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浜松市史 四
(学校新聞 演劇)
学校新聞
演劇
【映画】 学校新聞は、新制高校になる以前の昭和二十二年六月に浜松第二中学校(今の,昭和二十四年九月に浜松北高等学校の
演劇
部は浜松市公会堂で「出家とその弟子」の公演を開いた。,誠心高等学校
演劇
部は二十六年にユネスコ主催の第二回西部高校
演劇
コンクールに出場し、「芽生」を好演して優勝,、西遠女子学園高等学校の
演劇
部は二十七年に同コンクールで木下順二作の「夕鶴」を好演、優勝に輝いた。,高校の
演劇
活動は多くの学校の参加により長く続くことになっ映画た。 / 学校新聞
演劇
浜松市史 四
([演劇鑑賞組織])
[
演劇
鑑賞組織] 【浜松
演劇
愛好会】
演劇
鑑賞の組織作りの動きが見られるのは戦後としてはやや遅く,、河合茂や菅沼五十一らを中心に浜松
演劇
愛好会が誕生するのは昭和二十八年九月のことである。,機関紙『浜松
演劇
愛好会ニュース』(編集代表・菅沼五十一)№1(昭和二十九年三月二十九日発行)で、河合は,第一回観賞会(「民衆の敵」…民芸)の成功を踏まえて「この
演劇
不毛の地と伝えられたらしい浜松にも、実際は,この課題は、前者については後年の浜松
演劇
観賞協議会の結成(昭和三十七年)などにより実現をみているし、後者 / [
演劇
鑑賞組織]
浜松市史 三
(演劇場)
演劇
場 【新歌舞伎座】ここで目を芝居小屋に転ずると、昭和十二年二月歌舞伎座が焼失以来劇場がなかったが /
演劇
場
浜松市史 五
([演観協と高校演劇教室])
[演観協と高校
演劇
教室] 【浜松
演劇
観賞協議会】 図3-62 『浜演』No.100 半世紀,という長期にわたって存続している浜松の
演劇
観賞団体、浜松
演劇
観賞協議会(以下、演観協と略称。,①『
演劇
教室十年』(浜松高校
演劇
教室、昭和四十九年刊) ②『
演劇
教室三十年』(浜松高校
演劇
教室、,巻末に「二十周年記念誌」(未刊)の原稿を掲載) ③『
演劇
教室四十年』(浜松高校
演劇
教室、平成十六年刊,(後略)(「
演劇
教室通信」第9号) こうして、全国初の高校
演劇
教室は実現した(規約制定は昭和四十一年 / [演観協と高校
演劇
教室]
浜松市史 四
([高校演劇コンクール])
[高校
演劇
コンクール] 【高校
演劇
コンクール 木下順二 ユネスコ協力会 村越一彦 西部高校
演劇
発表会,】 静岡県西部の高校
演劇
コンクールが始まったのは、昭和二十五年のことである。,同三十六年には、西部高校
演劇
連盟主催の西部高校
演劇
発表会として第一回が開かれ、以後毎年開催されて現在に / [高校
演劇
コンクール]
浜松市史 五
([劇団たんぽぽと青少年演劇センター])
[劇団たんぽぽと青少年
演劇
センター] 【小百合葉子 劇団たんぽぽ】 小百合葉子(本名=山下みゑ、,昭和二十八年、活動の拠点を浜松市元魚町に移したこと、同三十年、文部省から実績を認められて社団法人教育
演劇
研究協会劇団,一見、順風満帆のように見える小百合の
演劇
活動であったが、大きな挫折を味わうこととなったのが青少年
演劇
センター,本田はその「下り」とは、「青少年
演劇
センター」失敗以後のことであろうと記している。 ,劇団たんぽぽは平成二十三年現在も活発な
演劇
活動を続けている。 / [劇団たんぽぽと青少年
演劇
センター]
浜松市史 四
([素人劇団])
[素人劇団] 【素人劇団
演劇
】
演劇
関係について見ると、昭和二十年代前半の特徴は素人劇団による,
演劇
が非常に盛んであったことである。,を伝える好史料として、浜松で出されていた『青年公論』の昭和二十三年新年号所載の「労働文化祭芸能大会
演劇
批評,これによると、この大会に参加した労組の数は日楽本社労組、浜松工機部労組など九つにも上っており、素人劇団による
演劇
, こうした素人劇団による
演劇
活動は、青年団においても盛んで、村まつりの余興などで活躍した
浜松市史 四
([浜松市芸術祭])
[浜松市芸術祭] 【浜松市芸術祭 浜松市美術展
演劇
部門】 敗戦後、ちょうど十年目に当たる昭和三十年,催しとしては、美術・
演劇
・音楽・文学の四部門が柱で、すでに浜松市美術展として昭和二十八年より毎年開かれていた,まず、
演劇
部門について見ると、当時は市内における
演劇
活動が盛んで、新聞によると、
演劇
部門は、市内の青年団,各地区ごとに予選を行った上で、十団体によりコンクールを行い(十一月二十日、誠心ホール)、浜松市芸術祭
演劇
部門, 青年
演劇
…芳川青年会(深い疵)、新津青年会(明日を告げる鐘)、笠井青年会(むじな沢
浜松市史 四
([盛んになったクラブ活動])
ピアノの連弾に始まり、ハーモニカバンド、
演劇
、混声合唱などが繰り広げられ、夜の部は一般市民も入れて、ハワイアン,の演奏や
演劇
など、満員の観客に感銘を与えた。,陸上競技 外語 陸上競技部 絵画 食物(料理) 柔道 音楽 野球 科学 バレー部B 工作 洋裁 水泳
演劇
,歴史 庭球 弁論 卓球 写真 卓球部 書道 社会 籠球 放送 籠球 筆耕(プリント) ダンス 体操
演劇
,生物 囲碁将棋 友愛 おもかげ 卓球 化学 美術 珠算 弓道 地理 書道 地学
演劇
浜松市史 四
([青年運動の展開と転機])
この青年学級には文芸・音楽・
演劇
・調理・生花・農芸などのクラブ組織があってそれぞれの授業や討論会が行われていた, 【
演劇
長上村青年団 梨の会】 昭和二十年代前半、娯楽に乏しい農村部では青年団による,
演劇
が村民の娯楽としてもてはやされていたが、二十年代後半になって、市街地の復興が進み、映画館が数多く出来,ると、青年団による
演劇
は徐々に廃れていった。,そこで、十の支部単位にそれぞれ行っていた
演劇
から同好の有志がグループをつくって行う
演劇
へと改革が行われた
浜松市史 四
([慰安演芸会や村祭り・年中行事の再開])
[慰安演芸会や村祭り・年中行事の再開] 【戦災市民慰安無料公演 復興祭 農繁休慰安会
演劇
クラブ(部,) レコードコンサート 素人
演劇
鴨江観音の彼岸会】 空襲の激化により市民の娯楽はほとんどなくなり,なお、昭和二十年代には日本楽器本社労組や浜松工機部労組など市内の主な労組には
演劇
クラブ(部)があり、いろいろな,このように昭和二十年代、特にその前半は各地でレコードなどの鑑賞会や組合員や青年団の素人
演劇
が盛んであった,しかし、その後、映画熱が高まっていく中で
演劇
への関心は薄らいでいった。
浜松市史 五
(青年学級)
男 女 計 1 積志 農業技術、経済、一般教養、工業、家 政、
演劇
,、華道、音楽 250 52 25 77 3 飯田 一般教養、科学、料理、
演劇
,レクリエーション 250 43 98 141 7 神久呂 農業技術、一般教養、機械、
演劇
,華道 250 38 13 51 12 与進 一般教養、政治、経済、家政、
演劇
,電気知識 250 90 0 90 17 篠原 一般教養、茶道、華道、コーラス、
演劇
浜松市史 四
([アマチュア劇団])
そういう中で、浜松地方には驚異的長期にわたって
演劇
活動を続けている劇団がある。,元々は理数系の出身だが、各場面を緻密に組み立てて一つのドラマに仕立てる
演劇
は、理数系の仕事に通ずるところがあるという,当時、浜松
演劇
愛好会という組織があり、時折、劇団を招いて
演劇
鑑賞をしていた。,その会の一部の若い人たちが自立して、
演劇
を自らやろうと集まったのが結成のきっかけであった。,日本が戦後の混乱から立ち直り、全国各地で青年団や労働組合による
演劇
活動が一斉に始まった時期である。
浜松市史 三
(梨の葉会)
梨の葉会 浜松の
演劇
愛好家松本長十郎たちが戯曲(脚本)の朗読研究会を演武館で試みたのは大正二年であったが,、七十五歳)で、参加するものに園山英夫・花井陽三郎・渥美静一・杉浦慶一などがあり、浜松最初の本格的な
演劇
研究団体
浜松市史 三
([浜松の劇場])
[浜松の劇場]
演劇
は庶民にもっとも愛好された娯楽で、社寺の境内や空地などでは、しばしば小屋掛興行が
浜松市史 三
(街の劇場)
また
演劇
誌『街の劇場』が、同名の戯曲朗読会の機関誌として八年十二月に発刊されている。,「梨の葉会」といい「街の劇場」といい有意義な
演劇
運動であったが、時局が苛烈となると衰えていった。
浜松市史 一
(狂言)
狂言(きょうげん)は、支配者を皮肉り風刺したりし、その中にこっけいさがあり、俗語をつかうなど、民衆の
演劇
浜松市史 三
(芝居)
芝居 明治時代より大正・昭和へかけて歌舞伎座・浜松座・若松座などで引続き
演劇
の興行が行なわれた。
浜松市史 ニ
(旅興行)
このときには「根笹の雪」を脚色した「大厳寺の仇討」を上演している(渥美静一 「
演劇
に見えたる遠江」『土
浜松市史 ニ
(地狂言)
地狂言 地狂言 年中の祭りや盆などの余興に、その土地の
演劇
に趣味を持つ人たちが、短期間大衆に見せるために
浜松市史 四
([劇団たんぽぽ])
やがて劇団は、文部省から実績を認められて社団法人教育
演劇
研究協会劇団たんぽぽと称することになった。
浜松市史 四
([青年団・青年会の運動の再出発])
再出発] 【浜松市援護会 在外父兄救恤学生同盟 市民生活擁護同盟 浜松市案内所 浜松市連合青年会 農村
演劇
,このころ、主として農村部の青年団は文化講座、読書会、研究会などの活動に混じって娯楽としての農村
演劇
を盛,、程度が低く、不健全な方向に流れることへの危惧もあり、昭和二十一年七月九日付の『静岡新聞』は「…農村
演劇
浜松市史 四
([新制高校の発展])
また、文化クラブとしては映画・写真・無線・新聞・弁論・
演劇
・図書など実に多くの分野で熱心な活動がなされていた,音楽会や
演劇
会も各校で開かれたが、これが後の学校祭に発展していく。
浜松市史 四
([各種施設の充実])
ここでは学内だけでなく、音楽会や
演劇
など、外部の催しもたびたび開催され、浜松の戦後文化の興隆に多大な貢献,これらの講堂は学校の大切な儀式の開催はもとより、生徒総会や音楽・
演劇
などの発表会(学校祭・芸能祭)にも
浜松市史 四
(映画)
また、文化劇場や東洋劇場も傘下に収め、これまで
演劇
、演芸中心の東洋劇場を洋画専門館として再出発させた。,競争が激しくなったため、低俗な映画や
演劇
を上演するところも現れる『静岡新聞』には、「エロで苦肉の客寄せ,こうして、一般大衆の関心は
演劇
から映画へと移り変わり、その人気はますます高まりを見せ、昭和三十年代前半
浜松市史 三
(遊園地)
・ステージ・プール・食堂・浴場等を備えた本格的な弁天島楽園(入場料二〇銭、七月十日から八月三十一日まで)ができ、軽
演劇
浜松市史 四
([有楽街と浜松座通りの発展])
〇一)に巨大な歌舞伎座が、大正三年(一九一四)には浜松座が下後道に完成すると、ここでは歌舞伎・剣劇・
演劇
浜松市史 三
(小屋掛興行)
境内で明治八年十月嵐歌女助一座が「大厳寺の仇討」という外題で晴天七日間の興行をしているし(渥美静一「
演劇
浜松市史 三
(労働運動)
浜松の文学愛好の青年たちと接触があり労働文学
演劇
の運動をはじめたが、まもなく浜松を去った。
浜松市史 三
(市民の集会場)
、講演会、演芸会、音楽会、慰安会をはじめ学芸会など、ことに昭和十二年二月十四日歌舞伎座が焼失すると、
演劇
場
浜松市史 三
(翼賛文化協会 文学報国会)
企画部・文学部・
演劇
部の三部より成り、各部に職場・小国民・婦人の専任をおき、同人には気賀由利子(引佐郡気賀町
浜松市史 四
(『浜松民報』 『遠州新聞』)
図書館の催しや、各種文化組織の動向を伝え、また、美術・文芸・音楽・
演劇
・映画など幅広い分野における情報
浜松市史 三
(会場)
にちなんだ長唄新曲「松の栄」・常盤津「浜松踊」を上演、浜松情調の盛り上げに努めた)のほか舞踊・歌劇・軽
演劇
浜松市史 五
([教育文化会館の開館と余裕教室開放])
の教育文化の振興のための施設とし、幼稚園の生活発表会、小中学校の合唱コンクール、高校の合唱や吹奏楽、
演劇
浜松市史 五
(神事)
これは研究者の間でも著名なもので、舞台機構、
演劇
外題、舞台衣装等について早くから芸能史研究者の対象となっていた
浜松市史 五
([音楽鑑賞団体の結成])
遠文連は音楽だけでなく、
演劇
や講演会など幅広い分野にも手を広げ、結成一年で四千名を超える会員を擁した。
浜松市史 五
([浜松文芸館の開館])
文芸作家としては小説家の藤枝静男、吉田知子、俳人の相生垣瓜人、百合山羽公、作詞家の清水みのる等がおり、
演劇
人
浜松市史 四
([市川少女歌舞伎])
なお、昭和二十七年七月から九月にかけての、一座の浜松座公演については、古くからの
演劇
ファンの手による詳細
浜松市史 五
(アクトシティ浜松)
既に同五十三年・五十四年度にわたって駅前高層複合施設の調査を行い、コンベンションホール、音楽ホール、
演劇
,開館記念の催しは音楽はもちろん、
演劇
、オペラ、コンベンションなどが目白押し、中でも一番の人気は地上百八十五
浜松市史 四
([人気の放送劇])
「私達の郷土」には、「遠江と鎌倉時代の新仏教」(昭和三十二年)、「
演劇
にあらわれた遠江」(同三十三年)
浜松市史 一
(芸能)
【猿楽】平安時代に行なわれたこっけいな物まね中心の素朴(そぼく)な
演劇
の猿楽(さるがく)は、猿楽法師が
浜松市史 四
([浜松ユネスコ学校])
学科は、必須科目としてお話と英語、選択科目として美術、音楽、舞踊、
演劇
が挙げられている。
浜松市史 五
(主な参考文献)
株式会社旅行読売出版社 『椎』 椎発行所 『未遂』 未遂の会 『遠州文学散歩』 社団法人 青少年文化(
演劇
,浜松市楽器博物館概要』 浜松市楽器博物館 『小百合葉子と「たんぽぽ」』 東海大学出版会 『浜演』 浜松
演劇
観賞協議会,『
演劇
教室三十年』 浜松高校
演劇
教室 『遠州方言のアクセント』 寺田泰政 幕末国学者『八木美穂伝
浜松市史 四
([映画教室の開催])
表3-5 笠井中学校の映画教室・
演劇
鑑賞(昭和33年) 4月22日 劇団たんぽぽ「銀の燭台」、「狂言
浜松市史 五
(中学校のクラブ活動)
バスケット 工 芸 陸上競技 バレー 鉄道研究 柔 道 卓 球 放送
演劇
浜松市史 五
([文学散歩と文学碑])
・『遠州文学散歩』(菅沼五十一著 昭和四十七年十一月 青少年文化(
演劇
)センター) ・フィールドワーク
浜松市史 五
(散文)
演劇
活動を経て、平成二年長編小説『楽園』を発表、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。
浜松市史 三
(目次)
三一八 新聞と雑誌 郷土研究と浜松町沿革誌 第三項
演劇
, 五九〇 大正時代 昭和時代 第七項
演劇
浜松市史 五
([村越一哲の劇作活動])
村越の
演劇
活動は長期にわたり、活力に満ち超人的なものがあるが、他方で村越は浜松市の社会教育委員長、市芸術祭市展
浜松市史 四
(目次)
清水みのると歌謡曲 学校の器楽合奏、ハーモニカバンド 第七項 映画・
演劇
, 大衆娯楽の王様、映画 素人劇団 人気の放送劇 高校
演劇
,合唱祭 楽器会社による音楽教室 学校のブラスバンド編成 第五項
演劇
, 八六三 市川少女歌舞伎 映画の全盛時代
演劇
鑑賞組織
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