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浜松市史 ニ
(浄土宗)
玄忠寺
(田町)天文年間岡部玄忠なる者その母菩提のため天与を請じ一寺を建立したのが当寺という。,そのほか蓮光院(本魚町、本称寺門北、廃寺)・寿徳院(田町、
玄忠寺
前、廃寺)・泰用院(田町、
玄忠寺
西、廃寺
浜松市史 三
(年中行事)
市制記念日 丑浜】七月 一日(市制記念日) 十三、十四、十五日(盆祭、宗円堂大念仏) 二十三、二十四日(
玄忠寺
,八月 九、十日(龍禅寺観音大祭、四万八千日) 十四、十五日(稲荷神社、分器・八幡宮、野口) 二十四日(
玄忠寺
地蔵会
浜松市史 三
(民会開催)
民会開催 【
玄忠寺
】右の議員たちは明治九年八月九日に仮議場の
玄忠寺
に集合し、議長に岡田良一郎(第三大区
浜松市史 ニ
(縁日)
星まつり(二月二十四日)・西鴨江花学院の馬頭観音(三月最初の午の日)・竜禅寺の観音(八月九日)・田町
玄忠寺
浜松市史 三
(望月雲荘)
田能村真紅は田能村直入門の女流画家で明治の中ごろ浜松田町の
玄忠寺
境内に住み、直入も訪れることがあったという
浜松市史 三
(浜松県民会 小区長会 民会の意義)
【
玄忠寺
】七月に入り、浜松田町の
玄忠寺
で県下の小区長会が開催され、青山宙平・丸尾文六(城東郡池新田村)
浜松市史 三
(遠江国報徳社 報徳の教義)
【八年
玄忠寺
】ときに明治八年十一月で、浜松宿田町の
玄忠寺
内の報徳会議所(第一館という)に本部をおき、
浜松市史 三
(彫刻工)
彫刻工 【宮本弁吉】彫刻工 明治の初年、金原政章は金物彫刻、後藤岩太郎(作品大黒天、
玄忠寺
)は木彫の
浜松市史 三
(浜松の祭)
【酉の市 彼岸 手筒花火 管粥】お祭も六月の松尾神社(浜松元魚)の茅(ち)の輪(わ)くぐり、七月の
玄忠寺
浜松市史 三
(田中五郎兵衛)
文久三年八月庄七が死亡すると、五郎兵衛は浜松社中と語らって田町
玄忠寺
に埋葬した。
浜松市史 三
(遠江私立衛生会 衛生雑誌 人体解剖)
人体解剖 このため全国的に衛生思想の普及が叫ばれるようになり、浜松でも県下にさきがけて十六年九月の田町
玄忠寺
浜松市史 三
(遠江二葉会)
【仏教童話】大正から昭和へかけて日曜日に仏教童話や映画会を助信の善信寺をはじめ
玄忠寺
・法林寺・教興寺・
浜松市史 三
(魁新誌 浜松活天地)
二十五年には仏教教育衛生思想普及の主旨で『浜松活天地』(編集徳山得中)が月刊四十ページ一部三銭五厘で田町
玄忠寺
浜松市史 ニ
(残留家臣団)
かげゆ)は神明町木綿屋卯兵衛、物頭呼子平右衛門は板屋町足袋屋源助宅に町宿をとり、田町の永林寺(浄土宗
玄忠寺
末
浜松市史 三
(中村藤吉)
中村藤吉 【棒屋】中村藤吉(安政元年浜松田町生、浜松商業会議所会頭、大正十二年七月没、七十歳、墓
玄忠寺
浜松市史 三
(民間施設)
なお浜松支部は田町
玄忠寺
内にあった。
浜松市史 三
(駅前広場 大安寺新道 踏切 地下道)
このほかに肴町大安寺下から田町の
玄忠寺
裏を経て新川へ架けた橋を渡り前記の板屋町新道へ出る道路(本章第一節第二項参照
浜松市史 三
(珠算 本間竹之助 加茂太市 尾崎博泰)
末木千代吉(堀梅吉門人、明治十六年現在の山梨県東八代郡八代町生、昭和三十五年没、七十八歳)が田町
玄忠寺
浜松市史 四
([罹災した寺院])
正福寺(高町)、菩提寺(三組町)、齢松寺(元城町)、芳蘚寺(池町)、大安寺(肴町)、西見寺(平田町)、
玄忠寺
浜松市史 三
(町政批判派 町会議員分裂)
態度を非難するものがあり、『東海暁鐘新報』もこれを記事にするというわけで、二十二年八月二十九日田町の
玄忠寺
浜松市史 四
([西遠医会から遠江医学会へ])
内田正(名古屋鎮台軍医)は郷里浜松の住民に向けた啓蒙書を発刊し、明治十六年九月三十日には
玄忠寺
で遠江私立衛生会
浜松市史 三
(郷学校)
【浜松】浜松郷学校は大庄屋杉浦彦惣らの尽力によって田町
玄忠寺
に設立され、教師に河野四郎・矢部暉・三宅均
浜松市史 三
(浜松病院医会)
となった(天保九年佐賀蓮池藩士族、長崎医学校卒、明治三十六年十二月没、六十六歳、墓所は現在浜松市中沢町の
玄忠寺
墓苑
浜松市史 三
(俳人の来浜 曠野集 自由俳句全盛時代)
いたことがあったが、十四年九月荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)(雪腸宅)、十五年一月に『海紅』主宰の中塚一碧楼(
玄忠寺
句会
浜松市史 三
(廃寺と合併 上知令)
年 普化宗 普大寺 七軒町 〃 浄土宗 寿徳寺 田町 〃 永林寺 田町 〃 泰用院(
玄忠寺
末
浜松市史 五
(墓地)
開設とともに開園したもので、戦後に戦災復興事業で寺院や墓地の移転が行われた際に大安寺、法雲寺、新豊院、
玄忠寺
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
鴨江寺 女子商業学校 普済寺 元城国民学校 天林寺 南国民学校 西来院 西国民学校
玄忠寺
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
天神町火事火元酒屋半六 〃 12.12.28 篠原村茶屋通火事 〃 16 (1731)
玄忠寺
火事
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
紺屋町 鳥井四郎左衛門忠広 松尾芭蕉 句碑】 213 【大安寺 肴町 毘沙門堂 酉の市】 214 【
玄忠寺
,店舗名】 352 八 田町 【田町の沿革 歩役三町方 御役町】 355 【遠州分器稲荷神社
玄忠寺
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
寺社では、庚申堂、田能庵(南能庵)、寿徳院、
玄忠寺
、五社大明神、諏訪大明神、法林寺、薬師が掲載されている
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