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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 ニ
(犀ケ崖の夜戦)
犀ケ崖
の夜戦 信玄は
犀ケ崖
(県指定史蹟)の北方に陣した。,
犀ケ崖
は浜松駅から約二・五キロに所在し、東西約二キロ、幅約五〇メートル、両岸は絶壁で、深さ四〇メートル /
犀ケ崖
の夜戦
浜松市史 五
(遠州大念仏)
【
犀ヶ崖
資料館】 この郷土芸能が浜松市の無形文化財に指定されたのは、昭和四十七年三月一日のことで、,この大念仏のメッカとも言うべきものが鹿谷町の古戦場
犀ヶ崖
の上に立つ遠州大念仏の道場の宗円堂である。,老朽化していたこの宗円堂に大改修の手が加えられ、
犀ヶ崖
資料館としてオープンしたのは昭和五十八年四月三日,図3-66
犀ヶ崖
資料館リーフレット
浜松市史 一
(原野と谷)
【
犀ヶ崖
】そうした谷頭には多く地下水が泉となって湧出し、頭部侵蝕が相当すすんだところもあり、また台地上,の降雨による流水が集まって深く崖をきざみ、
犀ヶ崖
のような侵蝕谷もみられる。,
犀ヶ崖
(浜松市布橋・名残町)
浜松市史 ニ
(起源)
元亀三年(一五七二)武田徳川の両軍が三方原で戦ったとき、武田勢は徳川方の計略にかかり、
犀ヶ崖
で討死したものが,その戦死者の亡霊が無数の蝗(いなご)となって農作物を食い荒らしたので、家康は宗円という僧に命じて
犀ヶ崖
,【道場】いま県指定史蹟の
犀ヶ崖
には、遠州大念仏の道場としての宗円堂がある。 ,をたたいたことなどが記され、また文政十年(一八二七)ころの成立といわれる『糀屋記録』(『浜松市史史料編一』)には、「右
犀ヶ
,
崖
念仏堂に集り、大念仏を唱へ、夫より町在所々江罷越、念仏修業、是より初ると申伝候、町方ハ余り混雑致し候
浜松市史 ニ
(蓼太の来遊)
蓼太の来遊 【
犀ケ崖
の句碑】芭蕉以後の俳諧はその門人らによって幾派かに分かれた後は、しばらく形式にはまったものが,「岩角にかふとくたけて椿かな」これらは蓼太の句で、後者は元亀三年(一五七二)の三方原の戦いで知られる
犀ケ
,
崖
(さいががけ)をよんだものである(いま
犀ケ崖
にその句碑が建っている)。
浜松市史 四
([遠州大念仏の復活])
渡瀬は、昭和五年一月の遠州大念仏団(
犀ヶ崖
宗円堂に本部を置く)結成に中心となって尽力した人物。,図2-69 遠州大念仏(昭和31年
犀ヶ崖
)(1) 図2-69 遠州大念仏(昭和31年
犀ヶ
,
崖
)(2)
浜松市史 三
(史蹟指定)
平手監物墳墓之地」「徳川家康鎧掛(よろいかけ)之松」(昭和三年に台風のため折損し現存しない)「三方原古戦場
犀ケ
,
崖
(さいががけ)」「浜松名称起原颯々(ざざんざ)之松」「賀茂真淵翁誕生之地」を皇太子御成婚記念として史蹟
浜松市史 三
(士族移住)
士族移住 【和地山】その他に
犀ヶ崖
は古戦場で、その北の和地山は元は松林だったが明治二年に「士家数百軒商舎若干建
浜松市史 ニ
(三方原の戦の意義)
三方原戦図 祝田坂古戦場(引佐郡細江町) 三方原古戦場 三方原古戦場
犀ヶ
,
崖
碑(浜松市鹿谷町) 平手監物汎秀墓(浜松市東伊場)
浜松市史 一
(自然環境編)
一六 三方原東縁にみられる池(浜松市幸町四ツ池) 一九
犀ケ
,
崖
(浜松市布橋・名残町) 二〇 残丘の根木山(浜松市舘山寺町)
浜松市史 ニ
(家康の敗走)
その碑は市内布橋「
犀ケ崖
(さいがかけ)」付近にある。
浜松市史 三
(浜松の名所)
浜松名勝古蹟 浜松古城趾 (元城町) 三方原古戦場
犀ケ崖
(名残町) 鎧懸松 (松城町) 雲立の楠
浜松市史 ニ
(青山家と領民)
【
犀ケ崖
】同六日―申刻
犀ケ崖
騎射場御覧に出、即刻お帰り。
浜松市史 五
([浜松市文化協会の発足])
一.浜松市青年婦人会館 二.浜松科学館 三.
犀ヶ崖
資料館 四.浜松市天文台 五.浜松文芸館 六.
細江町史 通史編中
(細江町史 通史編 中 目次)
西来院由緒』 202 7 亀井山に硝煙蔵 206 第5章 武田信玄の刑部宿陣 第1節 古戦場
犀ヶ
,
崖
史譚 208 1
犀ヶ崖
の夜襲作戦 208 2 布橋伝説発生の起因 210 3 『遠江古蹟図絵,』の「
犀ヶ崖
」 211 4 大島蓼太の句碑 214 5 『三方原戦記』から 214 6 武田軍の
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌
(浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)
114 五、もう一つのまっこう坂物語 【由来 真向坂 抹香坂 松香坂 地蔵 瓦屋】 115 六、
犀ケ
,
崖
よもやま話 【宗円堂 夏目次郎左衛門 資料館 大念仏】 118 七、尼寺 【布橋 浜松庵】
馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌
(浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)
浜松市歌行進曲 森鴎外 八幡宮 八幡学校】 151 遠州大念仏の由来について 【三方ケ原合戦
犀ケ
,
崖
虫送り 雨乞い 新仏供養】 153 大念仏(トッタカ踊り) 154 曳馬公民館のシンボルマーク
浜松市史 四
([遠州大念仏の復活])
「遠州大念仏団規約」では、遠州大念仏の習俗が三方原合戦の戦死者供養に由来することから、本部を
犀ケ崖
宗円堂
しいの森はぎの原:わが町文化誌
(浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)
三方ケ原合戦の戦場はどこか】 29 【雪中の合戦 平手監物 本多忠勝 石川数正 夏目次郎左衛門
犀ケ
,
崖
】 31 幻の開拓者第一号、駿府豪商・松木新左衛門 ―三百年前の三方原開拓― 36 【関孝和
解説「浜松の明治以降の資料」
(解説「浜松の明治以降の資料」)
また、
犀ケ崖
、西来院、雲立楠、東照宮など家康に関連するものも数多く描かれている。
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
二九 三方原古戦場 三一 三方原古戦場
犀ヶ
,
崖
碑(浜松市鹿谷町) 三一 平手監物汎秀墓(浜松市東伊場)
浜松市史 五
(図・表一覧)
65 浜松市立中央図書館パンフレット 「浜松市立中央図書館」パンフレット 昭和56年4月 3-66
犀ヶ
,
崖
資料館リーフレット 「
犀ヶ崖
資料館」リーフレット 昭和57年 3-67 浜松科学館パンフレット 「
浜松市史 五
(目次)
充実と中央図書館の誕生 浜松市博物館の開館 遠州大念仏の文化財指定と
犀ヶ
,
崖
資料館 アカウミガメの保護運動 賀茂真淵の顕彰と寺田泰政
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