役所の移転新築])
[市役所の移転新築] 【
浜松市役所
】
浜松市役所
は終戦直後のバラック建築であったが、坂田市長は市役所
浜松市史 四
([行政機関の復興])
職務遂行上必須のものであり、復旧工事を急いだ結果、昭和二十年九月末日までに浜松警察署、西遠地方事務所、
浜松市役所
, 【
浜松市役所
】 昭和二十年九月一日に浜松市参事会が開かれ、
浜松市役所
の仮庁舎建築を
浜松市史 三
(浜松軍人会 在郷軍人会)
同会は市制以後その名称も浜松市浜松分会となり、市域の拡張にともない大正十三年当時には十六分会をおき、
浜松市役所
内
浜松市史 一
(河岸段丘)
【連尺町 伝馬町 欠下】
浜松市役所
付近の平坦面や連尺町・伝馬町の旧東海道筋はこうした段丘面にあたっている
浜松市史 五
([人口五十万人を達成])
50万人達成】 市制七十一周年を目前にした昭和五十七年(一九八二)六月二十八日午前十一時十五分、
浜松市役所
浜松市史 三
(空襲回数)
こうしてわずか一年たらずのあいだに浜松市の中心部は壊滅的な打撃を受けたのであった(
浜松市役所
発行『浜松戦災復興誌
浜松市史 四
(古田晴久)
作品は
浜松市役所
、浜松市美術館のほか、市内の小中学校などに所蔵されている。
浜松市史 三
(遠州織物文献)
昭和十二年遠州織物新聞社『遠州織物沿革史』、昭和十四年静岡地方裁判所・同地方検事局編『遠州綿織物に就て』、昭和十六年
浜松市役所
浜松市史 四
(図・表一覧)
27 浜松市営球場 『浜松』(市勢要覧)昭和29年版 昭和30年3月発行 2-28 浜松市営プール
浜松市役所
,『浜松発展史』昭和29年3月発行 2-28 経営面積別農家戸数
浜松市役所
『浜松発展史』昭和29年3,月発行 2-29 専業兼業別農家戸数
浜松市役所
『浜松発展史』昭和29年3月発行 2-30 三方原開拓,『続浜松発展史』昭和30年5月発行 3-20 浜松市における農地の用途別転用状況
浜松市役所
農務課『,年3月発行 3-22 農家戸数と農耕地面積
浜松市役所
『浜松発展史』昭和29年3月発行 3-23
浜松市史 三
(浜松地方決戦作戦 軍民一体の撃退訓練)
しい肉攻挺身訓練を重ね、浜松市民も心よりこれを支援し、軍民一体となって怨敵の来寇に備えたのであった(
浜松市役所
,4177部隊 浜松市松城町 ○ ○ 東海第31454部隊 ○ (『
浜松市役所
保存文書
浜松市史 四
(復員)
この件に関連するものとして、八月二十七日付で、
浜松市役所
より浜松憲兵隊からの通達が市内の町内会長あてに
浜松市史 ニ
(井上藩と製織技術)
みなこれに拠っている(大正十五年発行『浜松市史』、昭和八年版中道朔爾『遠江積志村民俗誌』、昭和十六年版
浜松市役所
浜松市史 五
([市役所の週休二日制])
浜松市役所
やその機関では県から遅れること一年、平成二年四月から第二・第四の土曜日を休む(公民館、図書館
浜松市史 四
(主な参考文献)
』第七巻都道府県編その二十二静岡県 総理府統計局 昭和35年『国勢調査』浜松市 『浜松市勢要覧』
浜松市役所
,『広報はままつ』
浜松市役所
『浜松市戦災史資料』一~四 浜松市立中央図書館 建設省編『戦災復興誌,財団法人都市計画協会 『浜松市戦災復興誌』浜松市都市計画公園部 『浜松市統計』・『浜松市統計書』
浜松市役所
,『浜松市報』
浜松市役所
『浜松発展史』・『続浜松発展史』
浜松市役所
『浜松市総合調査報告書』
浜松市役所
,まつり凧揚げ案内』遠州新聞社・浜松市観光協会 『東海婦人新聞』(遠州新聞日曜版) 「青年タイムス」
浜松市役所
青年
浜松市史 四
([労働組合の結成])
労働組合の結成] 【労働組合 日本楽器天竜工場 浜松労働組合準備会 中部配電 浜松工機部 浜松郵便局
浜松市役所
,
浜松市役所
では、昭和二十一年一月に
浜松市役所
吏員組合結成の気運が高まり、組合設立準備会や各課の有志などにより
浜松市史 五
(散文)
浜松市役所
に就職し勤務の傍ら執筆活動を続ける。,平成十二年春に
浜松市役所
を退職後、創作に専念。
浜松市史 三
(浜松青年同志会 青年会より青年団へ 浜松市連合青年団)
事業内容は学力の補習、修養に関する講習または講義の開催、武術の練習と体育各種の施設充実などで、事務所は
浜松市役所
内
浜松市史 四
([占領当局の助言による統計や図表化の流行])
昭和二十六年に
浜松市役所
で発行した『浜松市統計』第7号の冒頭にはアメリカ統計使節団第一報告書から、「日本
浜松市史 四
([新庁舎の落成])
図3-9 浜松市消防署(
浜松市役所
の一角に設置)
浜松市史 四
([鼠の一斉駆除])
[鼠の一斉駆除] 【鼠 ねずみ捕りコンクール】 昭和二十一年十一月九日付で
浜松市役所
は各町内会長
浜松市史 五
([天竜川下流用水事業])
58.3 - 58.3 計 3454.0 1225.0 4679.0 出典:
浜松市役所
農政課
浜松市史 四
([天皇巡幸])
十八日朝静岡から東海道線を利用して浜松駅に到着、その後
浜松市役所
に向かわれた(十八日は一年前の大空襲の
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
だけで死者千百五十七人(警防団員殉職七名に及んでいる)、全焼一万六千十一戸に達し、罹災者数約五万六千名、
浜松市役所
,浜松市主要罹災建物表 (昭和20年6月18日) 官公署 病院・その他 西遠地方事務所 県立浜松病院
浜松市役所
浜松市史 三
(救護活動 戦災対策本部)
中沢町 25 国鉄工機部 西伊場町 26 鈴木織機KK 相生町 27 三立製菓KK 東田町 28 現
浜松市役所
浜松市史 三
(市制施行)
市制祝賀の新聞記事 最初の
浜松市役所
(紺屋町当時)
浜松市史 五
([湖東村の合併])
新村建設に向けて各種事業が進展する中、昭和三十五年三月になって湖東村の村長と議長が
浜松市役所
を訪れ、浜松市
浜松市史 四
([『浜松発展史』の刊行])
[『浜松発展史』の刊行] 【『浜松発展史』】
浜松市役所
企画室の編集による『浜松発展史』の刊行は
浜松市史 四
([占領下の市街と生活])
続けて、二十六年三月に
浜松市役所
・浜松商工会議所・静岡県西遠地方事務所・静岡県新聞協会西部支部は、浜松市公会堂大
浜松市史 四
([派出所の建設と新しい装備])
浜松市役所
の望楼は高さが三十六メートルもあり、夜間は掛川方面の火災も発見できた。
浜松市史 五
([若手音楽家の登場])
浜松市役所
文化政策課の公表しているところによれば、平成二十三年度までの同制度による受賞者は二十七名。
浜松市史 四
([図書館の開館])
浜松市は昭和二十一年に
浜松市役所
教育課内に蔵書約三百冊で図書館を仮設し、貸出なども始めた。
浜松市史 五
([三方原用水の完成])
3,797.1 1,027.0 165.6 381 290.3 5,661.0 出典:
浜松市役所
農務課
浜松市史 五
([市民総合窓口センター])
このテレトピア構想の第一弾として登場したのが
浜松市役所
に設けられた市民総合窓口センターで、平成五年一月四日
浜松市史 四
([映画の全盛時代])
三十一年ころそのような映画会が大変な人気で、浜松では年間五万人以上の人々が文化教育映画を見ていたこと、
浜松市役所
浜松市史 四
(浜松市立郷土博物館)
天守閣を飾る雌雄のシャチホコの製作は豊橋市二川町の鈴木喜三郎が担当、鈴木はこの道の権威者で、八月には
浜松市役所
浜松市史 四
([空襲被害者の治療])
べられているが、その内の「戦災対策静岡県本部の設置」という項目には、西遠地方事務所仮事務所に浜松警察署・
浜松市役所
浜松市史 四
([国家地方警察浜名地区警察署])
てられたものを自治体警察の浜松市警察署と共同使用していたが、総工費七百七十七万円をもって元城町(今の
浜松市役所
浜松市史 四
([昭和天皇の浜松行幸])
天皇は午前八時三十七分に浜松駅に到着、自動車で
浜松市役所
を訪れ、藤岡市長から戦災状況や復興の現状について
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
特に二十七年の
浜松市役所
の移転は、北西方向に街が拡大していく契機にもなった。
浜松市史 三
(織物工場の激増)
136,156,284 ○明冶44年・大正6・14年の統計は『浜松商工会議所五十年史』,昭和4年は『産業の浜松』(
浜松市役所
発行
浜松市史 四
([労働運動の分裂とレッドパージ])
浜松市役所
職員組合は二十二年八月に労働協約書(第一条は団体交渉権の認可)を浜松市長と取り交わしていたが
浜松市史 四
([甚大な戦災被害])
この数値は
浜松市役所
の調査によるもので、浜松警察署の別の調査によると死者三千二百三十九人、重軽傷者二千九百十二人
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