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浜松市史 四
(三方原用水 秋葉ダム)
三方原
用水
秋葉ダム この開発計画は、戦後、浜松市が発展していく上で大いに貢献することになる。,第一は、この計画により三方原
用水
の事業が強力に進められたことである。,明治以来遠州地方では、天竜川より分水し農業
用水
や発電、運輸として利用する計画がたびたび樹立されたものの,しかし、この計画の実現により、秋葉ダムから農業
用水
・工業
用水
・上水道
用水
が取水されることになった。,そのほか、三方原開墾を中心にした開墾事業、浜名湖周辺部の干拓事業、浜名
用水
を中心とした灌漑
用水
事業などが / 三方原
用水
秋葉ダム
浜松市史 五
(浜名湖北部用水事業)
浜名湖北部
用水
事業 【ミカン園 都田川ダム】 昭和五十年、浜名湖北部地域に農業
用水
を安定的に供給,する目的で浜名湖北部
用水
事業がスタートした。,しかし、この地域は傾斜度八度から十五度と起伏が多い地形のため、従来から農業
用水
の確保に問題があった。,そこで、国が主体になって県と関係市町が協力して、二千四百ヘクタールのミカン園に農業
用水
を供給する事業が,図3-31 浜名湖北部
用水
事業概要図 / 浜名湖北部
用水
事業
浜松市史 五
([三方原用水の完成])
[三方原
用水
の完成] 【三方原
用水
事業】 昭和二十五年に制定された国土総合開発法により浜松地域は,農業
用水
事業は国営、県営、団体営とによって工事を進めることになった。,また、工業
用水
事業は県営で、上水道事業は市営で行うことになった。,この
用水
事業が完成すると、農業
用水
によって利益を受ける市町村は浜松市、浜北町、細江町、庄内村、雄踏町などで,三方原
用水
の完成により、従来、
用水
事情に恵まれていなかった三方原台地は長い間の悲願であった稲作経営が可能 / [三方原
用水
の完成]
浜松市史 五
([天竜川下流用水事業])
[天竜川下流
用水
事業] 【天竜川下流地区土地改良事業】 昭和四十二年、天竜東三河特定地域総合開発計画,の一環として、国営天竜川下流
用水
事業が着手された。,これは天竜川下流地域の農業
用水
・上水道・工業
用水
を確保するのが目的で計画された。,不安定になってきたこと、②伏流水の大量利用により地下水の水位の低下と塩水化を進行させたこと、③用排兼
用水
路,ha) 計(ha) 浜松市 2968.4 215.0 3183.4
用水
量 / [天竜川下流
用水
事業]
浜松市史 四
([浜名用水の通水と農業生産の向上])
[浜名
用水
の通水と農業生産の向上] 【浜名用排水幹線改良事業 農地開発営団 金原明善 金原治山治水財団,農業の水利事業と農地造成が叫ばれ、その機関として農地開発営団がつくられることになり、浜名用排水と磐田
用水
,このような歴史を積み重ねて完成した浜名
用水
は、この地域の稲作生産力を大きく向上させたのである。 ,図2-33 浜名
用水
の用排水系統図(1) 浜名
用水
の
用水
系統図 図2-33 浜名
用水
の用排水系統図,(2) 浜名
用水
の排水系統図 / [浜名
用水
の通水と農業生産の向上]
浜松市史 五
([三方原用水導入による新水道計画])
[三方原
用水
導入による新水道計画] 【三方原
用水
大原浄水場】 昭和四十二年(一九六七)八月二十八日,、三方原
用水
の幹線国営水路が完成、水源地の秋葉ダムと三方原台地で歴史的な通水式が行われた。,この
用水
は農業・工業・上水道の三部門に使われることになっており、市はこの
用水
の受け入れに伴う浜松地方上水道事業,三方原
用水
の上水道導入により、浜松市の給水能力は格段に向上したが、経済の高度成長に伴う人口の都市集中と / [三方原
用水
導入による新水道計画]
浜松市史 四
([防火用水槽の撤去と清掃防疫])
[防火
用水
槽の撤去と清掃防疫] 戦時中に各地域と各家庭に設置された防火
用水
や防火
用水
槽が蚊の発生源として / [防火
用水
槽の撤去と清掃防疫]
浜松市史 ニ
(天竜川安間川流域)
その原因は、安間村民が竜光村内の井堰を取り払ったために二十一か村の
用水
田地が荒所になるとして、その理不尽,【下飯田
用水
組合】その後文化二年(一八〇五)に井組二十一か村の地域に下飯田
用水
組合が創設され、幕末維新,この組合は近世浜松地方の
用水
組合の代表的なものと思われるので、その概要を『武藤家文書』(下飯田村庄屋五太夫家蔵
用水
始末録,この新
用水
路(新井)は半場村
用水
を竜光村井堰(安間川)水門の下へ落とし、これを下飯田村地先(水神といわれた,・中泉代官所宛にしばしば行ない、その結果
用水
御普請がくりかえされている。
浜松市史 一
(農業政策)
【農業
用水
】少量の農業
用水
を公平に分配することに大名の苦心がある。,
用水
路の維持費にあてた井料(いりょう)について今川氏の規定がある(『今川仮名目録』五条)。,中世の
用水
の規定や慣習は、ほとんどそのまま近世にひきつがれた。
浜松市史 三
(水利組合)
水利組合 水利組合も農会とほぼ前後して発達し、下飯田
用水
に関係のある飯田・芳川(ほうがわ)・河輪・五島,の四か村組合(三十二年)、天神町・白脇の両村の茄子川堰
用水
の組合(三十三年)、飯田・芳川の両村に接続する
浜松市史 一
(蒲御厨の地下請)
蒲御厨の地下請 【
用水
路】康正(こうしょう)三年(一四五七)に、蒲御厨の東西の公文(くもん)(管理人,長禄(ちょうろく)(一四五七-一四五九)のころ「蒲惣郷」が寄合し、荒廃した
用水
路を再建するため他領に出張
舞阪町史 下巻
(舞阪町史 下巻 目次)
区画整理の工区別換地実績及び決算実績 舞阪町と浜松市の境界変更 第八章 上水道事業 第一節 三方原
用水
事業,と農業
用水
679 三方原
用水
事業 舞阪町への農業
用水
の導入 農業用排水事業の推移 第二節 工業
用水
,709 地下水への全面依存の段階 水需要の急増と地下水障害 西遠工業
用水
道 養魚
用水
舞阪町の工業
用水
使用状況,統合協定 簡易水道事業から水道事業への転換 地下水塩水化の問題 浜松市上水道への統合の催促 西遠工業
用水
道
浜松市史 五
([都田川農地防災ダムの建設へ])
直接的な利益がないなど消極的な意見もあったが(『引佐町史』下巻)、同四十七年頃からダムの目的を防災、農業
用水
,その後、テクノポリス(技術集積都市)開発のため流域の浜松市をはじめ引佐郡三町の農業
用水
、飲料水の需要増加,から昭和四十九年に計画を変更、洪水防止に加え、農業
用水
、飲料水確保のための多目的ダムとなった(『新編史料編六
浜松市史 五
([下水道と上水道の普及])
【上水道 遠州広域水道
用水
市民皆水道】 上水道については三方原
用水
から上水道
用水
を取り入れ、大原浄水場,しかし、これには莫大な投資が必要なことから、県が進めている船明ダムからの中遠水道
用水
の水を県の於呂浄水場,これは既設の大原や常光の浄水場の増設や都田川ダムからの遠州広域水道
用水
を県の都田浄水場を経て受水する都田配水場
浜松市史 五
(三方原地区土地改良事業)
天竜東三河特定地域総合開発計画の一環として秋葉ダムが完成、同三十五年天竜川(秋葉ダム)を水源とする国営三方原
用水
事業,表3-17 三方原土地改良事業の概要(昭和63年) 事業名 事業の概要 国営三方原
用水
事業,排水路 24キロメートル 県営かんがい排水事業 工期 昭和40年~平成2年 支線
用水
路,3,346ヘクタール 事業費 約163億円 <区画整理> 整地工 428ヘクタール
用水
路工
浜松市史 ニ
(浜松藩の新田開発)
【
用水
】入封直後に新田改めを行なった高力忠房は、寛永(かんえい)年間にいたり、領内から「人足」を徴発して,
用水
を作ることによって北嶋村地内にあった東河原新田の開発に着手した(『北嶋村大橋家文書』)。,明け、早出の井せぎつぶれ、中瀬に新せぎをつき、むしな川を井に用い、下ノ瀬ニ新せぎつき、とひといをかけ
用水
浜松市史 ニ
(馬込川流域)
小池・天王・下堀・中田の五か村は、笠井新田村の池から水を引き互いに分水していたが、市野村が「みだりに
用水
堰留,文化文政の
用水
路(下飯田
用水
)
浜松市史 ニ
(都田川流域)
以上はほんのわずかな例にすぎないが、灌漑
用水
はもともと水田耕作の死命を制するものであったから、大なり小
浜松市史 三
([利水事業])
[利水事業] 浜松地方の農業の生産基盤整備の一面として利水事業(灌漑
用水
・排水・耕地整理など)に注目
浜松市史 三
(高町火事)
消防組の出動は迅速だったが、同町は各戸の井戸の深さがみな十間有余で、水量も乏しくポンプの
用水
となすに足
浜松市史 四
([揚水による米作の開始])
しかし、幾度となく計画された
用水
は三方原台地を流れることはなかった。,二十九年当時の電気料金は反あたり約三千円で、川や
用水
池から取水する平地の農家とは違った悩みがあった。,この開田のために、天竜川の水を利用することにし、浜名
用水
の幹線から水揚げ地の麁玉村の梔池(くちなしいけ
浜松市史 ニ
(陣夫役)
【夫役】農民の有力者には、家屋税にあたる棟別銭(むなべちせん)や、道路・
用水
の修理、竹木伐りだしの人夫
浜松市史 五
([ウナギ養殖の浮沈])
そこで養殖施設の近代化・合理化や遊休養殖池の再開発を図るために、昭和五十三年、静岡県は養鰻
用水
合理化パイロット,この事業は養鰻池の区画整理・再開発、
用水
施設・排水処理施設整備、温室施設の整備に対して融資・補助を行うことによって
浜松市史 ニ
(開発の目的と方法)
そして開発の方法からみると、個々の農民がその隣接地を徐々に開発していく場合(切添(きりぞえ)新田)と
用水
路
浜松市史 四
([天竜東三河総合開発と遠州地方])
この計画は、(1)佐久間発電所の建設、(2)農業水利事業、(3)工業
用水
・上水道、(4)観光資源開発、,発電事業を行い最大出力四十六万キロワットの開発 (7)右記の諸堰堤及び豊川水系宇連堰堤を利用して農業
用水
,(10)西宝地区、豊橋豊川地区及び西遠地区において必要なる上水・工業
用水
供給施設を整備する。
浜松市史 一
(農業)
領主は、
用水
の利用をめいずるとか、開墾地の年貢を軽減して新開の奨励につとめた。,
用水
の公正な配分のため農民の智恵がこらされた。肥料は草木の灰が多くつかわれた。
浜松市史 四
([天皇行幸による道路復旧])
、名古屋鉄道局浜松工機部、北国民学校(現北小学校)の仮校舎、日本楽器製造株式会社、二俣町西鹿島の浜名
用水
取水口
浜松市史 三
(土地分画法)
板葺きで一つの井戸を八戸ぐらいで共用したが、三方原では飲
用水
が得がたくその深さは七尋(ひろ)もあった。
浜松市史 一
(天竜川)
いまはその水力が発電に、水量が農工業の
用水
に、伏流水は市民の飲料水として大いに利川されている。
浜松市史 一
(義定の乱妨)
したとか(『仁和寺文書』)、紀伊熊野山(和歌山県那智神社)領(いまの磐田市笠梅のあたり)の住民と国衙領の
用水
浜松市史 一
(流水量)
をおよぼしていたのであるが、いまは佐久間や秋葉で堰止められて発電に利用され、またこの川から導水して工業
用水
,や農業
用水
となっている。
浜松市史 三
(防空体制の強化)
強化 【待避壕】このころになると待避壕(たいひごう)(防空壕とも言った)を掘ることが奨励され、防火
用水
槽
浜松市史 四
([土地改良事業の始まりと生産性の向上])
表2-31によると、
用水
不足と排水不良の水田が千五百五十町歩あり、区画整理を必要とする水田も千町歩を超,表2-31 要改良水田の実態(昭和27年ごろ) (単位:町歩) 地区別
用水
不足田 排水 不良田
浜松市史 四
([岩崎豊の再選])
した舞阪や新居までの合併を実現し、港のある浜松とする、遠信鉄道の実現、天竜川総合開発による電力、工業
用水
浜松市史 五
([再選が続いた平山市長])
これは平山市政一期目で三方原
用水
の着工、市民会館・体育館・児童会館・し尿処理場の建設などの大事業を次々
浜松市史 三
(金原治山治水財団 農地開発営団)
十六年農事関係工事が農地開発営団に移管されるようになると、金原治山治水財団の事業も天竜川沿岸
用水
改良事業
浜松市史 五
(浜名湖漁業)
これはカキ、ノリ養殖の振興策の一環で、六百十ヘクタールの低利
用水
域を新規ノリ漁場化するとともに、カキについても,この事業は湖内魚類水揚高の四十六%を占めるエビとカニの増殖を図るために、低利
用水
域において浚渫船による
浜松市史 三
(戦災と生活)
なべかまふとん)を取り出し焼残りの木材を組み立て焼けトタンを屋根代りとした掘建小屋を急設し雨露をしのいだが、飲
用水
浜松市史 五
([積極的な工場誘致と工場の団地化])
工業
用水
は三方原
用水
を利用することにし、三方原
用水
事業を促進することにした。
浜松市史 ニ
(働く女性)
二月から三月にかけて堰や
用水
路整備の出役・田起し。四月に苗代作り・種まきの準備・麻畑や綿作の手入れ。
浜松市史 一
(百姓請 郷村制)
寄合(よりあい)で祭礼・入会地(いりあいち)・
用水
の管理・村の秩序の維持などが決定された。
ふるさと神久呂:わがまち文化誌
(浜松市立神久呂公民館『ふるさと神久呂:わがまち文化誌』 目次)
の町 大久保町 143 大久保に生きた人々 145 戦前の産業と教育 149 ため池から三方原
用水
都田風土記:わが町文化誌
(浜松市立都田公民館『都田風土記:わが町文化誌』 目次)
滝沢鍾乳洞と鷲沢風穴 17 (3)豊かな林産物 19 三 水の恵み 22 (1)田畑に水をー溜池と
用水
,のあゆみ 114 (2)農村の近代化ー農業構造改善事業 115 (3)台地をよみがえらせた三方原
用水
,117 (4)都田川の水を生かす湖北
用水
119 六 みんなの都田農協 121 (1)産業組合
浜松市史 五
(ウナギ養殖)
このような動きはシラスウナギや養鰻
用水
の不足を生み、さらに生産過剰による値崩れの恐れがあったため、浜名湖養魚漁業協同組合
浜松市史 一
(農業)
【
用水
】
用水
についても水を分配する技術面ではそれほど進歩しないが、農民の進んで参加したのが注目される。
浜松市史 四
([天皇巡幸])
続いて、西鹿島(浜松市天竜区二俣町)にある浜名
用水
取入口を視察の後、赤佐村(浜松市浜北区)に向かわれ、
浜松市史 五
([各種公害規制の強化])
より上流の類型基準はC基準(コイ・フナが住める状態)、茄子橋より下流と同水系である芳川をD基準(農業
用水
浜松市史 三
(運河開掘の諸計画)
現在当市神田町)地付の次郎助池から流れ出て入野川へ合流する明神野川(沼田川ともいう)を改修した悪水吐
用水
路
浜松市史 三
(金原疏水財団 十湖の評)
【耕地整理援助】その後、浜名平野灌漑
用水
の声が高まり四十三年に浜松町外十四か町村組合の浜名耕地整理組合
浜松市史 一
(蒲御厨のばあい)
荘園領主の直営地の佃(つくだ)を耕作する夫役とか、道路・
用水
施設などの工事人夫、掃除などの雑役までも夫役
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