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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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検索結果 : 27件
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浜松市史 四 ([浜松鉄道病院])

[浜松鉄道病院] 【浜松鉄道病院 静岡と浜松の二つの鉄道病院】  原則的には一般市民に開放されている,病院とは言えないが、企業内診療所の代表例としては浜松鉄道病院がある。,昭和三十三年十二月二十七日付『静岡新聞』には、念願の浜松鉄道病院の建設が昨年二月以来、市内海老塚町で進捗,これにより従来の東診療所は閉鎖し、西診療所は浜松鉄道病院浜松工場分室とすることになった。,また、右機関紙(昭和三十九年四月号)には、同年三月二日から浜松鉄道病院の診療が開始されたことを報じている / [浜松鉄道病院]
浜松市史 三 (浜松鉄道株式会社)

浜松鉄道株式会社 奥山方広寺のある引佐郡奥山方面や三方原などを浜松と結ぶ浜松鉄道株式会社は、はじめは,四年五月に浜松鉄道株式会社と改称し、本社(大字元目町)を新設の元城駅へおいた。,新設された浜松鉄道三方原駅 元名残のトンネル(79m) 【トンネル】二フィート六インチ / 浜松鉄道株式会社
浜松市史 四 ([遠州鉄道への合併])

[遠州鉄道への合併] 【浜松鉄道解散 遠州鉄道奥山線】  戦災や設備の老朽化なども重なって、経営困難状態,に陥っていた浜松鉄道は、昭和二十年十一月の役員改選を契機に遠州鉄道との経営統合を図りつつ復興整備に努力,こうしたなか、名古屋鉄道局からの合併の勧奨もあり、翌年十一月七日に遠州鉄道と浜松鉄道は合併契約書に調印,これにより、遠州鉄道が権利義務一切を継承するとともに、浜松鉄道は解散することになった。  ,新会社の資本金は四百六十三万四千四百円で、旧浜松鉄道から三名の役員が加わった。
浜松市史 四 ([全線復旧と新車の導入])

後述する浜松鉄道との合併直後の翌年六月一日には旭町─遠州浜松間が復旧した。
浜松市史 三 ([遠州電気鉄道])

[遠州電気鉄道] 遠州電気鉄道株式会社は、その前身は浜松鉄道株式会社と称し、明治四十年(一九〇七)四月
浜松市史 三 (私設軽便鉄道流行)

その一つが二俣へ行く遠州電気鉄道株式会社であり、他が奥山へ行く浜松鉄道会社であった。
浜松市史 五 ([昭和三十八年時点の医療環境])

一般、住吉町)、聖隷病院(二九九床、結核、三方原町)、社会保険病院(一五八床、一般・結核、中島町)、浜松鉄道病院,【浜松鉄道病院】  ところで、昭和三十八年二月時点の『広報はままつ』とは別に、『静岡新聞』(昭和三十八年七月五日付,浜松鉄道病院については『浜松市史』四において、主としてその成立事情について述べ、建設地の変遷(海老塚町,)についてもいささか言及したが、国鉄浜松工場機関紙『はままつ』(昭和三十九年四月号)の記事によって、浜松鉄道病院
浜松市史 三 (浜松地方と三河を結ぶ鉄道案)

大正九年の三河国(愛知県)国府から浜名湖北岸を経て浜松へ至る東海道電気鉄道計画も、昭和二年に浜松・気賀間は浜松鉄道
浜松市史 四 ([戦災被害と復興])

[戦災被害と復興] 【浜松鉄道 本社仮建築完成】  浜松鉄道(東田町─奥山間)は一連の空襲により、
浜松市史 三 (市街電車)

市街電車 ①市街電車 遠州電気鉄道株式会社(以下遠電という)と浜松鉄道株式会社(以下浜鉄という)の私鉄
浜松市史 三 (浜松被害工場 浜松交通関係被害)

自家用諸自動車は八十%が焼失、遠州鉄道株式会社経営の西鹿島線は浜松駅前と助信間二・五キロメートルが不通となり、浜松鉄道株式会社
浜松市史 三 (日赤浜松病院 遠州病院 聖隷保養農園)

高林町 昭和13年 遠州病院 常盤町 昭和13年 静岡県浜松保健所 下池川町 昭和14年 名古屋鉄道局浜松鉄道診療所
解説「浜松の明治以降の資料」 (解説「浜松の明治以降の資料」)

『浜松鉄道案内』 私鉄が乗客獲得のため駅名だけの路線図に周囲の観光地の絵を入れた鳥瞰図を作成したのは,浜松鉄道が奥山まで全線を開通させた大正12年(1923)に作成したのが『浜松鉄道案内』で、筆者は地元で,東海道本線はもとより、遠州電気鉄道や浜松鉄道、笠井や中ノ町、宮口に行く軽便も記されている。
浜松市史 三 (被爆地域)

なったということで、被爆地域は①浜松駅より寺島方面②中島町浅野重工業会社工場より相生町鈴木織機工場方面③東伊場町浜松鉄道工場方面
浜松市史 四 (緊急戦災復興対策懇談会)

初めに交通機関の復元強化を提案しているが、これは国鉄浜松駅の移転や遠鉄電車の浜松駅乗り入れ、浜松鉄道の
浜松市史 三 (六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)

 県居国民学校  蓮華寺  北国民学校  法雲寺  八幡国民学校  教興寺 交通機関  本称寺  浜松鉄道株式会社
浜松市史 三 (青年学校 浜松の青年学校)

また浜松鉄道錬成所・浜松逓信(ていしん)錬成所のように職場により青年学校の設置されたところもあった。
浜松市史 四 ([配給・買い出し・家庭菜園])

このような食糧不足を打開するために、市民は田舎の縁故などを頼り、東海道本線や遠州鉄道、浜松鉄道沿線の農村地帯
浜松市史 四 ([観光協会の設立と浜名湖の観光])

観光案内所】  昭和十一年(一九三六)に浜松観光協会ができ、浜松観光小唄を作ったり、遠州電気鉄道沿線や浜松鉄道沿線
浜松市史 五 ([医師の増加])

以後年次を追って小児科の開設をみると、同三十六年に浜松鉄道病院(国鉄浜松工場『五十年史』)、同三十七年
浜松市史 三 (目次)

             四九〇        計画から実現へ           遠州電気鉄道           浜松鉄道
浜松市史 三 (写真・図版目次)

長柄邦次郎氏提供) 四九四 改築された遠州電気鉄道旭町駅  (静岡県立中央図書館提供) 四九五 新設された浜松鉄道三方原駅
浜松市史 四 ([戦後緊急開拓と浜松の開拓地])

③小豆餅開拓(浜松市葵町)  三方原国営開拓建設事業の葵工区で、浜松開拓と国道を隔てた東側、浜松鉄道
浜松市史 四 (目次)

       浜松駅、東海道本線の拠点駅へ        湘南電車浜松まで   第二項 遠州鉄道と浜松鉄道,       遠州病院        国立浜松病院        社会保険浜松診療所        浜松鉄道病院
台地と水と輝き:わが町文化誌 (浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)

遠州鉄道のバス 高台地区のバス路線】 84 (四)軽便鉄道奥山線の変遷  86 【浜松軽便鉄道設立から浜松鉄道
浜松市史 四 ([メーデーの復活と争議の激化])

昭和二十一年には浜松鉄道の遠州鉄道への合併に伴う争議、二十二年には全逓信従業員組合の浜松郵便局や浜松電話局
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

ノ田川疏水 堀留運河 浜松駅】 106 (三)大正時代の交通 107 【浜松軽便鉄道 遠州鉄道 浜松鉄道
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