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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 ニ
(番所)
番所
通行人を看視する
番所
は三か所で、東
番所
は馬込橋際に西
番所
は成子坂に中
番所
は伝馬町にあった。 /
番所
浜松市史 ニ
(隊員と旧幕臣との摩擦)
隊員と旧幕臣との摩擦 【金指
番所
】また隊員の岩田九八郎が凱旋して自宅に帰るとき、金指の
番所
で、出兵の,この報は至急使で金指
番所
にとび、色を失った役人たちは、ひたすら岩田九八郎に穏便にはからってくれるよう懇願,しかし翌十二月六日、引佐郡下の報国隊員宮田十郎右衛門ら五名が、
番所
に押しかけ、今後絶対不都合のことをするな,、やはり官に残った鷹森(竹山)民部が、公用で京都より東京に下る途次、浜松に泊ることを聞きつたえた金指
番所
浜松市史 ニ
(幕府と藩の二重支配)
【中
番所
】その結果、高力氏の在城期間中(約二十年)、高力の給人衆二人・足軽衆六人が順番に朱印改め役として,中か御
番所
に毎日出勤した。,伝馬制創始の時から浜松宿の問屋として朱印改めを命ぜられていた伝馬町の杉浦助右衛門は「内勤」のため中か御
番所
,【朱印状の保管】寛政期の『浜松宿御役町由来記』には「中か御
番所
には伝馬御朱印が今日まで保管されているが
浜松市史 ニ
(天竜材の需要)
【鹿島十分一
番所
】そこで元和三年(一六一七)には鹿島(天竜市)に、天竜川を流下する貨物に時価の十分の一,を徴収する鹿島十分一
番所
が設けられた。,船明止 長榑木 286.91榑 船明止 享保3年 20.挺 江戸上野 .32挺 気賀
番所
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
浜松宿の東端の
番所
(東
番所
)は東海道馬込橋のやや西にある。
番所
の東には木戸や柵を設けている。,【
番所
】 東、西、名残
番所
は「
番所
」と記され、それぞれ柵列が描かれる。,西、名残
番所
は、枡形の道筋である。中
番所
は、「中
番所
」と記す。,【
番所
】 東海道筋の3つの
番所
、本坂通筋の名残
番所
が描かれる。,
番所
は東海道筋の東、西
番所
、本坂通筋の名残
番所
が描かれるが、中
番所
は描かれていない。
浜松市史 ニ
(二の丸)
【奥御殿】「奥御殿」へは大奥
番所
を経て廊下によって通じ、左側が城主の平素起居する居間、右側にはこれにともなう,詰 所 居間 湯殿 風 呂 揚 り 場 物置 奥居間 次之間 茶之間 奥台所 奥
番所
,2 4 8 3 6 6 6 4 7.5 93.5 二の丸付属建物の部屋 表門
番所
,6 9 9 9 9 22.5 (表)年代不詳二の丸絵図の部屋別と坪数 玄関 馬廻
番所
,書院取付之間 物置 座敷上間 次の間 目付詰所 祐筆所 賄詰所 料 理 人 詰 所 使者
番所
浜松市史 ニ
(名残口)
組屋敷から成る名残から名残町(現在鹿谷町)を経て三方原(みかたがはら)方面への通路で、二重の木戸があり、
番所
浜松市史 ニ
(城下の不穏)
井上家では直ちに物頭以下の者をもって馬込
番所
・成子
番所
・中
番所
・大厳寺口・鍛冶町口・名残口などの要所を
浜松市史 三
(静岡県時代 浜松警察署 浜松分署)
【分署 交
番所
】明治十七年に浜松警察署(定員三二名)管内には笠井・新所・気賀に分署があり、掛塚・舞坂・,白須賀・三ケ日に交
番所
があった。
浜松市史 ニ
(高町口)
馬
番所
(梁二間・桁二間)があった。
浜松市史 ニ
(大手口)
があり、外濠の板橋を渡ると大手門で、土塁をめぐらした枡形(ますがた)があって城内の見とおしをさえぎり、
番所
浜松市史 ニ
(後道地域)
【牢屋】町組についてはわからないが、ここには成子
番所
の番役人・辻番・手代(二軒)・宗旨改手代(二軒)・
浜松市史 ニ
(問屋場)
問屋場 問屋場は伝馬町中
番所
のかたわらにあった。
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
【東
番所
役】馬込御
番所
(東木戸)修覆役 新町と馬込村の一部。 ,【西
番所
役】成子坂御
番所
(西木戸)修覆役 成子坂と本魚の二町。
浜松市史 ニ
(浜松の主要交通路)
申所迄弐拾五町二十間、小豆餅より追分三辻まで拾弐丁四十間、追分より大谷と申所迄三十弐丁十間、大谷より気賀御
番所
,まで三十丁三十間 右之道法、都合、浜松追手御高札場より気賀御
番所
まで三里九丁十一間 気賀御
番所
浜松市史 ニ
(榎門口)
ここには榎門(二層間口六間・奥行二間)と
番所
(間口四間半・奥行二間)があった。
浜松市史 ニ
(海辺之村々に法度)
これによると遠見
番所
を管理する村々は、異国船を発見したら寸刻を争って報告すること、漁船川船の現在数を平素確
浜松市史 ニ
(海防案)
【遠見
番所
】つぎに常時「遠見
番所
」という海岸監視哨を設けることを提言している。
天竜市史 上巻
(天竜市史 上巻 目次)
山形屋 御綱留の廃止 第二節 天竜川の舟運 四六六 角倉船の出現 天竜川の通船 物資の輸送 鹿島十分一
番所
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
かずの踏切】 283 【塩町 提灯屋 肥料屋 医者 三好菖軒 冨田玄仙】 285 【成子町 成子坂
番所
天竜市史 下巻
(天竜市史 下巻 目次)
三 中泉奉行所の設置 第四項 明治初年の世情と旧制度の改革 六 行幸と池田船橋 民心の獲得 川
番所
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
390 二十七 東田町 【東通り 猟銃事件 春雨通り】 393 二十八 馬込町 【東海道
番所
解説「国絵図」
(解説「国絵図」)
気賀関所や金指関所を示す「御
番所
」の記載はあるが、なぜか新居宿場東端の今切関所の記載はない。
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